0201:二日目(A)
面沢高校前に向かう電車の車内は、今日も若い男女の声で溢れていた。平日の朝から面沢町に向かうような物好きな人間は、高校生と山歩きに行く老人くらいだ。そんな中で、壁に寄りかかるようにして並んで立っている二人の眠そうな男達。その場にいない幼馴染の話をしているのは、祐太と準貴である。
ドアの車窓からは田んぼが後ろに向かって流れていくのが見える。黄金色の穂を垂らした稲が、刈られるのを待っている。
「あいつ絶対ホームルーム間に合わないぞ。低血圧だし」
「昨日は徹夜したって言ってたからな、自業自得だろ」
あいつとは、さくらのこと。いつもの通り二人で迎えに行ったが、『あと十分』しか言葉を知らないようだったので置いてきた。
「ふぁぁ……」
大きなあくびが出る。俺も徹夜にはならなかったものの、アップステアーズのせいで眠りが浅かった。
「お前も眠そうだな? 昨日のテストの復習をしてた訳ではないんだろ」
「当然だ。……変なゲームやってたら、結局四時間しか眠れなかった」
まだ準貴にはアップステアーズのことを伏せてある。一日目から死に掛けていた始末だ、二、三日生き残ることができたら改めて二人に話そうと思う。
「お前もか? 俺も今日は三時間しか寝てないんだ」
そう話すわりに、準貴は元気に見える。いつも深夜アニメを見ながらも部活の朝練に参加している彼だ、耐性があるらしい。
「また深夜アニメか?」
「いや、PCゲームを貰ったんだ。なんと、BCI対応」
BCIケーブル対応のゲームは、指折りで数えられるくらい少ない。嫌な予感が頭を過ぎり、聞くことが躊躇われたたが思わず口に出してしまった。
「……まさか、差出人不明の宅配便じゃないよな?」
ぽかんと口を開けている準貴。予感通りの言葉が彼の口から出される。
「……なんで知ってんだ?」
田園風景の中を疾走していく電車の中で、時間が止まったように沈黙する二人。知恵を振り絞ってどちらも同じ一つの結論に至る。
「「お前もかっ!!」」
どうやら準貴もアップステアーズのプレイヤーに選ばれたらしい。なんという偶然。狭いよ日本。
「凄いな、日本人一億人の中から同じ学校のヤツが三人も選ばれるなんてさ!」
「三人?」
「昨日智和に会ったんだ、ゲームの中で」
「……」
準貴は眉を寄せて何か考え込んでいる。
「あのゲーム、もう勝ったようなもんだろ。知り合いが三人集まればさすがに――」
三人のPTを組めるなら、賞金目当てに見える智和も仲間になってくれるかもしれない。
「……ちょっと待て、あのゲームの参加者は27人だろ?」
「あぁ」
27人――。昨日智和に嘘をついていた時に思い当たった違和感のことを思い出した。
「嫌な予感がするんだが……」
祐太が8番で、智和が10番。これは面沢高校二年二組での二人の名簿番号だ。
「クラス全員が――って言いたいのか?」
準貴が無言で肯定する。
「――そういえば、名前を入力してないのに俺の名前が表示されたっけ?」
「偶然かもしれないが、名前の前に表示された数字、18って俺の名簿番号なんだよ……」
それは27人がクラスの人間で構成されていることの確信に足る発言だったが、俺には一つだけ腑に落ちないことがあった。
車内に終点に到着した旨のアナウンスが流れ、ブレーキが利き始める。止まるのは面沢高校前駅、他の生徒達も降りる準備を始めている。
「27人がうちのクラスの連中だとして、残りの一人は誰なんだ?」
「あ」
二年二組は14人の男子と12人の女子、合わせて26人の生徒しかいない。
「担任じゃないか?」
財布の中の定期を探している準貴は、大して気にしていない様子だった。
校門に着くまでの短い間、お互い昨日のゲーム内であったことを話していた。智和に会って殺されかけたこと、とっさに嘘をついてその場を逃れたこと。準貴は他のプレイヤーと会うこともなく、とりたてて何も無かったらしい。
「すまん。話の途中だけど、朝練あるから」
「あぁ、頑張れよ」
準貴がグラウンドに向かって大きなストライドで走っていく。普段おたくな一面しか見ていないので、こういう時はとても新鮮に感じる。たまにはさくらをつれて、大会の応援をしに行くのもいいかもしれないと思った。
まだホームルームが始まるまでにかなりの時間がある。真面目な生徒が誰かしら来ているだろう、クラスの連中にゲームのことを聞いてみよう。
いつものように前の扉を開けて教室に入る。まだ生徒がほとんどいない教室を見渡す。加瀬聖、山並七海に、四人の集団が目に入る。聖はクラス委員長で七海は副委員長だから、こんな朝早くに教室にいたとしても驚かない。だが問題は四人組の方だ。彼らはここから電車で一時間はかかる手形村の出身ではなかったか?
「おはよう」
火がついていなくても井戸端みたいな役割を果たす、円柱型の石油ストーブを囲んでいる四人に、こちらから声をかける。
「よう」
「おはようございます」
「おう、早いな」
「おはよう、斉藤君」
四人が振り向き、各々あいさつを返してくれる。なにやら大切な話をしていたようなので、本題から話すことにした。
「なぁ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ――」
「アップステアーズのことか?」
話す内容を予測していたかのように大塚巧が切り出す。
巧は坊主頭とよく通る声を持った、生粋の野球部員である。大体の高校は甲子園に向けて練習に励んでいるものだと思うが、彼がここにいることから分かるように、この学校の野球部はあまりきっちりとした部活ではない。
「え――、それじゃあ、やっぱり……」
「俺達も全員プレイヤーだ。クラス全員そうなんじゃないか?」
加藤弘樹が生徒の座っていない席を見渡しながら口を開く。
がたいが良く目が細い彼は、同じくきっちりとしていない柔道部に属している。どうやら彼らも同じ結論に至っていたらしい。
「その様子だと、まだプレイヤーの誰とも会ってないみたいね?」
天使のような微笑みと共に話しかけてきてくれたのは、火原美月。
さらさらの髪を背中まで伸ばしている彼女は、モデルでもやっているんじゃないかという美少女である。才色兼備とはよく言ったもので、クラス副委員長をしており、その性格と容姿から生徒はもちろん、教師にも人望が厚い。俺も健全な男の子な訳で、視線を落としドキドキしながら答える。
「いや、智和には会ったけど……」
「智和か、意外だな」
巧が言いたいことはよく分かる、元不良がゲームをやっているところなんて絵にならない。
「噂をすれば来たみたいですよ」
出雲真央が開けっ放しになっていたドアを指差した。
この優しそうな目をした少女が準貴の彼女だというのだから、世の中よく分からないし、興味深い。
彼女の指の先を見ると、丁度智和が大股開きで教室に入ってきたところだった。ヤバイと思ったときには時既に遅く、目を合わせてしまう。智和は鞄を自分の席に投げ捨てて、血相を変えて近づいて来た。
昨日は生き残ることに必死で、ばれた時のことはまったく考えられていなかった。
「てめぇ、チェックポイントなんてなかったじゃねぇか!!」
智和がドスをきかせた声で怒鳴り、襟を拳で巻き込んで掴んでくる。太い腕が示すとおり、物凄い力。足が地面から浮きそうになる。
「次会ったときは覚えていろよ。蜂の巣にしてやるからな!」
鼻息が当たるくらい顔が近い。元とはいえ、さすがは不良。睨まれるとすくみあがってしまう。
「おはよう、桜井君」
なんとか呼吸をしようと、打ち上げられた魚みたいに口を縦にパクパク開いていたところ、横にまぶしい笑顔をした美月の顔が見えた。智和の手がピクリと反応し、開放する。
「おはようございます、火原さん」
先程の恐い顔とは一転し、彼は気色の悪い声色を使って微笑んだ。
「いやぁ、襟が乱れているよ、斉藤君」
智和が両手で丁寧に襟を正してくれた。展開についていけずに、思わず小さな声でありがとうと礼を言ってしまう。
「蜂の巣ってどういうことかな?」
「えっとですね、今度地蜂を一緒に取りに行こうって話をしていたんですよ。なぁ、斉藤君!」
智和が馴れ馴れしく、いかつい肩を組んできた。口は笑っているが、目がまだ睨んでいる。後が恐いので流れに身を任せるが、本当に行く破目に陥らないことを祈る。
「え、う、うん」
「そっか……。クラス副委員長として言わせてもらうけど、あまり無茶はしないでね?」
白くて綺麗な人差し指を立てて、首を傾ける美月。このかわいさは犯罪だろう。横を向くと、だらしなく目尻を垂らして不気味に笑っている智和の顔が見えた。こちらも犯罪級だ。
「はい、火原さんに御迷惑はおかけしません」
智和が大きく頷いて答えた。去り際に美月から見えないように、こちらに凄んでから自分の席に戻って行く。
よく分からないが、美月のお陰で九死に一生を得た。気色の悪い声色といい態度といい、あの変わり身は何なのだろうか。尋ねようとしたところ、美月以外の三人が涙目になりながら必死に笑いを堪えているのに気付いた。どうやらそういうこと、らしい。
四時間目の終わりのチャイムが鳴る。学校のオアシスたる時間、昼休みだ。人気のパンを買いに走る生徒、弁当を取り出す生徒、授業中の静寂が嘘のように騒がしくなる。
「で、PT組むだろ?」
机の上で弁当箱の蓋を開けて、準貴が口を開く。
「俺は歓迎だけど、お前は真央ちゃんと組まなくていいのか?」
真央はホームルームの前に話をしていた手形中学出身の四人組の一人で、準貴の彼女である。修学旅行のとき、ひょんなことから付き合い始めたらしい。
「あー、あいつはもうPT組んでるみたいだしな」
おそらくは、あの四人で組んだのだろう。
「じゃあ、よろしくな」
真央がフリーだったら譲ろうと思っていたが、そういうことなら遠慮なくPTを組ませてもらおう。準貴が仲間になってくれるなら、とても心強い。
「どうせ暇してるだろうし、さくらも入れてやろうぜ」
「おう……って、今日あいつ来ないつもりじゃないだろうな?」
噂をすれば影。廊下を走る音が聞こえてくる気がする。
音が止んだかと思ったその時、ドアが爆轟の効果音をつけられそうな勢いで開け放たれた。
「馬鹿男共ッ!!」
クラス中から視線を集めるだけ集めて、彼女はそう叫んだ。そう珍しいことでもない風景。生徒達も自分の弁当に視線を戻す。
「よう」
準貴も煮物に箸をつき立てながら、いたって平然に挨拶をしている。
「開口一番尋常じゃないな」
「どうして無理やりにでも起こしてくれないの?!」
「先行けって言ってただろ」
本当は言っていないが、同じようなものだろう。
「幼馴染の女の子『が』起こされるなんて展開的に頂けないな」
準貴はオタクとしての信念に反していたらしい。
「あーもう、午前中授業全部さぼっちゃったよ〜。朝飯も食べ損ねちゃったし。……こんなことなら、あんなゲームやるんじゃなかった」
「やっぱりお前もやってたんだ?」
「ん?」
準貴と共に、ことの顛末を説明し、ついでに三人でPTを組まないか誘ってみた。
「入る入る、PT入るー」
ノーラグで参加を表明するさくら。話を聞けば、彼女も準貴と同じく他のプレイヤーと遭遇しなかったらしい。
となると、俺は相当運が悪かったのではないだろうか。
「これで三人か。他にも誰か誘うか?」
俺はそう言いながら、頭の中である少女の顔を浮かべていた。
「いや、PTは複数掛け持ちできるんだろ? となると、信用できる人間以外とはやめておいた方がいいと思うぞ」
「3000万がかかっている訳だしね。どうりでさっきからこの教室、ピリピリしてると思ったよ」
「ピリピリ? そんな風には見えないけどな」
教室を端から端まで見渡すが、いつも通りのほんわかとした雰囲気にしか見えなかった。
「祐太は鈍感だから」
「いやいや、俺は鋭敏だぞ」
「鈍感だろ」
準貴が何度も頷きながら、さくらの発言に同意する。
「鈍感」
日ごろの鬱憤を晴らすように、こちらをジト目で見ながら繰り返すさくら。この十六年間気づいていなかったが、自分は鈍感らしい。
「うぅ……」
このままだとからかわれ続けかねないので話題を変えてみる。
「もし3000万手に入れたらどうするんだ?」
「あたしは、当面の生活費かな……」
さくらの家は母子家庭で、さくらを含めて三人の子供がいる。生活は結構厳しいらしく、彼女も学校の目を盗んでは度々バイトをしている。小さい頃は、さくらの家に遊びに行ったはずが三人で黙々と内職に勤しんでいた、なんてこともしばしばだった。
「特に食費な」
「ムー、準貴はどうなの?」
「俺もあることにはあるが、人に言えるようなもんじゃないな」
「お前、そういうこと言うといらぬ誤解を与えるぞ」
「エッチな本?」
「ブッブー。それとレディーはそういうことは言いません」
人生経験豊富な彼女が下ネタごときで動じるわけも無い。
「夜のオカズ」
「サンマの塩焼きか?」
準貴はさくらの往なし方も心得たものだ。
「君達、面白そうな話をしているね」
後ろから知的な声がした。天然パーマとお洒落眼鏡が特徴の少年、杉浦陸が近づいてくる。
「エロに釣られて寄ってきたな」
「殺虫灯、殺虫灯……」
中学時代にエロ大王という名誉な名前を授かった彼は、家にAVの大書庫を持っており、実用の域を出てもはや芸術として鑑賞しているらしい。俺達と同じたたら南中学の出身でもある。
「陸は3000万あったら何する?」
「なんだ、そんな話か。健全な男の子は、昼休みには好きなAV女優の話で盛り上がるものだろう」
「それこそ不健全だな」
「そうだな……、書庫の増築に、今まで出ているAVを全て網羅して――」
常人はその情熱とスケールについていけない。陸の家の書庫には準貴とお世話になったものだが、そういえば高校に入ってからは行っていなかった。
「お前のことだから、てっきり風俗にでも入り浸ると思ったけど……」
準貴が頬杖をついて尋ねる。
「これだから素人は嫌になるね。いいか? 女性の体はブラウン管越しだからこそ神聖に見えるものであって――」
「はじまったよ、陸のむっつり講義。祐太のせいだからな。俺、便所〜」
「スイッチを入れたのは準貴だろ。俺もついてくよ」
目を閉じて自分の世界に入ってしまった陸。こうなると誰にも止められない。準貴に続いて逃げ出すことにした。
「あたしも便所〜」
「――であるから、AVとはジレンマの上に成り立っていて――」
今日の授業もすべて終わった。結局アップステアーズのことばかり考えていて、勉学に身が入らなかったが。
「じゃあ、俺部活行くから」
準貴が鞄を担いで席を立つ。
「ご苦労さん」
「祐太がいる教会に順次集合な?」
昨日智和から逃げた後、廃墟じみた教会を見つけ、その中で隠れてからログアウトした。人知れず集まるならあそこが最適だろう。
「敵連れてくるなよ」
背中に声をかけると、準貴は手をひらひらさせて教室を出て行った。
「帰ろっか」
さくらが鞄を両手で持って、後ろの席からくるくる回りながら隣にやって来た。昼間の不機嫌さはどこに行ったのか、柴犬の尻尾みたいにポニーテールが揺れそうなくらい上機嫌だ。しかしさくらには申し訳ないが、この後は予定があった。
「悪い、今日先に帰っててくれ」
「え……?」
鞄から片手が離され、表情が曇る。後ろめたい気持ちになるが、二人とはいつでも遊べても彼女に関われるのは今しかない。自分に言い聞かせる。
「あ、氷室!」
黒板の方を見ると、既に涼子が美琴の後を追いかけて教室を出ようとしているところだった。
「何?」
涼子が迷惑そうに顔だけこちらに向ける。挫けかけたが、さくらの誘いを断った以上怯んではいられない。会話を続ける。
「この後時間あれば、お茶でもどうかな?」
「先客があるから――」
「あら、ナンパ?」
彼女はいつもと同じ言い訳をしようと試みたが、今回は意外な人物の言葉に遮られた。声の主は美琴。教室を出たと思っていた眼帯の少女がいつの間にか戻って来ている。
「まぁ、そんなもんだ」
下手に言い訳するよりも肯定しておいた方がいいだろう。
「行ってきなさいよ」
美琴はさらに予想外の言葉を口にする。
「でも、私は美琴を送――」
「そう四六時中、後を付いてこられちゃ、私が参っちゃうわ」
「でも……」
「じゃ、斉藤君。涼子のことよろしくね」
踵を返し、手の甲を見せて教室を去っていく美琴。言葉とは裏腹に、その口調は涼子に付き纏われていることを嫌がっているようではなかった。
「……」
涼子は呆然としてこちらを睨んでいる。状況は昨日より悪化している気がする。
「邪魔したみたいでゴメン。無理しなくても……」
「全部私が悪いの、気にしないで。さっさと済ませてくれる? 夜は用事があるから」
「あぁ……」
全部私が悪い、その言葉に妙な違和感を感じた。さくらの姿を探そうと教室を見渡す。先程のことを謝ろうと思ったが、既に彼女の姿はなかった。
不機嫌そうな涼子をつれて教室を後にした。
祐太と涼子の二人は、デパートの一階に並ぶ店の中でも、一番奥にある小さな喫茶店に入っていた。ジャズの流れる薄暗い店内には、店員と新聞を広げているスーツ姿の男の姿しかない。ゆっくり話をするなら人があまりいないほうが良いと思い、ここに入ったのだ。そもそもこの町に小洒落た店など数えるほどしかないのだが。
「氷室、前の学校で剣道やってたんだってな」
コーヒーが置かれても気まずい雰囲気が漂っていたが、沈黙を破って口を開いた。言った後でストレートだったかと後悔する。
「またその話? 竹刀はもう持たないから」
ここまでついて来る間に少しは機嫌も直っていたようだったが、また険しい顔になる。
「いや、勧誘するつもりじゃないんだ」
「そう。ごめんね、一時期周りがしつこかったから……」
表情が戻った。
「それだけ期待されてたんだろ。どうして辞めちゃったんだ?」
関東で三本の指に入るらしい猛者が何故ここで燻っているのか。
「……」
涼子は無言のまま、ストローでグラスに残った氷をかき混ぜている。どうやら剣道のことはタブーらしい。
「ゴメン、尋問みたいだな」
「……さっきからお互い謝ってばかりね」
「そうだな」
責める口調ではなかったが、気まずい。苦笑いを浮かべる。
「美琴と仲よかったんだな」
学校での妙なやり取りを思い出す。
「いいえ、嫌われてるはずよ。美琴だけじゃない、この学校の剣道部にも、学校に関わる全ての人にも……」
学校の人間全員に嫌われている、とはどういうことだろうか? そのような話は聞いたことが無い。彼女の被害妄想だろうか。
「考えすぎじゃないか? 美琴はそうは見えないし……。少なくとも、俺と準貴とさくらは氷室のこと嫌ってないよ」
「……」
涼子がストローから手を離す。怒っているのか悲しんでいるのか、よく分からない目でしばらく見つめられた。
「帰る」
一言だけ言って、コーヒー分の小銭を机に置いて荷物をまとめ始める。
「引っ越してきて分からないこととかあったら気軽に聞いてくれ」
「今のところないから大丈夫よ」
涼子は鞄を持って席を立ったが、少し歩いてから足を止めた。
「こういう洒落た店は落ち着かないわ。今度はファーストフード店みたいなところで十分よ」
「あ、あぁ……。善処します」
落ち着かないというのは同感だ。普段三人で食べ歩いていることが多いせいか、こういう店に入ると改まってしまう。
彼女の出て行った扉を見つめる。掴みどころがない、それが第一印象。
「ん? 今……度……?」
頑なな態度とは反対に、彼女は助けを求めている、そんな気がした。