0908:九日目(H)
四方が黒い断崖に覆われる。アップステアーズの世界を構成するプログラムが書き換えられ、仮想世界から切り離された。
ここは島の東方、海沿いの崖に入り口を持つ洞窟。中は車一台分くらいは通れそうな幅をもち、トンネルと言っても差し支えのないくらい広い。壁は湿った石灰岩からできており、小さな鍾乳石や石筍が伸びている。
洞窟の中にいた男が、それを行った張本人達の姿を見た。男が口を開く。
「なんだ、君か」
寝癖のついた頭を掻きながら歩いてきたのは薫。
「はて、ユグドラシルは今交戦中のはずだが……?」
「私達、PT抜けたの」
後ろに立っている大樹を親指で指差しながら、面倒くさそうに答える。
「それで僕達に何の用だい。片手間になるけどいいかな」
男は視線を戻し、目の前に立っているものを指差した。それは黒い殻を纏った人型の物体。肩幅が異常に広く、頭が小さい。それと全く同じものが、視界の続く限り洞窟の奥までびっしりと並んでいる。
「それ全部、灰燼? クローン戦争でも始めるつもり?」
「アッシュとは、武田君はなかなか格好のいい名前をつけてくれたね。……クローン戦争か、君もなかなか面白いことを言う」
男は嘲笑し、珪素生命体の頭部の生成を再開した。
「まぁいいや。今日はお喋りしに来たんじゃないの」
「それは残念だ……。どちらにつくか決まったのかい?」
「うん」
薫が足を止めて答える。サブマシンガンの銃口を男の後頭部に押し付け、引き金に指をかけた。
「私、あんたの敵みたい」
「それは本当に……残念だ……」
サブマシンガンが忽然と消滅した。
洞窟の奥から足音が聞こえてくる。薫が舌打ちをして後方に下がり、大樹の横に並んだ。灰燼の後ろから少女が姿を現す。
「もう止めなよ――、聖君、七海さん。こんなこと、翔太君は望んでいないよ」
「お前にあいつの何が分かる?」
聖が眼鏡の上から鋭い視線を向けた。彼は仮想世界でも真面目さが抜けず、ファスナーを一番上まで上げて迷彩服を着ている。
「帰りなさい……。短期間とはいえ私達を手伝ってくれたあなたを傷つけたくはないわ」
七海が優しい声を出す。彼女は迷彩のズボンと、清潔そうに折れ目のついた黒のTシャツを着ている。
「お気遣いありがと。でも手伝ってしまったからこそ、私にはこのゲームを止める義務があると思うの」
「アップステアーズを止める? 単なるプログラマーのお前が、管理者の僕達を? ……笑わせないで欲しいな」
聖が触っていた灰燼の目に紅い光が灯る。次の瞬間には、両刃の剣を生やした両拳が薫に向かって振り下ろされていた。
「俺の女に触れるな、化け物」
刃が拳によって弾かれる。大樹は灰燼の頭を鷲掴みにし、硬いはずの外骨格をまるで空き缶でも持っているかのように手形をつけて捻り潰した。二つの紅の光が消え、黒い体が洞窟の地面に倒れこむ。
「あぁ、一体作るのに何分かかると思っているんだ……」
頭から砂に還っていく灰燼を見て、聖が首を振った。だが依然洞窟の奥には、目の灯っていない灰燼がまさに無数に並んでいる。
「大樹、ありがとう」
「こんな木偶の坊、何体いようが相手にならないな」
大樹が改めて、脇をしめて両拳を構えた。
「相手が欲しいなら用意しよう。君達は運がいい、先程丁度アレが完成したところなんだ。――おい、聞こえているんだろ? 来い!」
聖が洞窟の奥に向かって叫ぶ。返事の代わりに、キシキシ、キシキシと、カミキリムシが前胸と中胸をこすり合わせて出すような軋んだ音が聞こえてきた。黒い影がゆっくりと歩いて近づいてくる。横を通り過ぎていくのを、七海は薄笑いを浮かべて見送っている。
「まさか、本当に創りあげるなんて……」
薫が驚愕の表情を浮かべていた。
左右に揺れる紅い二つの目が、闇の中に浮かぶ。徐々に外観が明らかになる。シルエットは人間の形をしているが、表面は白銀色に輝く鎧のような外骨格で覆われている。
「紹介しよう。我が最高傑作、エ・テメン・アン・キだ」
エ・テメン・アン・キが聖の横で足を止めた。紅く灯っている両目と顎から生える二本の触肢を除いて、頭全体を金属光沢をもった外骨格が覆う。体には動きやすいように関節以外にも切れ込みが入っている。
「僕の能力『オムファロス』で創った最上級の肉体に、君の作ったラストミッション用のプログラムを実装した、いわばこのゲームのラスボスだ。仮にコイツに勝つことができるプレイヤーがいるとすれば、それはプログラムを書いた君以外にはありえないだろう」
「――そう? じゃあ勝てるプレイヤーはいないね」
薫は冷や汗を浮かべ、首を横に振った。
「あたしはコイツに弱点を与えていないから」
「それを聞いて安心したよ。やれ、エ・テメン・アン・キ」
エ・テメン・アン・キが鋭い爪の生えた手を掲げながら、薫と大樹の元へ歩みを進める。
「下がっていろ」
大樹が薫の前に立ち、両拳を強く握る。
「気をつけて――」
白銀の右腕が宙を薙ぐ。大樹は左前方にステップを踏み、かわして懐に入り込んでいた。
「くらえぇっ!」
強腕により強化された拳で放つ、体重をのせた渾身のストレート。それは確かに銀色の化け物の顔面を捉えていた。
硬いものが細かく砕けていく音がした。
「アァッ?!」
「大樹!」
大樹が悲痛な叫び声を上げてうずくまり、薫が駆け寄る。彼が抱えている右の拳は、中手骨が砕け赤く腫れ上がっていた。
大樹の上半身は身体強化系に付随した絶対防御の特性を持っており、あらゆる外部からの影響を無効化できるはずである。しかしその彼の拳が折れている。
「……還元領域。書くだけ書いてコメント文にしておいたアレまで実装されているの?」
「その通りだ。還元領域――、エ・テメン・アン・キから一定範囲内では、オムファロスを除く全ての能力と性質が無効化される」
「最悪……。バックアップを使って逃げることも封じられたわけね」
薫が残っていたもう一方のサブマシンガンの銃口を白銀の化け物に向けた。
「誰があんたを育ててあげたと思ってんのよ、この親不孝者!!」
洞窟内に連射される銃声が響く。フルメタルジャケットの銃弾が火花を散らしてエ・テメン・アン・キの全身に降り注ぐ。
銃声が止んだ。代わりにカチカチと引き金を引く虚しい音が響く。能力を封じられた以上、無限に撃ち続けることができない。
何事も無かったかのように白銀の化け物が上体を揺らしながら歩き、薫の前に立つ。
「薫っ!!」
屈んでいた大樹が立ち上がり、エ・テメン・アン・キの側頭部を左の拳で殴りつけようとする。しかし銀色の右腕が機械のように精密な動きで彼の拳を弾き、ガードの間を縫うように軌道を描いて顔面に拳を埋めた。
洞窟の壁に血液と脳髄が噴き付けられた。頭部が無くなりながらも、体は少女をかばおうと立ち続けている。
「大樹……」
エ・テメン・アン・キが再び歩みを進める。肩で押され、大樹の体は仰向けに倒れて動かなくなった。
「そう悲しむことはないよ。どうせ明日にはすべてのプレイヤーが消えることになるのだから」
「どういうこと?」
「どうやら、アップステアーズのことを勘付かれたらしい。もう奴ら同士に争わせるなんて手緩いことは止めて、僕自ら翔太が味わった恐怖……、死の恐怖を教えてやる」
「そう……、じゃあ警告だけしておこうかな。あの子達、強いよ? プログラムの加護のついたあんたよりね」
薫は言い終えると同時に、血を吐いた。下ろした視線の先に、胸から飛び出した日本刀の切先がある。背後に柄はない、心臓から生えたようにして刀身が突き出しているのだ。
「それならばゲームの外から、君の信頼する『あの子達』が死んでいく様を眺めているといい」
薫はもう一度大量の血を吐き、大樹の遺体の上に倒れこんだ。
黒い背景に27人の顔写真が並んだ画面。クラスメイトの顔が並んでいる。
生徒の半分近くは白黒で表示されている。
だんだんとフェードアウトし、今日も赤い文字で『生存者14名』と、そう表示された。
祐太はログアウトの後、自室のパソコンでネット上の掲示板に書かれた文字を読み進めていた。
ゲームの中で龍之介に教えられたのは、この掲示板に書かれているらしい内容の概要だった。翔太の友人を名乗る人物の書き込みは、プログラミングの掲示板の途中から始まっている。
38:未入力は名無しさん:20XX/01/03(日) 21:59:12
当方、高校1年です。
友人がクラスでいじめられており、先日から登校拒否をしています。
クラス全員で遊べるようなゲームを彼と作り、彼に自信をつけてもらい、クラスメイトと仲良くなれるように手助けしたいと思うのですが、どなたか手伝って下さる方はいらっしゃいませんか?
42:未入力は名無しさん:20XX/01/03(日) 22:13:50
>>38
詳細plz
46:38:20XX/01/03(日) 22:15:10
友人は人見知りの激しい性格で、中学時代も一部の生徒から少しからかわれていました。
現在の高校では具体的な暴力などのいじめではないのですが、なんとなくクラス全体で無視をする空気が作られてしまっています。
二学期の途中から登校することが少なくなり、僕ともう一人の友人とで連れ出してはいたのですが、とうとう迎えに向かっても部屋から出ることができなくなってしまいました。
このままではいけないと思い、僕がBCIケーブルを使った自作ゲームにクラスメイトを招待し、彼に自信をつけてもらいたいと提案しました。
三人である程度の骨組みは完成したのですが、とてもこの人数では早期の完成はできないと思い、手伝って下さる方を探して書き込みをいたしました。
翔太の友人は掲示板の人間に非難されながらも、自身の強い思いを示し頭を下げ続けた。やがて一人、二人と手伝う者が現れ、『アップステアーズ』に関する最初の掲示板が作られる。
328:名前はプロジェクト中のものです:20XX/02/11(木) 17:59:39
17-C区画のテクスチャできました。
330:名前はプロジェクト中のものです:20XX/02/11(木) 18:20:31
>>328
乙
だいぶ出来てきたね。
>>1は4日前からずっと徹夜してるみたいだけど、そろそろ休んだらどうかな?
踏ん切りはつきそうかい?
331:1:20XX/02/11(木) 18:29:18
>>330
お心遣いありがとうございます。
みなさんの期待に応える為にも頑張ってみます。
周りの書き込みからすると、1番は友人から翔太本人に変わったようだ。いつの間にかプログラマーは十人を超え、応援する人間も多くなった。
721:OISIN ■dibSoemDlD :20XX/02/28(日) 12:23:29
ご意見を頂いていた賞金の件ですが、あるゲーム会社に問い合わせました。
BCIケーブルを使用していることに興味をもってくださり、アップステアーズのプログラムと実際に稼動したログを提供すれば賞金として3000万円を用意するとおっしゃっていました。
730:名前はプロジェクト中のものです:20XX/02/28(日) 12:51:20
>>721
SUGEEEEE!!
3000万円なんて俺手にしたこと無いよ
俺のプログラムも売れないかな……
どうやら賞金の3000万円は実際に貰える話があったらしい。しかしこのような状況になってしまっては、そのゲーム会社とやらも用意してくれるとは思えなかった。
147:名前はプロジェクト中のものです:20XX/03/06(土) 03:36:39
アップステアーズ完成おめでとう!
>>1が地上に出るための階段とならんことを祈ります
意外にも、かなり早い時期にゲーム自体は完成していた。前後の掲示板は祝福と労いの書き込みで溢れている。読んでいた俺も、思わず胸の奥が熱くなった。
249:名前はプロジェクト中のものです:20XX/03/24(水) 23:50:11
いよいよ明日だね、>>1ガンガレ!!
クラスメイトを見返すんだぞ
257:名前はプロジェクト中のものです:20XX/03/24(水) 23:53:28
お前は幸せだよ>>1、胸張って行って来い
お前らとゲーム作れて楽しかった。俺もこの一ヶ月いろんなものを貰った気がする
あれ、目から透明の液体が……
ありがとう
三月二十五日、その日付は今も忘れられない。突如田中翔太が自宅から失踪した日。
彼は自身を探さないように頼む旨の手紙を残し、面沢町から姿を消した。懸命の捜索が行われたが、太平洋に面した港で翔太の片方の靴が発見される。その後も捜索は続けられたが、とうとう翔太の姿は見つからなかった。
掲示板には報告を待つ多数の書き込みがあったが、とうとう三人はそれきり姿を見せなくなった。
祐太はWEBブラウザを閉じ、椅子の背もたれに体重をかけた。掲示板に三人の書き込みはないので、ここから先は推測に過ぎない。
翔太はゲームが完成したものの、学校に行くプレッシャーに耐え切れずに失踪した。友人の二人は結果的に翔太を殺したクラスメイトを憎み、彼の為に作られたゲームで復讐をしようと企んでいる。
復讐の方法、それは既に敦が被害にあったように、アップステアーズで互いを憎しみ合わせること。準貴の見た翔太の格好をしたプレイヤーは恐らく、友人の二人のどちらかだろう。
翔太の友人で、面沢中学校の同級生。プログラミングができる人物。男と女――。掲示板から読み取れた二人の人物像だ。俺の脳裏には、彼と仲がよかった二人の生徒の顔が浮かんでいた。
タスクバーの端に、テレビ電話の着信を示すアイコンがつく。さくらと表示されている吹き出しのボタンをクリックした。
「もしもし」
「やーやー、あたしだよ」
久しぶりにパソコンのモニターにさくらの顔が映る。目を細めて笑っている表情は、どこか疲れているように見えた。
「疲れてるだろ? 早く寝ろ」
「祐太こそ、ひどい顔してるよ」
「俺のは生まれつきだから気にするな」
画面の向こうで彼女が破顔している。
「そこは否定してくれないと、悲しくなるだろ」
「あんまり目立ちすぎない方が、彼女としては安心だよ」
顔が熱くなった。彼女のからかいを今まで通り往なす自信がない。
「――掲示板、見た?」
「あぁ、だいたいな。賞金のことだけど……」
「そんな顔しないでよ、まだ無いって決まったわけじゃないしさ」
「さくら……」
「そろそろ寝るね、祐太の言う通り疲れてるかも」
「おやすみ、俺ももう寝るよ」
「おやすみ、明日は寝坊していいからね?」
「なんだそりゃ」
テレビ電話の画面が閉じられた。左上に視線を移したあの顔は、いたずらを考えているときの顔だ。
さくらの顔が映っていたディスプレイを何となく眺め続ける。さくらはこの数日、賞金のことで振り回され続けてきた。彼女はまだ賞金が出ることを信じているが、俺は龍之介と同じ意見だ。いや、彼女も気丈に振舞ってこそいるが、内心は沈痛や不安で一杯なのかもしれない。
――傍で勇気付け、支えてあげたい。自分に言い聞かせるように大きく頷き、パソコンの電源を落とした。
一人、真っ暗な深夜の港を歩いている。足元に気をつけていないと海に落ちそうだ。
周りには自分を除いて人の影はない。乗っていた船は、再び遠洋へと出て行った。
久しぶりに踏んだ日本の領土。両親の顔、友達の顔、今まで心の奥にしまっていた様々な記憶や感情が走馬灯のように思い出される。きつい潮風でもないのに目に涙が溢れてきた。
ここから面沢町に戻るには、何本か電車とバスを乗り継がなければならない。しかしこの時間では交通機関は運行していない、ネット喫茶あたりで朝まで時間を潰してから帰るとしよう。
色褪せたドラムバッグを担ぎ、港を後にする。バッグの名札には田中翔太と書かれていた。