0906:九日目(F)
龍之介が鉄の片手剣を手に、部屋の中央に立っている。壁際では祐太が、地面に付き立てた氷の大剣に体重を預け、荒い呼吸をしていた。
「運動が足りていないのではないか?」
口を開いた龍之介は、あれだけ剣を振り回していたのに平然とした顔をしている。
「大きなお世話だ」
彼の能力を把握するまで大技は温存しようと思っていたが、戦力的にも体力的にもそんな余裕は無さそうだ。両手の平を正面に向け、腕を伸ばして突き出す。球状に氷を凝結させると同時に、後方で水を凝縮させる。
「くらえっ!」
水を瞬時に蒸発させ、膨張させて氷の球を撃ち出す。
「ほう、相転移で圧力波を発生させたのか」
龍之介は左手の平をこちらに向け、あろうことか同じように氷の球を撃ち出してきた。氷同士がぶつかり砕け、乱反射して輝く破片が散る。
「そんな……」
すべての能力を使えるとは聞いたが、苦労して編み出した技を瞬時に返されるとは思いもしなかった。これも能力によるものなのか、それとも使用者によるものなのか。
「お前達があの双子を倒したらしいな。ならば、この能力は初見というわけではないだろう」
龍之介が左手の人差し指で指した先に、揺らいだ光の球が現れた。
「雷神か――?!」
急いで氷の剣を地面から引き抜き、光源に背を向け走り出した。
行く手を遮り二つ目の光の球が浮かぶ。そこで彼の思惑に気が付いた。
○×ゲームという遊びがある。
正方形の中に作られた九つのマスの中に○と×を交互に描き込んでいき、三つ並べて描いた方が勝ちというものだ。このゲーム、実は先行の二手と後行の一手で既に勝負が決まる。
龍之介はまさにその先手を打っている。俺が打つのは後行の一手、ここで左右に避けたら、三つ目の光の球で三方向を囲まれて回避することが不可能になる。
「うぉぉ!」
全力で正面の光の球に向かって走り、頭からその下の空間に飛び込んだ。
次の瞬間、全てが白く染まった。耳をつんざくような、絶縁破壊による炸裂音が響く。
立ち上がって身構える。二撃目の雷撃が来るかと思ったが、龍之介は手を下ろした。
「あの状況で、俺の狙いを瞬時に見極めたのか……」
呟きながら、自分の左手に視線を移す。
「この能力はいかんせん、使用するエネルギーの量が問題だな」
戦いが始まってから、この男はずっとこうだ。殺す気でかかってきたかと思えば、能力の品定めなんぞをしている。
「その気になればすぐに俺を倒せるだろ。どういうつもりだ?」
再び凝結させた氷の大剣を構えて尋ねる。龍之介がようやく顔を上げた。
「言っただろう、俺はただ試しているだけだ。それに、言うほどお前は簡単に殺せそうにはないがな」
「……なぁ、お前は本当にこの仮想世界のことが分かったのか? ユグドラシルの他の連中は知っているのか?」
質問を浴びせた相手の姿が消えた。
「知っての通り、このPTには様々な思惑が渦巻いている。――純粋に賞金が欲しい、戦いを愉しみたい、最強の称号が欲しい、友情や愛情を深めたい」
声が聞こえてきた後方を振り返ると、龍之介が逆さまになって天井に立って――いや、貼り付いていた。長い髪の毛先は、重力に反して天井の方を向いている。
不思議と声は上からではなく、前から聞こえてくるように感じた。
「特に前者にとって、この事実は耐え難いものだろう」
つまりそれはどういうことか。前者――、賞金が欲しい者、さくらにとって――、この世界の真実は耐え難いものだと、そう言っている。目の前が真っ暗になるような絶望を感じた。
「まさか、賞金は……無いのか?」
さくらは夢を叶える為に、苦しい思いをしてユグドラシルに入った。しかし賞金が無いということになれば、彼女の夢も、苦痛も、苦労も、俺の、準貴の、涼子の努力はどうなるのか。
「――恐らくはな」
「それを――、それを知っていて、さくらを騙したのか……?」
沈黙。龍之介からの返事は無かった。
脳裏に浮かぶのは、四人でいるときに楽しそうに笑っていたさくらの顔。逆光で表情を読み取ることのできなかったさくらの顔。視線を合わせようとしなかった気まずそうなさくらの顔。分かり合って涙を流しながら抱きついてきたさくらの顔。
頭に血が上り熱を帯びる。怒りのせいで視界に光が散る。撃鉄が、起きる。
急速に霧がまき、部屋の光景が白みがかる。天井に貼り付いていた龍之介の幻影が薄れ、代わりに目の前で地上に立っている姿が現われた。
「む……」
龍之介が眉間を寄せ、声を漏らした。その体に、合わせた両手の指先を向ける。
直後に攻撃を可能にするテレポートも、所構わず現れることも、バックアップの変化形によるものだと思っていた。しかし実体の消えるタイミングや、声の聞こえてくる位置で気付かされた。彼の使っているのは、実体と異なる位置に像を写す、くだらない光のトリック。大気の屈折率を変え像をずらせば、あっけなく無効化できる。
「水月!!」
手の合間に圧力をかけて水流を撃ち出す。だが龍之介に到達する前に、彼の前に現れた砂流によって相殺された。砂はコンクリートを突き破って地面から噴き出している。
高く散った砂が自由落下して降り注ぐ。砂流がおさまり視界が開けたのと同時に、龍之介のいた場所に氷の大剣を振り下ろした。
「うぉぉ!」
勢いよく剣先が地面に叩きつけられ、柄から剣が折れた。その場に龍之介の姿は無かった。
上空に十個の光の球が現れ、一つに合わさろうと旋回している。
「始開――」
動じることなく冷静に、離れた場所にいた龍之介の足元を氷で固めた。
「――白蓮華――」
左手を握り、彼の体を蓮華の形をした氷で呑み込む。
「――散……」
炸裂させる前に、氷の中から龍之介の姿が消えた。光の球も消えている。
伸ばしていた腕を下ろし、両手を開いて地面に向ける。蓮華の氷が形を崩しながら、地面に沿って広がっていく。
「霜晨」
白の波浪は壁まで達し、部屋の地面一帯が氷に覆われた。
「――水の供給源か。しかし俺も例外ではないぞ?」
声の主、龍之介が氷の上を歩いてこちらに向かって来る。
「お前は頭でカバーするだろうが、俺の武器は経験だ」
両手の平を正面に向け、腕を伸ばす。龍之介も真似して左手を前に向けている。
凝結させるのは十個の氷の球。各々の射線において球の背後で水を凝縮、それを一瞬で蒸発させる。
頭の中で模擬的に現出させるだけなら容易だ、これを現実に投影させなければならない。全ての球に意識を集中させることができなければ一瞬で水蒸気に還ってしまう。やろうとしていることは滅茶苦茶だ、こんなことは今まで不可能だった。しかしさくらの思いをもてあそんだこの男を絶対に許すことはできない。
「闇御津羽神――」
自分の能力につけた名前を、初めて口にする。龍之介の周りに十個の氷の球が凝結する。
「なっ……」
たった一つだけ氷の球を左手に掴んでいた龍之介は、その光景に驚きの声を上げた。
十個の砲弾が同時に空中から射出される。
龍之介は刹那に自身の周りに氷の壁を作った。しかし四方から押し寄せる氷の球に撃ち砕かれ、その内の三個を体に受ける。
「ぐっ!」
龍之介が苦痛の声を出した。彼の彫りの深い顔には血が流れ、右の手首が逆に曲がって片手剣を落としていた。しかし龍之介がTシャツの袖で額を拭うと血が止まり、折れていた手首は手を握り締めることで一瞬で元に戻る。
体を屈めていた龍之介に、水の刃が後方に水飛沫を散らしながら迫る。裂かれるのは氷の壁の残骸だけで、龍之介の姿は消えていた。
「始開――」
遮蔽物の無いこの空間で、移動するであろう場所はだいたい予測できる。姿を現したのと同時に、龍之介の足元を氷で固める。
「無駄だ」
龍之介が足元に手を向けると、氷が湯気を上げて一瞬で蒸発した。
「――白蓮華――」
それでも技を止めることなく、左手をきつく握り締めた。地面に張られた氷が幾層もの蓮華の花弁となり、強引に龍之介を呑み込んでいく。
「――散花!!」
今度は逃がす間を与えず、間髪いれずに両手を握った。
一斉に花弁が昇華する。地面の上を半球状に伝播していく衝撃波が、コンクリートと氷を剥がし、ごちゃ混ぜにして撒き散らかす。轟音を立てて建物が揺れ、壁に縦横無尽にヒビが入った。
静寂が戻る。立ちくらみがして倒れそうになるが、なんとか踏み堪えた。どうやら体の方もエントロピーの方も限界のようだ。呼吸は乱れ、全身に痛みが走り、口の中で血の味がする。
砂埃の中から、瓦礫を踏みしめる音がした。
――そんなはずはない、確かに龍之介が中にいる状態で炸裂させたはず。仮に防御や回避行動を取っていたとしても、あの衝撃波を間近で受ければ無事で済むはずがない。
砂煙が晴れる。俺は自然と目を見開いていた。視線の先には、無傷の龍之介の姿がある。
「惜しかったが、詰めが甘かったな。言ったはずだ、俺は全ての能力を使えると」
「生体転移系……!」
失念していた。自身の傷を完全に肩代わりできる能力を。
龍之介が腕を伸ばして人差し指を向けてくる。生物の動体視力では絶対に回避不可能な光の速さでレーザーが照射された。
準貴は砂の上でうつ伏せになっていた。意識はあるものの、動く素振りを見せない。
どのくらいの時間が経っただろうか? 折れた肋骨の痛みはなかなか引かず、歩けばまた激痛に苛まれることは明白だった。それだけに立ち上がり、一歩を踏み出すことができない。
突如、顔の前で端末が開き、音声案内が流れ出す。内容を聞き、口角が上がる。放送が終わると同時に、むせながら笑い出してしまった。
「俺もこんなところで寝ていられないな――」
上体を起こして首を回した。もはや脇腹の痛みは気にならなかった。
少女は横たわった涼子の遺体の傍に歩き寄り、その横で屈んだ。顔の前で手をかざし、目蓋を閉じさせる。
既に部屋に綾音の姿は無い。辺りは静寂に包まれていた。
死んでいるにも関わらず、涼子の右手にはしっかりと日本刀の柄が握られている。
通常人間は死ぬと、筋肉への信号が途切れ各関節は弛緩した状態になる。その後ATPが徐々に減少することで起きるのが死後硬直であるが、稀にATPが一度に消滅して死後痙攣と呼ばれる現象が起きる。過剰な運動や激しい痙攣、突然のショックなどで引き起こされる死後痙攣であるが、彼女の場合は勝利に対する執念であろう。
「あなたは本当にすごいわ、涼子……」
美琴は涼子の背中――心臓のある位置に手を当てた。
「アズラエル――」
美琴の心臓から右手にかけて、まるで血肉が沸騰したかのように、皮膚の中を泡がゴボゴボと移動する。苦痛で顔をしかめているが、口元は優しく笑っていた。
「芳名の抹消」
そこはプログラムから切り離された空間。涼子は一人、0で埋め尽くされた無音の暗闇の中に浮かび、膝を抱えてログアウトの時を待つ。
――祐太は、準貴は、さくらは大丈夫だっただろうか?
どちらが上か分からない世界で体を伸ばして浮かび上がり、どこが終点か分からない流れに身を任せる。
――公園で他の連中は私が止める、と約束した。しかし私は綾音に負け、約束を守ることができなかった。彼はどちらの世界でも仲間だと言ってくれた。私はその言葉に甘えていたのではないだろうか?
寝返りをうつように、手の反動を利用して体を回す。
――もしもという言葉は嫌いだが、もう一度チャンスがあるのなら、今度こそ三人を護り抜いてみせる。不器用な自分の出来る、せめてもの恩返しとして。
天を仰いで重心を移し、背中をしなった弓のように反って後方に回転する。
いくらコンピュータ音痴でも分かる。コンピュータは感情など持ち合わせていない。もう一度が与えられることは、絶対に無い。目頭が熱くなった。
ゲームから見放された暗闇の中に、まるで手を差し伸べるように光が差し込む。眩しくて手をかざした。
黒の世界が白く染まっていく。1が灯り広がっていく。私も白い光の中に呑み込まれた。
『頑張りなさいよ』
誰かに背中を押された気がした。
目を開くと、汚らしいコンクリートの天井が見えた。
私の部屋の天井は確かに汚いが、ここほどではない。どうやらここは自分の部屋ではないらしい。
胸に違和感を感じながらも、上体を起こし辺りを見渡した。前の学校の道場くらいの大きさはある、コンクリート張りの部屋。ここはアップステアーズ、綾音と戦っていた部屋だ。
ふと、私の横でうつ伏せになっている少女の姿が目に入った。
「美琴?!」
倒れていたのは美琴だった。顔色に生気を感じない。背中が動いておらず、呼吸しているように見えない。――明らかに様子がおかしい。彼女の体をそっと仰向けにした。
首元にはべったりと血がつき、口から血が垂れている。口元の血を指で拭ったところ、体が冷たくなっていることに気が付いた。
「そんな……」
自分の首元に手を当てると、綾音につけられた傷が綺麗に消えていた。まるで自分の傷が彼女の首元に移ったようだった。
「まさか、これが美琴の能力――?」
返事はない。もう目を開けることのない美琴の顔は、何かに満足したように微笑んでいた。
立ち上がり、転がっていた自分の刀を鞘に収める。
あの暗い世界で聞いた声、あれはきっと彼女の声だったのだろう。
「ありがとう――、頑張るよ、私」
不敗の決意を胸に、美琴に対して深く頭を下げた。
祐太が通り抜けた三番目の部屋は、黒江綾音をトップとするニヴルヘイムの拠点である。綾音は部屋の端に座り、涼子につけられた傷口をいじくり回していた。扉が開く音に反応して顔を上げ、ここにいるはずのない人物を見て息を呑む。
「涼子――、どうして?!」
死んだはずの涼子が、開け放たれた扉の前に立っている。
「地獄の底から戻ってきたわ。殺し合いを再開しましょう」
「なっ……、ネクロフィリア!!」
彼女に混じっているはずの自分の血液を再び凝固させようとするが、固まった手ごたえがない。
「ありえない――、あれは一度体内に入ったが最後、必ず死をもたらすはず……」
涼子が左手で鯉口を切り、音を立てずに一歩ずつ歩みを進めてくる。
「まさか、美琴が?! でも何故?!」
私も立ち上がり、涼子が足を止めた部屋の中央まで歩く。
「まぁいいわ。今度は這い上がれないように、四肢の神経を引き抜いてあげる」
「今度は無いわ」
言い終えるのと同時に、涼子が指を鳴らし手の中に青い火を灯す。
「紅蓮桜花――」
腕を伸ばし、火を掲げる。手の平から天井に向かって青い柱が立った。炎が四方の壁に達し、煤を含み紅く染まった火が桜の花びらのように舞い散る。
「気持ちのいい熱さね」
両手を広げ、全身に降り注ぐ火の粉を歓迎する。部屋内の空間全てを攻撃しているつもりなのだろうが、こんなちんけな火では火傷をするかどうかすら怪しい。
地面が蹴られた音に反応し、背後を振り返った。絶えず深々と降り続く炎のせいで、涼子の姿を捉えることができない。
「これが狙い――?!」
炎の中から返事はない。
腰に差していたナイフを傷だらけの右腕に突き立てた。苦痛と共に快感が電気のように全身に行き渡る。
ナイフを引き抜くのと同時に血が噴き出す。腕を振り上げ、炎の中に血飛沫を振り撒いた。
「ブラッドレイン!」
見えない血を、距離感覚だけを頼りに複数の投げ槍状に凝固させる。周囲一帯の地面に槍が突き刺さる音がした。
「殺った?」
火が降り注いでいるにも関わらず、背筋が冷たく感じる。視線を感じ、ゆっくりとその方向を振り向く。
炎の中に、感情なく私のことを睨む獣の目が浮かんでいる。
相手の間合いに入っているのは分かった。しかし逃げようにも、体が凍りついたように動かない。
黒板を引っ掻いたような、金属同士が擦れる生理的嫌悪を催す音を立て、牙を剥いたかのように刀身が姿を現す。直刃の刃文を持った刀身は、舞い散る桜を映し紅に染まっていた。
一切の無駄のない動きで、右足を軸に体をしならせ刃を振る獣。その光景は刹那だったろうが、この世のものには例えられないくらい美しく、神秘的だった。
獣は牙を収め、私の横を通り過ぎていってしまった。
もっと見ていたい、触れてみたい。向かった先に手を伸ばす。と、急に世界がぐるりと回った。踏み堪えようとするが足がついてこない。なす術も無く私は落ちていく。
私と逆方向に向かう自分の下半身を見て、不思議に思いながら、私は、落ちた。
どしゃりと音を立てて、綾音の上半身が落ちる。
「――・散華」
血振りをしてから刀を収め、降り続いていた炎を止めた。続いて綾音の下半身も、胴体と反対側に倒れた。
「ごめん……」
彼女の二つに分かれた体を視界に入れないようにして、次の部屋の扉を目指す。ドアノブに手をかけたとき、背後で何かが動いた気配を感じた。
「待ちなさいよ、まだ戦いは終わってないでしょう?」
聞こえるはずの無い綾音の声。鯉口を切りながら急いで振り返った。
「そんな……」
「あなたは地獄から戻ってきたけれど、あたしの場合は地獄が受け入れてくれないのよ」
綾音が両腕で体を支え、顔を上げている。どうやら血液を固めることで出血を防いでいるようだ。
「――クリムゾンクイーン」
綾音の胴体の切り口から、蛇口から水が流れるように勢いよく血液が溢れ出す。海底に流れ込んだマグマみたいに地面に流れ落ちるたびに凝固し、徐々に彼女の半身は天井近くまで押し上げられていった。
血液の流出が止まる。暗赤をした円錐状の物体により、部屋の大部分が覆われていた。巨大なカサブタの頂上には、体を反らした綾音の上半身が生えている。
刀に火を灯して中段に構え、その異様な物体を警戒する。
「痛い……、ふふ、痛いわぁ……」
綾音が頭を起こし、こちらを向く。腰元のカサブタを線溶させ、手を突っ込んで掻き出し上空に振り撒いた。
「ブラッドレイン!」
血が混じってしゃがれ声になった喉で叫ぶ。血液が空中で槍のように凝固し降下してくる。
彼女の血を受ければ今度こそ死ぬことになる。かすることすら許されない。
刀を構えたまま大きく後方に跳ぶ。血の雨が綾音に近い方から順に着弾していく。
「紅蓮!」
刀を八相から薙ぎ、三日月の形をした炎を横向きに飛ばす。
綾音が腰元から血を掻き上げ、瞬時に両手の中に大鎌を生成する。交差させ払い、炎を打ち消した。手を再び交差させ、二本の大鎌を丸鋸のように回転させて投擲してくる。
一方の血の鎌を刀身の中央で受けて往なし、横に跳んでもう片方も避けた。
再び中段に構え、相手の出方をうかがう。しかし綾音はこちらを気にせずに、まるで啓示でも受けたかのように天を仰いでいた。
「――良かったわね、さくらちゃん」
綾音が呟き、優しそうな表情を浮かべた。
「何、どうしたの?」
さくらに何かあったのだろうか? 柄を握る両手に力がこもる。
『エターナルリカーランスPTM『斉藤祐太、中曽根準貴、氷室涼子、常盤さくら』』
突然目の前に端末が開き、私の耳にも音声案内が入った。自分の加入しているPTの面子の名前。その中に、確かに、彼女の名前が発音された。
自分で気持ち悪いと思う程に笑みがこぼれる。どうやら祐太は無事さくらのもとに辿り着けていたようだ。
「黒江さん、私行くわ」
「あら、あなたを見逃せと言うの? それはできないわぁ」
「別に戦いをやめる必要はないわ。ただ、でかい図体でそこに転がっていられると、二人のところに向かうのに邪魔だから――消えて」
炎を纏った日本刀の切先を綾音に向ける。刀全体を覆っていた火が球状になって先端に収束した。綾音の本体に向け、アセチレンとメタン、異なった発火点をもつ炭化水素を螺旋を描くように混合させて生成する。
この短時間でこの量の炭化水素を作り出すのは初めてのことだったが、二人に会いたい気持ちに急かされるようにあっさりと成功した。
刀を振り上げ火球を撃ち出す。炎が引火し、渦を描いて走る。
「煉獄」
旋回と誘引を引き起こし火力を増した炎が、私の前に存在するものを根こそぎ焼き尽くしていく。まるで火炎の龍にでも呑み込まれるかのように、綾音が炎の渦に包まれた。筋肉が凝塊し、肘が脇腹に引き寄せられ手首が反り返る。
「フヒッ、フフ、アハハハハッ……!!」
轟々と燃え盛る炎の中から、断末魔に上げられた喜悦の叫び声が響いていた。
刀を鞘に収め、巨大なカサブタを迂回して先を急ぐ。その上では、綾音が黒く炭化した顔で恍惚の表情を浮かべていた。