0102:一日目(B)
幼馴染三人組は同じマンション、エスペランサー南に住んでいる。車にありそうな名前だが、スペイン語で希望という意味らしい。何が希望なのかは誰にも分からない。
祐太はその一階、103号室に父母と一緒に住んでいる。
自室に入り、鞄を投げ捨ててパソコンの電源を入れた。
「ったく、さくらのヤツ、少しは人の財布の中身を心配……」
独り言を言いかけて、机の上の小さなダンボールに気づいた。靴の箱くらいの大きさで、外装は無地である。あて先は俺の名前だが、差出人の欄には何も書かれていない。この物騒な時代だ、やましいものを買っても何かしら会社名が入っているはず。いや、買ったことはないけれど、多分。
「母さん! 机の上の荷物って――」
部屋のドアを少しだけ開けて、リビングで煎餅をくわえている母親に尋ねる。
「あんたが学校行ってる間に届いたわよ。いくらネット通販が便利になった時代とはいえ、あんまり変なもの買わないようにね?」
「え……、うん……」
通販で何かを注文した覚えは無い。もちろん小麦粉を送りつけられるような、恨みを買うことをした記憶も無い。
ダンボールを開き、新聞紙を取り除いて開封するとDVDのケースが出てきた。裏面にはゲーム画面の写真と紹介文が並んでいる、どうやらPCゲームのようだ。
「アップステアーズ……か……、知らないタイトルだな」
英語を読んだわけではなく、初めからカタカナで表記されていた。
わりとテレビゲームには詳しい方だと思うが、ネットでも雑誌でも見たことはないと思う。
「こういうのは誰かに相談した方がいいと思うけど」
口ではそう呟いたものの、好奇心を押さえきれずにケースのビニールを外した。新品のゲーム特有のプラスチックの匂いがする。
DVDをパソコンにセットすると、読み込む音とともにカーソルがDVDの形になった。
「せっかく俺宛に届いたわけだし、少しくらい構わないよな……」
全画面が白く染まり、やがてメーカーの名前と思われるOISINという文字が中央に浮かぶ。メーカー名がゆっくり消え、続いて大きくアップステアーズと表示された。
画面が黒くなる。
一瞬ウィルスでも入っていたのかと心配したが、すぐに入力コンソールが表示された。ケースに一緒に入っていたIDを入力し、パスワードを二回入力する。OKのボタンを押すと、今度はエラーメッセージでBCIケーブルを接続するように表示された。
まさかBCIケーブルに対応しているとは思っていなかったので驚く。すぐ使えるように机の上においてあったそれを取る。
BCIケーブル。遠隔誘導型交流電位を用いて脳とパソコンを繋ぐアダプター。直接五感に情報を与えてくれる為、まさに仮想世界を体験することができるが、その性質上あまり普及はしておらず、ゲームはマイナーな会社のものや昨日三人でやっていたMMORPGくらいしかない。
装着部分から出ている電極を頭に貼り付けた。エラーが表示されなくなったので、ログインをクリックする。
深く椅子に腰掛け、目を閉じて静かに息を吐く。
接続の完了したことを示す電子音が鳴った。
ゆっくり目を開ける。
先ほどまで目の前にあったパソコンも机も無くなり、上下左右一面真っ暗な空間になっている。
『ログイン完了。ようこそ、08・サイトウユウタ』
機械的な女性の声で自分の名前が呼ばれる。
「……名前入力したっけ?」
返事は無く、そのままゲームの説明が始まる。質問は諦めて大人しく聞くことにした。
『まず、アップステアーズとシステムについて説明させていただきます。分類的にはMMOSVGに当てはまり、27名の参加者には近未来をイメージして作られた仮想世界上で生き残りをかけて争って頂きます。最後まで生き残ったPTの参加者には3000万円の賞金が分配されます』
MMOSVG――Massively Multiplayer Online SurVival Game。ネットを介して複数のプレイヤーが同じ仮想世界で行うサバゲー。無論英語を読んだわけではなく、ゲーマーとしての知識である。
『――各プレイヤーのこのゲームにおける目的は、自分のPTのメンバー以外のプレイヤーをゲーム上から排除することです。ただしその方法はルールに定められた方法に則り、万一反則を犯したものはOISINの判断により強制的にゲーム上から排除されます』
軽く始めるつもりだったにも関わらず、がっつりした説明が開始されて心が挫けかける。
『初回ログイン時、各プレイヤーにはランダムで能力が添加されます。能力とは固有で特殊な力のことで、仮想世界内であれば手足を動かすように自在に使用することができます』
いまいちつかめないのだが、超能力のようなものだろうか。だだ下がりだったテンションが少し上がる。
『各プレイヤーは他のプレイヤーとPTという協定を結ぶことができます。PTはそのPT名、リーダーを指定することで作ることができます。そのリーダーがゲームオーバーになることでPT内の全てのプレイヤーがゲームオーバーとなります。PTに属するプレイヤー数に制限はありません。いつでもPTを抜けることができますが、リーダーは抜けることはできません。リーダーでないプレイヤーは、他のPTのリーダーの承認を得ることで多重にPTを組むこともできます。最後に残ったPTのメンバーに賞金が分配されますが、最後に残ったプレイヤーがPTを組んでいなかった場合、そのプレイヤーに賞金が渡されます』
PTと聞き、準貴とさくらの顔が浮かぶ。今日もログインしているだろうか。これが終わったら見に行ってみよう。
『アップステアーズの稼動は月曜日から土曜日で、ログイン時間は平日19:00〜25:00、土曜10:00〜21:00であり、時間を越えると強制的にログアウトされます。また、日付が変わると怪我や病気が完治しますが、ゲームオーバーになったプレイヤーについては対象になりませんのでご注意ください。ログイン時間内にログインされていないプレイヤーはCPU操作になります。この時他のプレイヤーに排除されてもゲームオーバーになりますのでご注意ください』
オンラインゲームといえば24時間やっている印象が強いのだが、上手い具合に学校の時間を逸らしてある。プレイヤーに学生が多いのだろうか。
『続いて仮想空間内の武器についてですが――』
「説明はもういいや、フィールドに移らせてくれ」
延々と続く説明にうんざりしていた。とりあえず、生き残れば賞金をもらえるらしい。それだけ分かれば十分だ。
『了解しました。戦闘フィールドに移行します』
周囲の闇が波紋を起こしたように歪んでいく。再び目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
仄かに体が温かい。草の匂いがする。目を開けると、視界一杯に無数の広葉樹が並んでいた。
手を握り締め、自分の体がきちんと動くか確認する。大丈夫、接続は良好だ。周囲を見渡す。
どうやら自分が突っ立っているのは森の中のようだ。ささくれ立った幹。遠くで聞こえる鳥の鳴き声。肺に送られる澄んだ空気。なかなか本物っぽく作りこんである。
慎重に一歩を踏み出した。悪夢のように落ちていく――ということもなく、程よく湿った赤茶色の土を踏みしめた。
ざらざらした触感の幹に触れたり、葉っぱをもぎ取ったりしながら木々の間を歩いて行く。
説明の時は聞き流していたが、3000万円の賞金があると言っていた気がする。それだけあれば一生遊んで暮らせるだろうか。いや、今の御時勢それは無理だろう。
ゲームの説明では、参加者は27名と言っていた。もしかしたら本当に大金を手にできるチャンスがあるかもしれない。
そもそも27名というのは抽選か何かで選ばれた人々なのだろうか? 一億人の内の27人とは、自分が選ばれたこと自体、かなりラッキーではないか。
初日から脱落するというのも情けない。今日のところは安全そうなところに隠れてさっさとログアウトしよう。
パキリ、と、背後から聞こえた、乾いた小枝の折れた音。
足を止める。
意識を後ろに集中させる。頭から血の気が引いていくのが分かった。今俺の背後には、自分以外の誰かがいる。
誰か?
ここはサバイバルゲームの為に作られた仮想世界だ。ということは、ここで出会う人間は当然限られている――。
拒む体を無理やり動かし、後ろを振り返った。
そこに立っていたのは、予想外の人物。
「智和――」
「やっぱりお前か、斉藤祐太」
背後に立っていたのは、クラスメイトの桜井智和だった。どこかの兵隊みたいに迷彩服の上下を着て、腰には黒光りする金属のものをぶら下げている。
今更ながら、自分も同じような格好をしていた。
いや、決定的に違う点は、腰にそれがぶら下がっていないこと。
「智和の家にも宅配便が届いたのか?」
「あぁ、ゲームなんて普段はやらないんだが、3000万に釣られてな」
彼は言い終えると、腰のもの、銃を取り、こちらに銃口を向けてきた。
「え」
クラスメイトに会ったことで勝手に和んでいたが、再び血の気が引く。
いくら縁が無い国にいるとはいえ、それが何だかくらいは分かる。それが放たれればアクション映画に出てくる悪役みたいに、自分は額に小さい穴を開けて死ぬ。
「よく分からねぇけど、自分以外のプレイヤーを殺せばいいんだろ?」
「ま、待った! ここで会ったのも何かの縁だし、知り合いなんだからPTを組まないか?」
必死に身振り手振りで説得を試みる。
これはゲーム。ここは仮想世界。ここで死んでも本当の自分には何の影響も無い。それなのに、何故自分はこんなに必死になっているのだろうか。それほどまでに賞金が欲しいのか。自分が滑稽に思える。
「PT? 組むってどういうことだ?」
興味を持ったようで、智和が銃を下ろそうとする。
「仲間になるってこと。賞金は分配になるけど……」
共に戦う仲間が増えれば、生き残る確立はぐんと上がるだろう。その点、知り合いに会えたことはラッキーといえる。智和だって快く引き受けてくれるだろう。
「残念だが、そいつは無理だ」
しかし智和の口からは、思っていたのと反対の言葉が吐き出された。
「――俺は一人でいるのが好きだからな」
智和が銃の側面についた二つの安全装置に気づき、ツマミを左手で下げた。そのまま左手を右手の前に被せ、再び銃口をこちらに向けてくる。
「――ッ!」
葉っぱが木々の間を駆け抜ける風に揺らされている音だけが聞こえる。一気に緊張感が高まっていく。
動いたら撃たれる。動くことはできない。
――これはゲーム。
いや、そもそも動かすことができないのか。緊張感に耐えられずに、意識がぼやける。
――これはあくまでゲームだ、現実の俺が死ぬことはない。
自分が保てない。全て投げ出して、駆け出したくなる衝動。
――いつもゲームで――演じていた――勇者みたいに――向かっていって……。
それでも、指一本動かすことができなかった。
――俺、死んだ。
死の際で悟った。賞金が欲しかったわけではない。仮想世界とはいえ、自分は死ぬのが怖かったのだ。
撃鉄が落ち、撃針が雷管を打つ。着火された発射薬が黄櫨色の弾丸を押し出し、六本の螺旋状の腔線によって回転しながら撃ち出される。耳をつんざくような火薬音に続いて、固いもの同士がぶつかった音が響いた。特徴的なリベイテッドリムの薬莢が地面に転がる。
「ッあ……?!」
声を漏らしたのは、智和。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。智和が頭を抱えてうずくまっている。彼の前には煙を吐いている大きなハンドガンが転がっている。
この妙な状況から判断すると、どうやら銃の反動で台尻を自分の額に打ちつけたらしい。
現状を理解したことで、ようやく体が動いた。助走をつけ、生い茂った低木の中に飛び込む。その後で銃を奪うのを忘れたことを後悔した。
今できるのは、銃の届かないところまで逃げ切ること。目標ができた。先ほどまで石みたいに固まっていた体が弾けたように疾走を始める。
「逃がすか!」
額から流れた血をぬぐって智和が追ってくる。
木々の間を縫うようにして斜面を登っていく。すぐ後ろから、腐葉土が踏みしめられる音が聞こえてくる。
「クソったれ……、反動あることくらい知ってたのによ……!」
「銃なんて、どこで手に入れたんだよ?」
後ろを振り向いて、走りながら尋ねた。どうやら智和に走りながら撃つ余裕は無いようだ。
「言うだけ無駄だろ……」
急に変わった智和の声調に驚き、思わず足を止めた。止まる為に踏み込んだ足の下から、小石が転がり落ちていく。
崖。ちらりと下を覗くと、青い海に黒く突き出した岩礁が見えた。
「――ここでゲームオーバーだからな」
智和が今度はしっかりと腕と足を固定して狙いをつけてくる。距離はおおよそ3m。もう先程のような奇跡が起こり、外してくれることはないだろう。
不思議と最初に銃口を向けられた時よりも心が落ち着いていた。
まだ一日しかプレイしていないというのに、ここで脱落するのだろうか。おぉ、祐太よ、死んでしまうとは情けない。これではまるでお城から出たところで会ったスライムにやられるようなもの。いや、川の向こうの城の主があらわれた、が正しいだろうか。
ふと、昼間の英語の追試のことが頭に過ぎった。彼は説明が嫌いだと言っていた。現にPTの存在を知らなかったようだ。
「なぁ、智和」
煽らないように、そっと話しかける。
「なんだよ、実際に死ぬわけじゃないんだから、命乞いとか醜いことやめろよ」
智和が片手を銃から離し、額から垂れた血を拭う。
「お前の攻撃ナンバー、8になってるのか?」
つばを飲む。怪しまれたら終わりだ。気取れ、自分は全てを知っている。
「――何だって?」
「知らないで銃向けてるのかよ? 攻撃ナンバーが固有ナンバーと同じになったときしか除外する権利が無いだろ。俺の固有ナンバーは8だから、攻撃ナンバーが8以外のときに撃ったら失格になるぞ」
当然、口からでまかせ。我ながら、ゲームのことになるとよく頭が回ってくれる。
「確かに、俺は10とか言われたな……」
予定通り。俺が8番で智和が10番、何か引っ掛かるが今考えている余裕は無い。相手が考えを巡らせ矛盾を見つける前に畳み掛けるべし。
「それがお前の固有ナンバー。このエリアの中央にある、チェックポイントで攻撃ナンバーを獲得してこないと……。まぁ、数字は無作為だから、チェックポイントに行っても俺を攻撃できるとは限らないけど」
「……」
智和は銃を腰に戻し、顎を撫でながら考え込んでいる。
一緒について来るように言われたらどうすればいいだろうか? しかし、彼は一人でいるのが好きだと言っていた、その心配はないだろう。証拠を出せと言われたら? 先程撃ち損じたのを証拠にできないだろうか。
この後考え得る展開への対処を考えていると、智和が手を下ろした。
「そうか、教えてくれてありがとうよ。ゲームの初めの説明飛ばしたから、全然システムが分からなかったんだ」
「そうだったんだ」
冷や汗が流れる。仮想世界でも汗が流れるのかと、妙なところに感心する。
「せいぜい8が出ないように祈るんだな」
そう言い残して彼は木々の中に姿を消した。
腰の抜けたようにその場に座り込む。
「――ふぅ」
現実世界のことを持ち出すとは、悪いことしただろうか。いや、こちらは武器持ってなかったのだ、仕方がない。
ポケットの中を見てみたが、武器どころか、あの紙みたいな洗濯クズすら入っていなかった。
「当面は武器を探さないとな……」
口には出してみるものの、今日はもう乗り気ではなかった。時間前にログアウトするなら、CPUが戦闘に巻き込まれないように隠れる必要がある。どこか身を隠せるところを探そう。
立ち上がって尻についた土を払い、来た道を戻る。
黒い背景に27人の顔写真が並んだ画面。
上段の左から8番目に祐太の顔、10番目に智和の顔がある。
だんだんとフェードアウトし、赤い文字で『生存者27名』と、そう表示された。