0903:九日目(C)
風を切って突き出されるランスを、鱗の生えた腕が四本の爪で掴んで止める。倉庫の正面口では智和と隼人が互いに力と力をぶつけ合い、激しい戦いを繰り広げている。
「こうしててめぇと喧嘩するのも久しぶりだな」
グリフォンがランスを両腕で掴み、回転を加えながら放り投げる。
「――そうだな」
側方に一回転した智和が、ガシャリと金属音を立てて着地した。
「これでも、昔はその腕だけは認めてやっていたんだ。――今は女に現を抜かして、見る影もないがな」
「俺は気付いたんだよ、ただ自分の為だけに力を振るうのは間違ってるって」
言い終えると、槍先を正面に向け地面を蹴って駆け出した。
「戦うことは自分を高めることだ。男なら最強を目指す、それの何処がおかしい」
グリフォンがランスを左腕で払い、右腕の鉤爪を振り下ろす。それを前方に踏み込んでかわした智和が、ランスを持ち替えながら薙ぐ。鷲の顔についた一文字の傷から、一筋の血が流れた。
「てめぇ……」
「俺の思う男の戦いってやつは、自分の大切なものを護り抜くことだ。別に最強にならなくてもいい、護れれば負けたっていい。無事な姿を見たとき、それ以上の幸せを得られるんだから」
グリフォンは返事をしない。大きな黒い翼で羽ばたき、槍の届かない空へと飛び上がった。両腕を振りながら上空から強襲する。
「ちっ……!」
ランス一本では巨大な破壊力を持った二撃を防ぎきれない。鉤爪を受けて鎧の肩の部分が砕けた。
「何が大切なものだ、幸せだぁ?!」
加えてライオンの脚で薙ぎ、四本の足を使った攻撃を繰り出す。徐々に鎧が砕け、剥ぎ取られていく。
「そんなのは、負けた自分に言い聞かせるための弱者の虚言だ。てめぇには失望したぜ、智和!」
鉤爪が胸部の鉄板を貫き、鎧を完全に砕いた。後ろ足で蹴り飛ばされた智和が、地面の上を転がる。
「痛ぇ……」
智和が頭を振りながら起き上がった。転がっていたランスを拾い、投げ槍でもするかのように片手で持ち斜めに構える。
「――お前は嘘をついてる」
「なんだと?」
「お前も大切なものを見つけた、そうだろ?」
「てめぇと一緒にするな、女なんぞに現は抜かさねぇ」
「別に大切なものは、好きな人だけじゃない。親友、家族、護りたいと思えるものなら何でもいいんだ。人に従うことが大嫌いなお前がPTに入っている、それが何よりの証拠だろ?」
「っ……!」
思うところがあったのか、グリフォンが固く嘴を閉じる。
智和がランスを持った右腕をさらに引き、体重を後ろ足にかけた。
「もう中学の時とは違うんだよ、お前も俺もさ」
体重を前にかけながらランスを大振りに突き出す。手が柄から離れておらず、投擲ではない。
「ブリューナクッ!!!」
突き出された槍先が、うなりを上げて超高速で伸びる。腕の延長、光を反射して輝く槍身は、さながらレーザー砲。
なんとか反応できたグリフォンが、両腕の鉤爪で槍の先端を捕らえる。しかし槍は爆発的に伸び続けており、力を受け止めることができない。徐々に体が押し下げられていく。
砕け散っていた鎧の欠片が光の線となり、ランスの槍身に吸収される。急激に威力を増した。
「うぉぉ?!」
支えきれなくなった槍先が鉤爪をすり抜け、グリフォンの肩を突き刺す。ランスの伸長は止まらない。体を押し飛ばし倉庫にぶつけて壁を砕いた。
土煙が上がった一帯、血のついた壁の残骸の間からはライオンの足が見える。智和は槍頭を元の長さまで縮め、美月の方を振り向いて微笑んだ。
「助かったわ、ありがとう」
美月が彼の元に走り寄り礼を述べるが、智和は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「何、無事な姿を見て幸せな気分になるんじゃなかったの?」
「いや、そうなんだが……。君から感謝の言葉を言われ慣れてなくてな。思えば手を出すたびに窘められていた気がする」
「悪かったわね」
「そういうところも含めて好きになったんだがな」
「訂正、あんた本当に最低だわ」
言葉とは逆に、美月はとびきりの笑顔を見せていた。
突如、建物の壁に開けた穴から瓦礫が吹き飛び、血のついた石が二人の足元まで転がってきた。智和が黙って美月の肩に手を置き、自分の後ろに誘導する。
右肩を赤く染め口を苦しそうに開けているグリフォンが、穴から顔を出していた。
「大切なもの? 護りたいもの? 分からねぇ……。ただ俺は、あいつの期待を裏切りたくねぇだけなんだ――」
ゆっくり一歩ずつ踏み出し、外へと這い出る。後ろ足で立ち上がり、大きな翼を広げて咆哮した。
getConnection( 16, 谷口隼人)
ゲームは所詮、力の無い人間が模擬体験するための道具だ。モヤシのような体をした連中が剣を振るって魔王を倒し、サッカーに情熱を燃やす中学生が一流のプロ野球選手になれる。
現実では何も変わらない、ただ現実で叶わない欲望を満たすだけ。――それが堪らなく嫌いだった。
そう、今回はたまたまサバイバルという語句に惹かれただけ。勘違いした連中を、本当の力で叩きのめしてやるのが目的だった。
アップステアーズ一日目。ログインした直後、チャラチャラした長い金髪の男に出会った。確か同じクラスの人間で、頭がいいとか運動神経がいいとか舎弟が話していた気がする。
こういういい子ぶった奴を合法的に殴れるならどんなに爽快だろう。思ったときには行動に移していた。
「かはっ……?!」
――ありえない。渾身の右ストレートは奴の肩の上に吸い込まれて、気が付けば俺が地面の上に転がっていた。
「てめぇ、コロス……!!」
まともに機能しない肺から空気を吐き出し、強引に体を動かし起き上がって両拳を構える。
「驚いた。あれだけ強く地面に叩きつけられて起きられるのか?」
その場を去ろうとしていた龍之介が振り返る。
「てめぇがくたばるまで何度でもな」
双方が必殺の威力を持つと自負するワンツー、それが頭を左右に振って避けられる。しかしこれは囮だ、本命の回し蹴りが彼の胴に食い込んだ。
「ぐっ?!」
龍之介が腹を抱え、くの字になって倒れこむ。
当たり前だ、街で幅を利かせていたプロのキックボクサーすら沈めた、俺の隠し玉なのだから。
「ふん」
横に唾を吐き、背中を向けてその場を去ろうとする。
「待て、まだ終わっていないぞ……」
しかし弱々しい声が耳に入り振り向いた。龍之介が立ち上がっていた。
「見た目によらずタフらしいな」
冷静な声を出したが、自慢の蹴りがきかなかったことに内心焦っていた。
龍之介がボクシングもどきの拳打を放ってくる。形は滅茶苦茶だったが、スピードと正確さには目を見張るものがあった。
それを払いながら何度も顔を殴りつける。てっきりこういった輩は顔を庇うと思っていたが、この男は違うらしい。
小細工は無用と見て、顎に向けて横から大振りなフックを放つ。しかし男の姿が消えており、拳はむなしく空を切った。
「っ……」
腹に衝撃を受けた。屈んで拳を突き出している龍之介の姿が見える。
どうやら初めから、大振りな攻撃をしゃがんで避けて、ミドルを打つことだけを狙っていたらしい。拳打を打ち終わった後の、腹筋の力が抜けた一瞬に打ち込まれた。
息が吸い込めない。視界がフェードアウトしそうになる。
そこいらのチンピラ相手ならこれで済んだだろう。しかしこの北の谷口には役不足だ。彼の長い髪を掴んで腹に膝蹴りをかます。
「ごふっ?!」
手を離し、血を吐いた男を転がすように放り投げた。
「てめぇ、喧嘩したことはあるのか?」
木の幹に寄りかかり、地面に這いつくばっている男に声をかける。
「いや、これが初めてだ」
龍之介が腫れた口を開く。
「だろうな。だが筋は良かった。経験さえ積めば強くなる」
「そうか……。俺は、負けたことも初めてだった……」
顔を真上に向けた男は、土と血で汚れた顔で笑っていた。何故か、今までのモヤモヤとしていた気持ちが一気に消え失せた。
「俺が勝てるのはせいぜい喧嘩だけだろ。――このゲームの説明書は読んだか?」
「それなりには……」
「PTとかいうのがあるらしいな。お前となら組んでやってもいいかと思うんだが、どうだ? ――もちろん、お前が俺の舎弟だがな」
現実世界には蓮と孝大という立派な舎弟がいるが、この男ならここの世界での舎弟にしてやってもいいかもしれない。
「PTか……、ゲームは今日限りでやめるつもりだったんだが……」
「無理強いはしねぇさ」
ゲームを続ける気が無かったのは俺も同じだ。その場を去ろうとした。
「――お前は、変な男だな。今まで会ったことのないタイプの人間だ」
「言葉は選ばないと、早死にするぜ」
背後からかけられた声に、振り向いて返答する。
「粗暴で大雑把、俺の最も苦手なタイプだ。しかし、不思議と嫌いではない」
「奇遇だな。陰気で神経質、俺の最も苦手なタイプ。だが、てめぇのこと嫌いじゃないぜ」
「……何故PTを組む?」
「そりゃあ、生き残る為だろ」
「何故生き残る? 賞金か?」
「俺が最強だと証明できれば賞金なんざどうでもいい、てめぇにくれてやるよ」
「そうか、だが俺も賞金はどうでもいいんだ。……きっと俺はこの世界に、自分の理解者を求めて来たんだと思う」
「はぁ、意味分からねぇ」
「――PTの話、引き受けよう。この世界で自分がどれだけ通用するか試すのも、また一興だ」
初めて負けたという男、負けて笑った男、理解者が欲しいと言う男、奇妙な奴だった。直感で、こいつは自分と逆の人間のような気がしていた。しかし何故だろう、こいつが仲間になったことをとても頼もしく感じたのは。
End
片目は開かない。翼が折れ、飛ぶことはできない。腕を振る度に肩から血が噴き出している。
しかしグリフォンは攻撃の手を休めることはなく、左右の鉤爪による連撃を続けてくる。
「くっ……」
ランス一本で受けきれなくなり、後方に跳んだ。
「てめぇの能力は金属に関する力か」
グリフォンは追撃せずに、その場で腕を下ろしている。足の調子も悪いのだろうか。
「説明は嫌いなんだがな。鉄の結晶格子を転移させて自在に形を変えることができる」
だからといって手加減できる相手でもない。機を逃さずに、最大の威力をもつ攻撃で片をつける。
背中を反らして槍を引く。後ろの足に体重をかけ、地面を踏み込む。
「こんな風に――、ブリューナク!!」
勢いよく腕を振り、ランスを突き出す。伸びた槍頭が、真っ直ぐグリフォンに迫っていく。
「……先程は隙をつかれて後れをとったが、所詮手品の類だろ」
槍が眉間に突き刺さるかという紙一重の瞬間に、グリフォンは体を落とした。頭上を槍先がかする。行き違いに、ランスの下を四本足の獣が疾走してくる。
急いで槍頭を戻すが、間に合わない。既に眼前には黒い鷲の頭。
開いた鉤爪に、両肩と股下を完全に捉えられた。体が浮かされ、地面に叩きつけられた。
ギリギリと軋む音を立てて、趾が締まっていく。強靭な握力に耐え切れずに鎧が砕ける。それでも鉤爪は容赦なく押さえつけてくる。
「ぐあっ?!」
「桜井!」
どこからか、美月の声が聞こえる。視界には嘴の端を歪めるグリフォンの頭しか映っていない。
「終いだ、てめぇに大切なものは護れねぇ」
肩に爪が食い込む。プチプチ筋の繊維が切れていく感触。直接鎖骨から響く重い衝撃。尋常でない苦痛に、歯を食いしばり両目を閉じる。
隼人とは中学時代によく喧嘩した。力もスピードもテクニックも備えた、自分の知る限り最強の男だった。
そんな彼に喧嘩で勝っていたものといえば、このタフさのみ。最後の力を振り絞り、目を見開いた。
「終いなのはお前だ、隼人!」
自分の胸部に乗ったグリフォンの腕の下に、砕けた鎧と戻ってきた槍頭を転移させてありったけ集める。
「フラガラッハァ!!!」
趾を貫く光の尖塔。巨大な両刃の剣が切先から構成され、化け物の頭と胴体を刺し貫いた。
白銀色の刀身に、突き上げられたグリフォンの鮮血が流れる。
「てめぇ……」
二つに分かれてしまいそうな体になりながらも、剣に鉤爪を立てる。しかし力を込めることができずに腕を垂れた。鋭かった金色の目が閉じられる。
両刃の剣の脇に、人間の姿になった隼人が現れた。
「まさか、これで終わりだと思っていないだろうな?」
「終わりだ。もう能力は使えないんだろ」
「能力なんざ無くても、俺にはこの力がある!」
隼人が右拳を引き、走って向ってくる。
「そうか、ならここで脱落しろ――」
右手の中に鉄を集め、ランスを構成する。
素手と槍では間合いが全然違う。いくら喧嘩慣れしていたところで、この差は埋められない。俺の突き出した槍先は隼人の心臓に突き刺さるはずだった。
ランスの像が歪む。
次の瞬間、轟音と共に俺達は吹き飛ばされていた。なんとか体勢を戻し、膝をついて着地する。
「くそ……、なんだ一体?!」
手の中のランスは、槍頭がバナナの皮みたいに裂けて壊れていた。
「邪魔をするな、龍之介ぇ!!」
隼人が倉庫の屋根を睨んで叫ぶ。いつからいたのか、建物の上に足をたらして座っている生徒の姿がある。
武田龍之介。ユグドラシルのリーダーであると、夜の見回りの際に美月が話しているのを聞いた。
なんの能力かは分からないが、先程の爆発が龍之介のせいだとすれば、距離差があっても安心は出来ない。ランスを作り直して構える。
「無理をするな、隼人。あとは俺がやろう」
龍之介が口を開く。耳に付けられたピアスが揺れた。
「五月蝿ぇ! まだ戦えるって言ってんだよ!」
「戦うとは、武力をもって互いに争うこと。武力を失ったお前が行うのは戦いとは言わない」
声の出所が近い。いつの間にか、屋根の上にいたはずの龍之介が隼人の前に立っていた。黒い長袖のTシャツに迷彩のズボンという出で立ちで、首にはシンプルな銀色のプレートネックレスを付けている。
「今日はもう休んでいろ。お前にはまだ戦ってもらわなければならない」
「……分かった、分かった。リーダー様には従っておく!」
龍之介の言葉に従い、隼人が背を向け建物に向かって歩き出した。
「隼人!」
大声で呼びかけると、半分だけ顔をこちらに向けてきた。
「今日のところはてめぇの勝ちだ、認めてやるよ。だが次戦う時は――、いや、龍之介と戦るということは、次は無ぇのか……」
不吉な言葉を残し、隼人はシャッターをくぐり倉庫の中に姿を消した。
残った龍之介がこちらを一瞥してきた。あの傲慢な隼人を大人しく従わせるとは、どんな手を使ったのだろう。ランスを構えなおし槍先を向ける。
「今度の相手はお前か?」
「そうなるな。――最後の戦いに参加する資格があるか試してやる、かかって来い」
つまらなそうな表情をした龍之介が、手の平を上に向けてひらひらと指を曲げる。
少しイラッときた。ランスを引き、後ろの足に体重をかけて構える。
「俺はお前みたいな上から目線の奴が大嫌いだからさ、――手加減は一切無しだ」
繰り出すのは当然、貫くもの(ブリューナク)。
さらにランスを引いて腰にバネを蓄える。どんな能力だろうと、破壊力を槍先に集めたこの一撃を防ぐことはできないだろう。
「ブリューナクッ!!!」
全身のバネを開放し、ランスを突き出す。槍頭が風を切って伸びる。
龍之介は動く素振りを見せない。槍先が額を貫いた。
「な……?!」
しかし手ごたえは無く、龍之介の姿が渦を描いて掻き消えた。
「どうした、その程度か?」
肩に何かが触れた。横を振り向くと、いつの間にか龍之介が肩に手を乗せて立っていた。
槍頭が戻ってきたランスを振り、距離をとる。
「くそっ、どうなってやがる?!」
屋根からいつの間にか飛び降りていたことといい、テレポートの能力だろうか。
「それなら――」
龍之介に向かって走り出す。ランスを正面に構え、体に鎧を纏う。難しいことは勘弁だ、当たるまで直接突くのみ。
「その鎧、よく電気を通しそうだな」
龍之介が、立てた指を向けてくる。目の前に光の球が浮かんだと思った次の瞬間、閃光が走り、焼ける臭いを嗅ぎながら意識を失った。