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IOException  作者: 175の佃煮
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0902:九日目(B)

 アップステアーズに構築されたフィールドの北西、海沿いの立地にその建物はあった。かつては倉庫か工場だったという設定だろう、広大な床面積をもつ一階建てで、壁の高い位置に小さな窓穴が申し訳程度に数個並んでいる。

 岬に面した正面口は、大きな鉄のシャッターになっている。この扉の前では、文字通りスケールの異なる戦闘が繰り広げられていた。


 怪しく光沢を放つ紫黒の外骨格に纏われた巨大な蠍が、鋏を閉じながら突き出す。これまた巨大な鷲が羽ばたきながら地面を蹴り、飛び上がってそれをかわした。蠍が忌々しげに空を見上げる。


「――遅いです!」


 地面を揺らして白い影が躍る。巨大な虎が太い腕を振って蠍を突き飛ばし、倉庫の壁に叩きつけた。しかし鋭い爪でも外骨格は貫けず、ただ体を標本のように壁にめり込ませただけである。


「いいぞ、真央」


 蠍が起き上がる前に、巨大な竜が尾をしならせて叩きつける。壁が崩れ落ち、紫黒の体が瓦礫に埋まった。

 突如、土埃の中から矢が放たれた。正体は、長い尾についた鋭い毒針。


「っ?!」


 攻撃直後で尻尾が伸びているため、迫る針を避けるだけの体の自由が利かない。竜は苦しい声を漏らして目を閉じた。


 けたたましく鳴る金属音。巨大な亀が体を挟み、甲羅で毒針を弾く。


「大丈夫か、巧」


「サンキュー、助かった!」


 竜が鉤爪を振って牽制し、虎と亀の間まで後退する。


「昆虫の殻ってあんなに硬かったんですね」


「Fuck! 昆虫じゃない、鋏角亜門よ。あんな気持ち悪い連中と同類にしないで欲しいね」


 蠍が理沙の声で叫んだ。


「気持ち悪さは、どちらも一緒だと思いますが……」


「分からないかな。このつぶらな瞳と、わさわさした書肺の可愛さが――」


 後ろの四本の足で立ち上がり、自身の腹に並んだ八つのビラビラを見せびらかす。書肺の一つ一つが幼虫みたいに蠢いている。

 虎が身震いして目を逸らした。


「ここで扉を護っているということは、平野はユグドラシルの一員なのか?」


 このままだと真央が卒倒してしまいかねないので、弘樹が話題を変える。


「That's right. ニヴルヘイムのお姉さまの指揮下よ」


「お姉さま――、綾音か。ここにはいないんだな?」


 以前のトラウマを思い出し、竜まで身震いしている。


「えぇ、あなた達程度ならあたし一人で十分だから。それに、リーダーはもう一人で逃げ出したみたいじゃない。……学校でも気に食わないけど、本当に最低なヤツ」


 蠍の姿のまま、唾を吐くような仕草をする理沙。


「……美月ちゃんのことを悪く言わないで下さい」


 虎が前脚に体重をかけ、駆け出す準備をした。


「あなた達はあいつの本性を知ってるんでしょ? それなのに、どうしてあんな奴とつるんでる訳?」


「確かに猫を被ることはいいことではないのかもしれない。でも、素の美月ちゃんはとてもいい人です。今だって、絶対私達を見捨てたんじゃありません!」


 真央が叫ぶ。と、突然上空の雲にぽっかりと穴が開いた。音を先行する物体が衝撃波を後方に纏って、投げ槍の如く蠍に向かって飛来する。


「な?!」


 音を越えた速度に対応できるはずも無い。かわす決断を下す余裕すら与えずに、鳥の嘴が強固な外骨格を貫いた。地面が砕け、一緒に紫黒の殻と体液が粉々に撒き散らかる。

 土煙がおさまった時、地表にできたクレーターのその中央には、頭を地面に突き刺した鷲の姿があった。


「美月ちゃん!」


 頭を引き抜いた鷲に、虎が走り寄る。やれやれと手の平を上に向けてジェスチャーをした竜と亀が続く。

 能力を失い、人間に戻った理沙が彼らの前に姿を現わした。


「なに、今のインチキな攻撃は――?!」


「限界高度から落ちてきただけだけど。さすがに、少し目が回ったわ」


 鷲が地面に鉤爪を突き立て歩を進め、理沙の前に立つ。素手で戦うにはあまりに違いすぎるそのスケールに、彼女は息を呑んだ。


「――行くわよ」


 しかし美月は理沙を素通りし、三体の獣を引き連れて建物の入り口へと一直線に向かっていった。


「Wait a sec! どういうつもり、情けをかけてるの?!」


「まさか。弱すぎてつまらないから、出直して来いというつもりだったんだけど?」


「っ……!」


 見逃されたのか、単に皮肉なのか、どちらにせよ気分はよくない。理沙が唇を噛んだ。ふと自身と地面にかかった大きな影に気が付き、背後を振り返る。


「――それは同感だ」


 谷口隼人の低い声が、扉へ向かう四体の元にも届いた。今の今までその場にいなかった人間の言葉に、慌てて振り返る。

 刹那、クレーターの中央で赤いものが撒かれた。


「弱い奴はつまらない。貴様のような存在は、このPTには不要だったということだ」


 黒く鋭い鉤爪から血液が垂れ落ちている。艶やかな黒い羽に覆われた、鷲の翼と上半身。汚れのない黄金色の毛で覆われた、ライオンの胴体と下半身。王家の象徴とされる伝承上の生物。そこでは黒い四足の化け物が圧倒的な存在感を放っていた。


「グリフォン――」


 美月はその壮麗な姿に魅せられ、思わず口を開いていた。


「そうだ。生体転移系マニューバーの中でも最強の戦闘力をもつ、グリフォン。お前らの、家畜と交代するような能力とは格が違う」


「最強……? それより、あんた理沙に――、自分の仲間に何をしてんのよ?!」


 気を取り直した美月が叫ぶ。


「あんな弱い奴が仲間? 冗談はほどほどにしておけよ」


「……よくそんなんで、雇ってくれるPTがあったもんね」


「ふん、ユグドラシルは俺が作ったPTだからな」


「それこそ、冗談はほどほどにしておきなさいよ」


 口数の減らない美月に対して、グリフォンが不機嫌さをあらわにし、後ろ足で立ち上がり両翼を開いて咆哮した。クレーターを中心にして大気が震える。三体の獣が気圧され、一歩後ずさった。

 グリフォンの体に影がかかる。上空から鉤爪を立てて飛び掛かろうとしているのは朱い鳥。

 しかしグリフォンは落ち着き払って、鋼色の鉤爪を掲げて受け止めた。長く太い首を横にしならせ、鷲の頭に頭突きをかます。


「っ?!」


 頭を揺らしつつもなんとか踏み堪えた。地上は不利とみたのか、地面に向かって大きく羽ばたき、上空へと舞い上がる。

 アップステアーズにおいて、空は鷲の能力をもつ彼女の独壇場だった。しかし今度の相手は獣の王であり、鳥の王。


「俺に空中戦を挑もうっていうのか? いい度胸だ」


 グリフォンが不敵に言葉を洩らし、空に上がって後を追う。がっちりした肉付きのせいで体が重いのか、頻繁に翼を羽ばたかせて飛ぶ。

 鷲は一足先に境界層まで達し、旋回を始めていた。グリフォンも同じ高度まで到達し、ホバリングして様子を窺う。

 鷲は乱流を物ともせずに、周囲を滑空している。十分に速度をつけてから身を翻し、荒れた風の中を縫うように突進を始めた。

 羽ばたきを止めたグリフォンが、下方に潜ってかわす。すれ違い様鉤爪を振り上げ、胴体を引き裂いた。バランスを崩した鷲が、遥か下の地面に赤い血を垂らす。

 容赦なくグリフォンが羽ばたき寄り、強靭な後ろ足で蹴り下ろす。鷲は折れた羽をみじめに丸めて落ちていった。


「美月!」


 亀が弘樹の声で叫び、落下していく先に向かう。

 しかしそれを遮るように、グリフォンが羽ばたきながら、進行方向にゆっくりと降り立った。直線的に脚を突き出し、鉤爪を立てた単純な攻撃。それでも、防ごうと前方に向けた亀の甲羅を、紙でも破いたように容易に貫いていた。腹側の甲羅から赤く染まった四本の爪が飛び出している。


「ぐっ……」


 生命維持の機能を失った亀の姿が消え、その場に弘樹が人間の姿で現れた。


「野郎、よくも二人を!」


 グリフォンの側面から、顎を開いた竜が突進してくる。しかし鱗に覆われた巨体は、敵の脇をすり抜けていってしまった。

 数歩足を運んだ後、竜は地面を揺らして倒れた。通りすぎた跡には、赤い斑点が無数に散っている。

 ――竜の上顎から上が、薙ぎ払われた鉤爪によって掠め取られていた。すぐに痙攣していた体が消滅し、巧が人間に戻る。


「この、化け物――!」


 背後から虎が飛びかかる。ライオンになっている背に爪を立てているが、金色の毛で滑り突き刺すことができない。


「化け物、ね。そう褒めてくれるな」


 グリフォンが、まるで蝿でも払うかのように尻尾で虎の腕を弾く。鱗の生えた右腕を掲げ、爪を引き込みながら振り下ろした。



「……ほう、まだ動けたとはな」


 鉤爪は空を切っていた。

 グリフォンから離れたところに、羽が折れ曲がり血を垂れ流している鷲と、抱えられるように立つ虎の姿があった。


「美月ちゃん……」


「あんたは戦闘に向かないんだから、下がってなさいって言ったでしょう?」


 鷲の姿が掻き消え、美月が人間の姿に戻る。続いて真央も姿を戻した。

 グリフォンが四足を進め、二人のもとに向かっていく。傷つけることを楽しむ彼の態度は王家の象徴なんてものからはかけ離れたものだが、垂れ流した威圧感は相応しい。

 再び鉤爪を開き、鱗の生えた腕をゆっくりと上げる。


「――今度こそ終いだ」


 腕が振り下ろされる。爪に裂かれた空気が、音を鳴らす。

 もう二人に、よけるだけの気力は残っていなかった。互いに体を預け、目を瞑る。


 風が鳴る。音源は二つ。グリフォンが何かを察知し、後方に跳んだ。

 直後、巨大な柱が彼のいた場所に突き刺さる。それは金属光沢がまぶしい、規格外の大きさを持った槍。次の瞬間には忽然と消え、大きな穴を挟んで向かい合うグリフォンと美月達が残された。


「貴様――」


 少女達の後方から近づいてくる人物を見て、グリフォンの目がさらに鋭くなった。


「隼人よぉ、彼女は俺の大切な人でな、手を出させるわけにはいかねぇんだ」


 聞き覚えのある声に、美月が急いで振り返った。


「ストーカー……」


 軽く頷いて肯定しているのは、智和。腰のホルダーに銃を収めているが、両手は手ぶらであり槍のような武器は所持していない。


「なら、てめぇが俺の戦闘欲を満たしてくれるのか?」


「そいつは無理だ。お前の言う戦闘欲っていうのは勝つことだろ?」


 智和が右手を横に突き出す。袖の中から銀の光が伸び、手の中で形を帯びる。細長い円錐の形をした槍頭をもつランスが握られた。


「上等だ、泣かす!」


 グリフォンが怒号を上げ、後ろ足で地面を蹴って駆け出す。

 智和はその場から動かずに、今度は左手の平を自分の顔に向けている。光が彼を包み込むと、全身が銀色に輝くプレートアーマーで覆われた。


 横に薙ぎ払われる鉤爪を、ランスの側面で受ける。


「く……、来ればとは言ったけど、助けろとは言ってないわよ?!」


 すっかり除け者にされた美月が大きな声を出す。


「言ったろ、惚れた女が困っているなら、迷惑と言われようが助けに行く。……だから今だけは、黙って手を貸させてくれないか?」


 智和がランスを袈裟に振り、距離をとってから言った。槍頭の先端をグリフォンに向けて構える。


「そういうの……、格好良いとか思ってるわけ……?」


「今のは俺的に高得点だったんだが、手厳しいな」


 鎧の中でくすりと笑った。


 グリフォンと智和が、お互いの射程までじりじりと距離を詰める。振り下ろされる鉤爪、跳ね上げ受ける槍。一撃一撃が重々しい突きと払いの応酬が始まった。




 隼人と智和が戦っている倉庫の正面口とは反対側、林に面した裏口では三人の生徒が突入の準備をしていた。建物の裏側から届く激しい衝撃音と物々しい振動が、既に戦闘が始まっていることを彼らに教えてくれる。


「あっちはもう戦ってるみたいだな」


 準貴がミリタリーブーツの靴紐を縛りなおしながら言った。


「美月達か……。悪いけどこのまま突入しよう」


 ユグドラシル全員と戦うには、時間も戦力も不足している。美月の指示通り、俺達は俺達で内部で暴れさせてもらおう。


「祐太……」


 涼子が心配そうな顔をして見つめてくる。


「今回俺達も、お互い手は貸せない。さくらのもとに辿り着くのが第一だ」


 手の中に氷の大剣を凝結させ、柄を握り締めて答えた。


「えぇ、その為にも私達が道を切り開くわ」


「よろしく」


 涼子は頷き、抜いた刀身に炎を纏っている。


「俺、この戦いが終わったら今度こそ真央と遊園地行くんだ……」


「これから死ぬ奴の台詞だな」


 縁起でもないことを言っているが、準貴の場合はこれくらい妙なテンションでいてくれる方が安心できる。


「リーダー。突入前に決意表明とか、なんか気の利いたお話はないのか?」


 鉄の扉のドアノブに手をかけながら、続けて話しかけてきた。

 急にそんな無茶振りをされても困る。だが確かこんな時の為の、とびっきりの英文があったはずだ。


「――れ、れっつごー!」


 気合を入れたつもりだったが、扉の前でスタンバイしていた二人がよろけた。


「お前らしいっていえば、らしいけどよ……」


 以下、先の英文の訳。


「ゲームオーバーになるなとは言えないけど、現実世界でまた四人で笑いあえるように、みんな悔いの無いように戦おう」


「おう」


「えぇ」


 ドアノブが回り、扉が開く。倉庫の内観があらわになる。意気盛んに声を上げて、建物へと足を踏み入れた。


 てっきり中は広い開けた空間になっていると思っていたが、仕切りで分けられた部屋になっていた。

 建物の中にも関わらず、土の地面が露出している。倉庫や工場なら別におかしくはないのかもしれないが、外の土とはまた違う、乾燥してバラバラになった砂が敷き詰められているのが気になった。

 正面から横に視線を移していく。右側の壁に、次の部屋へ続くと思われるドアが設置されていた。


「ここは誰もいないみたいだな。次の部屋はあそこか? 行くぞ!」


 準貴の号令で三人が走り出そうとする。しかしどうしても気になることがあり、途中で足を止めた。


「どうした?」


 準貴達も止まり、こちらを振り向く。


「出て来い、隠れているんだろ!」


 ドア手前の地面を睨んで叫ぶ。

 突如地面が爆ぜるように砕け散った。降りそそぐ砂の中に、人の影が浮かぶ。

 現れたのは、長身で顔の整った青年、石川健太だった。ゆったりした黒の長袖Tシャツを着て、迷彩服の上着を腰に巻いたラフな格好をしている。同じ服装なはずなのに、格好よく見えるのがどこか悔しい。


「よく分かったね」


 涼子が刀を構えながら言った。


「五行にも四元素にも当てはまる重要そうな能力の生徒をまだ見ていなかったから、気にはしていたんだ。そしたら、おあつらえ向きにも土が敷き詰められた部屋があるじゃないか」


 準貴が一番前に躍り出て、健太と向かい合う。


「準貴……?」


「よくやった。後は俺に任せとけ」


 言い終わるが早いか、地面を蹴って健太に跳びかかる。健太は側方に向かって地面の上を滑るように移動して避けた。勢いを殺さず突っ込んでいった準貴の跳び蹴りによって、扉が破られる。




「行け!!」


 健太と睨み合い牽制しつつ叫んだ。後方から、二人分の土を蹴って走る音が聞こえてくる。

 祐太達に対する相手の攻撃に備えて、いつでも跳び出せるようにバネをためていた。しかし当人は意外にも直立して見送っている。

 すぐに音が聞こえなくなった。


「……ずいぶんとスムーズに通してくれたな」


「獲物を残しておくのが、ユグドラシルの先輩に対する礼儀だろう」


「随分と信用してるんだな、龍之介のことを」


「龍之介だけじゃない。隼人も綾音も美琴も、お前ら三人と同時に戦えるくらいの力は持っている。――功を急いだな、準貴。今日ユグドラシル以外のPTは全滅するぞ」


「急いだわけじゃない。これでも遅すぎたくらいだ、うちのお姫様を救い出すのはな――」


 その役目は俺ではないが、彼の弾除けで終わるつもりもない。右足を引いて構える。


「この仮想世界で最後の戦いだ、存分に暴れさせてもらうぜ!!」




 砂の部屋の扉をくぐり、進んだ先で立っていたのは、俺達双方に関係深い生徒だった。


「とうとうここまで来たのね、涼子」


「美琴……」


 涼子は部屋の真ん中に立っていた眼帯の少女の姿を確認すると、刀に灯っていた火を消して鞘に納めた。

 美琴も戦う素振りを見せておらず、ただ微笑んでいる。腰には白い鞘に納まった日本刀が差さっていた。


「お願い、ここを通して」


「そうね、話によっては斉藤君だけは先に進めてあげてもいいわ」


「話――?」


 聞き返した涼子の言葉に対して、美琴は無言で腰の刀の鯉口を切った。


「久しぶりに、これで一戦やりましょうよ」


「でも……」


「目のことなら心配いらないわ」


 彼女の手が眼帯の掛かった右目にかかり、そのままゴムの部分を引き千切って剥ぎ取った。


「っ!」


 涼子が思わず目を逸らす。


「ごめんね、そういうつもりじゃなかったんだけど」


 美琴が開かないはずの右目をゆっくりと開く。左右対称のクールな目つき。そこには確かに綺麗な瞳が存在していた。


「難しいことはよく分からないけど、BCIケーブルって脳からの情報をやり取りするんでしょう。それならこうして無いはずの目で見えるっていうのも道理じゃない?」


 右手を柄にかけ、素早く鞘から刀を抜く。涼子の刀とは対照的に、絢爛な皆焼の刀身が光を反射して輝いている。


「余計なことは何も考えなくていいのよ、久しぶりに刃を交えようっていうだけなんだから」


 美琴が戸惑う涼子を心配するように声をかける。左手を柄に添え八相に構え、こちらに向かって摺り足で歩みを進め始めた。


「祐太――、行って」


 涼子が右手で柄を握り、振り向くことなく口を開いた。


「いいのか?」


「えぇ、さくらさんをよろしく」


 序破急の体現で刀が抜かれる。清純な直刃の刀身があらわになった。


「――分かった」


 今にも打ち合いを始めそうな二人を横目に、次の部屋を目指して走り出した。




 祐太は無事扉をくぐっていった。中段に構え、じりじりと迫ってくる美琴の胸元に切先を向ける。


「二度と叶わないと思ってたあの試合の続きができるなんて、このゲームの製作者に感謝したいくらいね」


 美琴は言い終えると、私の左肩を狙い刀を袈裟に振り下ろしてきた。素早く手首を返し、刃元で受け止める。鋭い金属音を立て、火花が散った。




 涼子と美琴が鍔競り合いをしているのだろう、壁の向こうからは金属が当たり削れるような音が聞こえている。俺はドアの先で足を止めていた。

 そこは二つ目の部屋と全く同じ内観をした、コンクリートに囲まれた空間だった。電気は無いが、鉄格子のはまった数箇所の窓枠から光が差し込んでおり、結構明るい。

 中には誰もいないが、健太のように隠れているかもしれない。警戒して部屋を横切っていく。

 しかし結局何も起こらないままドアの前まで辿り着いてしまった。拍子抜けしながら四つ目のドアを開ける。


 そこは小さな部屋だった。窓枠は一つしかなく、とても薄暗い。

 ようやく暗順応した目に、部屋の端でコンクリートの塊に腰掛けている一人の少女の姿が映った。力なく背を曲げた彼女は、下を向いて膝の上で両手を握り締めている。

 氷の剣を昇華させて消し、部屋の中に踏み込む。赤茶色の髪をした少女の傍に歩み寄り、隣に腰掛けた。彼女の頭の後ろで結われた髪がピクリと動く。


「――なに一人で黄昏てるんだよ」


 さくらが顔を上げ、こちらに視線を向けてきた。目に力がなく、とても弱々しい顔をしていた。


「本当に祐太なの?」


「証拠が必要か? さくらがいつまでおねしょしていたとか、常盤家の食費に占める割合でよければ答えるけど」


「その意地悪さは本物の祐太だ」


 少し微笑んだものの、再び悲しげな表情に戻ってしまった。


「なんでここに来たの? 準貴と涼子ちゃんは?」


「二人は、来る途中にあった部屋で戦ってる。俺はお前と話をしに来たんだ」


「話? 話なんてないよ。あたしがみんなを裏切った、ただそれだけなんだから……」


 もう関わらないで欲しいとでもいうように、そっぽを向いてしまう。

 今まで傷つき傷つけるのが怖くて、これ以上踏み込むことができなかった。しかし今は二人とした約束が、彼女ととことん話すと決めた決意が背中を押してくれる。

 掴めなかったとしても、醜くてもいいからもう一度手を差し出せばいい。格好悪かろうが、俺は俺なりに鈍感を貫くだけだ。


「えりかちゃんから話を聞いた。奨学金の話だ」


「そう……、それで?」


「高校入試の前、俺の部屋で話をしていたことを覚えてるか?」


「うん、モンブラン美味しかった」


 さくらの口元に笑みが戻る。


「また三人でケーキ食べような。いや今度は四人か……」


「……ぁ」


 何か言葉を発しようとはするが、再び黙ってしまった。


「それは置いておくとして、その時将来の夢のことについて話してくれたよな。さくらは保母さんになるって、気持ちいいぐらいの笑顔で話してくれた」


「そうだったっけ」


「ここからは俺の推測なんだけどさ、さくらはまだ本気で保母さんになるつもりなんだろ?」


「どうだろうね」


 顔を背けて視線を合わせようとしないさくらの顔を、諦めずに見つめて話す。


「だから高校に行くために、必死で頑張ってバイトをして学費を貯めていた。……それなのに、例のハガキが届いた。それで大学に行くのを、保母さんになるのを諦めざるを得なかったんだ」


 えりかは、それは一ヶ月前だと言っていた。俺も準貴も気付くことができなかったが、それは彼女が素振りを見せていなかったからではないだろうか。夢と共に、やるせない思いを発散することなく心の奥深くに押し込めていたからではないだろうか。


「そんな中、続いてアップステアーズのディスクが届いた。優勝したPTには3000万円なんていう大金が与えられる。ここで勝てば、状況を覆すことができる」


 だからこそ、揺らいでしまった。押し込めていたものが溢れてきてしまった時、自分を抑えられなくなってしまった。


「すごい妄想だね」


 強気の言葉とは裏腹に、さくらの声は震えている。推測が合っていると信じて話し続けるしかない。


「龍之介はすごいよな。二十六人のクラスで、あんな十人以上のPT作りやがってよ。本人だって全部の属性を使えるんだっけ? それは反則だろ」


「……そうだね」


「俺もあいつのPTが優勝すると思う。……だから、さくらがユグドラシルに入ったのも当然だと思うんだ」


 息を継ぐ。続く言葉が怖いのだろうか、さくらが息を呑んだのが分かった。


「だけど、それがなんだよ、さくらは俺達のことを見誤ってるぞ。……さくらが俺達を避けているのが分かった時、すごく寂しかった。さくらの口から『裏切る』なんて言葉が出た時、すごく悔しかった。俺はずっと間違えてた。長い付き合いだったから、言葉に出さなくても伝わるなんて勘違いしてたんだ。――だからはっきりと言う。そんなことで俺達はお前のことを嫌いになったりしないし、むしろ決断を応援するつもりだ」


 視界が歪んでいる。素早く袖で拭った。


「――あたしも一人になってから、とっても寂しかった。嫌われていると思って、許してなんてもらえないと思って、ずっと話しかけることができなかった」


 顔は見せようとしないが、さくらも泣いているようだった。


「そっか。ごめんな、一人ぼっちにさせてしまって。――改めて言うぞ、俺達はお前が他のPTに入ったことなんてこれっぽっちも気にしてない。……いや、ちょっと。いや、少し。……結構妬けてるけど」


 鼻がむず痒くなり掻いた。


「だから三人改め四人で、今まで通り一緒に馬鹿なこと続けないか? どうせだったら両方手にしてみろよ、友人も大金もさ」


 言い終えた時、胸に軽い衝撃を受けた。

 さくらが座ったまま、手を背中に回して抱きついてきていた。嗚咽を漏らし、小さな肩を震わせている。


「さくら……」


 彼女の背中にそっと手を回して抱きしめた。


「ありがとう。ごめんなさい……」


 背中に回された手がきつく締まる。


「ごめんな、さくら」


 赤茶色の頭を、何度も優しく撫でた。

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