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IOException  作者: 175の佃煮
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0901:九日目(A)

「おはようございます、おば様」


「あら、おはよう。いつも悪いわねぇ〜」


 リビングで食パンをくわえていると、玄関から涼子と母親の挨拶のやり取りが聞こえてきた。昨日敦の一件に片がついたので、まさか迎えに来てくれるとは思っていなかった。急いで牛乳と共に嚥下して、ハンガーに掛けてあった学生服を羽織って洗面所に走る。というか、二日目にして『いつも』はないだろ。


「祐太〜、氷室さんが迎えに来てくれたわよー!」


「今行く!」


 形だけ歯磨きをして、今度は鞄を取りに部屋に走る。玄関では母親が一方的に話しかけていた。


「聞いたわよ、氷室さん一人暮らしなんだって? いろいろと家の事情があるにしても、まだ高校生なのに大変ねぇ……。温かいものが食べたくなったら、いつでも家にいらっしゃいな」


「はい、ありがとうございます」


 涼子の生活のことは一切話していないのだが何故か知っている。母親というのは情報収集能力が凄まじい。昔から他所でした悪事がなんでばれるのか不思議だった。


「お待たせ」


 なんとか、世間話に突入する前に間に合った。準貴やさくらの話になったら、対応に困らせてしまう。


「いってらっしゃい、氷室さんに迷惑かけないのよ?」


「分かってる。いってきます」



 涼子と並んでマンションを出る。今日も彼女は竹刀を担いで来た。敦はもう襲ってこないと思うが、まだ危険があるというのだろうか。


「――私が真っ先に聞きたいこと、分かる?」


 涼子が前を向いたまま、何やら不機嫌そうな様子で尋ねてくる。


「あぁ、冒険の書が消えた時の音楽なら――」


 横では、彼女が目だけ動かして睨んでいる。予想以上に機嫌が悪かった。おきのどくですが祐太の威勢はきえてしまいました。


「――ごめんなさい」


「昨日のアップステアーズ、私てっきりゲームオーバーになったと思っていたんだけど……」


 涼子の足が止まる。俺も立ち止まって振り向いた。


「あの後、腹と肩の傷を氷で止血したんだ。上手くいってよかったよ」


 涼子の腹部と肩の状態は非常に悪かった。彼女が気絶した時は、俺ももう駄目かと思ったが、せめて水で洗浄し、氷で主要な血管を繋げることで応急処置を行った。その結果、運よく一時までもったわけだが、あながちRPGの水属性で回復というのもありなのかもしれない。


「――助かると分かっていれば、あんな小っ恥ずかしいことを口走ることもなかったのに……」


「小っ恥ずかしいこと? ゲームオーバーになっても――」


「後生だから言わないで。顔が沸騰するから」


 既に沸騰しそうな勢いで顔を赤くして、早足で歩き始めた。


「今日はなんで竹刀持って来たんだ?」


「昨日も言ったでしょう。物騒な人に対抗する為よ」


「もう敦は襲ってこないだろ」


「逆恨みしてくる可能性もゼロじゃあないわ」


 そもそも敦は学校に来れるのだろうか? 来たところで、どう対応したらいいのだろう。


「そうだ、昨日の約束覚えてる?」


 涼子が竹刀袋を見せびらかしながら尋ねてきた。


「約束――、何だっけ」


 顔が曇っていくのを申し訳なく思うのだが、全く心当たりが無い。竹刀がヒントらしいが、やはり分からない。


「準貴の見舞いのこと? また特訓しよう?」


「……豆腐の角に足の小指ぶつけて死ね」


 彼女は機嫌を悪くして、先に行ってしまった。頭の中では、さくらがじとっと見て言った『鈍感』という言葉が反響していた。




 教室では既に、手形村の四人がまだ点いていない石油ストーブを囲んで談話をしていた。美月に手招きされ、涼子と共に話に加わる。


「そう、伊勢君を倒したのはあなた達だったんだ……」


 所々席についている生徒がいるからだろうか、美月は猫を被っている。


「翔太の格好をした人間にそんなことを言われたら、俺も正気を失うかもしれないな。……そういう意味ではさすがだな、お前の彼氏は」


 弘樹が真央を見て言う。


「準貴君は凄いですから。昨日もお見舞いに行ったら、うさぎを作ろうとして剥きすぎてしまったリンゴを全部食べてくれました」


 涼子と目を見合わせる。鉄格子のついた病院に入院することが無ければいいが。――心の中で黙祷しておいた。


「悪かったな涼子、みんなして疑っちまって」


 巧が頭を下げると、周囲からごめんと声が続いた。


「気にしないで。あなた達だって犯人捕まえようと、夜中に町を出歩いてくれたじゃない」


「そう言ってもらえると、気が楽になるよ」


 そういえば、同じく町を出歩いた美月組から全く智和の名前が挙がっていないのだが、進展はあったのだろうか。後でそれとなく真央に尋ねてみようと思った。


「敦はどうなるのかな? また学校に来れるのか?」


 どことなく細い目が頼もしそうな弘樹に尋ねる。


「どうだろうな……、いくら錯乱していたといえ、クラスメイトを三人も傷付けてしまったんだ。下手すれば少年院もあるんじゃないか?」


「そうか……」


 アップステアーズと共に、現実でもだんだんと減っていくクラスメイト。『このゲームが終わったとき、君達は今までどおりの関係でいられると思うかい?』 いつか誰かが口にした言葉が、繰り返し脳裏に蘇った。



「ちょっとこっち寄って」


 美月が教室を見回してから、内緒話をするから出来るだけ近づけ、と五人に指示を出した。


「ねぇ、真犯人の捜索も手伝ってあげたことだし、あんた達も協力しなさいよ」


 素の調子でとんでもないことを言い始める美月。先程の『ごめん』を復唱して欲しくなる。


「何に?」


「実は、昨日島の西側を捜索していたんだが――」


 彼女に代わって弘樹が口を開く。


「『ユグドラシル』の拠点と思われる建物を発見した」


 思わず息を呑む。

 しばらく関わっていなかったが、ユグドラシルといえば龍之介が率いていて、さくらも属している最大勢力のPTではないか。今日まで小競り合いを繰り返してきたが、とうとう総力戦、ひいてはゲームが終了する。


「あとは分かるわね? 私達『四神』は、今日、ユグドラシルと交戦するわ」


 美月が五人を見渡し、平然と言い放った。てっきり前準備に数日かけると思っていたので、重ねて驚かされる。


「ユグドラシル?! 今日?!」


「えぇ、だからあんた達も手伝いなさい。――私達は昨日建物の裏側でログアウトしたから、ログイン次第攻撃を開始するわ。あんた達は遅れてもいいから、派手に暴れて中の生徒達を分散させなさい」


 どうやら彼女の中では、既にエターナルリカーランスの参戦が確定されているらしく、計画の中にまで組み込まれている。

 確かに手形村の四人には助けられたし、手伝ってあげたい気持ちはある。しかしあのPTでは、さくらが夢を追いかけようと頑張っている。仮にも俺達が勝てるとは思っていないが、彼女のことを考えれば手を出すことなんてできない。


「ごめん、考えさせてくれるか?」


「ふん、勝手にしなさい。あんた達がいなくても決行するから、そのつもりで」


 手形村の四人はそのまま打ち合わせを始めた。俺と涼子は少し下がって耳を傾けていた。




 生物準備室前の廊下を重い足取りで歩いていく女生徒。両手にはそれぞれ木箱に入った顕微鏡がぶら下げられている。


「あー重っ。あの教師、マジ最低……」


 何度もため息と悪態をつきながら教室に向かっているのは、美月である。副クラス委員長という職務だったばかりに、授業中に一人で用具の準備をさせられている。

 ボランティアで箸より重いものを持たされるなんて冗談じゃない。階段の前で足を止め、荷物を雑に降ろした。


「――いつか泣かす。社会的に抹殺して泣かす」


 延々と続いている段を上っていくのにあたり、気合(?)を入れた。階段を睨んだまま手を伸ばすが、不思議と指先に何も触れない。目を向けたところ、持ってきた二台の顕微鏡が消えていた。


「ストーカー、今授業中なんだけど……」


 後ろに顕微鏡を担いだ智和の姿がある。彼のホクホクした顔を見て、対照的にげんなりした。


「偶然遅刻してきたところです」


「そういうことにしておいてあげるわ。じゃあ、それ教室までよろしく」


「はい」


 軽々と荷物を持った智和が階段を上っていく。黙って背中を見送っていたが、よくよく考えてみると、仕事を頼まれた人間が手ぶらで教室に入っていくのはおかしい。


「待ちなさいよ、ストーカー!」


 走って後を追った。



「一人でも大丈夫ですよ?」


「別に筋肉ダルマに心配なんてしてないわよ。仕事をサボったと思われるのが嫌なの。……それと、その口調やめてくれない? 無性に腹が立つんだけど」


「そうか、すまない。火原はこういうのが好きなんだと思ってた」


「好青年ならいいけど、あんたみたいなのが丁寧語使うとぞぞ毛立つのよ」


「やっぱり、イケメンの方がいいのか?」


「当たり前でしょう、性格なんて二の次。でも金は大きいかも……」


 頭を傾けてしょげている智和が横目に見える。最近彼に助けられることが多い気がするし、少しくらい飴をやってもいいのかもしれない。


「あぁ、一昨日は助かったわ。深夜ではないにしても、女二人で出歩くのは危なかったから」


「ただついて歩いていただけだったけどな」


 智和は目を輝かせて嬉しそうにしている。前から思っていたが、この男面白いほど思ったことが顔に出る。


「あんた、PT入ってんの?」


「いや、一匹狼しているのが好きだから」


「ふーん、そういうの格好良いとか思ってる?」


 返事は無い。また凹ませてしまった。


「私達今日ユグドラシルと戦うから、暇なら来れば」


「それって――、PTのお誘いですか?!」


「いや全然」


 一喜一憂している顔を見ていたら、自然に頬が緩んだ。


「――あれ、授業中に逢引?」


 後ろから聞き覚えのあるキンキン声が聞こえてきた。校則で振り切ってアウトの金のメッシュを入れた茶髪、小柄な体で背負ったギターケース。私の嫌いな生徒ベスト5に余裕でランクインしている、平野理沙だ。


「平野さんはとても良い目をしていらっしゃるんですね。……授業中の部活は禁止されているはずですが、また活動停止になりたいのですか?」


 理沙の頬がぴくりと動いた。


「Be my guest. ただし学校のアイドル火原美月が授業をサボって男と歩いていたという噂が流れることになるけどね」


 理沙が流暢な英語と共に答える。今度は私の頬が動いた。


「猫なんて被っていないで、さっさとボロを出しなよ。あんたの信用が地に落ちるところを見て笑わせてもらうから」


「さて何のことでしょう? 優等生にあまり変な言いがかりをつけないで頂きたいですね」


「Humph, see you later」


「えぇ、授業で会いましょう」


 理沙は不機嫌そうに言って、私達の前を先行して教室に入っていった。


「美月に何があっても、俺は傍にいるから……」


「だから、そういうのがキモイのよ、ストーカー」


 智和をからかいながら、彼女の後を追った。




 準貴を見舞いに、涼子と共にたたら中央記念病院を訪れたが、当人はロビーで子供と一緒にアニメを見ていた。松葉杖を肘置きに立てかけ、一番前の椅子で身を乗り出して見入っている。

 邪魔をするのも悪いので、涼子と後方に座り、番組が終わるのを待つ。


「ねぇ、お見舞いが終わったらちょっと付き合って欲しいんだけど……」


 なんとなく大きなお友達の後頭部を眺めていると、涼子が話しかけてきた。


「いいけど、どこ行くんだ?」


「――デート」


 想定していた返答からかけ離れていて、思わず吹き出した。


「そこで笑うって失礼じゃない?」


「ごめん、意外だったから」


「祐太が言い出したんでしょう、連れ出す口実として」


 確かに美琴の発言でそういう展開になっていた気もする。


「分かった、一緒に行くよ」


 テレビの前に座っていた子供達が一斉に駆け出す。

 どうやらアニメは終わったらしいが、準貴はエンディングのスタッフロールにまで見入っていた。




「ユグドラシルにねぇ……」


 準貴が起こしたベッドの上でぼそぼそと呟いた。俺達は病室に戻り、今日学校で聞いたことを話している。


「リーダー、それで俺達はどうするんだ?」


「準貴としては真央ちゃんを手伝いたいだろ?」


「そりゃあ、まぁ、な……」


 下を向いて口篭る。てっきり当たり前だ、とか言って張り切り出すと思っていたので、肩透かしを食らってしまった。


「涼子は?」


「私は祐太に従うわ。護るのが私の仕事だから」


 俺の意見としては、ユグドラシルに手を出したくない。となると、採決は二対一。


「――なぁ、祐太」


 顔を上げた準貴は、真面目な表情をしていた。


「お前のことだ、さくらのことを気にかけているんだろ? ……俺の意見は気にしなくていい、お前が決めろ」


 膝を学生服のズボンの上から掴んで俯く。採決は満場一致。しかし俺の気持ちはどこか晴れなかった。



「おーい、心優しい陸様がDVD鑑賞会を開きに来てやったぞ〜」


 元気な声と共に、閉まっていたカーテンが勢いよく開く。ベッドの前には片腕を包帯で固定した陸が、すっぽんぽんな女性の写ったパッケージのDVDを振りかざして立っていた。

 暗い顔をした三人が振り向く。


「――ひょっとして、空気読めてなかったか?」


 ゆっくりとDVDを後ろに隠す。


「いや、構わないぞ。――そういうことだ、健全な二人には出ていってもらおうか」


 準貴が手で払う動作をする。どこからともなく現れた蓮に椅子を奪われた。陸も叩かれながらも、涼子を追い出そうとしている。


「なぁ、陸と蓮もゲームオーバーになってたみたいだけど……」


「あぁ、もう懲りたからリタイアしておいた。悪いな、お前らのPTに入れなくて」


 陸がテレビに端子を繋ぎ、鑑賞会の準備をしながら答える。


「俺も陸と同じだ。退院が決まったのに、また怪我して病院に逆戻りしたくはないからなぁ」


 閉じたカーテンの向こうから聞こえたのは蓮の声。続く三人の歓喜の声に後ろ髪を引かれながら、病院を後にした。




 不細工な顔の人形が揺れる。

 後ろの電光パネルに136という数値が表示され、そのままゲームが終わった後も上から三番目の枠に収まった。


「パンチングマシンで三桁とか、初めて見た」


「機械が壊れてるのよ」


 涼子がグローブを外しながら、しれっと言う。

 病院を後にし、俺達はたたら中央の街中にあるゲームセンターに来ていた。


「アレやらない?」


 指差された先には、ガンシューティングゲームがあった。これは銃を模したコントローラの照準を合わせてトリガーを引くことで、画面の中に現れる敵を次々に倒していくゲームである。


「コレ無理」


 なるべく画面を見ないように床に視線を逸らし、片手で指差した。


「ガンシューティング苦手なの?」


「いや、この方達が無理」


 大きな50インチの画面には、上体を揺らしながら闊歩する御仁達が映っている。

 さくら曰く、ブードゥー教の秘術。準貴曰く、丸太で頭を潰せ。

 腐敗して内容物が飛び出している体。挙動不審で不気味な動作。肉を喰らって同族を増やす特殊性。そう、ゾンビ。人型をしているというだけでなく、薬物や寄生虫といったリアリティーの高い設定がさらに恐怖心を煽る。慣れることはなく、何度見ても背筋が冷たくなり、トラウマが目を覚ます。というか最近テクスチャ頑張りすぎだろう。


 その場から逃げ出そうと後ずさりしていたところ、指差していた手を掴んで引っ張られた。涼子が意地悪そうに口元を吊り上げ、チャリンチャリンと二枚の硬貨を機械に入れる。

 確かこの手のゲームは百円で一回遊べたはず。


「はい、祐太君」


 案の定、ガンコンが目の前に差し出された。


「無理、無理、無理……」


「大丈夫、私が優しくリードしてあげるから」


「人聞きの悪いこと言うな」


 恐る恐るガンコンを構える。既に画面はムービーからFPS視点に切り替わり、荒らされた街中が表示されていた。

 所詮映像、お子様が笑いながらやっているゲームだ、恐れることは無い。腹をくくった。


 ……ゾンビがエキサイティングに飛び出してくる度に絶叫しながら撃っていたが、意外と下手な涼子と共に早々にゲームオーバーになった。




「あー、楽しかった」


 涼子がケラケラと笑っている。ゲーセンでのはっちゃけぶりといい、こういう彼女の姿は新鮮に映る。

 叫び疲れた喉にアイスコーヒーの潤いを与えた。俺達は、いつか薬の切れた涼子と入ったファーストフード店で休んでいる。


「お前、今日おかしいぞ。変な薬やってるんじゃないだろうな……?」


「ここ数日は、抗うつ剤すら飲んでないわ」


 以前ここで話をしたときに、薬漬けしていないと耐えられないと洩らしていた。薬を飲んでいなくても大丈夫なのだろうか。


「そっか。フラッシュバックは無くなったのか?」


「そう言われてみると無いわね。ここのところ祐太達と騒いでいる方が忙しかったから、フラッシュバックしている暇も無かったんじゃない?」


「それは良かった」


 現実世界でも仮想世界でも迷惑と心労をかけているのは心苦しいが、薬なんて使わないに越したことはない。これからも騒ぎに巻き込んでやろうと思った。


「そんなに薬が欲しいなら、言ってくれればあげるのに……」


 涼子がおもむろに鞄を開き、大量のカプセルや錠剤の入った袋を取り出す。


「ちょ――」


 パニックに陥り椅子をなぎ倒しながらも、なんとか急いで鞄に戻させた。幸い見ていた客はいない。白い粉の入った袋が見えた気もするが、きっと気のせいだろう。



「なぁ、朝言ってた約束って……」


 気を取り直して、涼子に尋ねる。あれから一日中考えていたが、結局思い出せなかった。


「――形に残るものが欲しいって言ったじゃない?」


 渋い顔をしながらも答えてくれた。確かに聞いたが、いつものお得意の冗談だと思っていた。


「形に残るものって何だ? ブランドものとか言われても、物理的に無理だぞ」


 薄い財布の入ったポケットを叩く。


「別に安いものでいいのよ、祐太が私に選んでくれたものなら」


「うーん……」


 とりあえず外に出ることになった。




 頭をひねりながら商店街を徘徊する。涼子がしおらしく、少し後ろからついてきている。

 横のショーウィンドウの中では、流行の服を着たマネキンが立っていた。振り向けば、長身で脚が長く、すらりとしてプロポーションのいい少女。確かに彼女に服は選びがいがありそうだが、形に残るプレゼントと言われると少し違う気がする。


 意を決して足を踏み入れたのは、女子中高生のひしめくアクセサリーショップ。腕輪、ネックレス、ピアス、今まで縁の無かったものが色とりどりに並んでいる。後ろにいる涼子も恐る恐る続いてきた。

 指輪の並んだ一角で足を止めた。ゲーム内で火花を散らす指輪をつけていた彼女に、よく似合うプレゼントだと思う。

 とはいえ、異性に指輪をあげるなんて気持ち悪がられないか、なんてことを思ってその場を去ろうとしたが、涼子の眺めている先にあったものが気になり手に取った。シンプルな一色の金属製で、冠をかぶったハートに手が巻きついたデザインをしている。


「これでどうかな」


「いいの? 結構高価だけど……」


 任せておけと親指で自分を指差し、レジに向かう。男気を見せようと振舞っていたが、無駄に背中に汗をかいていた。

 プレゼント如きでこんなに緊張していたら、結婚指輪や婚約指輪なんて買った日にはショック症状にでもなるのではないだろうか。自身のチキンぶりに幻滅しながらも、そんなことを思った。




 涼子は袋から指輪を出した後、しばらく手を止めて悩んでいたが、右手の薬指に逆さまにはめた。


「ありがとう」


 顔をほんのり赤くして呟く。この顔を見れただけでも、これを選んでよかったと思った。


 俺達は半人分くらいの間を空けて公園のベンチに座っていた。

 外は既に日が沈み始め、山々の向こう側がオレンジ色に染まっている。アップステアーズの開始時間にログインするなら、そろそろ帰らないと間に合わない。


「今日はわがまま言ったのに、付き合ってくれてありがとう。とっても楽しかった」


「俺も楽しかった。涼子の新しい一面も見れたしな」


「高くつくよ?」


「既に高くつけられたかな」


「そうだったね」


 涼子がベンチから立ち上がり、夕日を背にして目の前に立った。


「これで――、きっと諦めはつくと思うんだ――」


 普段の物言いとは違い、優しく寂しそうな声。思わず声をかけてしまう。


「涼子……?」


 彼女は回れ右をしてこちらに背中を向け、夕焼けしている空をゆっくりと見上げた。


「ねぇ、祐太はさくらさんのことが好きなんでしょう?」


 逆光で真っ黒になった背中が、微かに震えた声で言った。

 お得意の冗談ならば、こちらも冗談で返すところだが、今の彼女は真剣に話をしているように感じる。ならば正直に答えるべきだろう。


「――あぁ」


 自分の口から出た声も、意識はしていなかったが震えていた。


「――やっぱり、そうなんだ。そういう気はしてたのよ、女の勘っていうのかな。祐太、彼女にしか見せない顔があったから……」


「怖いな、女の勘っていうやつは」


「そうね、私もそう思う。……分からなければ良かったのにね」


 よく聞き取れない呟き声で付け加えて、再びこちらに体を向けてくる。再び彼女が口を開いた時には、いつも通りの凛々しい口調になっていた。


「ユグドラシルの本拠地に乗り込む話があったじゃない? 他の生徒は私が止めておくから、さくらさんと話をしてきて」


 昼間は、美月達に手を貸すかどうかは俺の判断に任せると言っていたが、どういう心境の変化があったのだろう。返事を出来ずに、ただ彼女の目を見た。


「さくらさんと祐太達の間に、何か複雑な事情があるのは何となく分かるわ。でも、ここ数日の彼女の姿はとても辛そうに見えて、放っておけない。さくらさんを助けてあげて……。きっと彼女は祐太の助けを待ってる」


「――俺は鈍感で、さくらの出していたたくさんのSOSにも気付けないで、たくさん傷つけた。無理だよ、もうさくらに声をかけることなんてできない……」


 さくらに告白されたあの日、残してきた問題を解決して欲しいと思い、一方的に突き放した。しかし彼女の傷は、自身で解決できないほどもっと奥深くにあって、余計に苦しめることになってしまった。長く一緒にいた俺が兆しを掴み、支えていてあげるべきだった。――気付いてももう遅い。俺がいたところで解決できる問題ではないし、今更出しゃばったところで更に嫌われるだけ。

 自分の膝に視線を移した。


「確かに祐太は鈍感よ、私からも永久保証をつけてあげるわ。――でも、あなたは人のことでも親身になって考えてくれる、しつこいくらいに気にかけてくれる。あなたが気付いていないだけで、周りにいるたくさんの人が救われているんだと思う」


 両肩に涼子の手が触れる。


「鈍感だったら、払い除けられることを覚悟して手を差し出せばいいじゃない。掴めなかったとしても、醜くてもいいからもう一度手を差し出せばいいじゃない。祐太の周りにいるのは、あなたのそういうところに惹かれて集まってきた人達なんだから……」


 ユグドラシルの本拠地に向かわないことを決めてから感じていた、胸のつかえ。原因はきっと分かっている。

 これ以上さくらとの関係が悪化するのが怖い。彼女から拒絶されるのが堪らなく怖い。このまま何も行動を起こさなければ、それらは防げるだろう。

 それでも、傷つき傷つけるリスクを覚悟しつつも、俺はさくらとしっかり向き合って話がしたい。


「……掴めなかったとしても、醜くてもいいからもう一度手を差し出す、か。忘れてたよ、自分の諦めの悪さをさ。ありがとう涼子、目が覚めた」


 一度手を払い除けた彼女が言うのだから、心強い。肩の上の手に手を重ね、真っすぐ立ち上がった。


「どういたしまして。それじゃあ行きましょうか」


「あぁ」


 さくらを助けたい。孤独だった自分に手を差し伸べてくれた少女を、今度は俺が支えてあげたい。

 さくらが好きだ。笑いを絶やさずいつも傍で支えてくれた少女に、今度は俺が思いを伝えたい。

 オレンジ色に染まる公園を後にし、最後になるであろう、アップステアーズの仮想世界に向かう。

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