0802:八日目(B)
時刻は18:50、アップステアーズが始まるまで十分を切った。パソコンの電源を入れる。
いないはずの生徒が作ったというゲーム。友との仲を引き裂き、時には繋ぐ不思議なゲーム。田中翔太は、何を望んでこのゲームを作ったのだろう。いじめていたクラスメイトのことを恨んでいただろうか、ただ傍観していたクラスメイトのことを恨んでいただろうか。
すべてを解く鍵が、きっとこのゲームの中にあると思う。
アップステアーズ八日目。俺は廃墟にはさまれた道路に立っていた。一昨日強制ログアウトした場所のようで、頭の上にCPUのマークを浮かべた涼子が近くに立っている。
こんな開けた場所で無防備に突っ立っていたら、残機数がいくつあっても足りない。他の生徒と遭遇する前にログインできてよかった。
すぐに涼子のCPUマークが外れる。
「――ここは……、あぁ、強制ログアウトしたから……」
辺りを見回してから呟いた。
「さくらに続いて、準貴までいなくなっちゃったな……」
他のPTと何度も交戦しながらも、なんとか四日の間生き残ってきたエターナルリカーランスだが、とうとう二人だけになってしまった。
「……解散するつもりなの?」
「いや、みんなが帰ってくるまで戦うよ」
準貴は俺のことを信じて、耐えて待っていてくれた。同じように最後まで貫き通したい。
「そう、よかった」
涼子が目を閉じて微笑む。
「だけど、これからどうしよう」
残っているPTは、ユグドラシルと美月達くらいだろうか。こちらから足を運ぶつもりはないが、そもそも二人きりのPTで、十人以上はいると思われるPTに歯が立つはずもない。
「美月さん達のPTと合流できない?」
「どうだろうな……」
他の三人はともかく、美月が首を縦に振るとは思えなかった。
「とりあえず歩こうか」
美緒が襲ってきた為向かえなかった廃墟群を見に行くことになった。
道路から逸れて廃墟の間を進むこと十分、針葉樹林の広がる一帯へと辿り着いた。この辺りが東部と西部――自然と人工物の境界になっているようだ。
林の中に、カマボコみたいな半円柱の形をした建物を見つけ、涼子と共に足を踏み入れる。
自分の部屋とどっこいどっこいの広さ。窓のない室内には、土質のせいか湿った空気が篭っていた。
部屋の中を物色する。軍事倉庫だったようで、銃弾の描かれた空箱がたくさん入ったダンボールや、銃の部品が転がっていた。
踏み荒らされた足跡から、既に何人かのプレイヤーがここを利用したことが分かる。
「来るのが遅かったみたいだな」
智和や薫はここから失敬したのだろうか、もう使えるようなものはなかった。
「いや、私向きの武器が用意してくれてあるよ」
涼子の方を振り向いたところ、鋭い光で目が眩んだ。手をかざしてもう一度見る。黒い鞘と柄の間から覗くのは、美しい銀色の刀身。
「日本刀か?」
「えぇ」
涼子が刀身を抜き、垂直に立てる。鮫皮に黒い糸の巻かれた柄と漆塗りの黒い鞘は共に質素。清浄な直刃は綺麗さを際立たせ、清楚である涼子にとてもよく似合う刀だった。
刀身がカチンと鞘に収められて、ようやく正気に戻った。
「なに、見惚れてた?」
「え、あぁ、まぁ……」
ずっと刀を眺めていたように見えたが、ばれていたのか。
「私もそう。綺麗よね、この刃文」
彼女から見えないように、ほっとため息をついた。
「じゃあ行こうか」
ドアから顔を出して外の様子を伺う。
垂直に立つ無数の樹木。その間、褐色の斜面の上を移動する緑色の物体が見えた。迷彩服の少年が林の奥に向かって歩いていく。
「――誰かいる」
「え?」
涼子が顔を出す前に、少年は木々の陰に入り見えなくなった。
「多分――、敦だ」
あのおかっぱ頭は敦で間違いないだろう。
「追うでしょう? また現実世界で怪我人が出る前に止めないと」
「分かった」
現実では所在が分からなくなっていた敦だが、ここでなら捕えて話を聞くことが出来る。倉庫から出て彼の後を追った。
林の中をしばらく進むと、巨大なコンクリートの構造物が姿を現した。建物の端は林の奥まで続いており、どれほどの広さなのか想像もつかない。高さはそれほどでもなく、ガラスの張られていない窓枠の行数から三階建てだと分かった。
小さな盆地に建てられており、街中から見ても死角になっているため、この大きさにも関わらず気が付かなかったようだ。
「この建物って……」
広い出入り口に被さる玄関ポーチを見上げて、涼子が呟いた。
多分思っていることは一緒だと思う。ここは今日訪れた、あの建物によく似ている。
「たたら中央記念病院――」
思い返してみれば、あの廃墟群は踏鞴坂市をモデルにしているのかもしれない。
枠だけになった動かない自動ドアをくぐり、中に足を踏み入れる。何かが脛に当たったと思った瞬間、建物中の壁でカランカランと空き缶同士の当たる音が鳴り響いた。
「警報か?」
「今ので侵入したのがバレたかな……」
涼子もこちらに向かってきて、屈んで俺の足元を調べ始める。
「ごめん」
「どうせいつかはバレるし、宣戦布告っていうことでいいんじゃない?」
彼女に手招きされ、隣に屈んで座る。
「見て。この細い透明な線が千切れると、吊るされている缶が揺れて鳴るみたい」
涼子が紐を引っ張ると、再び缶の音が鳴った。
「トラップに気をつけて進んだ方がいいかもね」
涼子の視線の先を追った。廊下には、光を受けて反射する無数のワイヤーが見える。
これからこの中を進むのかと思うと気が重くなった。
ワイヤーがついているフックを、慎重に壁から取り外していく。ワイヤーの先には手榴弾が括りつけられており、引っ張ると爆発する仕組みになっているらしい。
目の前のトラップを解除してから一息ついた。
「ふぅ、なかなか前に進まないな」
後ろを振り返るが、まだ入り口が見える。
「口を動かさないで手を動かす。……爆弾全部燃やせない?」
「種類によっては50m近く破片が飛んでくるっていうからな、やめておいた方がいいと思うけど。……あぁ、そこ透明な線があるから気をつけて」
ワイヤーに混じって、見にくい透明な糸も使われているので性質が悪い。
「お世話になった剣だけど、最後にもう一働きしてもらおうかな」
涼子が、腰に差した日本刀に代わってお役御免となった鈍らの剣を掲げる。
「この剣って、祐太がくれたのよね。覚えてる?」
「あげたなんて大層なものじゃないだろ。拾い物だぞ」
「それでもプレゼントはプレゼントよ。ねぇ、現実でも何か形に残るものが欲しい――」
剣にとって最後の火が灯される。両刃の大剣を振り回す涼子も絵になっていたが、やはり彼女には日本刀や竹刀が一番似合うと思う。
「善処します」
涼子は左手に炎を、右手に剣を持ってワイヤーの束に向かっていった。
祐太達がトラップに四苦八苦している頃、敦は部屋の隅で震えていた。ここは玄関の正面に位置する棟の三階の一室。カルテを保存する部屋だったのだろうか、壁に沿って赤茶色に錆びた本棚らしき残骸が残っている。
階下から男女の話し声が聞こえてくる。
大人しくこの要塞の中で篭っていれば良かった。頭を抱える。
今あるトラップだけでは安心できず、廃墟の周辺で素材を探していたのだが、そのせいで尾行されてしまったようだ。収穫もなく帰ってきたときに、侵入を知らせる缶の音が病院中に響いた。誰かが僕を殺しに、建物へと足を踏み入れた合図だ。
あちらの世界では妙な女にやられたし、今日は侵入者。非常についていない。
翔太は、僕の存在しているのはこちらの世界だと言った。
しかしよく考えてみれば、彼の言葉を信じる謂れは無い。異世界でプレイヤーを倒せば、どちらが本物の世界か分かると思った。
昔通販で購入した武器を隠し持って町をうろついていたところ、蓮の形をしたものに会った。背中を斬りつけたところで怖くなり、倒すことは出来なかった。
次の日は陸の形をしたものに会った。これも腕を斬ったが、邪魔が入った。
そして昨日は祐太と準貴、そしてあの薄気味悪い目をした女だ。
最初は自慢の拳法で圧倒できた。小さい頃から続けてきた唯一の特技だ、誰にも劣らない自信があった。しかし女が竹刀を持った次の瞬間には、そのプライド諸共ぶちのめされていた。
三体に刃を向けたが、結局どちらが本当の世界なのだか分からなかった。
缶の音が鳴ってから長い時間が過ぎた。しかし僕には、また余計な真似をしない限り生き延びることが出来る自信がある。
この建物には、大量のトラップが仕掛けられている。設置した僕でも、この配置地図が無ければ自由に歩き回ることは出来ない。
撤去せずに向かってくる馬鹿はすぐに死ぬだろう。仮に全てを手作業で撤去するとしても、僕が四日間たっぷりかけて設置したものを解除することになる。
時間はある、じっくりと作戦を練るとしよう。
――廊下から、まだ聞こえるはずのない足音が聞こえた気がした。
そんなことがあるはずがない、耳をよく澄ます。炎の燃える音と、空気を切る音が段々と近づいて来ている。
「馬鹿な、この辺りは特に重点的にトラップを設置したエリアだぞ?!」
吹き抜けている扉から、悠々と入ってきた二人の生徒に向かって叫んだ。
入り口に設置されていた最後のトラップはワイヤーを、女の手から出る炎で赤く焼かれ、振り下ろされた剣により容易く切断され、なんとも強引なやり方で解除された。
「――ひっ?!」
二人が横に並んでこちらに向かってくる。
二対一になるのは予想外だった。せめて一対一に持ち込むことができれば、僕の能力で何とかなると思っていたのだが。
無意識に、じりじりと後ろへ下がっていく。背中に壁が当たり、それ以上下がれなくなった。
二人と戦う覚悟を決める。指先に意識を集中させる。
――と、眼前を黒い影が過ぎった。床に転がっているコンクリートの破片を見て、それがすぐ鼻の先を飛んでいたのだと理解する。
しかしどこから? 顔を向けた先、左の壁に大きな穴が空いている。
あの二人の能力だろうか? いや、彼らもその穴の中を見て驚いている。
視線を戻し、僕も穴の向こうを凝視する。
闇が広がり、空間を呑み込んでいく。いや、穴の中から漆黒の体が突出する。その異質な存在を捉え、僕は目を見開かざるを得なかった。
涼子の機転でトラップを迅速に解除し、敦を追い詰めたはずだった。しかし突如壁を突き破ってきた二体のソレによって、状況は混乱した。
まるで人のように二本足で直立する。しかしその体は黒光りする外骨格に纏われ、肩幅と手足の先が異常に大きい。ゲーム二日目で遭遇した、戦いの権化。
「灰燼――?!」
敦の能力かとも思ったが、彼はその姿を見てガタガタ震えている。
「何なの、あいつらは毎度毎度!」
涼子が、刃先が欠けて使い物にならなくなった剣を壁に立てかけ、代わりに勢いよく刀を抜いて中段に構えた。
二体の灰燼が歩を進める。どういう訳か、敦を囲むように左右に立ち、こちらを四つの紅い目で睨んできた。
「な、なんだ……、お前ら僕を助けてくれるのか?」
まるで敦の震えた声に応じたように、灰燼が一歩前に出た。
「は、はは……、ついている。あっちでは災難だったけど、こっちの世界は僕の味方みたいだ!」
二体の灰燼がこちらに迫って威圧してくる。
「なんであいつら、敦の味方をしてるんだ?」
「私が聞きたいわ。眼鏡か、おかっぱフェチの方々なんじゃないの?」
敦は身を乗り出して窓の下を見ている。どうやらこの場を灰燼に任せて自分は逃げ出すつもりのようだ。
「涼子、敦の相手を頼む。逃がしたら駄目だ」
「いいけど、祐太はどうするの?」
「俺は――」
水蒸気を両手の中で凝結させる。日本刀くらいの長さの氷の剣を、それぞれの手に持った。
「こいつらの相手をする」
敦を目で追っていた涼子が、驚いた顔をしてこちらを振り向く。
「無茶よ、二日目のこと忘れたの?!」
あらゆる攻撃を無効化され、二人がかりでの辛勝だった。
「それでもやるしかないだろ」
「そうだ、いい気迫じゃないか――」
どこからか、聞き慣れている声がした。
風が吹き抜けた。と、思った途端、灰燼の一体が吹き飛んだ。壁に背中をぶつけ、激しい金属音を立ててうつ伏せに倒れる。窓から逃げようとしていた敦が、驚いて身を引いた。
「――え? まさか?!」
ようやく目で捉えることができたのは、一人の青年。
「準貴!!」
「いいえ、ケフィアです」
「え?」
「すまん、何でもない」
目の前には、入院していて、ログインできないはずの準貴の後ろ姿がある。
「なんでお前がここに?」
「お前がパソコンを持って来てくれたんだろ。置いてくなんてひどいじゃないか」
顔だけ振り向き答える。
「だって、脚が……」
「BCIケーブルを使ってるんだから、問題ないだろ? さて、行けよ涼子。これなら文句はないな?」
準貴が、現実では包帯で固定されていたはずの脚を構える。
「……えぇ」
涼子は口をぽかんと開けて聞いていたが、すぐに敦を睨みつけ、じりじりと距離を詰め始めた。
「ひっ?! お前ら、何とかしろよ!」
敦の声に反応し、倒れていた灰燼が膝を立てた。涼子の行く手を遮ろうと、巨大な拳を振り上げる。
「だから、お前らの相手は――」
声を発した準貴の姿は、一瞬のうちに灰燼の横に移っている。鞭のような側頭蹴りを首にかまし、壁の穴に戻すように吹き飛ばした。
「――俺達って言ってるだろ?」
準貴の台詞を奪う。二本の氷の剣を投げつけ、空中で融解させ、灰燼の両腕にかかったところで再び氷に戻して動きを封じた。
「くそっ?!」
敦は不利だと思ったのか、転びそうになりながらも凍った灰燼の後ろを通って部屋を出ていった。
涼子が焦ることなく、踵を返して彼の後を追う。
「あいつ、いつもと様子が違うみたいだから気をつけろよ?」
「祐太もね」
すれ違う際、背中を向け合ったまま挨拶を交わした。
相当慌てているのか、よろめきながら前に進んでいく敦を追って廃墟の廊下を走る。トラップはすべて、アセチレンの炎でワイヤーを焼き切ってある。
彼は階段を下りたところにあった、四角い窓枠から外に飛び出していった。
先日の蓮との戦闘のように、無様な姿は晒したくはない。無用心に後を追わずに、穴から顔を出して下を確認する。案の定、土を掘り返したようないかにも怪しい跡があったので、避けるようにして外に飛び出した。
しばらく林の中を進んでいくと、木が生えていない空き地のような一帯に出た。敦はその真ん中で突っ立っており、口をへの字にして拳を握り締めている。
「鬼ごっこはおしまい?」
「――鬼は交代だ」
「嫌よ、追う方が好きだもの」
強がってはいても、握り締めている拳が、彼が必死に恐怖に耐えていることを教えてくれる。
「こっちの僕には追うだけの力がある。あっちの世界のようにはいかないぞ、剣道女」
言い方が気になるが、力とは能力のことで、あっちの世界とは現実のことだろう。それにしても剣道女とは如何なものか。『美』をつけろとは言わないが、せめて剣道少女くらいにはして欲しい。
「なんで、えっと……あっちの世界でクラスメイトを襲ったの?」
「それが僕がいる世界の証明になるからだ」
「どういうこと?」
「プレイヤーを倒せばどちらの世界が本物か分かるから」
どうやら現実を見失っているらしい。重症だ。
「なら、そんなことしなくても私が教えてあげるわ」
「お前の言うことなんて信じられるか!」
「いいえ――」
腰に差した日本刀の柄に手をかけながら、しなやかに地を駆ける。認識する猶予も与えず、踏み込みながら刀を抜く。
「あなたを殺して証明してあげる」
敦の首筋に刃先が触れた。このまま刃を突き立てれば、呆気なくQED。
まるで悪人のような台詞だが、この男にいちいち説明してあげる気にはなれない。
「うっ……、バグナウ!!」
何か彼の手から飛び出したものが、刀身を押し戻してきた。小太刀程の長さの刃が五本、それぞれの指先から伸びている。
「爪――?」
肯定するように、もう一方の手でも爪が伸ばされた。十本の刃を立てて入り身に構える姿は、虎というよりも悪魔に見える。
気を引き締めて、刀を中段に構えなおす。
「は、はは、こっちの世界なら僕は負けない……」
敦が手のひらをすぼめ、五本の爪が金属音を立てた。
能力は爪の強化だろうか。絶対防御が爪についているとすれば、武器破壊は狙えないだろう。
「シュッ」
ボクシングのように鼻から息を吐きながら、爪を立てた右手を突き出してくる。構えを崩さずに、刀の先で弾いた。
剣先を上げ、振り切った後の腕を狙う。刀を振り下ろす前に、敦は左手を開いて五本の刃で裏拳を放ってきた。刀身を横にして受け流しつつ、後方に飛び退く。
間髪入れずに、開いた右手を上から振り下ろして追撃してきた。体を横に捌いて、肩の上で刀を逆さまにして逸らし、そのまま袈裟に切り下ろす。しかし爪で刀身を掴まれ、刀を下ろさせられた。
「ちっ……」
この奇妙な手は、器用な軌道と挙動を示し、なかなか動きがつかめない。刀を敦の手から引き抜き、数歩後ろに下がった。
――それならば、こちらも常識外のことをするまでだ。指を鳴らし、刀に炎を纏う。
「紅蓮――!」
剣先を真っ直ぐ天に向け、大きく振り下ろして青い炎の刃を飛ばした。
「ドール・バシュ――!」
敦が私と同じように、掌と刃を空に掲げる。振り下ろされる爪が、降下につれて爆発的に伸びていく。
「なっ?!」
刃が粗い目の網のように覆いかぶさってくる。地面に映る巨大な五本の影から逃れ、側方に身を投げる。
炎の三日月が爪に押し切られ、消滅した。先程まで私がいた地面には、五本の傷痕が深々と残っている。
爪は長さも、鋭さも、重ささえも変えることができるのか。
敦が爪を構えて走ってくる。下ろしていた刀を八相に構え、柄を握りなおした。
引っ掻くように繰り返される、左右の爪の連撃。それを左右に体を捌いて避ける。隙を見て、肩を狙って刃を振り下ろすが、素早く返された左手で逸らされた。止まるどころか、さらに加速して次々に攻撃を仕掛けてくる。
「火焔!」
このまま防戦に回っていても、手数で追い詰められて不利になる。袈裟に空を斬り、自分の周りに炎の渦を巻き上げた。
敦はとっさに下がって、両腕が焼かれるのを防いでいる。
刀を振り上げた。渦巻いていた炎が従うように切っ先に集まり、球状に収束する。
「不知火!!」
刀を振り下ろし、青い火球を放った。尾を引いて敦に迫る。
彼は迎撃しようと爪をかざしていたが、直前に何かを感じ取ったのか、飛び込むように転がって逃げた。
炎の球が周囲の空気を吸い込み、全方位に爆轟波と熱気を飛ばして爆ぜる。敵諸共、爆心から放射状に吹き飛んだ。
「……っ」
真っ先に起き上がった。受身を取れたので体の痛みは大したことはなかったが、爆発による耳鳴りが酷い。
「うくっ……」
敦も上体を垂らして起き上がってきた。直接当てられれば無条件で倒せていただろうが、勘のいい男だ。
「なんで……、なんでお前はいつも僕の前に立ち塞がるんだ――!」
彼が完全に立ち上がってから叫ぶ。
「別に立ちたくないけど、そういう状況を作り出してるのはあんたでしょう」
「もういい、お前が消えろ! お前が僕の世界を証明しろ!」
両腕をクロスさせて爪を構え、こちらに向かって走ってくる。
「嫌だね、私はここでもあいつらと一緒にいたい」
刀を中段に構える。薙ぎ払われた爪を受け止めようとしたが、伸び縮みした爪の間に刀身を挟まれた。
「チャークー!」
敦が叫び、刀を挟んでいる方の手首を勢いよく回す。私の日本刀が回転しながら飛んでいき、刃を下にして遠方の地面に突き刺さった。
とっさに体を捌くが間に合わない。続いて振られた爪に腹を切り裂かれた。
「ッ?!」
飛び退き、傷の状態を確認する。横向きに刻まれた五本の傷痕が、黒い染みを広げていく。舞った血によって、地面に赤の斑点が描かれている。
気が遠くなりそうになったが、ここはゲームだと自分に言い聞かせて正気を保つ。不思議とあまり痛みは無いし、血は脈にあわせて噴き出していない。思ったよりも傷は深くない……と思う。
不思議と追撃してこない敦を睨んで牽制しながら、地面に突き刺さった刀を回収した。
敦は上機嫌で、自分の迷彩服の胸ポケットから黒い瓶を取り出した。
「僕の爪にはこれが塗ってある。……これが何だか分かる?」
「マニキュア?」
口角が下がる。呆れられた。
瓶の中身は液体のようだが、毒だろうか。
「これはプロスタグランジンI2。血小板の凝集を阻害し、血管を拡張する作用があるんだ」
「要するに、止血できないって言いたいの?」
「賢いね。ついでに教えておくけど、痛みを増す作用もあるよ」
そう言われてみると、突き刺さるような激しい痛みが体の奥から湧き上がってくるように感じられてきた。
今日を乗り切れば怪我は治る。しかしこの体は一時までもってくれるだろうか。
敦は胸に瓶を仕舞い、このまま看取るつもりは無いとでも言いたげに両手の刃を構えた。
上等だ、私とて看取ってもらう人間くらい選ぶ権利がある。腹を押さえていた手を柄に添え、背水の陣の如く上段に刀を構えた。