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IOException  作者: 175の佃煮
22/43

0701:七日目(A)

 季節は初秋、丁度今くらいの寒さのときだった。




getConnection( 17, 常盤さくら)


「山に行こう」


 小学校六年生になったある日、祐太が突然家に来て言った。


「え?」


「松茸食べたいんだろ? 俺のお小遣いじゃ買えないけど、山に入って採ってこよう」


 確かに昨日三人でテレビを見ている時に、松茸を食べたいと口走った気もする。


「うん」


 そこまで食べたいとも思わなかったが、二人と山に行くのは面白いと思った。




 私を真ん中にしてロングシートに腰掛けた三人は、電車に揺られて手形村に向かっている。山が多いところに行けば、松茸の一本や二本あるだろう、という楽観的な考えだった。

 休日だが、手形駅に向かう人はあまりいない。キノコを採りに行こう、だなんて人はさらにいない。


 頭にはお気に入りの白い帽子。草木のかぶれに備えて厚手のズボンとボタンダウンシャツ。リュックサックの中には新聞紙と軍手、懐中電灯などキャンプに持っていくようなものをチョイスした。

 秋にはよく家族で食材を採取しに山に足を踏み入れる。山は怖い。気を抜くとあらゆる脅威が襲い掛かってくる。マムシ、ウルシ、蜂にダニ、熊が出ることだってある。

 隣に座っている都会人を見る。――手ぶらだ。本当にありえない。

 まぁ本格的な登山をするわけでもないし、遭難でもしなければ大丈夫だろう。


「山なんて、三年のときのキャンプ以来だな」


 準貴が弾んだ声で話す。


「山登りの後のカレー、美味しかったなぁ……」


 祐太はどこかを見上げて、回想にふけっている。


「あたしはご飯足りなくて地獄だったよ」


 一人一合とは誰が決めたのか。その程度では育ち盛りの小学生中学年の女子の胃袋は満たされないとなぜ気付かない。


「俺達の分まで食べておいてよく言うぜ」


 準貴にため息をつかれた。


「ところで松茸って、どんなところに生えてるか知ってる?」


 二人に尋ねてみた。スーパーに並んでいるので姿形は分かるが、自生のものを見たことはない。いや、そうほいほいと近所で見られるようなら、あんな法外な値段にはならないのだが。


「地面から生えてるんだろ?」


「茶碗蒸しに入ってるよな」


 真面目な顔で答える二人。物凄く心配になってきた。


「ん? 茶碗蒸しに松茸? 詳しく聞かせてよ――」


 高級食材を他の食材と一緒に食べるとは、よその家の食卓は理解できない。

 そんな馬鹿な話をしているうちに、ブレーキの音が聞こえてきた。




 電車を降りた後、私達は一番近いところにあった山に入った。鳥獣保護区の看板があったし、一応持ってきた蛍光色の着衣は必要ないだろう。


「どんぐりまだ青いな」


 準貴がどんぐりを拾って見せてくる。


「これが茶色になるのか。不思議だよなー」


「なぁさくら、これ食えるのか?」


「調理すれば食べられないこともないけど、苦いし美味しくないよ。落ちてるやつは虫入ってるかもしれないし」


「これは?」


「ホコリタケかな。蹴ると埃みたいのが出るよ」


 二人がホコリタケを蹴って遊んでいる。そもそも何をしに山に来たのだったか。


「あ、ワライタケだ。珍しい、採っとこっと」


 倒木の間に珍しいキノコを見つけ、はしゃいでしまった。人のことは言えないようだ。



 時計を見ると、いつの間にか正午を過ぎていて、一時になるところだった。


「お昼持ってきた?」


「うん」


 どこに隠し持っていたのか、祐太がコンビニのおにぎりを出す。準貴も大きな水筒を取り出した。大きな切り株に三人で腰掛けて食べる。


「げ、俺塩昆布嫌いなんだよな……」


 準貴がかじったおにぎりの中を見て言った。


「じゃああたしにちょうだい」


「祐太、交換してくれ」


「いいけど……」


 見事にスルーされた。


「さっきさくらが採ってたキノコも食べようぜ」


「あれは駄目、毒あるんだから」


「地味だったろ」


「地味でも毒あるの」


 口を尖らせている準貴。見えない毒ほど手痛いものだ。


「松茸見つからないなぁ」


 祐太が残念そうに肩を落としている。そういえば今日は松茸を採るために山に入ったのだったか、すっかり忘れていた。


「松茸生えるのって、杉とか松の根元じゃなかったっけ……」


「生えるところまで贅沢なキノコだな」


「六本木ヒルズにも生えてるんじゃないか」


 今度は東京探索でもするつもりだろうか。


「そろそろ帰ろっか」


 私が口を開くと、二人が首を縦に振った。



 山は上りよりも、気を抜いたり膝にガタがくる為下りの方が危ない。私が先頭になり、ゆっくりと斜面を下っていった。

 ふと木の枝に帽子のツバが引っ掛かる。


「あ……」


 帽子が木の葉のようにひらひらと揺れながら、ゆっくりと崖の下に落ちていった。5mほど下の黒い地面の上で白く映えている。


「さくら、危ないぞ!」


 身を乗り出していると、準貴の張り上げた声が聞こえた。


「大丈夫。ちょっと下まで降りてくるね」


 あの帽子は今年の誕生日に母に買ってもらったお気に入りのものだ。生活費を切り詰めて生活している我が家で、その出費は大きなものだったに違いない。それだけに肌身離さず持ち歩いていた。


「さくら……」


 祐太が心配そうな顔をして側まで寄ってくる。


「ちゃちゃっと取って戻ってくるから、そんな顔しないでよ」


 頑丈そうな岩をしっかりと掴み、一歩ずつ着実に降りていく。問題ない、この程度なら目を瞑っても降りられる。

 地面に足がつく。崖の上から顔を出している祐太に向かって微笑んだ。まだ心配そうな顔をしながらも微笑み返してくれた。


「あーあ、汚れちゃった……」


 帽子についた土を払い、リュックサックの中に仕舞った。

 同じ崖を登り始める。今度は体重を支えるだけでなく、重力に逆らって体を押し上げていかなければならない。疲労している身ではハードな動作だ。


 残り1m。体中の筋肉が乳酸を出して悲鳴を上げている。崖上では祐太が手を伸ばしていた。


「もう少し……」


 自身に喝を入れて足を岩に引っ掛ける。そろそろ手が届くだろうか。崖から身を乗り出している彼に手を伸ばす。


 次の瞬間、岩を掴んでいたはずの左手が宙を舞った。


 何が起きたか分からなかった。崖が、空が、地面が回って移り流れる景色の中で目を閉じた。

 何か温かいものに包まれた。そんな気がした。




 土や草の匂いがする。ゆっくり目を開いたところ、空が見えた。

 声が聞こえる。頭が柔らかいものに乗っかっている。だんだんと五感がはっきりしてきて、ぼやけていた像が結ばれた。


「祐太……」


 私は祐太の膝の上に頭を乗せていた。


「よかった。なかなか目を覚まさなかったから……」


 青い空をバックにして、祐太が泣き出しそうな顔をしている。


「あたしどうして……」


 最後に見た景色を思い出そうとする。

 確か岩を掴んでいた手を滑らせて、私は崖から落ちた。4mの高さから落ちたはずだが、それにしてはあまり体が痛くない。そもそもどうして祐太がここにいるのか?


「――まさか?!」


 急いで体を起こし、祐太の全身を確認した。顔が擦り剥けており、右手が不自然なところで曲がっていた。


「その右手……」


「折れてるみたいだな。さくらを守ろうとして跳び下りたんだけど、着地に失敗してこの様だ」


「痛くないの……?」


「なんかチクチクする」


 軽く言っているが、痛みをこらえて無理をしているようだった。


「準貴は?」


「大人を呼びに行ってくれた」


「そう……」


 彼の隣で、崖を背にして三角座りをする。申し訳ない気持ちで一杯で、怒っているであろう彼の顔を見ることができなかったのだ。


「――ごめんなさい」


「なんで謝るんだよ。着地に失敗したのは自分のせいだ」


「あたしが帽子を取りに行かなければ、祐太は怪我しなかった」


「大切なんだろ、その帽子」


 横から優しい声が聞こえてくる。ビクビクしながらも隣を見る。彼は痛そうにしながらも、血を滲ませた顔で微笑んでいた。


「うん……」


「ほんとは男の子が取りに行かなきゃいけなかったんだけどな、ごめん」


「落ち込むから謝らないでよ」


「そっか、ごめん」


「――実は怒ってる?」




 日が暮れてきた。響く鳥の鳴き声が、山の中に二人だけ、という切羽詰った状況を思い知らせる。

 動かなくなったこともあり肌寒く感じたので、蛍光色のウインドブレイカーを祐太に羽織らせた。


「俺はいいから自分で着てろよ」


「やだ」


 祐太は言葉数が少なくなった。折れた腕が痛むのだろう、たまに苦痛の声を漏らす。木の枝で固定したが、これでは応急処置にもなっていない。

 彼の痛みを抑える為に、私に何ができるだろうか? 麻酔や鎮痛作用のある植物が手に入れば、少しは楽にしてあげることができるかもしれない。麻、チョウセンアサガオ……、こんな山奥で手に入るはずが無い。


 ふと自分のリュックサックを見た。そこには痛みを減らすと思われる植物が入っている。


「腕痛む?」


「……正直、きつい」


「痛くなくなる植物があったら食べる?」


「そんなのがあるのか?」


「ちょっと危険なんだけど」


「味は?」


「食べたことないし」


 祐太は歯を噛み締めながら長い間考えていた。


「……頼む」


 リュックサックを開き、スーパーの袋に入れていたそれを取り出す。


「あんまり美味しそうじゃないけど」


 茶色の傘にひょろ長い柄。人はそれをワライタケと呼ぶ。説明するまでもなく、その陽気な名前が効能を示している。


「注意事項とかあったりする?」


「妙にハイテンションになったり、変なものが見えるかもしれない」


「――素晴らしいな」


 祐太が苦笑いしながらもそれを受け取る。


「やめる?」


「食べてみる」


 彼はしげしげと眺めた後、意を決した様子で目を閉じて口に入れた。感想を述べずにもう一つ食べる。


「効かない?」


「分からない」


 ワライタケが次々に彼の口の中に投げ入れられていく。


「おかしいな……」


 間違えて違うキノコを採ってきてしまったのだろうか。私もその奇妙なモノを口にしてみた。




 真っ暗になった森の中で、幾本もの懐中電灯の光が木々を照らす。準貴が数人の大人を連れて、二人が落ちた崖に向かっていた。


「おーい! 祐太君、さくらちゃん、聞こえるか〜!」


 交互に大声を上げながら山を登っていく。準貴が目印として木に結びつけておいたハンカチを見つけた。


「ここです!」


 ふと何かが聞こえて、一行は足を止めた。

 それは男女の声のようで、崖の下から聞こえてくる。一斉に下を覗く準貴と大人達。

 懐中電灯で照らされた先には、大声で笑い続ける二人の小学生の姿があった。


 後日、病院にて三人の両親と警官と山岳警備隊のおじさん方にこっぴどく絞られることとなったのは言うまでもない。


End




「本当に、ごめんなさい」


 準貴が両手を合わせて頭を下げる。


「なんで謝るんですか?」


「遊園地に行く約束をしていたのに、学校に呼んでしまって……」


「いいんです。私は準貴君と一緒に過ごすのが楽しみだったんですから」


 真央はそう言って微笑んだ。

 ここは面沢高校の校庭。これからおこなわれる200m競争の舞台である。


「それに、走る準貴君の姿を見るのも悪くないです」


「真央……」


「ほら、アップまだですよね。頑張ってください」


「あぁ、ありがとう!」


 『面沢高校陸上部』とロゴの入ったウインドブレイカーを着た準貴がトラックを回る。


「ふわぁぁ、休みだってのに何してんだか」


 いかにも眠くて不機嫌そうな顔をした美月が、真央の隣に立つ。


「ついてきてくれてありがとう」


「あの馬鹿、デートって聞いてたのに、これよ」


 準貴を睨んで舌を鳴らしている。


「弘樹君と巧君もありがとう」


「いいっていいって」


「観客は必要だろうからな」


 木陰で座っている弘樹と巧が返事をする。


「で、相手はどこにいるんだ?」


「さぁ?」


 巧が彼女達に尋ねると、美月が興味ないと言いたげに目をこすって答えた。


「大樹君ならテニスコートの方で走ってたわ」


 タオルやら飲み物やらを持った涼子が歩いてくる。


「マネージャーでもしてるの?」


「斉藤が急に用事できたって言うから、仕方なくね」


「マネージャーさん、ボカリちょうだい」


 突然後ろから伸びてきた手が、彼女からペットボトルを奪った。


「あ、こら!」


「よう、皆さんお揃いで」


「おはようございます」


 涼子の後ろには陽菜と奈菜が立っていた。陽菜の右手にペットボトルが収まっている。


「どこから沸いてきたの?」


 涼子がボカリのペットボトルを奪い返しながら尋ねた。


「面白いことやってるって、風のうわさに聞いたからさぁ。野次馬魂を抑えきれなくて」


「――こ、これから何が行われるんだ?」


 続いて、しどろもどろで現れたのは智和。


「準貴と大樹がトトカルチョするんだってよ」


 巧が答える。


「いや、違うから。ただの競争だから」


「そうか、ではクラスの一員として俺も見守ろう」


 智和が勝手に土手に腰掛ける。それを美月が腕を組んで睨んでいた。




 祐太が駅から高校へと繋がる桜並木を駆け上がっていく。足取りが重く、顎が上がった見っともない走り方で、とても勝負の前座は務まりそうにない。

 パイナップル頭の少女が校庭脇の土手に立っているのを見つけた。なんとか側まで走り寄る。


「遅れて――ごふっ、ごめん! まだ始まってないよな?」


 息切れしながらも、涼子に話しかけた。


「えぇ。二人ともアップしてるわ」


「にしても、随分と集まってるな」


 校庭には予想していたよりも大勢の生徒の姿が見える。


「お邪魔してまーす」


 何故か陽菜の声が聞こえてくる。


「――で、どうだったの?」


 涼子が声色を変え、小さい声で尋ねてきた。


「腕を切られたらしいけど、傷は浅くて後遺症もないってさ。すぐに退院するって言ってた」


 俺は、たたら中央記念病院まで陸のお見舞いに行っていた。襲われて怪我をしたと聞いた時は肝を冷やしたが、武勇伝を誇らしげに話している彼の姿を見て安心した。どうせ今頃はDVDプレイヤーでも持ち込んで、同部屋の蓮と共にお楽しみをしているんだろう。


「そう……」


「蓮に続いて陸も襲われたんだって?」


 巧と弘樹が近づいてきた。当人から聞いたことを掻い摘んで伝える。


「クラスメイトが二人連続で襲われるとは、故意的なものだと考えざるを得ないな……」


 弘樹が暗い顔をしている。


「皆さん、始まるみたいですよ!」


 真央の張り切っている声が聞こえた。生徒達がトラックの周りに集まっていく。




 二人の男がスターティングブロックの前で準備を進めている。一応隣合って立っているものの、体はトラックに向いておりピリピリした空気を感じさせる。


「ルールを確認しておくぞ。勝負は200m一本、先にゴールテープを切った方が勝ちだ。勝者は敗者に対して一つだけ命令することができる」


 大樹が腕をクロスさせて伸ばしながら話す。


「あぁ」


 アキレス腱を伸ばしながら答えた。

 トラックの内側では巧が火薬銃の準備をしており、ゴールでは陽菜と奈菜がテープを持っている。


「――準貴」


 後ろから声をかけられたので、伸ばす足を入れ替えて振り向く。祐太が不安そうな顔でこちらを見ていた。


「なんていう面してるんだ。俺の負けた姿でも見えてるのか?」


「見えてないけど……」


「なら安心してゴールの向こうで待ってろ。さくらの分まで応援よろしく」


 校庭にさくらの姿はない。今朝メールを送っておいたのだが、返信すら無かった。

 てっきり『構ってちゃん』でもしているのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。あの日の晩、祐太との間に何かあったのだろうか。


 横で大樹と薫が話をしている。屈伸をしながら盗み聞きする。


「私、大樹が頑張ってるの知ってるから。――絶対勝てるよ、がんばって」


「恩に着る」


 敵ながら、彼女と仲良くやっているんだなぁと感心させられる。

 真央はトラック脇で美月と共に見学している。俺も彼女に何か声をかけた方がいいだろうか。

 背筋を伸ばして立ち上がり、ウインドブレイカーを脱ぎ去る。青い布地に白いラインの入ったユニフォームが露になる。


「真央!」


 顔を見て話すのは気恥ずかしいので、トラックの直線の先を見て叫ぶ。


「――はい」


「人に言えないような趣味しかない俺だけどな、これだけは自信を持ってお前に見せられる」


「はい!」


「だから、最後まで見ていてくれ」


「もちろんです。頑張ってください!」



 足を合わせ終え、スターティングブロックの後ろに立つ。俺はトラックの外側、大樹が内側だ。

 見学している皆に手伝ってもらい、きちんとスタート地点をずらし白線を引いた。俺の方がコースが長かった、なんて言い訳はできない。


「位置について!」


 巧の声が届く。拡声器を使っていないのに、トラックの端までよく通る。

 今は彼の二言と火薬銃の音以外、聞き取る必要がない。自然と雑音が消え失せる。

 スターティングブロックを跨いで膝をつき、開いた手を線のぎりぎり手前に置く。露出している肌の感覚がはっきりしていて、砂の凹凸がはっきり分かる。

 深く深呼吸した後、体を持ち上げて両足のスパイクを同時にブロックに引っ掛けた。膝を降ろしてその時を待つ。


「――よーい」


 火薬銃が空に向けて構えられる。

 そっと腰を持ち上げた。全体重をかけた指に砂が食い込む。

 ――二十四秒弱の死闘が始まる。


 校庭に火薬の炸裂する音が響いた。


 ガシャンと金属音を立てたのは同時。体を畳んだまま速いピッチで加速、だんだんと上体を起こしながら持ち味の大きなストライドにかえていく。

 横に大樹の姿はない。俺の方が前からスタートしているのだから当然だ。

 体を傾けて外側のカーブに入る。


 重なる砂の音。背後から、スパイクで抉られて舞っていく砂と呼吸の音が聞こえてきた。大樹がだんだんと距離をつめてきているようだ。

 カーブを抜ける。俺達は横一列に並んでいた。残りは100m、ゴールのテープまで見通せる真っ直ぐなストレート。


 今まで俺と大樹はピッチがほぼ一緒で、ストライドの大きい分俺の方が有利だった。しかし隣で走っている彼はいつもと様子が違う。歯を噛み締め、腕を力強く振り、俺よりも速く足を送っている。

 互いに譲らず、横に並んだまま直線を駆けていく。



 大樹は俺が部内の風紀を乱していると言った。そんなヤツを認めることは出来ない、と。彼はその怒りを爆発させて、いつも以上の速さで走っているに違いない。

 ならば俺は何を貫いて走ればいいのだろうか。


 大樹は俺が練習をしてないと言った。


 俺は陸上が好きだ。速くなりたいと、きっと大樹と同じくらいに思っている。

 声をかけられるとムズ痒くなるので、人に頑張っている姿は見せたくない。だから毎日深夜に走り込んでいる。祐太とさくらには、深夜アニメを見ていて寝不足になったと言い訳する。


 敗北は、大樹の見る俺を認めることを意味する。今まで走り抜けてきた道の為にも、見据えた道に踏み出す為にも、絶対に負けるわけにはいかない!


 並んだままゴール前までなだれ込む。同時に胸を突き出してテープを突っ切った。


 おそらく観客からは同着に見えたと思う。

 減速して、横向きになって芝生に倒れこんだ。荒い呼吸をしながら大樹の方を振り向く。

 ――その差は数cmだった。当人達しか分からない程度だった。しかしその紙一重の差が重く圧し掛かっている。大樹が膝を立てて、悔しそうに頭を抱えて伏せっていた。

 生徒達が近づいてくる。薫がそっと大樹の肩にタオルをかけた。




 トラックの向こう側に、土手に腰掛け座談会をしている生徒達が見える。

 俺と大樹はベンチに腰掛けていた。既に二人とも息が整い、ウインドブレイカーを着ている。


「お前の勝ちだ。約束だからな、俺は部活を辞める」


 大樹が正面を向いたまま口を開いた。


「なぁ、約束って、『何でも命令できる』だったよな?」


 横顔を見ながら言葉を返す。


「……あぁ」


 怪訝そうな顔を向けてきた。


「だったら命令は違うのにする」


「同情ならいら――」


「じゃあ命令を言うぞ。――俺の話を聞け」


 大樹は眉をひそめ、言葉を失った。やっとのことで一文字だけ発する。


「……は?」


「じゃあしっかり聞いてろよ。お前は俺が練習してないって言うけどな……」


「ちょっと待て、なんだその命令は?!」


 声を荒げて、ベンチから立ち上がる。


「話を聞けと命令しただろ、口を挟むな」


「っ……」


 唇を噛んで腰を下ろす。


「練習してないってお前は言うけどな、俺だって深夜に走りこんでる」


「な……」


「こういう性格だからさ、あんまり人に努力してるところとか見られたくないんだ。そこまで気が回らないで、お前を怒らせてしまっていたことは悪かったと思ってる。俺は陸上が好きだ。お前が陸上をすごく好きなのは知ってるけど、でもそれと同じくらい――それ以上に好きだ。……だから、頼むから、俺が手を抜いているなんて言わないでくれ」


 大樹は黙ったまま俯いた。


「あ、それだと命令二つになるか……」


「なんで――」


「ん?」


「――なんでもっと早く言ってくれなかった?」


 顔を上げた彼は、目に涙を浮かべていた。


「言っただろ、あんまり人にそういうところ見せたくないんだよ……」


 ムズ痒くなりそっぽを向く。


「俺は、馬鹿だ。お前の本当の姿を見ようとせずに、勝手に決め付けて邪険にしていた」


「気にすんな。俺だって、お前のことを気難しい奴だと勘違いしてた」


 態度の冷たい理由を知ろうと努力していれば、ここまで溝を深くすることもなかったのかもしれない。


「――もしよかったら、これからは一緒に練習しないか?」


「こんな俺を誘ってくれるのか? ……ありがとう」


 互いのことを知ったこれからは、きっと支えあって部活を盛り上げていける。背中を向け合って走ってこそいたが、俺達はずっと同じフィールドに立っていたんだから。




 遠目に、準貴が頭を下げた大樹の肩に手を置いているのが見えた。気付けば、座談会をしていた全員が二人の姿を眺めていた。


「これで一段落か……」


「そうみたいですね」


 真央は微笑みを浮かべて優しい顔をしている。


「不器用なんだよ、二人とも」


 薫がぼさぼさの頭を掻いて笑う。


「所詮ゲームでも、あぁやって現実に持ち込まれると怖い気がしないか?」


「蓮と陸の傷害事件もゲーム絡みだろうしな……」


 巧と弘樹が話している。俺も口を挟んでみる。


「うちの高校に恨みをもってる奴がやったのかもしれないだろ」


「こんな時期に、うちのクラスだけ、か?」


「クラスメイトの誰かが賞金のためにやったって言いたいの?」


 美月も首を突っ込んでくる。珍しく色恋沙汰以外に興味を持ったようだ。


「その可能性は大きいと思うがな……」


「凶器は刃物っていう話だよね?」


 俺を押しのけて、座る位置を確保したのは陽菜。


「陸は、波打った諸刃の剣だったって言ってたな」


「剣――ねぇ……?」


 美月が呟いた後、気付けば全員皆一斉に涼子の方を振り向いていた。


「馬鹿なこと考えるなよ?」


「――いいえ、構わないわ」


 念を押そうとするが、涼子に制された。


「転校してきて日の浅い人間なら、クラスメイトを襲ってもおかしくない。それに剣道の経験者なんだから当然よ」


「だけど、竹刀だって持てないのに……」


 誰も涼子を擁護しようとしない。皆はただ黙って俺達を交互に見ていた。

 彼女はそんなことをする人間でない。この数日間行動を共にしただけだが、断言できる。しかしどうすればクラスメイト達にそれを証明できるだろうか?


「――分かった。それなら、俺が真犯人を見つける」


 気が付けば、推理アニメかドラマみたいな台詞を口走っていた。


「「は?」」


 皆が一様に面食らった顔で、一様に同じ言葉を返してくる。


「どうやって?」


 陽菜が尋ねてきた。


「夜出歩いていれば、姿を現すんじゃないか?」


 そうエンカウント率みたいに上手くはいかないと思うが。


「斉藤、気持ちは嬉しいけど……」


 涼子が言いよどんでいる。


「やる。決めた」


 かつて彼女を救いたいと決意した。今がその時だろう。


「仕方ないな……」


 巧と弘樹が嬉しそうに顔を和らげる。


「俺達も真犯人とやらを探すために出歩いてみる」


「巧、弘樹……」


「勘違いするなよ、このままだと気分が悪いからな」


「――私も行きます」


 真央も強く言い放った。


「ちょっと! あんたはやめときな、悪いこと言わないから!」


 美月が慌てて言い聞かせようとしている。


「止めないで、美月ちゃん。私だって、やる時はやるんです!」


「あーもう、なら私も行く」


 なんだかんだ言って、美月は真央には甘い。


「危ないです、火原さん!」


 先程の焼き直しのように、まだ校庭に残っていた智和が慌てて口を開く。


「あんたが一番危ないわよ、ストーカー!」


「いや、冗談じゃなくて……」


「だったらあんたもついて来なさい。南の桜井の名は伊達じゃないんでしょ?」


「――もちろんです! ご一緒します!!」


 返事をする智和は、とても嬉しそうに見えた。


 こうして、三グループに分かれて真犯人探しが行われることになったのだった。

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