0504:五日目(D)
動かなくなった黒い腕をぶら下げて、走り回っているのはさくら。その様子を美緒が満足そうに眺めている。
「ふふっ、本当に醜い腕。あなたみたいな貧乏人に似つかわしいですね」
足を止めて、高笑いしている美緒を睨む。しかし右腕の周辺に熱気を感じ、再び走り出した。
自分の臭いにも関わらず、漂う腐敗臭で吐き気を催す。そのせいで、ただでさえも少ない体力が余計に削られていく。
「そうそう、止まらない方がよろしいですよ。――今度はどこにしましょうか。右腕? 足? 二度と見られない顔にして差し上げるのも一興ですね」
美緒が何やら喋っているが、右の耳から左の耳に流す。
あの熱気は一体、どんな能力によるものなのか? レーザーと共通点はどこにある?
「特別に教えて差し上げましょうか?」
考え込んでいたのが顔に出ていたのだろう。まるで私の心を読んだかのように、美緒が聞いてきた。
「聞けば教えてくれるの?」
正直このまま腕をぶら下げて走り続けるのはきつい。能力のことが分かれば突破口が見つかるかもしれない。
「えぇ。それを知ったところで、レーザーを曲げるしか能のないあなたにはどうしようもありませんから。……私の能力は、電磁波そのものです」
走ってかいた汗に加えて、背中を冷や汗が流れた。前から私の能力と似ていると思っていたが、どうやら方向性が全く異なっていたようだ。
熱の正体は赤外線。屈折率の低い長波長の電磁波。そしてあの紫色のレーザーは可視光域の電磁波であり、つまり美緒は自由な波長と振幅の電磁波を照射することができるらしい。波長が変わるだけでも性質が一転二転する非常に厄介な能力だ。
「このままあなたを焼き殺しても構いませんが、それでは気がおさまりませんね……」
美緒が私から目を離し、考え事を始める。
「――そういえば、あなたはニダヴェリルを統べることを条件に、友人のPTへの不干渉を約束させていましたね?」
「それが何?」
熱気を感じないので大丈夫だろう。足を止めて、少しでも息を整える。
「そういう、友情――というんですか? ……とても低俗で、くだらないわ」
彼女の戯言に反応するつもりはなかったが、頬が痙攣したようにピクリと動いてしまった。
「金の切れ目は縁の切れ目と言いますし、貧乏な人間ほどそういう関係を大切にしたがるものなのでしょうか。私ほどの人間になれば、何もしなくても優秀な人間から近づいてきますけれど」
美緒が誇らしげに目を閉じて話す。
「あなたには友人がいないのね、とても可哀そう……」
聞こえるように呟くと、彼女が目を見開いた。
「貧乏人は言葉も分からないんですか?! 友人なんて腐るほど寄って来ます。あなた方のように残念な人間ではなく、選ばれた優秀な人間が!」
「美緒ちゃんは友人の定義を間違えてるよ。別に優秀でなくたっていい、一緒に馬鹿をやって楽しければ、それで十分なんだから……」
祐太、準貴、涼子、陸、陽菜、奈菜、次々に生徒の顔が浮かぶ。
「そんな貧乏人の考え方を私に押し付けないで下さいますか? ……ケビンは私の誕生日に、ルイ・ヴィトンの限定モデルをくださいました。そんな素晴らしい友人、あなたにはいませんでしょう?」
美緒はやたらとブランド名にアクセントをつけて言い放ち、勝ち誇ったよう口元を吊り上げた。
「うちの準貴は、誕生日に半額のシールがついたハンドクリームをくれたよ。内職で手が荒れていたのを見て選んでくれたって。すごく嬉しかった」
私が微笑むと、まるでシーソーでもしているみたいに美緒から笑みが消えた。
「ジルはチャーター機でバリ島のプライベートビーチに連れて行って下さいました。夜には新鮮な海産物のフルコースを頂いて、とても充実した時間を過ごせましたよ」
再び勝ち誇ったようににやつく美緒。
「うちの祐太は、あたしが松茸食べたいって言ってたら山まで連れて行ってくれたよ。あいつは崖から落ちて骨折するし、二人でワライタケ食べたり大変な目にあったっけ。……行った山は広葉樹林で、結局松茸無かったんだけどね」
当時のことを思い出し、思わず噴き出してしまう。美緒の顔から笑みが消えていた。
「そこまで大切な友人が傷ついたら、さぞ悲しいことでしょうね!! 例えば、あなたの大好きな斉藤君や中曽根君の首がなくなったら――」
彼女がヒステリックに叫ぶ。体をこちらに向けたまま、後ろで戦っている祐太に右腕を向けた。
祐太は蜘蛛と向かい合っていて、狙われていることにまったく気付いていない。
「――やめて!!」
「自分の腕が焼かれても屈しない強情なあなたでも、他人の痛みには耐えられないでしょう?! 金枝篇――!」
美緒が不適に笑い、技名を叫んだ。
静寂。遠くで繰り広げられている戦闘の音だけが届く。
レーザーは鉄塔を倒した時のように、圧倒的な破壊力で祐太を貫くはずだった。しかし彼は依然戦い続けている。
「あら?」
怪訝そうな顔をして、美緒が自分の右手の先を見る。
――そこには何も無かった。
祐太に向けられていた彼女の手は、無くなっていた。肩と肘の真ん中辺りに、鮮やかな赤色をした綺麗な断面がつくられていた。
「ヒヤァァ?!」
美緒が叫んだ途端に腕から血液が噴き出した。一定のリズムを刻んで垂れ流れ、あっという間にアスファルトの上に赤い水溜りをつくる。
彼女は力なく地面に膝をついた。青い顔をして、体を震わせている。足元に転がっていた腕先に気付き、必死に断面同士を押し当ててくっつけようとする。しかしそんなことをしたところで治るはずもない。噴き出す血が腕を濡らしていく。
狂気じみた光景。私はその様子を、感情なく見つめていた。
「ひ、ひぎぃ、この……貧乏人!!」
私が防御できない赤外線を照射するつもりなのだろう。残っている左手をこちらに向けようとしてくる。
しかし向けようにも手がなかった。左手は再び、一瞬のうちに腕の付け根から切断されていた。
左右の腕の断面から血が噴き出す。
「ひぃ?! 死ぬ、死ぬぅ……」
美緒が悲鳴を上げて、うつ伏せに地面に倒れこんだ。両足が膝上から切断されている。四肢を無くした彼女が、立ち上がることができずにもがく。
「助……け……」
唯一残った首、頭をこちらに向けてくる。噛み合わない歯。口元から吹き出した血の泡。傾いた金縁の眼鏡。眉間に寄せられた皺。傲慢だった彼女の表情は恐怖に慄いていた。
美緒のせいで、彼女のどうでもいい因縁のせいで、祐太達に裏切りがばれた。もう今までのように彼らの元に戻ることはできない。
目から涙が流れ落ちた。
「死を齎す十六の厄災」
理をねじ伏せて生み出したのは、はるか上空まで達する大気の刃。不可視の断頭台。
本来、先の厄災で五感と動きを封じられる人間は、十六番目――最後の厄災により命を絶たれる。
「ぶひゅ」
美緒は口から奇異な液体音を発し、絶命した。
切り落とされた頭を見下ろす。金縁の眼鏡を通して、見開く眼球がこちらを直視していた。
後ろから誰かが着地した音が聞こえた。
「あーぁ、やってくれたな、オイ。俺は帰ってどう説明すればいいんだ?」
隼人が面倒くさそうに頭を掻いて近づいてくる。
「あなたも戦るつもり?」
体を向け、再び気を引き締めて能力の準備を始めた。
「てめぇがやる気ならな。――もっとも、俺はこいつを止めるように言われていただけで、戦う理由はないんだが」
物珍しそうに、バラバラになった美緒の体を眺めながら言う。
私は肩の力を抜いた。
「なら、さっさとムスペルとニダヴェリルを連れて帰って」
「言われなくても。それに、あいつらも終わったらしい」
顎で指された方を見る。いつの間にか辺りは静かになっていて、みんなも戦いが終わったようだった。
「言っとくが、ニダヴェリルを連れていくのは貸しにしておくからな。俺の担当はムスペルだけだ」
「そういうことにしておいてあげる」
「ふん」
隼人はすぐさま、崩れている廃墟に向かっていった。
黒い背景に27人の顔写真が並んだ画面。クラスメイトの顔が並んでいる。
26番目、山浦美緒の顔写真も白黒で表示された。
だんだんとフェードアウトし、今日も赤い文字で『生存者22名』と、そう表示された。
一時五分。四人は頭からBCIケーブルを取り外し、言葉無く部屋にとどまっていた。俺はベッドに寄りかかって三角座りしているさくらの隣に、準貴と涼子はベッドの上に腰掛けている。
「……わ、私そろそろ帰るわ」
涼子が沈黙を破って立ち上がった。廊下に出て手招きをしてくる。
「――駅まで送るよ」
「終電過ぎてるから、タクシー使うわ。というか、そんなことしてる場合じゃあないでしょう?」
玄関に並んでいる靴の中から自身のものを探しながら、小声で話す。
「事情はよく分からないけど、ちゃんと話を付けておくのよ」
じゃ、と片手を軽く上げた涼子の背中を見送った。
「――そろそろ俺も帰るわ」
部屋に戻ると、今度は準貴が立ち上がった。再び手招きされて廊下に向かう。
「今日泊まる約束だったけど、悪いな」
「こういう状況だし気にするな」
さくらは三人で部屋に泊まりたいとか言っていたが、今日はそれどころではないだろう。
「無責任なんだが、さくらをよろしく頼む。……あいつはきっと、お前に聞いて欲しがっていると思うんだ」
「……分かった」
準貴を見送り部屋に戻る。さくらは依然三角座りをして膝に頭を埋めていた。
「美緒達と話しているのを聞いて、だいたいのことは分かったと思う」
彼女の隣で、同じように三角座りをして話しかける。さくらが半分顔を上げた。
「さくらが悩んでいたのに、今まで気付けなくて本当にごめん」
「あたし、皆のことを裏切ってたんだよ? なのに、祐太も、準貴も、涼子ちゃんも――、なんでそんなに優しくしてくるの……?!」
「さくらは悪意があってそういうことをするやつじゃないって、よく分かってる。――俺達は何があったのか無理に聞く気はないし、どこのPTに入ってるなんて気にしない。だから明日からは今まで通り付き合わないか?」
返事は無かった。
「疲れただろ? ……さ、今日はもう帰ってさっさと寝ろ」
さくらの荷物をまとめながら声をかける。ふと、彼女が顔を上げた。
「ここに泊まる」
「はぁ?」
「そう約束したよね」
「状況が違うだろ。無理しなくていいぞ」
「ううん、無理なんてしてない。泊まりたいの」
正直、このような状態のさくらから目を離すのは不安だった。
「分かった、俺のベッド使え。風呂沸かしなおしてくる」
「うん、ありがと……」
おやすみの挨拶をして電気を消した。さくらが横になっているベッドの脇で、絨毯の上に寝転がって毛布を被る。
思い起こせば、ゲーム三日目くらいからさくらの様子がおかしかった。あの時からエターナルリカーランスとユグドラシルの間を行き来しながら、苦悩してきたのだろう。何故その時に気付いて声をかけてやれなかったのか。いや、気付けるだけの材料は揃っていた。ただ俺がそれを認められなかっただけのこと。
『さくらは悪意があってそういうことをするやつじゃないって、よく分かってる』
思い起こされるのは自分の言葉。あれはきっと、自分自身に向けて言い聞かせたもの。俺はただ、さくらが俺達以外のクラスメイトのもとに行ってしまったことを認めたくなかったのだ。
『明日からは今まで通り付き合わないか』
彼女からの返事は無かった。――当たり前だ。自分の希望を押し付けただけの言葉が、どうして信用してもらえるだろう?
「祐太、まだ起きてる?」
ベッドの上から声がした。この位置からでは姿が見えない。
「あぁ。――早く寝ろって言ったろ?」
「目を閉じれば、すぐに寝付けると思うんだけどね。その前に少しお話ししたくて」
「どうした?」
上体を起こしてベッドの方を向く。さくらは横になったままこちらを見ていた。
「あたし達、もうだいぶ長い付き合いだよね」
「人生の半分以上だな」
それでも二人に会ってからの時間の方が短く感じるのは、それだけ充実していたということだろうか。
「高校を卒業して別々の進路に進んでも、お嫁さんになって子供をもっても、お婆さんになっても、ずっとこのままの関係が続くと思ってた」
「そうなるさ、これからもずっと……」
ゲームが終われば、このぎこちなさもきっと無くなる。俺達は元の関係に戻れる。
「……でも、それ以上を望んでしまったって言ったら、どう思う?」
「さくら?」
月明かりが影を作り、さくらがどんな顔をしているのか分からない。
「ねぇ、祐太。……牛丼大好き」
彼女は震える声で呟いた。
窓の向こうから届く虫の鳴き声。目覚まし時計の秒針。夜の音の中で、切り離されたように、お互いの呼吸がはっきりと聞こえる。
長らく黙り込んだまま向かい合っていたが、空気を多めに吸ってから口を開いた。
「……明日、吉田屋行こうか?」
「……そうだね、そうしようか」
さくらも深く息を吸い、震える声で返す。寝返りをうって背中を見せた。
「変なこと聞いてごめん。もう寝るね」
「おやすみ……」
俺もさくらに背を向け、毛布に潜った。
さくらはもう寝ただろうか。
罪悪感で胸が苦しい。
英語の授業後の話を忘れていたわけではない。告白は突然のことで驚いたが、彼女のことは嫌いじゃない、とても嬉しかった。しかし今は彼女の気持ちを受け入れることはできない。だからそう返すしかなかった。
ただの慢心かもしれないが、思いを受け入れれば彼女はエターナルリカーランスに戻ってきてくれると信じている。準貴と涼子とも仲直りできると思っている。
しかし本当に、それで良いのか?
今の彼女は俺の目からでも危なっかしく見える。美緒が現れたことで、あの気丈な少女が取り乱していた。彼女はそれ相応の理由があってユグドラシルに入っていたのだろう。
その辺りをすっぽかして俺達のところに戻ってきたところで、何も解決はしない。それは余計にさくら自身の心を傷つけることになるだけだと思う。
さくらを助けたい。
だからこそ、今は彼女への思いは胸に仕舞おう。