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IOException  作者: 175の佃煮
16/43

0503:五日目(C)

 レーザーのような白い線が廃墟の壁に浴びせられる。ただしこちらは殺傷能力のない、粘々した糸だ。


 人喰いと形容できるほど巨大な蜘蛛が、逃げ回っている俺を狙って尻から糸を放ってくる。

 糸の照準が徐々に定まっていく。後ろの足にかかりそうになったが、紙一重のところで建物の陰に転がり込んだ。


 陸の能力は美月達同様、生物に変化するタイプだった。

 タランチュラのような毛むくじゃらの外骨格。不気味な八つの目。折り畳まれた長い脚。虫嫌いな女の子が見たら卒倒するのではないか。――もっとも、うちのPTのレディー達は「綺麗な毛皮ー」とか言って触りたがりそうだが。


「無駄だ!」


 壁の向こうから陸の声が聞こえてきた。亀裂から様子を伺う。

 蜘蛛は八本の脚を器用に交互に上げ下げして、どうやって前に進んでいるのか分からないが、猛スピードでこちらに向かってくる。あっという間に建物の前に立ち、強靭な顎で壁を噛み砕いた。

 粉々になったコンクリートが崩れ落ち、十の目、二つの視線が交わる。


「むっ?!」


 蜘蛛が動きを止めた。既に俺が両手の平を向けて氷の球を構えている。


 しっかり狙いをつけて撃ち出した。蜘蛛が砲弾を眉間にくらい、頭を仰け反らせる。氷の破片が舞い散った。


「……また、この展開かよ」


 手応えがなかった。外骨格に弾かれて砕けただけだ。蜘蛛が頭を戻し、尻をこちらに向けてくる。

 ――脳裏にせせら笑う美月鳥の姿が浮かぶ。苦々しくため息をついた。


 破壊された壁を跳び越え駆け出した。蜘蛛は再び白い一本の線を浴びせかけてくる。

 蜘蛛の糸は鋼より強靭だと聞いたことがある。テグスより細い、常識的な太さのものなら容易に切れるだろうが、あんなワイヤーみたいな糸で簀巻きにされたら、それこそ抜け出すことはできないだろう。


「なぁ祐太、たまには前みたいにウチに遊びに来いよ」


 蜘蛛が攻撃しながら、陸の声で喋ってくる。


「さくらの目の黒いうちには無理だ。それに、遊ぶ目的で陸の家に行ってもなぁ」


 陸の部屋はAVの書庫になっていて、中学の頃は準貴共々度々お世話になった。しかし仲間外れにされたと思って後をつけてきたさくらに現場を押さえられ、気まずい思いをしてからはさっぱり行かなくなった。


「ウチのことを、AVの試写室くらいにしか思っていないのか?!」


 蜘蛛が興奮して頭を上げた。糸が予想外の挙動を示して、俺の左足首に絡みつく。


「うぉ?!」


 バランスを崩して、ヒビの入ったアスファルトの上に倒れこんだ。その上を引っ張られて引きずれられていく。振り向けば、蜘蛛が糸を掃除機のコードみたいに納めていた。


「ブルースカイ!!」


 蜘蛛が尻を勢いよく引く。

 一本釣りのごとく空中に引き上げられた。宙に浮いていて自由に身動きが取れない。毛むくじゃらの触肢、その奥に控える漆黒の牙が迫る。


「ちっ!」


 右手の中に氷の大剣を凝結させる。

 美月鳥との戦いで分かったことだが、氷の密度では通常の剣を作っても、武器として十分な強度を得ることができない。思い切って厚く作られた太い刃は、某ソルジャーの武器を彷彿させる。

 足元にまで迫っていた蜘蛛の口の中に、氷の大剣を突き立てた。俺の代わりに挟まれた刃は真っ二つに折れてしまったが、お陰でなんとか口の中に入るのを防ぎ、蜘蛛のすぐ側に着地する。


「この、ちょこまかと……」


 蜘蛛が口の中に残った氷の欠片を噛み砕いている。その隙に足に絡まった糸を急いで解いて、距離をとった。


「だいたい、お前ら、さくらの尻に敷かれすぎなんだよ!」


 蜘蛛が体を沈めてバネを溜めてから、脚を真っすぐ伸ばして跳び上がった。辺りで一番高い廃墟の壁に張り付き、そこから糸を浴びせかけてくる。


「敷かれてない! だいたいお前が部屋の中に、他にするようなもの何も置いてないのがいけないんだ。そのうち遊びに行ってやるから、ゲーム機の一つや二つ買っとけ!」


 糸を左右に避けつつ、蜘蛛の張り付いている廃墟に向かって走る。


「ゲームなんかを買う金があったら、新作に使うわ!」


「なら、来いとか言うな!」


 大声で叫びあう。傍から見れば、命がけで戦っている光景というよりも、庭先で駆けて遊んでいる子供たちみたいに映るかもしれない。


 廃墟の壁に足をかける。爪先を凍らせて固定し、次の足を前に出す。爪先を凍らせ、後ろの足の氷を溶かして前に出す。交互に凍らせて、傾いている廃墟の壁を駆けていく。


「前みたいに、仲良くAV鑑賞しようぜ!」


「人聞き悪いこと言うな!」


 返事を叫びながら、右手を開いて突き出した。蜘蛛の尻の周辺に水が凝縮する。


「ケツの穴、しっかり締めとけ!」


 手を握り締める。穴が氷で塞がり、糸の発射が収まった。実際痛いわけではないと思うが、光景を想像してしまったのか、陸が小さな悲鳴を上げた。


「祐太、お前よくも俺の菊座を!!」


「だから、人聞きの悪いこと言うなって言ってるだろ!」


 蜘蛛の頭に跳び乗る。


「今度は、顔面きじょ――?!」


 胴側を向いて頭の上に腰かけ足を引っ掛けて、淡々と自分の体を固定した。陸が言い終える前に、両手の平を向かい合わせて突き出す。


 狙うのは、頭胸部と腹の付け根。極端に小さい体節部分。


「――水月!」


 凝縮させた水を、上下から圧力で包むようにして押し出す。収束した水の刃が手の隙間から勢いよく撃ち出され、下の廃墟の壁ごと蜘蛛の体を分断した。


 息を呑む。思いつきでウォーターカッターを真似てみたのだが、予想以上の威力が出た。

 蜘蛛の頭から飛び退き、壁に張り付いて、落ちていく二つの黒い毛玉を見送った。


「うぉぉ?!」


 叫んだのは陸。蜘蛛がいた位置に、忽然と姿を現していた。もはや壁に張り付くことのできない彼は、五階相当の高さから、斜めになっている壁を転がりながら落ちていく。

 そういえば涼子が、動物に変化するタイプの能力は破壊した位置で人間に戻る、と言っていた。


 足を固定せずに、斜めの壁を疾走する。


「陸ッ!」


 地面と衝突する前に、陸の襟を掴む。すぐに両足を氷で固定し、体を支えた。


「祐太……」


 下から見上げている彼の呆けた顔を見て、安堵した。



 陸を背負い、ロッククライミングの要領でなんとか地上まで降りる。


「――なんで助けたんだ?」


 地面に立つやいなや、すっかり大人しくなった陸が尋ねてきた。


「俺の数少ない友人だからな、こんな奴でも」


「最後のは余計だぞ」


 陸が苦々しく笑う。俺も頬を緩ませた。

 ここは、他の生徒の排除を目的とした、過激で残酷なゲームの仮想世界内。けれど、いつもこういった後腐れの無い気持ちで戦いをできるのならば、こんな世界もいいかなと不謹慎なことを思った。


「遅くなったけど、お前も入らないか? エターナルリカーランスに……」


 彼の性格からして首を縦に振らないだろうが、再び誘う。


「こう見えても、あっちのPTじゃあ結構楽しくやってるんだ。まぁ、解雇になった時はよろしく頼むよ」


「そっか、分かった。不祥事起こさないようにな」


 なんとなくお互い照れくさそうな顔をして、健闘を称えるように握手をした。




 指を鳴らして硫化燐の指輪を擦り、鋼の剣に青い炎を纏わせた。その様子を見ていた蓮が渋い顔をする。


「火の能力か、まいったな……」


「何、なんか都合でも悪いの?」


 気を抜くことなく剣を構えたままで尋ねる。すると彼は、あろうことか両手を上げた。


「降参、降参!」


 手を上げたまま、こちらに歩き寄ってくる。


「俺の能力、火と相性悪いからさ、勘弁してよ」


 私の間合いぎりぎりの位置まで来て足を止める。手から何かがパラパラと落ちていたようだったが、それが何なのかは気にならなかった。

 どうやら本当に降参するつもりらしい。警戒しつつも剣を持つ手を緩めた。


 彼の口元が、歪む。


「――モンキーズパウ」


 蓮はうすら笑いをして、そう呟いた。途端に、廃墟が、地面が、空が、世界が傾いていく。


「なっ?!」


 違う。自分の足元に敷かれていたアスファルトの断片が傾いているのだ。

 亀裂から蔦が何本も飛び出す。その内の一本は私の剣を掴み取って放り投げ、さらに他の蔦が四方からうねうねと迫ってきた。


「――火焔!」


 両腕を真横に伸ばし、同時に指を鳴らす。指先から放たれた火が私の周りで弧を描き、たちまち燃え広がって炎の渦を巻き上げた。

 竜巻のように立ち昇る火炎が蔦を焼き、消し炭に変えて周囲にばら撒く。辺りの蔦を全て焼き払って、ようやく炎の渦はおさまった。


「お前――」


 蓮を睨む。降伏したと見せかけて不意打ちとは、ずいぶんと醜いことをしてくれる。

 当人は私から離れた所に立ち、剣を背にして涼しい顔をしていた。


「なんだ、剣が無くても使えるんだ? ……ハハ、初見のくせに敵の近くで気を抜くからだぜ? さては告白されて動揺してたのか? お前、陰気でもてなさそうだしなぁ……。――あぁ、あれ嘘だよ。お前なんか視野にも入らないっての」


 一人で延々と喋り立て、最後にオマケとばかりに、剣をさらに蹴り飛ばす。

 挑発というのは分かっているが、こめかみに青筋が立った。


「あんたの能力は『木』みたいね。火と相性が悪いというのは本当だったみたいじゃない」


 相手にイラつきを悟られないように、なるべく冷静に振舞う。


「そうかな、サイコキネシスの類かもしれないぜ?」


 返事をしている蓮の手から、また何か小さなものが舞い落ちている。


「その手の中に隠しているのは植物の種子でしょう? 大方、植物ホルモンみたいに植物細胞の分裂を促して成長させる能力なんじゃない? それなら茎の向きを自在に変えられることの説明がつくわ」


「ッ!」


 今まで愉快そうに話していた蓮が口角を下げ、爪を噛み始めた。


「なんで俺の能力を知っている?! さては誰かがばらしたな! あんな蔦の一回で分かるはずがないんだ!!」


 ずいぶんと情緒が不安定な男のようだ。薬に頼っている誰かさんに似ている。――こういった輩は性質が悪いので、最後まで気が抜けない。


「馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿なッ!!」


 蓮が頭を抱えて首を振る。彼の手の中にあった種子が辺りに飛散している。


 ようやく自分の過ちに気づいた。キ○ガイな振る舞いも彼の作戦のうちだったとすれば、この行動は――。


 再び彼が唇を歪めた。


「マッドカーニバル!!」


 頭を抱えていた手を離し、両腕を開き胸を張って叫ぶ。

 直後、周囲のアスファルトの亀裂から、シダ、ウツボカズラ、ハエトリソウ、サラセニアなど、彼の性格をよく表していそうな種々多様な植物が頭を上げた。


 急に視点が上がった。足場のアスファルトが巨大なサボテンに押し上げられている。さらに、棘々で円筒形の葉が私を囲うように広がっていく。

 高く跳び上がって避け、同様に持ち上がり島のように分断されているアスファルトの上を、何度か跳躍して剣の方へ向かう。

 続いて、先端が尖った三本の木が勢いよく伸びてくる。幹を蹴って側宙してかわし、再びアスファルトの上に着地した。


「させねぇよ!」


 すっかり調子を取り戻した蓮が、私を指差して声を荒げる。茨のびっしりと付いた蔓が幾重にも束なり、風を切る音を立てて向かってきた。


「紅蓮!」


 両手を斜めに振り、クロスさせた二本の炎の刃を放つ。

 蔓の先端に命中し、青い火炎で包み込むが、すぐに炎は掻き消された。蔓が止まらない。茶色に焦げただけで焼き切れていない。

 勢いを保ったままの薔薇の蔓に、呑み込まれるように持ち上げられ、廃墟の壁に叩き付けられた。


「かはっ?!」


 背中にかかる衝撃とともに、茨が体中を突き刺してくる。肺の空気が全て押し出された。

 そのままわなわなと動く蔓に四肢を覆われ、両手足を押さえ込まれた。頭と指先くらいしか動かせそうにない。


「言ってるそばから気ぃ抜いてるんじゃねぇよ、ハハハッ!!」


 蓮が非常に愉快そうに笑っている。


「生木は燃えにくいって知ってたか? だからこそ、最初の蔦は成長しきって枯れたものを使ったんだよ!」


 蔦が用意に燃えたことで、蔓への注意が散漫になっていた。この男はそこまで考えて行動していたというのか。どうやら彼の実力を見誤っていたようだ。


「さて、どうしようか。――お前、何か死に方に希望はあるか?」


 私の側に歩み寄り、憎らしく顔を傾けて尋ねてくる。


「あんたも道連れにするっていうのはどう?」


「却下だ。お前なんかに俺は勿体無ぇ」


 再び大きく下品な笑い声が聞こえた。怒りが限界に達し、私を保てなくなる。あの冷たい感覚が浮かび上がってくる。

 ――薬が欲しい。とびっきりのやつをカクテルで。


「ドクニンジンでも食べてみるか? ソクラテスの処刑に使ったらしいぜ。――いや、お前にはもったいない死に方か、ハハハッ!!」


 どうせなら、サンペドロかテングタケが欲しい。もう嫌だ。体が痛い。お家に帰りたい。


「そうだ、俺を悦ばせてみろよ。そうすれば見逃してやってもいいぜ」


「分か……」


 彼を悦ばせられれば、ここから逃げ出せる。痛い思いもせずに済む。即答しようとしたが、なぜか心苦しくなって言葉を止めた。

 ――なぜこんな痛い目にあってまで戦おうとしていたのか。


「ホラ、言っちまえよ。分かりました、ってさ!」


「分かりま……」


 ――思い出されるのは美琴との約束。エターナルリカーランスの皆を護ると言った、私の言葉。

 辺りを見渡す。大きな蜘蛛と戯れている祐太。SMプレイさながら、一方的に殴られている準貴。傷ついた腕をかばって走るさくら。

 さくらが悲痛の声を上げているのに、私は何をしている? あの頼りない男衆だけに任せておけるか?


「ここはゲームだからな、何にも悪いことなんてねぇ。ハハッ、そりゃあいい!」


 このような状況で、この下衆な発言。底が知れる。

 まったく、我ながら情けない。こんな道化に付き合っている暇なんて無いはずなのに。


 マヌケ面は能力を封じたつもりでいるのだろうが、私はこうして指を動かせる。この男は祐太と違い、私の能力を見切れていなかった。


「――私を悦ばせな。そうすれば半殺しで済ませてあげるわ」


 蔓の間から微かに出ていた指を鳴らす。

 突如地面に、魔方陣みたいな大きい火の円が描かれ、二人を包んだ。辺りが炎の熱気に包まれる。


「なっ?!」


 蓮は驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻した。


「馬鹿かお前、生木は焼けないってさっきあれほど……」


「――不知火!!」


 円から外れた炎が地面に沿って走り、蔓の中央に火を入れる。伝播する火炎と衝撃波。蔓の束は木っ端微塵に爆ぜた。

 多少の火傷と引き換えに両手足が開放された。


「ゴホッ!」


 むせる。あまりに近くで爆発させたせいか、熱い空気を吸い込んだ。すぐに新鮮な空気を送り込んで治す。


「ガハッ?!」


 どうやらあちらも同様のようだ。


「くそっ、マッドカーニバル!!」


 冷や汗を浮かべた道化が胸を張り、両手を真横に突き出す。


 ――静寂。アスファルトの隙間からは、雑草の一本も出てこない。


「マッドカーニバルッ!!!」


「無駄。地面を見てみな」


 アスファルトの隙間には火を走らせてある。乾いた種子はさぞよく燃えることだろう。

 地面を蹴り、蓮に向かって一陣の風のように駆け出した。


「ひぃやぁぁぁぁ?!」


 顔を覆った手の隙間に覗く彼の顔は、目と口を大きく開いて、とてもユニークな形相をしていた。

 右手でグーを作り、走りながら大きく後ろに構える。


「ほら、私を悦ばせろ。あと三秒――」


「涼子様はとてもお綺麗で――フボオァァ?!」


 宣告から二秒足らずで、左足を踏み込んで側頭部を思い切り殴りつけた。蓮の体が面白いように弧を描いて宙を舞い、アスファルトに顔を擦りつけて着地する。


 横まで行って顔を覗き込んでやった。泡を吹いているが、まだ生きているらしい。

 やはり攻められるより攻めた方が楽しいに決まっている。蓮の側に屈み、ライターのように指先に灯した火で鼻毛を炙って起こさせた。


「もう勘弁してください!!」


 涙を流しながら嘆願してくる。

 オオカミ少年とかいう話があった。幼少時は少年に同情したものだが、今は騙された大人達に同情しているらしい。……要はノーってことだ。


「ほら、さっさと私を悦ばせろ。脱げ」



 三十分後、そこにはブリーフ一丁で遠くを見つめている男の姿があった。




 けたたましい打撃音が響く。繰り広げられているのは一方的な攻戦。しかし苦しい顔をしているのは、攻撃側であるはずの準貴である。


 軸足を思い切り捻り、自身の持てる最大の威力で回し蹴りを放つ。中足が孝大の脇腹を激しく打ち鳴らす。

 手応えはあった。しかし当人は揺れた腹肉をさすり、平然とした顔をしている。


「ちっ!」


 孝大が伸ばしてきた手をかわし、一瞬で背後に回りこむ。こちらを振り向こうとしている彼の肩を踏みつけ、さらに高く跳び上がった。


「デルタダート!!」


 足を振り抜いて空気を蹴り出し、頭の真上から衝撃波をぶつけてやる。彼の太い首が、水枕のようにたぷんと揺れた。

 孝大は何事も無かったかのように、丁度着地した俺の方を振り向いてくる。


「準貴は脚を強化できるのか」


「あぁ。孝大は皮膚か? たいした防御力だな……」


 インターバルをやった後みたいに息が切れている。

 先程から蹴りこんでいて分かったことは、彼は皮膚を強化する能力をもっているということ。俺の下半身が強化と絶対防御をもっているように、彼の皮膚も柔硬と絶対防御をもっている。全身を覆う皮膚が絶対防御をもつということは、とどのつまり、あらゆる攻撃が無効化されてしまう。

 参った。絶対防御の厄介さは自分の能力で体感している。


「俺の絶対障壁アブソリュートディフェンスの前では、あらゆる攻撃が無意味だ。たとえ! 同じ! 身体強化系ブーステッドでもなァ!」


「やってみなけりゃ分からないだろ! 俺のキックは仮想世界一チイイイイ!!」


 判断ができないくらいのスピードで翻弄し、腹を硬くする前に蹴り込むというのはどうだろう。地面を蹴って駆け出す。

 孝大がパンチを放とうとする直前に、さらに加速。彼が瞬きしている間に懐に跳び込み前蹴りをかます。


 ――腹肉はまだ柔らかい。これなら突き抜けられるかもしれない。突き出した右足が肉に包まれ、呑み込まれていく。


「かかったなァ!」


 孝大が口角を上げた。

 作戦通りにいったのは孝大の方だ。足を引っ張るが抜けない。腹が硬くなっており、足首を完全に固定されてしまった。


 孝大が殴りかかってくる。体を傾けて避けようとするが、固定された足のせいで上手く動けない。肩に重い拳を受けた。苦痛の声を漏らす。


「急所からは逸らしたか。いつまでもつかな?」


 孝大がボクシングのように両拳を上げて構える。

 

「いつまで? 一時まで耐えてやるよ!」


 右足を捕らわれている体勢ながら、俺も両拳を構えた。


 孝大の一発目、右のストレートを左前腕で外側に逸らしてかわす。しかし続く左のボディーブローをまともにくらった。


「っあ……?!」


 口から唾液が垂れる。格好良く啖呵を切ったけど、やっぱ無理。

 不安定な姿勢から、鳩尾を狙ってアッパーを放つ。しかし今度は手首も腹肉に固定されてしまった。


 自由に動かせない体と、片手片足だけで攻撃を捌ききれるはずがない。せめて急所からは逸らそうとしていたが、何度も殴りつけられ、意識が薄くなった。




「はぁ、はぁ……。――おい、生きてるか?」


 息を切らした孝大の声で目を覚ます。少しの間気を失っていたようだ。


「……さっきの台詞、十二時に訂正していいか?」


 顔が腫れぼったい。口の中は血の味がするし、視界は当社比70%くらいに縮小されている。痣だらけになった右腕は力が入らずに垂れ下がっている。脚だけは、訪れるかもしれないチャンスの為に、いつでも使えるようにしてある。


「おめでとう、もう十二時だ。開放してやるよ」


 孝大が言葉通り、足を自由にしてくれた。しかし直後、腹で手をくわえたまま勢いよく回転し始める。逆側にひしがれた腕が嫌な音を立てた。


 手も開放され、アスファルトの上に倒れ込んだ。嫌な予感を抱えつつ、視線を落とす。


「くそっ、折れやがった……」


 左腕が変な方向に曲がっていた。体中が痛くて、骨折の痛みが分からないのがせめてもの救いか。精神的ショックの方が大きい。

 手を使わずになんとか体を起こす。


「ほぉ、その怪我で立ち上がれるとはな。大した根性じゃないか」


 こっぴどくやられて、ようやく悟った。もう意地を張って、能力の見せ合いをするつもりはない。

 返事をせずに、孝大が追いかけられる程度の速さで走り出した。


「待て!」


 腹肉を揺らして追いかけてくる。


 廃墟の一つに入る。店舗の入るような広い空間を持った、三階建ての建物。壁にはひびが入り、部屋の中に等間隔で立っていた柱はほとんどが折れている。まだ原型をとどめているのが不思議なくらいだ。

 先の調査の時に目星を付けておいた建物である。


 孝大も息を切らせながら入り口をくぐってきた。中央の柱の側に立っている俺に気付き、肩の力を抜く。


「お前は、ここで退場させるのがもったいない逸材だ。ユグドラシルに推薦してやろうか?」


 脳みそがだいぶ揺られて、意識が朦朧としている。そっと、この建物の最後の柱に寄りかかった。


「いいや、俺はエターナルリカーランスの副リーダー兼切り込み隊長だからな。祐太達と一緒に骨を埋めるつもりだ」


 どちらも自称ではあるが。奥歯を噛み締め、真上に膝を伸ばした。


「そうか、残念だ」


 孝大が拳を構えたまま走ってくる。

 これだけ引きつければ十分だろう。振り上げていた脚を思い切り柱に叩きつけて砕く。途端に天井にヒビが入り、雷が走ったように広がっていった。


「何?!」


 孝大が足を止めて、上を見る。

 土埃や小さな石が降り注ぐ。ヒビはさらに大きくなり、建物全体が大きく揺れている。いつ天井が落ちてもおかしくない。


「――そんなことをしても無駄だぞ。俺はどんなダメージも受けない」


「そうだな、ダメージは与えられないんだろうな」


 三階分の天井が落ちてきたところで、彼の全身を覆う絶対防御は破れないだろう。

 前の足に体重をかけた。先程の蹴りで軋んだ体が、裂けそうに痛い。


 天井が崩れ落ちてくる。

 瞬間、最後の力を振り絞って後方に跳躍し、ガラスのない窓枠から外へ跳び出した。


 廃墟が大きな音を立て、一階分ずつ下に降りてきたみたいに崩落する。三階建ての建物は圧縮されて、コンクリートの厚い板になってしまった。



「――おい、孝大。生きてるんだろ?」


 転がってきた廃墟の壁材に、崩れるようによりかかって腰掛け、辛うじて声を出す。


「……生きているというだけだな。手も足も動かないし、正直生きた心地はしないが。お前、これが狙いだったのか?」


 フィルタがかかったような声が、瓦礫の中から聞こえてくる。


「そういう厄介な力は昔っから、ドラム缶にコンクリと詰めて東京湾って決まってんだよ。ヤーさんの知恵袋だな。……戦闘を止めるなら引っ張り出してやるぞ?」


 孝大の能力では三枚分の天井を除くだけの力はないだろう。


「それはごめんだ。お前がお前のPTに誇りを持ってるように、俺も兄貴とムスペルに誇りを持ってるからな」


「そうか。ならこれが終わったら、隼人にでも掘り起こしてもらうんだな」


 まだ周りでは戦いが続いているようだが、この体では手伝ってやることはできそうにない。静かに腫れている目を閉じた。

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