0502:五日目(B)
祐太の部屋に集まった四人がパソコンを囲んで座る。USBハブを繋ぎ、BCIケーブルを四本接続した。
「いいお母さんだね」
ログインする直前、涼子が言った。
「そうか? どこもあんなもんだろ」
「たくさんの親がいれば、いろんな親がいるもんだよ。この家は――とても温かい感じがした」
返事をしようと思ったが、DVDを読み込む音がしたので、諦めて目を閉じた。いつでも来ていいぞ、と言おうと思ったのだが。
目を開ける。昨日ログアウトした、東部と西部の境界辺りにあった小屋から五日目が始まる。
いつものように手を握ってケーブルの接続具合を確認する。問題ない、指は思ったとおりに動いてくれる。
「みんな揃ったか?」
「おー」
「あぁ」
「いるよ」
リーダーっぽく引っ張ろうとするが、ダラダラ返事が返ってきた。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど……」
涼子がさくらに尋ねている。
「どしたの? 不具合?」
「ううん、それは大丈夫。――二年二組って26人しかいないじゃない?」
「うん」
「でも、15番を飛ばして名簿は27番まであるのはどうしてかな、って思って」
「……えっと、それは……」
「入学当時は27人いたんだ」
さくらが難しそうな顔をしていたので、俺が代わりに答える。
「転校?」
「いや、その――、いじめがあってさ……」
それでようやくピンときたようだ。涼子が申し訳無さそうな顔をする。
「ごめん、掘り返すようなことして……」
「気にしないでくれ。俺達が悪かったんだ」
「――意外と、このゲームの製作者は翔太だったりしてな」
準貴がひきつった笑みを浮かべて、洒落にならない冗談を口にする。
「ちょっと。やめようよ、そういう話は……」
さくらは悲しそうな顔をしていた。
「リーダー、今日は何か予定はあるのか?」
「特に無いけど、地形を見ておこうと思う」
「結局そうなるよな」
「――けど、ここって建物が多いだろ? だから地形を覚えても、あんまり役に立たないとも思うんだけどな」
このような廃墟が並ぶ場所だったら、俺なら建物に罠をはって待ち伏せる。
「まだ遭遇してないプレイヤーが15人もいるのよね?」
涼子が尋ねる。
「そうだな」
「ということは、過半数のプレイヤーが西部に潜伏してるってことになると思うんだけど……、ずいぶんと過密じゃない?」
東部は大体踏破してしまった。ということは、涼子の言うとおり残りのプレイヤーはこの地にいるはずなのだが、辺りにはまるで人の気配が無い。
「一箇所に固まっているのかもしれないな」
「15人全員が同じPTに属してたりしてね」
涼子が軽く言うが、ひょっとすると冗談にならないかもしれない。
「はは、そんな馬鹿な」
「――ユグドラシル」
準貴がその名前を口にすると、さくらの体がピクリと動いて反応した。
「ユグドラシル?」
「いや、奈菜が言ってたんだ。ユグドラシルに気をつけろってよ」
「ユグドラシルって、大きな木の?」
ゲームでよく聞く名前だ。元ネタは知らないが。
「北欧神話に出てくる、あらゆる世界を繋ぐ世界樹だよ。ラタトスクが世界のメッセンジャー役をしていて、ニーズヘッグが根にかじりついてるの」
さくらがすらすら答える。さすが神話やオカルトが趣味なだけあると感心した。
「誰が入ってるんだ?」
「誰だって言ってたかな。五行に風雷光闇の能力と、死神に匹敵する能力ってのは覚えてるんだが」
「五行に風雷光闇――?! 要するに、俺と氷室とさくらと陽菜と奈菜を合わせたよりも沢山の能力を一人で使えるってことか?!」
「冗談でしょ」
涼子が乾いた笑いをもらす。
「あぁ、あの天才って言ってたかな」
準貴が頭を傾け、顎に手をあてて、一生懸命考えた末に言った。
「武田龍之介――、そう言われれば、うちのクラスにはそんな化け物がいたな」
「誰?」
涼子が聞いてくる。転校してきてからずっと美琴につきっきりだったから、あまりクラスメイトの顔と名前を覚えられていないのだろう。
「教室の後ろの隅っこに、金髪でロン毛の奴がいるだろ? IQ163でイケメンで運動神経抜群っていう、教師も頭が上がらない逆の意味での問題児だ」
「へぇ……」
「とりあえず、外に出ようよ!」
さくらが大きな声を出す。
「そうだな」
扉のない出入り口をくぐり、亀裂の入ったアスファルトを踏みしめた。遮られることなく降り注ぐ日光が顔を照らす。東部と違い、彩度が低い白黒を基調とした建物に囲まれているせいか目が痛い。手を顔の前にかざした。
アスファルトの上を歩いていく。荒んだ人工物を見ていると、自然と肩に力が入る。まるで先日までとは別のゲームをしているようだ。
道路の両脇に並んでいる廃墟を外から眺めながら進んでいったが、人のいる気配がする建物は見つからなかった。
「どうする、一軒一軒お邪魔するか?」
準貴が廃墟の壁に手をかけて寄りかかる。ふとその光景に、青いシャッターの車庫をもつ家が被った気がした。初めて訪れたのにもかかわらず、どこかで見覚えのある町並み。
「まだ道沿いの建物しか見てないし、もうちょっと外れた場所も見に行こう」
違和感を感じる。ここ以外の様子も見てみたいと思った。
「オーケー」
準貴が壁から手を離して姿勢を戻す。
「――その必要はありませんわ」
離れたところから女の声が聞こえた。発せられたと思われる方向を振り向く。
荒れた道路の先では、照り返した熱で陽炎が起きていた。その中に、四つの揺れる人影が浮かんでいる。
「誰だ……?!」
準貴が声を荒げている。俺も目を凝らして、生徒達の顔を確認しようとした。
「おう、ここにもいるからな」
今度の声は近い場所から聞こえた。皆一斉に振り向く。
先程準貴が寄りかかっていた建物の上に、体格のいい男がどっかりと腰を下ろしていた。
ドレッドヘア。剃られた眉毛に、悪い目つき。黒のTシャツの袖口からは、智和以上に引き締まった腕が覗いている。――谷口隼人だ。
陽炎で認識できなかった生徒達の姿も、近づいてくるにつれて徐々に見えてきた。先頭に立っている、先程呼びかけてきた少女は山浦美緒。金縁の眼鏡がギラついている。その後ろには杉浦陸、長谷川蓮、増田孝大が横一列に続いていた。
「なんで――、なんであんた達がここにいるの……?!」
さくらが目を見開き大きな声で叫んだ。
「エターナルリカーランスには手を出さないって約束だったじゃない!」
「あいつの独断だ。俺が引き止める役だったんだがな、柄じゃねぇ」
隼人が美緒を指差して笑った。戦闘を遊戯としか考えていない彼のことだ、さくらには初めから引き止める気があったとは思えなかった。唇を噛む。
「ごきげんよう、貧乏人とその取り巻きの皆さん」
美緒がエターナルリカーランスの四人に近づき口を開いた。さくらを除いた三人が美緒を睨む。
「あら、何でしょう? 皆一様に谷口さんみたいな顔をして」
美緒が呆けた声を出す。自分の睨まれた理由が分からないのだ。
「おい、俺はそんな抜けた顔をしてねぇからな!」
廃墟の上の男が声を荒げた。
「なんでみんなの前に姿を見せたの?」
「なぜ? 敵だからに決まっているでしょう」
「約束が違う。龍之介君は、あたしがニダヴェリルの頭になれば、祐太達には最後まで手を出さないって言ってくれた!」
「龍之介さんは守るつもりでした。でも、私がその約束を守る理由はないでしょう?! そのニダヴェリルの頭という地位を奪われた私が!!」
美緒もヒステリックに喚く。
「そんなもの欲しければいくらでもあげる。私は彼が持ちかけたから仕方なく――」
「仕方なく、ですって?! 彼らと同じ場所に立てることに、どれだけの価値があると思っているんですか?!」
俺は目の前で交わされている会話を聞きながら呆然としていた。話の内容はいまいち把握できないが、かろうじて分かったことがあった。
さくらは俺達を――。十年間の記憶が、それ以上の推測を止めさせる。
「なら、龍之介君と話しに行く。だからさっさとユグドラシルに帰って!」
さくらが取り乱して叫んでいる。
「別に私は、地位を取り戻す為だけに来たわけではありません」
美緒の後ろで黙っていた三人が前に出てきた。
「今日はあなた方を潰しに来たんですから」
「っ?!」
さくらが泣きそうな顔でこちらを振り向く。その力ない姿は、抱きしめただけで壊れてしまいそうだった。
「戦闘だな、大丈夫だぞ」
平然を装って、辛うじて声を出すが、返事はない。
「なぁ、さくら。これが終わったら話してくれるか? 今は何も言わなくてもいいから……」
何故自分はこういうときに、準貴のように気の利いたことが言えないのだろう。思っていることを表に出せないもどかしさを感じた。
「さくらさん、私は昨日このPTの人間を護ると誓った。あなただって例外じゃないわ、私に任せて頂戴」
昨日谷に向かう途中で拾った鈍らの剣を構えて、涼子が力強い声を出す。
「お前も、お前なりに頑張ってくれていたんだよな。――気付けなくてすまなかった。お前は何も心配しなくていい、ここは俺達が何とかする」
準貴がすぐ走り出せるように前傾に構える。
美緒がこちらを向いたまま、後ろの三人に指で指示を出す。すると、陸と蓮と孝大が歩き出てきて俺達の前に立ち塞がった。
「お前らの相手は俺達だ!」
陸が空気を読まない悪役ブリを発揮してくる。天パーと太い縁のお洒落眼鏡の彼は、前を開いた迷彩服と相まって、中ボスの両脇にいる手下くらいのオーラを放っていた。
「陸、お前もユグドラシルに?」
中学以来の友人に尋ねる。
「おう。お前らが誘ってくれないから、拗ねてニダヴェリルの一員になったぞ!」
どうやら陸もエターナルリカーランスに誘って欲しかったようだ。
「今からでもいいか?」
「その一言はオーバーキルだ、いぢけてやる!」
準貴の前には孝大が進み出た。スキンヘッドに立派な腹、まるで海坊主がそびえ立っているようだ。
「お前の能力のことは聞いたぞ。俺と同じ身体強化系だってな」
「ブーステッド?」
「龍之介が分類した、四つある能力タイプの内の一つだ。――五行や四元素に代表される自然属性を扱う、自然操作系。自身の体の性質を変化させる、身体強化系。自身の体を生物に移し変えて操縦する、生体転移系。そしてどれにも当てはまらない異端な存在、特殊異常系がある」
「俺の場合下半身の性質を変化させるから、ブーステッドになるってわけか。へぇー、かっこいいな」
準貴のかっこいい基準をクリアした!
「これから使わせてもらうから、龍之介によろしく言っておいてくれ」
「現実世界で使っても仕方ないだろ?」
孝大が不適に笑う。
「え?」
「お前は! 今日! ゲームオーバーになるんだからなァ!!」
涼子の前には、男子生徒の中でも一番背が低く小柄である蓮が立っていた。
恥ずかしがってもじもじしていた蓮が、意を決した様子でようやく口を開く。
「……実は俺、ずっと氷室のことが好きだったんだ」
真剣に見つめ合う二人。しばらく間を空けて涼子が返事を返す。
「――何、その挨拶流行ってるの?」
また人知れず、一人の男の恋が散った。
三組の生徒が対峙し、遮るものなく美緒と向き合った。迷彩服の所々にキラキラした装飾品が付いているが、初めからこの仕様だったのだろうか?
私は正面に立っている美緒よりも、視界の端に映った、廃墟に腰を下ろしている隼人に神経を集中させていた。
「――そう睨むな。言っただろ、俺は止めに来てんだ、お前らに手を出すつもりはねぇ」
気付かれていたようで、彼が両手を上げて言う。観戦を決めこむつもりらしい。
安心して美緒を視界の中央に映した。
「残念だったね。隼人君は手を貸さないってさ」
「それはよかった。直接嬲らないと気がおさまらないだろうと思っていたところです」
言い終えると、美緒は照準を合わせるように手の平を向けてきた。
灰色の空を射抜く、紫色の光線。廃墟街の外れに建っていた、茶色く錆びた鉄塔が土煙をあげて崩れた。
陸と交戦中だった祐太が、その様子を驚いた顔をして見続けている。
「あれはレーザー? さくらの光の能力――なのか……?」
能力を使用したのは美緒。彼女はそれを放った自分の左手を眺めていた。
レーザー。高い指向性と収束性をもった、コヒーレントな光線。地磁気による影響を受けずに、秒間三十万キロメートルという隔絶した速度で直進する。絞られた光線のパワー密度は太陽表面のエネルギー密度をも上回り、先の鉄塔のように鋼すらも焼き切ってしまう。
「相変わらず、馬鹿げた威力をしてるね」
軽口を叩くが、背中で冷や汗が流れていた。
「威力だけではありませんよ。命中率も、着弾までの速度も、他のみすぼらしい能力の追随を許しません」
言い終えると、美緒は馬鹿にするように口の端を吊り上げた。
「もっとも、同じ光の能力にも関わらず、あなたのものは殺傷能力を持たない無毒無害なものですけれど」
「っ……」
私は唇を噛んだ。――悔しがっているように見えるように。
確かに私の能力では、殺傷能力を持つくらいに高エネルギーの光を生み出すことはできない。しかし私が扱う光は、世界の理を司るもの(アヴェスター)による副産物にすぎないのだ。本質は別のところにある。
美緒が知らないのも無理はない。ユグドラシルのメンバーでさえ、ほんの一部の人間しか私の能力の詳細を知らないのだから。
「まずは、逃げられないようにその両足を頂きましょうか」
美緒が両手の平を私のそれぞれの脚に向けてくる。
「世界の理を司るもの(アヴェスター)……」
能力の名を呟いた。別に口に出す必要はないのだが、この能力は扱いが難しく、神経を研ぎ澄ませていないと想定外の災害を起こしかねない。気持ちの切り替えの意味をこめている。
レーザーが美緒の手から放たれてからでは遅い。その一手前に完了しなければ。
「金枝篇――」
美緒が技名を告げた。
安楽椅子の人類学者と呼ばれた、ジェームズ・ジョージ・フレイザーの研究書か。私と同じく精神的に能力を安定させる目的だろうが、タイミングを取れる分こちらにも好都合だ。
美緒の手の平から、私の両足に向けて二本のレーザーが照射される。人間の目では過程を見ることはできない。次に二人が目撃した光の鑓は、脚を避け後ろに流れていた。
「なんですって?!」
美緒がレーザーを止めて狼狽する。
「金枝篇!!」
気を取り直し、両手の平をこちらに向けなおして、レーザーを私の頭に照射してきた。しかし二本の光の鑓は再び頭の近くで弧を描いて避け、後ろの廃墟を貫通した。
「貧乏人! 何を――、何をしたんですか?!」
質問に答えず、ゆっくりと美緒の前まで歩みを進める。
「答えなさい!!」
四度目のレーザー。胴に当たるはずだったそれは、大きく横に逸れて空に吸い込まれていった。
「ひっ?!」
美緒のすぐ近くに立つ。彼女は思わず目をきつく瞑って、体を縮めていた。
しならせて腕を振る。パチィーンと、鮮やかな音が廃墟の壁で反響した。
金縁の眼鏡が地面に転がる。美緒は赤くなった左の頬を押さえて、私の顔を凝視していた。
「その貧乏人っていうの、好きじゃないの。確かにウチは貧乏だし、生活は豊かじゃないけど、それなりに楽しくやってるから」
「ぶった……? 庶民が御曹司の私を……?!」
貧乏人から庶民にクラスチェンジした!
「ふ、ふはは、アハハハハハハハハッ……!!」
美緒が狂ったように笑っている。このボンボンは人に叩いてもらったことも無いのだろうか。
彼女が落ちていた眼鏡をかけなおしている。
「よくも、よくも親にも叩かれたことがない私の綺麗な顔を……」
「――自分であんまり綺麗とか言わない方がいいと思うよ」
「キーッ、よくもそうしゃあしゃあと……」
「ムスペルとニダヴェリルを連れて帰って。そうすれば見逃してあげる」
踵を返して背中を向ける。美緒は後ろでブツブツと呟いていたが、徐々に冷静さを取り戻し始めたようだった。
「光の能力と言っていたのは嘘だったんですね。フフ、お互い能力を隠しているというのは、考えることが似かよっていたということでしょうか……」
私は足を止めた。彼女は今、何と言った? 『お互い』能力を隠している、と、不吉なことを言い放たなかったか――。
左腕周辺の空気が異常に熱を帯びる。急いで振り返り確認するが、美緒との間には何も見えなかった。
「黄衣の王――」
彼女は読んだ者を狂気へと誘うと伝えられる、ハスターの顕現、禁断の戯曲の名を口にした。
「アクッ?!」
左腕が焼けるように熱い。いや、焼けているのだ。既に周囲の大気は灼熱と化しており、血肉が沸騰していた。
「っああああっ?!」
腕が外側から、内側から、壊されていく。手が勝手に開き、指が何かを求めるようにわなわなと蠢く。染み一つなかった白い腕は、大きな泡のような水膨れに覆われ、生理的嫌悪を催す酸性の腐敗臭を漂よわせていた。
膨張に耐え切れなくなった皮膚が、手首から腕の付け根にかけて縦に裂ける。傷口からは血液が流れ出さずに、かわりに黒い蒸気が上がった。
「う……あッ……」
熱気が止む。電源が切れたみたいに、左腕がだらりと力なく垂れた。
膨張は止まったものの、生々しい傷と黒い変色が残る無残な姿になっている。神経が焼き切れているのだろう、あれだけ暴れまわっていた指はもうピクリとも動かない。
「まぁ、腐ったバナナみたい。――『貧乏人』にはとてもお似合いですよ」
美緒はその凄惨な光景を眺め、嬉しそうに口元を歪めた。