0403;四日目(C)
破壊音や爆音が聞こえてくる中、準貴と人間の姿に戻った真央は谷の斜面に腰掛けていた。
正直言うと少し期待していたが、能力を解除した彼女は元のように迷彩服の上下を纏っていた。
「ごめんね、戦闘の途中だったのに……」
「いいや。そもそも、お前と戦うこと自体不本意だったからな」
「ありがとう」
真央はずっと俯いたまま暗い顔をしている。その理由は教室で聞いてしまったことに関係しているのだろう。
「大切な話があるんだ……」
彼女から、恋人として交わすのも最後になるであろう会話を切り出した。俺は彼女と付き合い始めた夜のことを思い出していた。
getConnection( 18, 中曽根準貴)
それは八月に沖縄で催された修学旅行でのことだった。
二日目の夜、宿泊先のホテルの廊下を闊歩していた俺は、男部屋の扉の前で会話をしている男女を見た。
「そうそう、合コンみたいなものなの。是非龍之介君も一緒にどうかな、って思って」
廊下側にいるのは火原美月だった。学校で見ることのできないかわいい私服もそうだが、湯上がりのしっとりとした髪と火照った顔で、いつもよりも色っぽく見える。
「すまない、そういうのには興味がないんだ……」
イケメンでIQ163とかいうリア充の代表みたいな奴、武田龍之介が部屋の中にいる。それなんてエロゲ――なんとも羨ましいシチュエーションだ。
「そんなこと言わないでよ。きっと楽しいと思うから」
美月が上目遣いをしながら誘う。あんな仕草をされたら、普通男は瞬殺だろう。離れた場所にいた俺も致命傷を受けた。
「――すまない」
しかし龍之介はそれをなんなく防ぎ、バタンと音を立てて部屋のドアを閉めた。残された美月が立ち尽くしている。
武田龍之介。前から気に食わない奴だったが、なんという大悪党だ。今にも泣き出しそうな顔をしている美月(脳内再生)がかわいそうで、心が苦しくなる。
「――可愛い女の子が色気使って誘ってんだよ! てめぇは玉無しか、このインポ野郎ッ!!」
雄々しい叫び。ついでに壁が、突き破られそうな勢いで蹴られた。
――見てはいけないものを見た気がした。どうやら旅行の疲れが溜まっていて、幻覚を見ていたようだ。記憶を奥底に封印する。
美月(?)が、目を吊り上げ鬼のような形相で振り向く。なんて思ったのも束の間、瞬きをした間にいつもの優しそうな表情になっていた。なんだ、やはり気のせいではないか。失礼な幻影を見てしまった。
「中曽根君、丁度いいところに」
「これから祐太とトランプする約束してるんで、すみません、副委員長」
こんな時間に廊下に出ていたのは、缶ジュースを買いに行くところだったからである。
「きっといいことあると思うから――、ねっ?」
先刻の即死属性を持ったスキル、上目遣いが再び発動した。龍之介と違って、俺が耐性を持っているはずもない。
「……御一緒させていただきます」
心の中で祐太に手を合わせて謝る。恨むなら、色気に縁の無かったさくらを。
こうしてホテルのロビーに八人の男女が集まった。
美月の説明によると、ルールはこうだ。まず男女で向かい合って座り、会話を楽しむ。十分ごとに席を回していき、異性全員と話し終えたら終了。最後に気になる人の名前を紙に書いて一斉にオープンする。もしも紙に書かれているのがお互いの名前だった男女がいた場合、二人は付き合うことができる。
「バリバリの合コンじゃないか……」
説明が終わったところで思わず呟いた。
男子の面子は、三次元の女の子と話すと聞いてお腹が痛くなってきた、中曽根準貴。クラスの中でも龍之介と双璧をなすイケメン、石川健太。そして美月と同じ手形村出身である、大塚巧と加藤弘樹。
女子は我らがクラスのアイドル、火原美月。彼女と同じ手形村出身の、出雲真央。留年生のお姉様、黒江綾音。ボンボンのお嬢様、山浦美緒である。
面子の確認をしていたところ、このイベントのカラクリに気づいてしまった。八人のうち四人が美月側の人間である。これは誰かを付き合わせるためのカモフラージュではないか。
合コンが始まった。
最初に俺の向かい側のソファーに座ったのは綾音だった。長い黒髪の少女――いや、女性で、脚を組んで座っている。留年をしているためか、他のクラスの女子とは異なった大人びた雰囲気を醸し出していて、俺はどうもそれが苦手だった。クラスにいる不良の一人、谷口隼人と普通に会話をしている数少ない逸材でもある。
ロビーを見渡す。美月が健太に向かって猛烈なテンションで話しかけているのが見えた。これがこのイベントの本当の目的のようだ。
「ちょっと、聞いてる?」
綾音が不機嫌そうに声を荒げる。
「え? 聞いてなかった」
不意に耳にした言葉に、思わず無神経に答えてしまった。その後十分の間、沈黙の中で過ごさなければならなくなったのだった。
席が回り、美月が正面に座る。先程までのテンションとはうって変わって、腕を組んで不機嫌そうにしている。その後大した会話も無く、気分の悪い十分間を過ごさなければならなかった。
席が回り、美緒が正面に座る。手が込んでいそうな艶やかな黒髪を肩ほどまで垂らし、細い金縁の眼鏡をかけている。身に付けている黒のロングドレスは私服なのだろうか。見た目にだいぶ気を遣っているのだろう、一分の隙もない。
彼女とはあまり話をしたことがなかったので、いい機会だと思い質問を浴びせることにした。
「美緒って、いつも長い車体の車に出迎えてもらってるよな?」
「リムジンのことでしょうか? えぇ、御曹司の私が庶民の使う二輪車なんかで登校したら笑い種でしょう」
世界の違いに軽い眩暈を覚えた。せめて「オホホ」とか「ざます」とか言い出さなかったことを喜ぼう。
「何か趣味とかある?」
「そうですね。――黒魔術や呪術でしょうか。行う方ではなく、収集が主ですが」
美緒が少し上機嫌になって答える。意外だ、乗馬やクレー射撃かと勝手に思い込んでいた。そういったオカルトが好きなら、さくらと気が合うかもしれない。
「そういうのってさくらも興味あるみたいだぜ。今度話してみたらいいんじゃないか」
気さくに話しかける。しかし何が気に障ったのか、美緒は眉間に皺を寄せた。
「さくらさん、ですって……?」
「え、あぁ……」
「この気高い私に、あんな貧乏人と話をしろとおっしゃるのですか?!」
ヒステリックに声を荒げる美緒。貧乏人――、親友に対するその言葉に、俺は無性に腹が立った。その後お互い言葉を発せず、不愉快な十分間を過ごさなければならなかった。
席が回り、真央が正面に座る。四人目。もう最後の相手である。
思えば、一人ともまともな会話ができていない。これだから三次元は嫌になる。
正面のおどおどした少女を見た。何度か話をした事はあるが、そんなに目立つ娘ではなかった。華やかな美月がいつも側にいるのだから仕方がない。しかしこうして改めて顔を見てみて、整った顔立ちに優しい目をしていて、結構な美人だということに気づいた。
「こ、こんばんわ」
緊張しているのだろう、真央が裏返った声を出した。その様子が微笑ましくて、顔に優しい笑顔を浮かべてしまう。
「こんばんわ。あんまり出雲と話した事ないよな?」
「そうですね、私の人見知りのせいかも……。――名前でいいですよ、私も準貴君って呼びたいので」
準貴君。君をつけられるとむず痒い感じがする。
「分かった、真央。俺も君付けないで準貴でいいよ」
「じゃ、じゃあ準貴さんで……」
どうやら呼び捨てで呼ぶことができないらしい、妥協するとしよう。
「さんよりは君の方がいいな」
「はい、準貴君」
硬い表情をしていた真央が微かに微笑む。むず痒いを通り越して、グラッと来た。
「準貴君、美月ちゃんに無理やり連れてこられたみたいだったけど、迷惑じゃなかったですか?」
「大丈夫。心配してくれてありがとうな」
心の中で祐太に頭を下げて謝った。部屋に戻ったら、トランプタワーでも手品でもトランプ投げでも、彼の好きなものをやってあげよう。
「いえ、大丈夫なら良かったです」
「真央こそ巻き込まれているんじゃないのか?」
大人しい彼女が、進んで合コンに参加する姿を想像できなかった。
「……」
真央は苦々しい表情をしている。それが答えのようだ。
「準貴君達、いつも仲がいいですよね」
「祐太とさくらのことか? かれこれ十年以上の腐れ縁だからな。真央達だって仲いいだろ」
「準貴君達ほどじゃないです。私達は中学からの付き合いなので」
先の三人と見合っていたのが嘘のように、普通に会話をしていた。部活の話をしたり、明日の海水浴のことを話していたら、いつの間にか時間になっていた。
「それじゃ」
「はい、準貴君と話せて楽しかったです」
「俺も真央と話せて楽しかった」
正直な感想だった。
八人が最初の席に戻る。隣の巧から、七夕みたいな長方形の紙が回ってくる。
「ハイ。それではその紙に気になった人の名前を書いて、逆さまにして伏せてください」
美月が立ち上がり、進行役を務める。その時、彼女が巧と弘樹に目配せをしているのを見た。
「美月ちゃん良かったよね、ホント」
巧が健太に棒読みで話しかける。
「あのメンバーなら美月だよな?」
弘樹も棒読みで続く。
「え、そ、そうか?」
健太は二人を一瞥して怪訝そうな表情をしている。あれでは逆効果ではないのか。
俺もペンを持った。
さて、名前を書かないという空気を読まない真似はできない。このイベントの真相を知ってしまった以上、美月の名前を書けば無難にいくだろう。
しかし俺の頭には、もっと知ってみたいと思ってしまった少女の顔が浮かんでいた。三次元に興味を持ってしまうとは、オタクの名が聞いて呆れる。
紙に少女の名前を書いた。
「――皆さん書けましたね?」
美月が机の前に立つ。
「では、一斉にオープンして下さい」
皆が同時に紙を表にする。机の上に置かれている、自分の紙を見た。
出雲 真央。下手ながらも、しっかりとした字でそう書かれている。
諸悪の根源である美月は健太の前の紙を凝視し、口を開けて困った顔をしていた。どうやらというか、やっぱりというか、彼女の思惑が外れてしまったらしい。
「じ、じゃあ、みんなの紙を読み上げていきまーす」
さすが副クラス委員長、立ち直りが早い。皆が挙動不審になる。
「石川君が書いていたのは……、黒江さん、でした」
意外にもイケメンの好みはお姉さん系だったようだ。美月が男性陣のソファーの後ろを回っていく。
「巧、弘樹、――私」
淡白に流された。やはり巧も弘樹もただの人数合わせだったらしい。。
「中曽根君……、あら」
美月が言葉を切った。てっきりからかわれるかと思ったが、予想外の言葉が返ってくる。
「あなた見る目あるじゃない。――真央」
斜め前の席にいる真央が息を呑んだのが見えた。彼女は誰の名前を書いたのだろう。楽しそうに話をしていた健太だろうか?
美月は続いて女性陣の席の後ろを回る。
「黒江さんが書いていたのは――、石川君残念、巧でした」
「俺?!」
巧が素っとん狂な声を上げる。
「巧君、純情そうでからかい甲斐があると思ったから」
舌なめずりをする綾音。巧は蛇に狙われたネズミみたいな顔をして、ソファーに深く座って引いていた。
「私が書いていたのは……、石川君……」
声がだんだんすぼまり、語尾がよく聞き取れなかった。
「山浦さんも石川君ね」
美緒が残念そうな顔をして肩をすくめる。
「なんだ、カップル零?」
あくまで残念そうに言っているが、口角が上がっている。そして美月が最後の紙に目を通す。
「真央――」
美月はまた途中で口を閉じた。俺の腕を掴んで引っ張ってくる。
「お、おい?」
そして彼女はもう一方の手で真央の手を取った。
その行動に対する答えが一つ浮かんだが、自ら否定する。いや、絶対そんなことは起こらない。きっとこれからフォークダンスでも始まるのだ。
「真央、良かったね」
美月が優しい声で真央に話しかける。
いや、絶対そんなことは起こらない。きっとこれから――。
「真央は中曽根準貴と書いてくれていました。カップル誕生、はい拍手〜」
ささやかな拍手の中で俺は呆然としていた。真央の方を見るが、彼女も同じ気持ちのようだった。視線に気づき、彼女が微笑みかけてくる。
こうして、俺達二人は奇妙な付き合いを始めた。
End
向かい合って立った。真央が深呼吸をしてから話し始める。
「私達が付き合い始めたのって、修学旅行の時だったよね……」
「あぁ、今でもよく覚えてる」
「私も……」
言葉が切られる。当時のことを思い出したのか、お互い頬を緩ませたが、真央は唇を噛んで顔を戻した。
「でも、あんまり付き合ってるって感じじゃなかったよね」
「――そうだな。デートにも連れて行ってあげられなかったし、お互い友人と一緒にいることが多かったな」
「うん。私いろいろ考えたんだ、なんで私達って恋人らしくなれないのかって……。そしたら、思い当たることがあって――」
真央の目が潤んでいく。胸が苦しい。できることなら俺から切り出してあげたい。けれど俺には決意していることがあった。
「私達ああいう形で付き合い始めたけど、お互いのことを好きで付き合ったわけじゃなかったんだよね?」
「……」
「そう――なんだよね……」
沈黙。真央の目尻に涙が溜まった。誰が見ても、そこは別れ話が始まる時の空気だった。
「ねぇ、準貴君。私達――もう終わりにしようか――」
彼女は大粒の涙を流して言い切った。
「私、邪魔だったよね……、何も彼女らしいこと出来なかったのに準貴君の彼女面して……。ごめんなさい―――」
真央が深く頭を下げた。ズボンを皺くちゃにして握っている手が震えている。地面に雨が降ったように斑点ができていた。
俺は黙って真央の震えている肩を持ち、顔を上げさせた。
「準貴君……」
戸惑った表情で見上げている真央。
「別れ話の後でこういうことを言い出すのは失礼だって分かってる。でも聞いて欲しい」
真央の肩にかけていた両手を降ろし、腹に力を入れて話を始める。教室で彼女の言葉を盗み聞いてしまってから、ずっと考えていたこと。
「俺は――、出雲真央が大好きだ」
彼女に向かって一度も言ったことのなかった台詞を口にした。
「付き合い始めたとき、真央は質素で綺麗な子だなって思ってた。大人しくて、友達思いで、家庭的で、話しやすくて、そんなところに惹かれてた」
目の奥がツーンときた。口を開くたびに涙声になっていく。まだまだ話は続くんだ、耐えてくれ。
「付き合ってから、何をすればいいか分からなかった。雑誌買ってデートコースを考えてみたりしたけど、小ッ恥ずかしくて言い出すことができなかった。友達と楽しそうに話してる真央を邪魔したらいけないと思って、俺から話しかけることができなかった――いや、そう自分に言い聞かせて祐太達と喋っていたんだろうな……。ごめん……」
彼女の言っていた通り、付き合い始めたときは『好き』という感情ではなかったかもしれない。でも――
「でも、そんな中でも真央と接しているうちに真央のことが大好きになった。好きなことに関してはとってもお喋りで、ヤキモチ妬きで、怒ると怖くて……。新しい面を知るにつれてもっと好きになった。もっと知りたいと思った」
そんな彼女に、ごめんなさいと言わせた。邪魔だったよね、なんて言わせた。俺はとんだ大馬鹿野郎だ。
「今更だけど、俺達に『これから』があるのなら、意地なんて捨てて一緒にデートに行きたい! 駅で待ち合わせて、一緒に学校に行きたい! 一緒に昼飯を食べたいし、できればお弁当を作って欲しい! 俺、これから頑張るから!! ――真央に寂しい思いをさせないように頑張るから!!」
引っ切り無しにしゃくり上げてくるせいで、声が続かない。
「だから、もしも――、もしもまだ俺のことを嫌いでなければ、やり直すチャンスをもらえないでしょうか!!」
彼女に負けないくらい深く頭を下げる。目から大粒の涙がこぼれた。
落ち着いてきた頃、前から嗚咽が聞こえているのに気付いた。思わず顔を上げる。
真央が両手を顔に当て、声を出して泣いていた。
「――私ヒクッ、私こそ、やり直したいです。準貴君が私のこと好きじゃないと思ってたから、別れようなんて言ったけど……、私、準貴君のこと大好きです!! できるなら、ずっと一緒にいたいです!!」
真央が手を下ろして、涙で歪んだ顔を見せる。彼女の前に立ち、そっと背中に手を回した。
「――だったら、ずっと一緒にいよう。寂しい思いさせて本当にごめんな、真央……」
今まで何もしてあげられなかった分を返すように堅く抱きしめた。