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IOException  作者: 175の佃煮
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0402:四日目(B)

 各々の都合などお構い無しに、ゲームは着々と進んでいく。アップステアーズの仮想世界では今日もまた、二人のプレイヤーが脱落しようとしていた。

 東部と西部を繋ぐ谷にて、虎視眈々と獲物を待ち続けていたのは四人の生徒。無用心に通り抜けようとしていた二人のプレイヤーが彼らに気づいたのは、破壊力抜群の一撃を見舞われてからだった。なんとか速さが自慢である生徒のお陰でかわせたものの、四対二という形勢の不利は覆せない。


 唇を噛む二人を、大きな影が見下ろしている。頑強な蒼い鱗。地面に横たわる、太くて長い尾。裂けた口から覗く長い牙。不気味な縦長い瞳孔。爬虫類の様相でありながら、そのすらりとした身体は知性を感じさせる。まるでファンタジーに出てくる、あの暴君のようだ。


「ドラゴン……?! ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから……」


 二人のうちの一人、準貴が苦々しく呟く。心なしか竜の口元が歪んだように見えた。


「青竜、俺達はそう呼んでる」


 どこからともなく巧の声がする。襲われているもう一人であるさくらが、辺りを見回して声の出所を探す。


「ここだよ」


 竜が身を乗り出し、鋭い歯の生え揃っている口を開いた。関節が軋んで重々しい音を上げる。


「自分の体を竜に移し替える。これが俺の能力だ」


 まるでスケールが違う。二人は口を半開きにして呆けていた。

 竜の後ろからは、美月、真央、弘樹の三人が見守っている。巧一人で十分だ、とでも言いたげに手を出す様子を見せない。


 大きな曲率をもった鋭い鉤爪が赤土を掻く。準貴はさくらを下がらせ、いつでも跳び出せるように軽く膝を曲げて構えた。

 太く重い腕が地面から離れる。爪を内側に巻き込みながら振られた、単純な横薙ぎ。勢い余った鱗の腕が、谷の岩壁を抉って崩す。

 竜が長い首を曲げて真上を見る。瞳に映っているのは、太陽に被った人型の影。準貴は竜の攻撃を上空に跳んで避けていた。


「デルタダートッ!!」


 振りぬかれる右足。押し出された大気が衝撃波となって急降下する。

 ――直撃。鈍重な動きの竜はかわすことができなかった。巨体がよろめく。


 着地した準貴がさくらにガッツポーズを見せる。しかし手形村の三人は全く動じていなかった。それどころか美月は頬を緩めている。


「へ〜、それが準貴の能力か」


 崩れるガッツポーズ。無傷の竜が姿勢を戻して、平然と口を開く。


「まじかよ……」


 準貴が額から冷や汗を垂らして、ポツリと言った。真央が一歩前に出る。


「準貴君、さくらさんと降伏して下さい」


「魅力的なお誘いだな。だけどここで俺が逝っちまったら、後であいつが来た時困るだろ」


「馬鹿じゃないの? あいつは、もうやらないって言ったんでしょ」


 美月(?)が眉間を寄せて煩わしそうに言う。


「来るよ。あいつは他人を放っておけない性質の奴だからな」


「仮に来たところで、この戦況が変わることはないと思うがな」


 弘樹が口を開く。


「おい、さくら!」


 準貴が振り返ることなくさくらに声をかける。


「な、なに、準貴?!」


「フォーメーション・ヘルオアヘヴンだ!!」


「え、何そ――分かった!!」


 ――フォーメーション・ヘルオアヘヴン。それは絶体絶命の時に使われる、エスペランサー南に伝わったり伝わっていなかったりする、なんか凄い最終奥義である。決死の覚悟を決めた者の掛け声により発動し(任意)、奇門遁甲により割り出した吉方位かどうかは知らないが、二人は攻撃を繰り出す(アドリブ)。……要するに、はったりをかますのである。


「うぉぉ!」


 準貴が曲げていた膝を伸ばし、一気にバネを開放して竜に蹴りかかった。竜は固く目を閉じていて、迎撃することができない。さくらがタイミングよく閃光を当てていたのだ。

 竜の横面に跳び蹴りがきまる。鈍い音を立てて首が曲がっていく。


「やった……」


 完璧な一撃だった。それが人間であれば、誰であろうと一撃で倒すことが出来たであろう威力。

 しかし彼のような、獣に変化する能力の攻撃力と防御力は異常であった。竜がゆっくりと頭を前に向ける。


「いい支援と攻撃だった」


 竜は巧の声で、さも戯れのようにそう言い放った。さすがの準貴も、これには挫けた。


 全長の半分を占める長い尾が、二人まとめて薙ぎ払おうとする。二人のプレイヤーがここで脱落した。その場の誰もがそう思った。



 時間が止まったように七人と一匹が静止している。木の幹みたいな太い尾を防いでいるのは、氷の盾と鋼の剣。

 皆がその乱入者達を驚きの目で見ている。沈黙を破ったのは準貴だった。


「タイミングが良すぎるんだよ、お前は」


「ごめん、ちょっと狙った」


 氷の盾を昇華させながら祐太が口を開いた。


「で、このご婦人を紹介してもらえるか?」


 祐太の隣で竜の尾に刃を立てている、パイナップル頭の少女を指差している。


「氷室涼子さんだ。エターナルリカーランスに迎えたいと思うんだけど、どうだろ?」


「逃がさないように捕まえとけ」


 準貴が笑う。


「祐太の紹介なら仕方ないね」


 さくらも口ではそう言うものの、どこか嬉しそうだった。


『エターナルリカーランス、PTメンバーが更新されました。『斉藤祐太、中曽根準貴、常盤さくら、氷室涼子』』


「えぇと、不束者ですが、どうぞよろしく」


 照れ臭そうに二人に頭を下げる涼子。こうして、エターナルリカーランスの全員が集った。




「ホントに来やがった……」


 竜の向こうから女の子の声が聞こえた。汚い言葉遣いだが、どこかで聞いたことのある声質な気がする。


「……誰?」


 尻尾で前が見えないので、背伸びして声の主を探す。


「驚かないでよく聞けよ」


 準貴はそう言って、俺に見えるように三人のうちの一人を指差した。


「あれが素の美月なんだ」


「……うそーっ?!」


 指の先には、顎を突き出していかにも不機嫌そうにしているクラスのアイドルの姿があった。言われてみれば確かに美月の声に似ていた。


「え、何? あんたにはいい子ぶってたつもりは無かったんだけど。うざっ……」


 記憶に残っていた上品な仕草の彼女の姿が、悪魔みたいな醜悪な表情に変わった。


「一日中猫被ってんのも、案外かったるいのよ? 弘樹ぃ、こいつらが来たところで戦況は変わらないって言ってたわよね?」


「そうだ。これで四対四、俺達も能力を開放して楽しもうじゃないか」


 言い終えるのと同時に、弘樹の体が急に幅広く大きくなった。

 竜同様に鱗の生えた、黒く太い手足が赤土に沈む。いきり立つ、ちょっとエッチな頭。背中には鋼のような甲羅。3mはある巨大な玄い亀だ。


「そうね。思う存分暴れさせてもらうわ」


 抜けた羽が舞い散る。美月の背中から翼が生えたのかと錯覚した。

 広げられた紅の両翼。鋭い鉤爪を生やした四本の趾。濁りのない凛とした瞳。先端が急に曲がっている嘴。彼女は巨大な紅い鷲になった。


「私、準貴君の相手してもいいかな?」


 大人しかった真央の表情が一転し、凶暴な面に変わる。

 重厚とした体躯。黒縞の入った白く太い四肢。不似合いな細い尻尾。長く鋭い四本の犬歯。こちらは巨大な白い虎。

 俺達の乱入に驚いていた手形村の四人も、自分達のペースを取り戻し始めたようだ。しかし竜に鷲に虎とは、見事に凶暴な生き物が揃ったものだ。……カメ?


「なら俺は、涼子ちゃんと戦おうかな」


 竜が長い尾を引き涼子と向き合う。


「俺は美月の出方に合わせるが?」


「あたしは、斉藤と遊んであげようかなー?」


「うむ、なら俺はさくらちゃんの相手をしよう」


 鷲が頭を起こして俺を睨みつけてくる。亀は地響きを立てて四肢を動かしながら、さくらの方へ向かっていった。




 もうここには来ないと決心したはずだった。しかしこうしてまた足を踏み入れている。

 感触を確かめながらゆっくりと手を握る。相変わらず接続は良好で、この世界に歓迎されているように感じる。ここは不思議な場所だ。製作者は思惑通りとほくそ笑んでいるのかもしれないが、当人達はそれを知りながらも自分の信念でこの世界を駆け巡っている。自分も足掻いてやろう、この最高の仲間達と。


 鷲が翼を広げると、初列風切羽の先は岸壁の端から端まで達した。逆三角形の体躯から生み出される威圧感に足がすくむ。猛禽類に狙われた野ウサギはこんな気分なのだろうか。

 鷲は何度か大きく羽ばたいて、上空に舞い上がっていった。あっという間に小さな影になる。彼らのような変身するタイプの能力のことはよく分からないが、今はあの鳥を倒すことしか選択肢は無さそうだ。左手の上に氷の球を作った。


「届けぇ!」


 軽く上に放り投げた後すぐさま両手を組み、落ちてきたそれを真上に撃ち出した。氷の球は重力に反して地面を離れていく。――失速が激しい。悠々と弧を描いて避けられた。

 鷲はそのまま急降下を始める。翼を折り畳んで体をピンと伸ばしたそれは、重力の恩恵を受けてさらに速度を増していく。

 砲弾みたいな鷲の急襲を受ける前に、間一髪のタイミングで地面と平行に厚い氷の壁を凝結させた。即席の氷の盾だ。即座に嘴が突き刺さる。亀裂が放射状に走り、あっという間に盾は突き破られてしまった。勢いを殺すことなく鷲の砲弾が突っ込んでくる。


「くそっ……!」


 あらん限りの力で後ろに跳んだ。嘴により地面が穿たれ、散った土石が全身に浴びせられる。腕をかざして目を守った。

 腕を下ろす。先程まで俺がいた場所には、砂埃を巻き上げ頭を地面に埋めた鳥の姿がある。その様はまるで暖炉で焼かれている七面鳥のようで、妙にシュールだった。

 最初に撃った氷の球が、一人と一羽の間に落ちて砕けた。


 鷲が足で踏ん張って穴から首を抜く。


「氷の能力? 派手さに欠けるわねー」


「そうだな。火原の能力は――その、ユーモアだな」


「?」


 心情を察したのか察していないのか、鷲は飛び上がらずにその場で大きな翼を広げた。

こちらに腹部を向け、被せるようにゆっくりと翼を閉じる。再び開き、閉じて、開いて、だんだんと羽ばたく速度を上げていく。扇状に強風が巻き起こった。


 なるべく重心を低くして体勢を保つ。あの巨体を持ち上げるだけの風力だ、むやみに近づけば地面に足をついていることはできないだろう。

 手馴れた氷の球を、吹き飛ばされないように慎重に右手の中に作る。両腕を前に突き出し、姿勢を低く保ったまま氷の弾丸を鷲めがけて撃ち出した。失速は少ない。今度は避けられることなく羽の付け根に直撃した。しかし風は止まなかった。


「痒かったけど、それだけ?」


 嘴から発せられる美月の声。急所と思われた部分でさえ、傷を与えることができないようだ。

 鷲が羽ばたきながら一歩近寄ってくる。俺は足を地面に擦らせながら、なんとか一歩下がる。先程より風力が増した。これ以上近づかれる前に羽をなんとかしなければ。

 地面についていた両手を再び組んで前に突き出した。撃ち出す弾丸は、凝縮させた水の塊。


「くらえっ!」


 掛け声と共に水の塊を撃ち出した。圧力波に耐え切れず形状を崩し、ショットガンみたいに円錐状に分散していく。

 水が鷲の全身に浴びせられ、痛そうなクラップ音を立てた。羽ばたきが止まる。傷つけるほどの威力はなかったが、一瞬怯ませることができた。


 駆け出す。追撃の好機。

 鷲に向かって左手を突き出し空を掴む。被っている水が急速に固まり、全身の動きを封じた。続いて地面に向かって突き出した右手の中に、ゲームでよく見る両刃の剣――クレイモアに似せた氷の剣を凝結させる。


 鷲の足元に立つ。黄色い瞳が俺を見下ろしている。


 剣の柄に左手をかけ、翼の根元に向けて勢いよく刃を振り下ろした。剣から直に、肩がいかれるかと思うほどの衝撃が伝わる。思わず顔をゆがめた。動きを封じていた氷も、氷の剣も砕ける。

 しかし、この機を逃す手はない。即座に氷の球を凝結、先程斬りかかった箇所に撃ち出す。ほぼ零距離の射撃。


「かはっ……?!」


 反力で後ろに吹き飛び転がった。もし踏ん張っていたなら、腕の関節が潰れて使い物にならなくなっていただろう。ふらつきながらも起き上がり、自分の残した傷跡を確認するため、鷲の方を振り返った。


「なっ……」


 絶望で頭が真っ白になる。氷の剣での斬撃、零距離からの氷の弾丸、いずれでも鷲を倒す自信があった。しかし目の前には無傷の鷲の姿がある。


「痒かったけど、それだけ?」


 俺の努力を嘲笑うかのように、美月はそう繰り返した。




 幾度も振り下ろされる鞭のような尾。オーバーに振られた腕は赤土の地面ごと抉る。絶えず巻き上がる土埃が谷に溜まっていくその光景は、さながら爆撃を受けているようだった。

 土煙のせいで何も見えなくなり、竜はようやく動きを止めた。


「やりすぎちゃったかな……。生きてる?」


 死体が出てくるのに脅えながら、視界が戻るのを待つ。薄れた土煙の中に人の影が現れた。爆撃など無かったかのように、涼子が剣を肩に担いで威風堂々と立っている。



「ヒュ〜」


 トカゲが嬉しそうに、どうやってやったかは知らないが口笛を吹いた。

 尻尾の先から頭まで視線を移す。しかしまぁ、でっかいトカゲだ。コモドオオトカゲとかいうやつだろうか、よく知らないが。


「こうやって面と向かって話すのって初めてだよね?」


「そうなんじゃない?」


 考え事をしていたので、てきとうに返事をする。ウーパールーパーってどんな顔だったろうか? エリマキトカゲなら辛うじて覚えているのだが。


「実はさ、俺、涼子ちゃんのこと密かに狙ってたんだ。ひょっとして、もう祐太がお手つきしてる?」


「あー、そうね。もうベタベタに触られたわ」


 薬の切れている時に、どさくさに紛れて体を触られた気がする。無関心に言い放った。


「え、そうなの?!」


 対話しているのとは違うところから、大きな声が上がる。さくらの声のようだ。


「違う! 誤解を招くようなこと言わないでくれ!」


 同じく違うところから、祐太の叫び声が続く。


「まぁ、そんなのどうでもいいわ。今度は私から攻撃させてもらおうかしら」


 二人の叫び声を無視して、柄の長い両刃の剣を切っ先を下にして構えた。剣道をするつもりはない。直感に従って、てきとうに振るつもりだ。


「どうでもいいか。傷つくな、それ……」


 人知れず振られたトカゲが呟き、私に攻撃のチャンスを与えるように、無防備な格好で体を起こした。

 トカゲにしておくのがもったいない、殊勝な覚悟だ。私は左手だけで柄を持ち、右手を刀身に被せた。指を鳴らす。火花が大気中に生成した炭化水素に伝わり、刀を青い炎に包む。


「火の能力か……、綺麗だ」


 トカゲが感嘆している。というかふと気付いたのだが、あれは素のトカゲではなくて、生徒の能力なんじゃないか? まぁどちらにせよ丸焼きにするつもりだが。


「焼け跡は酷いものよ」


 切っ先を下に向けたまま走り出す。間合いに達するのと同時に、フルスイングで腹を薙いだ。


「チッ」


 舌打ちする。――傷すらつけられていない。まるで金属でも斬りつけたような感覚だった。お前の攻撃なんて効かないぜ、とでも言いたげに、トカゲがのん気な顔で見下ろしている。


 剣の柄に『右手を添えて』トカゲの前に立つ。片手だけで十分だと思っていたのだが、体がなまっていたようだ。

 軸足を思い切り踏み込んで切り上げた。青い炎が軌跡を描き、逆袈裟に空を切る。


「あ……」


 受けるつもりだったのを、思わず避けてしまったのが不思議だったのだろう。トカゲの口から声が漏れる。

 先の軌跡を辿らせて、剣を斜めに振り下ろす。


「――紅蓮」


 揺らいだ火が刃から離れ、青い三日月の炎が放たれた。棒立ちしていたトカゲの胴に当たって体を炎に包む。しかしトカゲはついた火をものともせずに突進してきた。火が風に洗い流されるようにして消える。

 薙ぎ払ってきた長い尾を、上に跳んでかわす。トカゲは即座に、牙の生え揃った口を目一杯に開いて追撃をかけてきた。空中にいる私は避けられない。


「ちっ……!」


 剣を横にして口に当て、トカゲのでかい頭を薙いで後ろに流す。

 地面に降りると同時に、体を捻り剣を持っていないほうの手で火の玉を撃ち出した。着弾する直前に、力強く手を握り締める。


「――不知火!」


 火球が周囲の空気を吸い込み、形状を崩す。次の瞬間、熱風を撒き散らしながら炸裂した。大きな爆音を立ててトカゲの巨体を吹き飛ばし、背中から谷の岸壁に叩きつける。



「ふぅ……」


 上がる土煙を眺めながらため息をついた。燃料を与えるのを止め、剣の炎を消す。


「――上手い立ち回り方だな。なんか武道やってたのか?」


 岸壁から巧の声がする。


「帰宅部だったっけ。もったいない、うちの野球部に入らないか?」


 煙が流れ、無傷のトカゲの姿が露になる。その何も無かったみたいな態度に、イラっときた。


「気づかない気持ちも分かるけど、私これでも一応女の子だから」


 威力を抑えたとはいえ、あの黒い化け物にダメージを与えた爆発が効かなかった。この分だと、先程の斬撃が上手く入っていたとしても斬れたかどうか怪しい。


「いや、女の子でも男の子でも間の子でも大歓迎だよ、うちは」


 あの硬い鱗を貫くのは無理と考えた方がいいだろう。比較的薄く細かい鱗が密集している関節を狙うか? いや、そんな細かい部分にフルスイングを決める腕も自信もない。


「フッ――!」


 剣に炎を灯し、息を吐き出しながら駆け出す。トカゲも口を開いて、頭から突進してきた。

 剣を振り上げないまま牙の射程圏内に入った。鋭い牙の並んだ顎が、私の頭を喰い千切ろうと勢いよく閉じ始める。

 ようやく剣を動かし、トカゲの口の中で縦にして立てた。


「アガッ……」


 口を閉じれば、自らの強靭な顎の力で風穴を開けることになる。顎の動きが止まった。

 みっともなく開いたままの口に、右腕を挿し入れる。ぬめっとしていて生暖かい。あぁ、穢されてしまった。


 トカゲが異変を感じ、決意を固めて再び口を閉じ始めた。縦にされていた剣が口の中を突き進んでいく。



 苦痛はない。それが彼らの能力。

 能力使用と同時に自身の座標が生物の座標と入れ替わり、その生物の視点で操作することが出来る。よって痛みはなく、壊れても本体が死んでいない限り次の日には元に戻る。



 腕の上下から、ナイフみたいに尖った牙が迫ってくる。しかし私は腕を抜かなかった。

 口が閉じる。柔らかな白い腕に矢尻型の牙が造作もなく突き刺さり、鮮やかな赤色の血がぶちまけられた。


「く――?!」


 耐え難い痛み。苦悶の表情を浮かべた。

 さらにトカゲが顎に力を込める。骨がミシミシと音を立て、皮肉にも残された神経から、焼けるような激痛が伝達される。

 そろそろ十分だろうか。腕の感覚が無くなってきているが、むしろ好都合かもしれない。今まで歯を噛み締めていた口の端を歪めた。


「踊ってみろよ、風船みたいに、ね。――火之迦具土かぐづち


 トカゲに噛まれている方、右腕に巻かれていた包帯に火をつけた。炭化水素を含ませた包帯は、導火線のように炎を口の中まで伝えていく。着火。腹の中にたらふく溜められたアセチレンに火が入る。

 控えめに、されど着実に燃え移っていく炎が喉を炙り、筋を焼き切り、強制的にトカゲの口を開けさせる。私は右腕と剣を取り出し、全速力で走った。

 開いた口から酸素が流れ込んでいく。くすぶっていた炎が爆発的に広がっていく。次の瞬間、トカゲの体は文字通り風船のように膨らみ、激しい爆発音と共にその肉片を辺りに飛び散らせて砕けた。

 伏せっていた私の上に、血やら肉片やら骨片やらが降り注ぐ。


「はは……」


 腕の痛みは爽快感の前に消え失せていた。


「ざまぁみろ!!!」


 半回転して仰向けになり、飾り気のない大声で叫ぶ。

 トカゲのいた場所には、人間の姿に戻った巧が同じく血肉を被り、呆然とした表情で腰を抜かしていた。




「はぁ、はぁ……」


 谷から岸壁の斜面を登ったところにある林の中を、荒い呼吸をしながら走っているのはさくらである。その後ろを、ゆったりとした動きで黒い影が追いかけていく。彼らが通った跡はまるで竜巻でも通ったかのように、木が根元からへし折れて散乱していた。


 苦しい。胸が刺すように痛い。こんなことなら準貴みたいに普段から運動しておくんだった。


「いつまで逃げ回るつもりだ?」


 背後から追ってきた亀が、徐々に距離を詰めてきている。あの四体の中で一番鈍足だと思われるが、それでもあれだけ体が大きければストライドも馬鹿みたいに長い。亀が木をへし折りながら走ってくる速度の方が、私の全速力より速かった。


 私は足を止め、周囲を見回した。ここまで来れば大丈夫だろう。ここならエターナルリカーランスの三人からも、手形村の他の面子からも見られることはない。


「ここでいいや」


「なんだ、自分の死ぬ場所でも探していたのか? 大人しく降伏してくれれば殺すつもりはないんだが」


「ううん、こっちの話。気にしないで」


 祐太は、何か吹っ切れた様子の涼子を連れて戻ってきてくれた。おそらく彼が彼女の助けになってあげたのだろう。さすが、私の自慢の親友だ。そのお節介なところに私も何度も救われた。

 ――だから、後ろめたくてここまで来た。彼らに自分の能力を見てほしくなかったから。彼らに自分が裏切っていることを知られたくなかったから。


「では、続きといこうか」


 某特撮のように、亀が二本の後ろ足で立つ。頑丈そうで巨大な体。――格好の鴨だ。


「ううん、今から始まるの」


 亀が恐らくは怪訝そうな顔をする。


「――世界の理を司るもの(アヴェスター)」


 自身に語りかけるように、能力につけた名前を呟いた。相変わらず林の中は静かで、特に変わった様子はないように見える。


 疑問に思いながらも、痺れを切らした亀が突進しようとする。が、転びそうになり足を止めた。いや、足は既に止まっていた。足の裏が地面から離れないのだ。

 私から亀のもとに歩いて行く。太い腕が届きそうな位置で足を止めた。

 しかし亀の目は未だに、私が先程までいた場所を睨んでいる。まるで、そこに『常盤さくら』の姿を認識しているように。


「うぉ?!」


 突然亀がうつ伏せに倒れ、自然な格好になった。起き上がれないどころか、両手足、首と尾までもが地面にくっついて動かすことができずにいる。


「何をした?」


 地面に貼り付いている頭が、かろうじて口を開き搾り出したように声を出す。


「これが、あたしの能力なの」


 私は返事をしながら、あの男の台詞を思い出していた。『お前の能力はそんなものではない、世界の理を司るものだ』。


「バイバイ、また明日」


 膝を曲げて、横たわる亀の顔を覗き込んだ。その目に私の姿は映っていないだろうが。


「死を齎す十六の厄災アンラ・マンユ――」


 呪詛を吐くように、その技の名を発する。絶対悪、今の私に似つかわしい。

 巨体から血飛沫が、まるで赤い柱のように高く吹き上げた。亀だったものから黒い物体が転がり落ちる。私の足元で止まったそれは、真ん丸の目玉をこちらに向けていた。太い手足も根元から綺麗に切断され、付いていた場所のすぐ真下に転がっている。


 私は、私を避けて降り注ぐ血の雨の中で、沈んだ気持ちでその場に屈みこんでいた。

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