0401:四日目(A)
部屋に目覚まし時計の電子音が響いている。ベッドの上に部屋の主の姿はない。祐太は机と壁の間に挟まり、膝を抱えて座って震えていた。今朝は一睡もしておらず、目は腫れ、冷や汗でパジャマが湿っている。
「俺が――陽菜を殺したんだ……」
その言葉を何度繰り返したことだろう。俺の脳裏にはいまだに倒れた彼女の姿が焼き付いていた。
「祐太ー、準貴君が迎えに来てくれたわよー!」
ドアの向こうから母の声がする。
「すみません、ちょっとお邪魔します……」
「ごめんなさいね、何やってるのかしら、馬鹿息子は……」
乱暴に廊下を歩く音が聞こえてくる。
「おい、学校行くぞ。ネトゲでひきこもるな、俺にレンタルお兄さんをさせるつもりか」
準貴が引き戸を開け、部屋の隅に俺の姿を見つけて歩み寄ってきた。
「俺が、陽菜を殺したんだ……」
顔を覆った手の隙間から準貴の姿を見た。
「ゲームの中でだろ? ほら、さっさと着替えろ」
鳴りっぱなしになっていた目覚まし時計を止めて、制服を投げてよこす。
「ゲームの中? でも、あいつ鼻から血が出てて、口から血が出てて、耳から目から……」
はっきりと思い出せるその色、質感、臭いがそれは虚構でないことを証明する。
「学校行くぞ。自分で確かめてみろ」
準貴が手を引き、立ち上がらせてくれた。
「うん……」
「それと、さくらのやつだが、また朝一番で学校に行ったらしいぞ」
昨日さくらの様子がおかしかった。けれど今は深く考える余裕がなかった。
「二日連続っていうのはちょっとおかしいと思ってな。今は自分の問題を何とかしろ、いいな?」
電車に乗った記憶が曖昧である。気づけば二年二組に向かう廊下を準貴と共に歩いていた。
「お前、朝練は?」
「こんな状態の友人を放っておけないだろ」
「ごめん……」
「まぁ、ここんところ気張ってたし、丁度良かったけどな」
教室には昨日の面子、それに窓際でお喋りをしている女の子二人の姿があった。俺と準貴に気づいて歩き寄ってくる。
「陽――菜……?」
「そうだよ、陽菜ちゃんだよ。おはよ、斉藤。準貴」
「おはようございます」
何事もなかったように、奈菜と陽菜が明るく挨拶をする。その能天気な声は間違いなく陽菜のものだ。目の前の彼女の姿が、脳裏に焼き付いていた彼女の姿と被った。
『ゲームの中でだろ?』、今朝の準貴の言葉が蘇る。そう、あれはゲームの中での出来事だった。現実の彼女は生きていた。再び彼女と言い争うことができる。触れることができる。押し殺していた感情が溢れてくる。
「陽菜ッ!!」
正面から陽菜に抱きついた。
「ちょっ?!」
陽菜は赤面して慌て、奈菜は口を押さえて目をそらしている。
「いや、その、教室には人の目というものがあったり。いや、嫌じゃあないんだけど、そもそもそういうことは順序とかそういうものがあって――あぁもう、何言っているんだあたしは」
「よかった、本当によかった――」
涙が止まらない。絞り出すように言葉を発した。とうとう陽菜が諦めたようにため息をもらす。
「あー、よしよし。いい子だから泣かないの」
短い腕を伸ばし、嗚咽が止まるまで頭を優しく撫でてくれた。
――正気に戻る。暖かい感触。腕の中に陽菜がいる。
――冷静になれ。他のクラスメイトが若干引きながら凝視している。赤面して離れた。
「ご、ごめん……」
「柄にもなくドキドキしちゃったぢゃない……」
陽菜の顔も真っ赤に染まっている。
「こいつ、アップステアーズでお前を殺したこと引きずっててよ」
親指で指差して準貴が説明を始める。あのままだと俺はただの変態だと思われていただろう。持つべきものは親友か。
「あれはあたしが自爆したようなもんでしょ? なんで斉藤が気にしてるのよ、気色悪い」
「ごめん……」
「――がんばりなさいよ」
顔色の戻った陽菜が、照れ隠しをするように腕を組んで目を逸らした。
「え?」
「あたし達だっていっぱしに夢持ってたんだから、あんた達が生き残ってくれないと無駄死したようなもんじゃない」
「実際、無駄死だろ」
準貴が口を挟む。
「うっさい! あーやだやだ、あたし達はゲームオーバーした連中同士でお喋りしよ。おーい、七海ちゃん、聖君!」
「早速に除外されたのは残念ですが、姉さんのいい顔が見られたので良しとします。では、失礼します」
二人は上機嫌で七海と聖の席に向かって行った。いい顔というのは、陽菜の赤面していた表情のことだろうか。奈菜も姉に似て腹黒い娘なのかもしれない。
「気にしてないってよ」
「うん……」
「にしても、加瀬は三日目でリタイアか。てっきり優勝候補かと思ってたんだけどな。――これで四人もリタイアしたことになるのか」
「三日で四人はむしろスローペースだと思うけれど」
後ろから美月の滑舌がよく可愛らしい声が聞こえてきたので、慌てて振り返る。いつの間にか手形村の四人組が近くに来ていた。頭を下げて挨拶する。
「おはよう」
「おはよう!」
野球青年の巧が元気よく挨拶を返す。
「えっと、おはよう……」
準貴が真央に向かって挨拶する。
「おはよう――ございます……」
返しはするものの、彼女は準貴に視線を合わせようとしなかった。
「お前ら、さくらちゃんとケンカでもしてるのか?」
弘樹がその様子を怪訝そうに眺めながら声をかけてきた。
「別にしてないけど、なんで?」
「いや、俺が学校来たとき、武田や榊と教室を出て行ったからな」
そう言われてみると、武田龍之介と美琴の席に既に鞄がかかっていた。
「そういえば谷口君も一緒だったよね」
美月が顎に指を添え、上品そうな仕草をして付け加える。薄いピンク色のネイルをしていた。
「不良がこんな朝早くに学校来てるんだぜ? 槍が降ってもおかしくないさ、いや全く」
巧が親指で窓を指差して言い放つ。
「あとで聞いてみるよ」
「それがいいと思うぞ。PTは複数所属できるから、裏切られることもあるだろうし」
「それはないだろ、俺達に限って」
弘樹は忠告をしてくれたようだ。しかし俺には、十年近く一緒に過ごしてきた、親よりも信頼できる親友が裏切るなんて考えられなかった。
「まぁ、何にせよ女心と秋の何とも言うからな」
その日さくらは、ホームルームの直前になって教室に戻ってきた。二人に視線を合わせようとせず、あまり調子が良くないように見える。
俺は弘樹の言葉を思い出したが、それを押しやるように机に伏せった。
「部活行ってくるわ」
「怪我気をつけてねー」
最後の授業が終わり、準貴が鞄を肩に掛けて席を立った。教科書を鞄に詰めていたさくらが手を振る。
「――なぁ、準貴」
準貴の背中に話しかける。授業中に寝たお陰で、だいぶ目の腫れがおさまっていた。
「あ?」
「俺、もうあのゲームやらないと思う」
それが最善だと思った。あれはゲームではない、一人の幸せの為に二十六人を不幸にする悪魔の取引。幸せは自分の努力で手に入れることができる。
「そっか、ちょっと残念だな。お前らとゲームで遊べるのは楽しみだったんだけどな。俺は今日もインしてると思うから、やる気になったら連絡くれよ」
「……」
黙ったまま頷いた。準貴には悪いが、その機会はないだろう。もしまたやることがあるとすれば、あのゲームに違う目的を見出した時だろうか。
準貴が教室を出ていくのと同時に、さくらも席を立った。
「ごめん、祐太。今日用事あるから」
「あぁ、また明日」
彼女は両手を合わせて申し訳なさそうに教室を出て行った。
周囲の席に誰もいなくなった。一人で帰るのは久しぶりだ。特に目的はないが、たたら中央にでも行ってみようか。
ふと、いつか誰かが言った言葉が脳裏に浮かんだ。
『このゲームが終わったとき、君達は今までどおりの関係でいられると思うかい?』
三人がバラバラになっていく。今はそんな予感がしていた。
すっかり裸になった桜に囲まれている校庭。その半分を占めるトラックには、一列に並び掛け声を掛けてジョグをする陸上部員達の姿があった。いつものように二周の周回を終え、円形に並んで体操を始める。
準貴の隣では同じクラスである佐藤大樹が屈伸をしていた。
「準貴、お前今日の朝練に来なかったよな」
「連絡入れなくて悪かった。ちょっと急用ができてさ」
大樹は俺と同じ短距離の選手であるが、少々扱い辛いところがある。特に俺は彼に目の敵にされていた。
「お陰でパートリーダーの予定が狂って迷惑したぞ」
明らかな敵意をもって責めてくる。そこまで嫌われることをした記憶はないのだが。
「短距離集合!!」
パートリーダーの声がかかった。集合場所であるスタートライン目指して、軽く走り出す。
「こんな奴が部を引っ張るなんて俺は認めない――」
すれ違う瞬間、そう大樹が口にしたのが聞こえた。
準貴は二年生のクラスが並ぶ廊下を歩いていた。校庭からは野球部の掛け声が聞こえてくる。
部活はまだ続いているが、前半のメニューが終わり休憩時間になったので教室に向かっている。英語で和訳の宿題出ていたのだが、辞書を机の中に忘れてきてしまったのだ。ネットでも検索は出来るが、やはり紙の辞書の方がしっくりくる。
二年二組の札のついたドアの前に立つ。中から聞こえる男女の声から判断すると、どうやら真央を含む、手形村の生徒達が教室に残っているようだ。ドアに手をかけ、今開けて大丈夫なのだろうかと思案した。
「準貴君――」
ふと自分の名前が呼ばれたように感じ、ドアから手を離した。
「あんまりズルズルいくのは良くないと思うけどねぇー」
誰が発しているものか、ギャル声が聞こえてくる。修学旅行の時にもこの声を聞いたことがあったような気もするが、この声質は美月だろうか。
「うん……、でもどうしたらいいか分からなくて……」
この優しい声はよく知っている。真央の声だ。
「正直に話したほうがいいんじゃないか? 真央がもう好きでないなら、な」
この太い声は弘樹だろう。そして話の中心が、自分と真央のことであると理解した。
「嫌いじゃないけど、私好かれていないと思うし……」
「はっきりしないわねぇー、私が言ってきてあげるよ」
足音がこちらに向かってくる。焦って辺りを見渡し、廊下にあるはずもない身を隠す場所を探した。
「やめて、美月ちゃん!」
真央が叫ぶ。こんなに取り乱した彼女の声を聞くのは初めてだ。ドアのすぐ向こう側で足音が止まった。
「だって心配よ、真央のこと……」
「美月ちゃん……」
「何にせよ整理つけとけよ、準貴との関係のことにさ」
「――うん」
会話はその後も続いていたが、俺は逃げるように教室の前から歩き去った。――ある決意を持って。
流行のポップスが流れる店内で、祐太は手に取ることもなく、なんとなくCDジャケットを眺めていた。ネットからダウンロードできるようになってからは、ここに来ることもめっきり少なくなった。一学生にはどちらにしろ、なかなか痛手の出費なわけだが。
結局何も購入せずにCD屋を後にした。
俺はたたら中央の商店街にいた。よく面沢高校の生徒達が学校帰りにここまで遊びに遠征する。
三人でいる時は歩道を歩いているだけでも楽しかったが、こうして一人でいるとどこに行ってもつまらなく感じた。
ゲーセンに足を向ける。ゲームで気を紛らわせられるとは思えないが、新しい機種が増えているか見に行こう。向かいの道に渡るため、横断歩道の信号が青になるのをを待つ。
ふと、向かいの歩道に見知った少女の姿を見た。高校の制服を着てパイナップルみたいな頭をしている彼女は、氷室涼子で間違いないだろう。
しかし様子がおかしい。いつも綺麗に伸びていた背は弓のように曲がり、凛としていた瞳も濁っているように見える。
信号が青になる。急いで横断歩道を渡り、彼女の後を追った。
「氷室!」
ゆっくりした歩調だった涼子にすぐに追いついた。異変を感じ、荒い声で呼ぶ。
振り返った彼女は肩を震わせ、脅えた表情でこちらを見ていた。視線が定まらず、口元が引きつっている。
「ごめんなさい、全部私が悪いんです――!」
泣きそうな声で叫び、人をかき分けよろめきながら走っていった。その言葉は以前も聞いたことがあったが、先程のものは鬼気迫っていた。走って後を追う。
昨日も一昨日も一緒に戦ってくれた涼子。彼女の頼もしかった姿を思い出して、とても胸が苦しくなった。彼女を助けたい、心からそう願った。
後ろから涼子の腕を取る。
振り払われはしなかった。腕は力なく、取られるがままにぶら下がっていた。顔は進行方向を向いたままで、こちらを見ようとしない。
華奢な肩を掴んで、脱力した体をこちらに向かせた。視線の漂う彼女の目からは涙が流れていた。
アイスティーのカップを涼子の前に置いた。彼女が鞄からいくつかカプセルを取り出し、上を向いてアイスティーで一気に流し込む。
ここは彼女を見かけた辺りにあったファーストフード店の二階である。座らせていたところだいぶ落ち着き、水が欲しいと要求してきた。
二人席のシンプルな机の上に置かれている、カプセルの入っていた銀色の包装には『PROZAC』と書かれている。英語を読めないことを悔やんだ。
ふと店の時計盤を見ると、既にログイン時間になっていた。準貴とさくらは戦闘に巻き込まれていないだろうか。今日は涼子はゲームをしないのだろうか。いや、そもそもできるような状態ではないのだが。
目の前の彼女の姿を見る。きりりと伸びた背に、力強い目、紅い唇、以前の彼女に戻っているようだった。
「嫌なところを見られちゃったね……」
ようやく彼女らしい口調で話し始めた。
「――いや、その前に迷惑をかけてごめん」
深く頭を下げてくる。
「気にしないでくれ。氷室が元に戻ってくれて安心したよ」
思った通りのことを口にする。顔を上げた涼子は、口をへの字に曲げて何を話すか困っているようだった。
「今日は榊は一緒じゃないのか?」
「途中まで一緒だったけど別れたわ」
「そっか。でもなんでたたら中央に?」
「私、家がたたら東だから。美琴と別れた後、ここを通って帰るのが日課なの」
「たたら東に住んでるんだ……」
涼子が時計盤を見る。
「時間いいの? ゲーム始まってるみたいだけど」
「もういいんだ。……辞めたから」
「――そう」
彼女の表情が少し曇ったように見えた。
「昨日のことが関係してる?」
「そうだな。――氷室は時間いいのか?」
あまり昨日のことには触れて欲しくなかったので、無理やり話題を変える。彼女もそれを察したようだった。
「私はもともと暇潰しでやっていたようなものだから」
「ゲームやってる時の氷室、楽しそうだったけどな」
「――そうかもね。命のやり取りなんて久しぶりだったから」
「剣道のことか?」
「……えぇ」
「やりたい気持ちはあるんだ?」
「……少しはね」
「やる気もあるし、記録も良かったんだろ? じゃあなんで……」
「……」
やはり剣道の話題はだめかと思ったのも束の間、彼女の口が開いた。
「――怪我をね、させたの」
「怪我――、ひょっとして榊の……」
二年になってすぐに美琴が眼帯をし始め、その後に涼子が転校してきた。だから、ひょっとしてそうなのではないかとは思っていた。
「なかなか冴えてるね」
予想は当たっていたらしい。しかし何故面沢高校に転校してきたのだろうか。
「関東大会の準決で竹刀が裂けてね、美琴の目に当ててしまったの。美琴は気にするなって言ってくれるんだけど、私があの子の人生を壊したんだって思ったら、剣道なんてやってる場合じゃないとおもってさ」
涼子は自分を嘲るように口元を吊り上げた。
『ごめんなさい、全部私が悪いんです――』
先程脅えるように口にしていた彼女の言葉が蘇る。
「なんか、私きっちりした性格だったみたいでさ、耐え切れなくなっちゃったんだ」
彼女の口から堰を切ったように言葉が溢れ出す。
「風邪薬をたくさん飲んだり、手首切ったり、そんなことを続けていたけど、どこか生に対する未練があったんだろうね。――死ねなかった」
ブラウスの袖がめくられる。痛々しく幾本も刻み付けられた切り傷の跡が見えた。
「そしたらある日、美琴がウチまで来て言うんだ。『あんたが傷つけた目のせいで不便なことばっかりだ、うちの学校まで世話しに来なさいよ』ってさ。――死ぬことしか考えてなかった私は、二つ返事でここに転校してきたわ。でもいざこっちに来てみれば、美琴は一緒に帰るだけでいい、なんて言い出したの」
涼子の目に涙が浮かぶ。
「分かるでしょう? 美琴ったら、私の生きる目的を作る為に自分から汚れ役を買って出たのよ。自分の剣道人生を奪った人間に気使ってさ、本当に信じられなかった。……私が逃げる為に死のうとしていたのが醜く思えて、こうなったらとことんこっちで美琴の世話してやろうって決心したの」
話して気が抜けてしまったようだ。椅子に浅く腰掛けて天井を見上げている。
「あー、それ抗うつ剤よ」
先程の英語が書かれていたカプセルを指差している。
「まだ薬漬けしてないと、あの時のフラッシュバックが起こってね、駄目なの」
涼子の話が終わったようだ。二人で黙りこくって視線を落とす。
俺は話の整理と考え事をしていた。涼子を救ってあげたい。そのために自分に出来ることは何だろうか。
「話してくれてありがとう」
「迷惑かけた礼みたいなものよ。あんた、物好きにも私のこと知りたがってたみたいだったから。……何か言ったら? 違ってたら私馬鹿みたいじゃない」
涼子がケラケラと笑う。薬のお陰かは分からないが、吹っ切れているように見える。しかしまだ彼女は救われていない。今の彼女はただ、美琴の世話をするという仮の目的をもっているだけ。剣道に代わる目的――いや、彼女には剣道が必要だと思う。
「ああ、氷室のこと知りたかった。転校してきてからずっと一人でいたから、昔の自分と被って放っておけなかったんだ」
「昔? 斉藤も転校してきたってこと?」
「小学校の時の話だけど」
「ふーん、まぁどうでもいいんだけどね。私はあんたのことに興味がないから」
相も変わらず、人と距離を置こうとしているように見える。人間関係を円滑にして、剣道をできるようにする、そんな夢のような方法があるのだろうか。
「それは残念だ」
「あ、いや、深い意味はなくて、話してくれれば聞くんだけど……」
ふと時計盤を見て思いついた。あるではないか、夢のような世界でしかできない、夢のような方法。
「突然で驚くと思うんだけどさっ――」
自分でもびっくりするくらいハキハキした声が出た。涼子は椅子を下げて、明らかに引いている。咳払い。なるべく冷静を装い、言い直す。
「突然で驚くと思うんだけど」
椅子を直す涼子。
「何?」
「うちのPTに入らないか?」
彼女はしばらく真顔で考えていたが、意味が理解できないといった様子で眉間を寄せた。
「はぁ?」
「アップステアーズの話」
「あぁ。でも、さっき辞めるって言ってたじゃない。なんで急に……」
「氷室って、暴れるの好きだろ」
「う」
今の一言は彼女の急所を刺し貫いたらしい。
「スカウトだと思ってくれ。氷室がいれば勝ち残れる確立も上がると思うから」
「嘘ね。あんたは賞金が欲しいわけじゃない」
今度は涼子が鋭く言い放つ。俺は反論できずに口ごもった。
「確かに、あのゲームは楽しかった。斉藤と戦っていた時、薬なんて目じゃないくらい爽快だった。正直、PTに入れてくれるならそれは嬉しい。……でも、あんたが無理してどうするのよ。昨日の斉藤の様子、尋常じゃなかったわ。あれは――、あの時の私みたいだった……」
涼子は自分の腕を掴んで震えている。あの時とは、美琴を傷つけてしまった時のことだろう。自殺を試みるほどだ、彼女自身の心の傷もよほど酷かったに違いない。
涼子を説得できるだろうか? 自分の甘い考えが浮き彫りになっているだけのように感じた。
「いいじゃない、入れてもらえば」
俺の後ろから、この場にいるはずのない人間の声がした。
「み――こと――?」
涼子が目を見開いて、俺の背後をじっと見つめている。
「ごめん、涼子。盗み聞きしちゃった」
いつの間にか当事者である美琴が立っていた。ひょうきんさを気取って舌を出しいるが、顔は真剣である。
「盗み聞きって、どこから……?」
「えぇと、斉藤君が『氷室!』って叫んだあたり」
要するに全部ということか。
「涼子が薬切れそうになってたから心配になってついて来たんだけど、お邪魔だったみたいね」
涼子は俯いて美琴の言葉を聞いている。
「で、話を戻すけど、いい機会だからPTに入れてもらいなさい」
「でも……」
俯いたまま答えるが、今の涼子は美琴の言葉に逆らえない。
「斉藤君、もう大丈夫よね?」
「あぁ、心配かけた。俺は大丈夫」
どういうつもりかは分からないが、ここは美琴にかけてみるとしよう。
「そうね、どうしても不安だったら――」
美琴がビシッと涼子を指差す。
「あなたがみんなを護ってあげなさい」
無茶苦茶を言う人だ。思わず吹き出してしまった。しかし涼子は真剣にその言葉を考えている。
「――分かった」
そして美琴はどんな魔法をかけたのか、彼女の首を縦に振らせたのだった。
制服の袖を引かれた。大人しく店の端について行く。
涼子に声が聞こえない位置まで来ると、美琴が声色を変えて切り出した。
「涼子と私のこと、全部聞いたわね?」
「あぁ……」
「分かってると思うけど」
「他言無用だな。当然守る」
「よし、涼子を泣かせたら承知しないわよ」
俺の返事を聞いて、いつもの調子に戻る美琴。
「善処します」
シッシッ、と手の平をひらひら動かすジェスチャーをされ開放された。
「一つ聞いていいか?」
席に戻る前に聞いておきたいことがあった。
「ゲームのことなら、ノーコメントだから」
「どうしてそんなに氷室のことを気にかけてくれるんだ?」
「私のほうが聞き返したい質問だけど、そんなこと当然じゃない」
席に戻ろうとしていた美琴が振り向く。
「あっちがどう思ってようが、涼子は私の親友だから――」
清清しい笑顔で、彼女はそう言い切ったのだった。