0000:プロローグ
洞窟内にモンスターの叫び声が反響する。ウィルヘルムの叫びを低くしただけのような、無機質で陳腐な効果音。臨場感を高める目的にしては少々役不足である。
対して滑らかな断面の凹凸を持った壁はルビーのように自ら淡く紅い光を放っており、怪しく化け物の顔を照らしている。鮫のように微細な棘を生やした牙。微かに光を映す湿った殻。蠕動と共に吐き出される、生暖かい息。その様はさすがというべきか、そこいらのテレビゲームや映画のCGとは比較にならないリアリティを持っている。
この竜の形をした化け物は、体表から分泌する凝固性をもつ体液で壁を固めながら、山を穿ち洞窟を形成する。そして高額で取引される壁材を求めて訪れる冒険者達を捕らえ、壁に埋め込んで保存食にするのだ。
……そういう設定である。
サービスが開始したばかりのこのオンラインゲームで、隠しダンジョンに足を踏み入れようとする者達は滅多にいない。
「ほんとーに大丈夫なの? ラスボスより強いって噂だよ?」
高い声を響かせて洞窟に足を踏み入れたのは、白いポンチョに身を包んだ女。短いポニーテールと少し横広い口が印象的である。円い装飾のついた長い杖と白を基調とした服装から白魔導士であることが分かる。
「一応、お前に言われた通りこの装備で来てやったぞ」
続いて、腕を頭の後ろに組んだ男が、さらに後続にいると思われる人物の方を向いて歩いてくる。背が高く、大きな目と黒色の短い髪の彼には日本男児という言葉が良く似合う。手の甲にはめられた金属板くらいしか武器のない彼は、武道家といったところだろう。
「まぁ、騙されたつもりでスキルを使ってくれよ」
最後に歩いてきたのは、腕を腰に当てた自身ありげな男だ。茶色がかった髪と眠そうな目を除いては特徴という特徴もなく、あまりパッとする人間ではない。しかし、その偉そうな態度から見るにこのパーティーのリーダー格であろう。肩と胸に青光りするプレートをつけ、両手で持つ両刃の剣(クレイモアと思われる)を担いでいる。勇者とか剣士とか言われるものだと思われる。
三人は化け物を正面に、横一列にずれて構えた。化け物が彼らに気づき、窮屈そうにその大きな体を向ける。洞窟いっぱいに陣取ったそれは体が円盤状をしているからか、竜というより亀に見える。
「触手♪ 触手♪」
日本男児(に見えた男)が化け物の八本の腕を指差しはしゃいでいる。
この触手の化け物は隠しボスという位置づけにある。レベル30程度の彼らでは、まともに戦っても勝機はまず無いだろう。
――ブレイン・コンピュータ・インターフェイス、脳とコンピュータ間のプロトコル。略してBCIケーブルが発売されたのは今から二年ほど前の話になる。
革命的と考えていた製作者達の思惑は外れ、現在世間ではゲーム用のアダプタくらいにしか使われていない。脳からコンピュータに情報を送るのは当然として、その逆も行われるのであるから、健康志向である日本人の大半が冷たい目を向けているのは当然といっていい。
そんな中サービスが開始されたこのMMORPGであるが、15〜25歳代が90%以上と年齢層が極端になっている。四六時中携帯電話の電波を受けているような者達にとって、娯楽が第一であってBCIはまったく心配事に及んでいないようだ。
さて、両者共に準備は整った。どこからともなくロック調でハイテンポなBGMが流れ始める。
触手の化け物の体から赤色の光と泡が立ち昇る。蛇足ながら解説させて頂くと、自身のパラメータを上昇させる『活性化』というスキルである。
「祐太がそこまで言うなら、付き合ってあげるよ。ダブルスペル!」
白魔導士が杖を振りかざしてスキルを使うと、彼女の上下に白い光を放ちながら魔方陣が描かれた。
「金は全部預けてきたから、別にゲームオーバーになろうが構わないぞ。――憑依・韋駄天!」
日本男児が拳を構えたことで、三人の足元に羽のマークが現れる。素早さが大幅に上昇する武道家専用のスキル。そう説明書に書いてある。
「アイシクルソード!!」
祐太と呼ばれた剣士が叫びながら剣をかざすと、刀身がどこからともなく湧き出した氷によって覆われた。赤い洞窟の中で、染まることなく鋭く青い光を放つ。
「ちょっとくらい信用してくれてもいいだろ。――これで武器に水属性が付加されたから、ダメージは1.5倍」
「ダメージプラス!」
素早さが上げられているため化け物に順番が回ることなく、白魔導士――さくらがスキルを使う。
「もういっちょ、ダメージプラス!」
続けてさらに同じスキルを使う。祐太の背後に赤い炎を纏った大きな拳のマークが二つ現れた。
「なるほど、ダブルスペルで1ターンに2回スキルを使えるから……、このターンは攻撃力4倍!」
さくらが指を折り曲げて数えながら口を開けて感心している。
「気功――、対象は祐太! こいつで攻撃と命中と防御が上げられる」
武道家――準貴のスキルにより、祐太に黄色の光と泡が立ち昇る。
「ダメージ計算してきたんだろうな?」
「ファンサイトの計算機だと、最小で27400。余裕でダークイリュージョン撃破だ」
「よっしゃ、行って来い!」
準貴が触手の化け物を指差して叫ぶ。今更ながら、隠しボスの名前はダークイリュージョンという。
「あとは、水属性の物理攻撃を使うんだよねー」
杖を降ろし、リラックスした様子でさくらが尋ねる。
この触手の化け物は、弱点である水属性以外の属性攻撃を吸収する性質があるのだ。
「おう、ブレイズアタックで決める」
言うが早いか、祐太が化け物に向かって走り出した。
「そっかそっかぁ。――えっ?」
「ウォォォォォ!!」
勝利を確信し、熱血しながら駆けているこの祐太という男、致命的に英語が苦手である。後ろで抜けた顔をしている彼らも承知はしていたが、まさかゲーム単語を間違えるとは思ってもいなかった。
「待てぇ! それは火……」
準貴が叫ぶが、間に合わない。祐太の剣から炎が巻き上がり、激しく火の粉を散らしながら化け物を覆っていく。その様はまるで太陽がプロミネンスを巻き上げているかのようだ。
が、当然この触手の化け物に火属性はきかない。祐太の放った炎はダメージを与えることができずに、すぐに掻き消えた。
続いて陳腐な叫びの効果音と共に、触手の化け物の口から黒い炎が吐き出される。最強の威力をもつ全体攻撃、ダークバースト。なすすべも無く巻き込まれる三人。次の瞬間、自身のHPの一つ上の桁のダメージを受けて三人は地面に伏せっていた。
「あ……れ……?」
画面が徐々に暗くなり、ゲームオーバーという文字が表示される。
呆然としている祐太に向かって、二人が声を揃えて叫んだ。
「「大馬鹿野郎〜〜〜ッ!!」」