第二章 3 クツナ、シイカの昼食代を出す
依頼者は、ひとまず帰って行った。
「どうも、家族――息子とのトラブルみたいだな」
「大丈夫でしょうか」
「何かあればまたすぐここへ連絡するように、繭に意識付けしておいた。治すべきは依頼者本人よりも息子だろう。ここへ連れて来られればよし、無理そうならこちらから出向くよ。さて、今日は午後の依頼もあるな。少し早いが、自由時間にするか。僕は父と昼食をとるが、鳴島はどうする? 同席するか?」
「いえ、さすがに、いきなり人の家のご飯に混じるっていうのは」
「そうか。じゃあこれ、昼食手当てだ」
クツナは濃い茶色の革財布を取り出し、紙幣をシイカに渡した。
「三千円て……多くないです?」
「昼食がわびしいと、なんだか切ないだろうが」
釣りは返そうと胸中で決め、シイカは駅近くのサンドイッチ店へ行った。
真昼時を迎えようとしている夏の太陽は更に力を増していたが、店内は緩めに冷房が効いており、心地いい。普段コンビニ以外で食べ物を買うことがあまりないので少し緊張したが、難なく注文を終えて窓際の席に座った。明るい日差しの中で、ホットサンドと紅茶を手にゆっくりと食事などしていると、何だか今までよりも自分を取り巻く世界が広がったように思える。
元々の消極的な性格が大きく変わったわけではないものの、この頃、ぎこちなくもクラスメイトの女子とも話すことが増えた。
他の人たちが子供の頃から培ってきた対人能力を、今ようやく自分も育みつつあるのかもしれない、と思った。ただ対照的に、家族とは今ひとつ打ち解けきれないままでいる。多少の進歩はあるものの、距離が近すぎると、関係性を変化させるというのはむしろ難しいのかもしれない。
午後の依頼者は、きっかり十三時にやって来た。
すでに食事を終えて身支度を整えていたシイカは、クツナとともに施術室に入った。
施術室の手前には和室があり、繭使いの前に依頼者との相談や説明が必要な場合はここで行う。しかしたいていは、施術室へ直行することになっていた。
施術自体は簡単なもので、三十代のサラリーマンとおぼしき男性は、バレーボールサークルで痛めたという手首を治してもらい、来週の試合は万全で望めると大喜びで帰って行った。
「ほとんどの場合、すぐここで治せるんですよね」
一息ついて白衣を外しながら、シイカが言った。
「ま、あのくらいならな」
「どうして私の場合は、『軽々にはできない』んですか?」
「簡単に言えば、君の繭には複雑な部分があるからだ。自分の繭も見ようと思えば見られるだろ? 今日のインコと比べてみろよ」
インコと比べても……とシイカが思った時、御格子家の電話が鳴った。クツナがあまり顧客の履歴を残したがらないため、繭使いの依頼はほとんどがメールなどではなく電話で受け付けている。
クツナが受話器を取った。
「はい。ええ、先ほどはどうも。これからですか、何時ごろ? いいですとも、お待ちしています」
通話を終えると、クツナはシイカに向き直った。微笑みを浮かべている。
「午前の依頼者だ。これから子供を連れて来るってよ」