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棘を編む繭  作者: クナリ
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第一章 4 クツナ、猫を治す

「ごめん、ください」

「おお、早速来たな」

 御格子家のチャイムを鳴らすと、すぐに引き戸を引いてクツナが現れた。和服ではなく、普通の洋服を着ている。

「考えてみれば、女子に対して怪我した生き物なんて無茶だったな。変なことを言って、済まなかった」

「あの、それなんですけど。この子でも……いいですか?」

 シイカは、学校の近くにあるホームセンターで買ったプラスチックの箱と、その中に敷いた毛布を差し出した。

 毛布の中には、白い子猫がうずくまっている。左の前足が不自然に折れ曲がり、血がにじんでいた。

 校門の前で男子が囲んでいたのは、この、足の折れた子猫だった。うまく歩けずに側溝の中でよたよたしていて、シイカが抱き上げるとぐったりとうなだれてしまった。

 衛生面は気になったが幸い爪を立てられることもなく、どうにかここまで運んで来たのだ。電車の中でも大人しくしていたのは怪我のせいと、人に慣れているのかもしれない。

「ああ、いいね。こっちへ連れてきてくれ。戸は開けたままで構わない」

 クツナは、シイカを奥へいざなう。靴を脱いで上がると、シイカが通されたのは、今朝のぞいた八畳間だった。板張りで、中央に作業台がある。

 クツナは子猫の入った箱を作業台の中央に置かせると、八畳間の戸も開けさせたまま、自分と向かい合う形で作業台の前にシイカを立たせた。

「入口、開けたままでいいんですか?」

「閉め切ったら君が怖いだろう」

 そういうことかと、シイカはようやく気づいた。なぜこんなにも、この家に来ると警戒心が薄れるのだろう、と小さく首をかしげる。

「さて、よく聞いてくれ。改めまして、僕は御格子クツナ、二十一歳。通信制の大学に通いながら、普段は塾講師のアルバイトをしている。担当は小学生クラスの算数と社会と理科」

 聞くだけ聞いて、シイカはうなずく。

「ただし、僕にはもうひとつの仕事がある。それが『繭使い』だ」

「え?」

 クツナが手をかざすと、プラスチック箱の中に横たわった子猫の体が淡く光り始めた。薄い、青い光。

「これって、今朝の……」

「そうだ。猫を包んでいる光が、君には見えるんだな? これが『繭』だ」

 言われてみれば、穏やかに輝く楕円は、光る細い糸が無数に絡まってできていることがシイカの目にも分かる。

「僕はこの繭をほどき、時に切り離し、時により合わせ、束ね、結び、つなぐ。こんな風に」

 クツナの指先で、胴体の辺りの繭からほぐされた糸が何本か引き延ばされていく。その先端が、子猫の左前足に寄り集まって触れた。糊か何かで貼られたように、糸の先端は足から離れなくなる。

 同じように何本かの糸を伸ばして、子猫の左前足へ、今度は包帯を巻くように巻きつけていく。

 最後にクツナはそれらの糸を束ねてつまみ、奇妙な形に結い上げた。

「よし。これが、骨折を治すための術式。瞬時に元通りになるわけではないから、しばらくは安静にしないといけないけどな」

「骨折、を?」

 シイカに構わず、クツナは更に別の繭を操り出す。

 五分ほど経ってから、クツナがひとつ息をついた。

「できた」

「……何がですか?」

「骨折部分の補強と、外傷の治癒だ」

 シイカの質問に目配せして応えながら、クツナが右手を繭から離した。

 子猫の足が、まっすぐに治っていた。傷口もふさがり、出血の痕跡は、白い毛並みにわずかに残るだけになっている。

「どうして!? さっきまで、確かに――」

「そう。これが繭使いの仕事だ」

 それまで大人しくしていた子猫が、むくりと起き上った。クツナは窓を開けてやる。

「生き物が持つ不可視の繭を操って、心身の傷を治療する。繭が見えるのも、操ることができるのも、繭使いだけだ。こうして見た後なら、信じてくれるだろ?」

 クツナが微笑みを浮かべながら言う。意外に幼い顔立ちをしていることに、シイカは初めて気づいた。

「普通の人には、見えないんですよね? どうして、私には……見えるんですか」

 クツナは少し黙った。偶然に空いた間ではなく、『黙った』のだということがシイカにも分かった。しかしすぐにまた笑顔になって、クツナは答える。

「才能があるんじゃないのか」

「……何か、適当じゃないですか?」

「そう言うなよ。僕だって驚いてる。今朝の僕の狼狽ぶりを見ただろ?」

 ちょうど、猫が窓から外へ出ていった。その後ろ姿にクツナが小さく手を振る。

「一応、無茶な動きはしないように制御も施しておいた。二三日もすれば完治すると思う。さて、野良猫だろうからこの辺消毒しないとな」

「動物でも、人間でも、治せるんですか」

「治せる。もちろん限度はあるけどな。客は、この近所の事情を知ってる人たちもいれば、遠隔地から伝聞でうちの噂を聞いたってのも来る。興味本位や、逆に藁にもすがる思いの客まで色々で、細々(こまごま)とはしているが依頼は尽きない。ただし、植物の治療は不可能だ。『傷』や『治す』ということの構成が、動物とは違い過ぎるからな」

「心身の傷を治すって言いましたよね。じゃあ、外傷じゃなくても……」

「さっきの猫も、一応心を治療したんだぞ。怪我して空腹になって、狭い箱に閉じ込められて、弱ってたからな。ああいや、悪い、嫌味じゃない。君の取れる選択としては、最も思いやりのある方法だったと思う」

 シイカは話をしながら、徐々に不安になってきた。

 能力というのは本当だろうか。

 何かのトリックでさっきの現象を引き起こしたとして、それをシイカに見せることには、特にクツナに得はないように思える。少なくとも、奇跡を見せつける類の宗教のカモになるには、シイカの家は裕福とはあまりにも言い難い。

「信じては、くれないか?」

「だって、突然過ぎますし、不思議過ぎて……。そう、そんな力があるのなら、どうしてこんなところに住んでるんですか?」

「こんなところとはご挨拶だな。これでも家族三人、大切な思い出が詰まった家なんだ。ちょっと怒ったぞ」

「す、すみません。そんなつもりではなくて……もっと、ずっと、お金持ちになれるんじゃないですか?」

「治せる怪我の規模には限界があるし、外科医みたいにやれるわけじゃない。時の権力者とお近づきになった先達もいたみたいだが、ろくな最期は送ってないしな」

 クツナが窓を閉めた。今思えば、ドアを開けておいてくれたのは、よかった。

「どうして、ですか」

「僕らの能力には限界がある。まず、繭を操る時は、指に凄まじい負担がかかるんだ。生命の機構にじかに手を突っ込むわけだから、反動も大きいんだな。治療の間中、手首から先が激痛に襲われる。これがもう、とんでもなく痛い」

 さっきはそう見えなかったが、言われてみれば、クツナの額にはかすかに、梅雨時の暑さのためとは違う汗が浮いている。

「それでも繭を触り続けていると、段々と指の感覚が失われ、気色の悪いしびれだけが強くなっていく。そして、最後には無感覚になる。全ての指が同時にそうなるのではなく、最初に小指、次に薬指という順番で、最後が親指だ。さて、その無感覚になった指では、もう繭の糸は触れない」

「え……」

「多少酷使しただけなら術式を終えて休めば回復はするが、一度無感覚になってしまうともう治らない。繭は治療を途中でやめると異常化してしまうことが多いから、一気に治すしかないんだが、そうするとたとえば極端に難しい治療の場合は、一度で指を何本も犠牲にすることにもなり得る。できるだけ避けたい事態だが、やむを得ないこともあるだろうな。僕たちは、こうして指から繭使いの機能が失われることを『指が切れる』と呼んでいる」

 シイカは、今朝のことを思い出した。クツナが、父親は全ての指が切れていると言っていたのは、このことかと思い至る。

「指が切れた繭使いは、ただの人間だ。そもそも過剰に期待されても治療しきれないことだってあるし、リスクも大きい。怪我をすることが多いやんちゃなお偉いさんなんかに見込まれた日には、ご期待に沿えなければ落とし前をつけさせられることになる。できれば、権力者になんてあまりお近づきになりたくないな」

「そうなん……ですか」

 確かに、この能力があればそれなりに頼られるかもしれないが、それも指が切れるまでというわけだ。しかも活躍しようとすればするほど、能力の喪失が近づく。

「まあ、この仕事のおかげで思わぬ縁ができて、指が切れた後でも就職で役に立ったりするから、その辺は悪いことばかりじゃないんだが。ところで、鳴島さん」

 急に改まった口調になったクツナに、シイカは緊張を覚えた。

「は……はい」

「ここまで話したのは、僕なりに覚悟を決めてのことだ。分かってくれるな?」

「私、誰にも……言いません。約束しましたから」

「そんな約束には、保証がない」

 クツナの灰色の目が、すうっと深くなったように思える。何を言い出そうとしているのだろう。シイカは、わずかに後ろ――開いているドアの方――へ身じろぎした。

「提案がある」

「なん……でしょう」

「アルバイトをしないか。これが、朝言ったお願い事だ」

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