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棘を編む繭  作者: クナリ
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第五章 5 月に墜ちた流星

 シイカがアルトの目を正面から見る。

「私も、キリさんに会いたいです。私の切り離された記憶はあの日の二人の恩人に、きっと、ずっと、キリさんとクツナさんに、会いたがっていました。私は、今のキリさんには会えましたけど、でも」

「は。あんなものは抜け殻だよね」

「そんな風には、私には言えません。でも、アルトさんが会いたいのは、あの……十四歳の時のキリさんですよね。キリさんだけじゃない。クツナさんと、三人の……」

 そこまで話した時、シイカは目の前の異変に気づいた。アルトを覆っている繭は満身創痍に見えたが、その中で、胸の中央辺りにある塊が、周囲とは違った様子で脈打っている。

 ――ほどいて。

「え?」

 空気を震わせない声が聞こえ、シイカは聞き返す。

 ――ここを開けて。

 ――だめだ。開けるな。

「誰……ですか?」

 そう問いながら、気づいていた。これはアルトの声だ。しかし、今のアルトの喉から漏れたものではない。声の印象も、ずっと幼い。まるで子供のようだ。

 ――もうたくさんだ。会いたい。話したい。

 ――会いたくなどない。二度と開いてはいけない。

 二色(ふたいろ)の声は、同じ響きだったが、込められた感情が違う。そして声が鳴る度に、目の前にある繭の塊が激しく揺れた。

 ――開けて!

 シイカは、おずおずとアルトの胸元に手を伸ばした。

 繭は、ある程度ならシイカも扱える。本来ならばアルトと張り合うには到底及ばなかったが、そのアルトはまるで無抵抗だった。 

 シイカの指先に痛みが走り、触れた繭が少しずつ緩んでいく。

 塊に見えたそれは、いくつもの結び目の集合体だった。ひとつひとつ結紮(けっさつ)を解く度に内側に閉じ込められた意志が脈動となって力強く解放されていく。

 ほどかれたがっている。

 この繭はそれを望んでいる。

 指の感触から、シイカはそれを感じ取った。

 しかし同じくらい、解放を(いと)う意志もある。

 人間の心は、白黒どちらかに必ず傾く天秤ではない。正反対のことを、同じ強さで願うことが、矛盾なくあり得る。

「あの頃の」

 されるがままだったアルトの口が開いた。

「あの頃の、三人。……君の中のキリと、僕らの記憶」

「……はい」

「そんなことをしても、無駄なんだ」

「何が……ですか?」

「もうとっくに、なくなってしまったものなのだから」

 アルトの顔つきが変わっている。表情が戻ってきていた。それも、張りついたような冷笑や、余裕のある面持ちではない。

 まるで、これからひどく叱られる――子供のような。

 シイカは、自分の死角で、アルトに何かが起きていると察した。

 正面に立つアルトを避けるようにして、シイカは体をよじり、その向こうにいるクツナを見る。

「クツナさん!?」

「危ない真似を、するなよ」

 クツナの手から、一本の糸が伸びていた。先端はアルトの繭につながっている。

 シイカには、先刻から既に見えていた。アルトが、ナイフを腿に突き立てられたクツナに覆いかぶさった時、クツナもまた瞬時に防御を放棄して、全神経を傾けてアルトの繭から一本の糸をより出した。その分、右足の機能を奪われることに無抵抗になってしまったが。

 クツナは何かを狙っている。そしてそれは、二人の応酬に決着をつけるような決め手だ。そう気づいて、一度はシイカがクツナを制止したのだ。アルトと話すために。

 それはクツナの手助けというよりは、アルトと会話する最後の機会のためだった。

 しかしクツナは、シイカの制止を完全に聞き入れたわけではなかった。

「僕が、何を信じすぎだって、アルト? 僕ほど疑り深いやつはいないのにな。少なくとも、友人に及ぶ危機については」

 クツナが握った糸が何を司るものなのかは、シイカには分からないが。

 次の瞬間、クツナはその糸を引き、アルトの繭のどこかを引きちぎり、壊した。

「ぐうッ……」

 アルトが息を漏らす。

 その顔が、みるみるうちに苦悶の表情に変わった。

 そして、たった今シイカがひもといていたアルトの繭が、ひとりでにばらばらとほどけていく。

「ぐあああああッ!」

 アルトは再度、クツナに飛びかかろうとした。だがその足はもつれ、まっすぐに進めない。

「無理だぜ、アルト。形勢は逆転した! 鳴島を手にかけようとしなければ、分からなかったがな」

「クツナさん!? これ、何ですか!? 私が触れていた結び目の塊は……」

 クツナは足のナイフを抜き、繭使いでケガと出血を軽減させ、足の麻痺も治したところだった。よろよろと歩いてアルトに近づいていく。

 そのアルトは膝をつき、正体をなくして、獣のようにうめいていた。

「元々、多少気位が高くても、傍若無人な真似ができる奴じゃなかった。キリや僕の親、自分の両親を手にかけられる性格じゃないんだ。なぜそれができたのか……。恐らく自分の、僕以外の人間への愛着、思い入れ、そういったつながりを繭使いで遮断したんだろう。それだけのものを切断しようとすると、かなり大がかりな術式になるし、副作用も激しくなるから、その遮断は切断ではなく少しでも難度の下がる――……結紮(けっさつ)によるものだろうとは踏んでいた。繭を縛って閉じたわけだ」

「あぐっ、ぐうううう!!」

 アルトが両手で顔を覆った。

 泣いている。

 慟哭が響き、灰色の髪が上下に揺れる。

「縛るといっても、二度とほどくつもりもなかっただろうな。ただ、それをこじ開けることが唯一、僕の勝機だった。少々手荒に、閉じている門扉を壊すような技を使った。さっきの糸が最後の鍵だ。開ければ……決壊する」

「唯一の、勝機……ですか。これが、勝ち……」

「守れるものは守ったつもりだ。今の僕なりにな」

 アルトの手や、指の間から見える額には、血管が激しく浮いていた。上半身を折り曲げ、伸ばし、汗か涙か涎か分からない液体がぼとぼとと顔から落ちて地面を叩く。叫び声がなおも続く。

「おおおぐううううッ‼」

 クツナは嘆息する。

「廃人にはさせない。ましてや、死なれでもしたら。それが、僕の一番の大敗だ」

「どう……なるんですか。アルトさんは」

「普通なら味わうはずだった自責の念と罪の意識――その何年か分が、脳の中で吹き荒れてるはずだ。性根は理性的な奴だからな。それに加え、繭があんな状態じゃ、正気すら保てるか怪しい」

「そんな。それって」

「受け止めるべきものなんだ。今でもこいつが繭使いとして生きているのなら、なおさら」

「でも」

「僕も迷った。でも、こいつもそれを望んでいた。繭使いは、繭を()られる側が忌避していることをやらせようとすると凄まじい反発がある。それに対して、本心では望んでいることなら、比較的容易に術を進行しやすくなる。アルトが心底、人とつながることを拒んでいたのなら……僕は、容易に結紮を解くことはできなかっただろうな。それに、君にも聞こえていたんじゃないのか。アルトが、()()()()()()()()()()()()。それがなければ、少なくとももっと僕の術式は長引いていた」

 アルトは、もう、地面に突っ伏していた。

 団地の路面はアスファルトだったため、太陽熱に炙られて高温になっているはずだ。しかし、膝や腕を地面につけて、苦痛のそぶりも見せない。

 泣き声は、獣のような嗚咽に変わっていた。

 そして、シイカは気づく。

 アルトが身じろぎをしている。その体が揺れ動くたびに、ぼろ布のようだった繭がさらに綻びていく。

「クツナさん、これ」

「自傷行為だ。自分で自分の繭を壊している」

「それって……」

「放っておけば、生命機構が維持できなくなって、死ぬ」

「クツナさん!」

 クツナが、アルトの背中を見下ろす形で膝立ちになった。

「だから、ここから治す。応急処置を終えたところで、うちへ運ぶ。とりあえず気絶させるか」

 全くの無抵抗で、アルトはクツナの繭使いを受け、意識を失ってその場に突っ伏した。

「鳴島、タクシーを呼んでくれ。父にはあまり見られたくないからな、今なら出かけてると思うが。くそ、この足のケガ隠せるかね」

 クツナが空を仰いで、先ほどよりも遥かに深く嘆息した。

 タクシー会社へ連絡を終えたシイカは、地面に腰を下ろしているクツナの横にしゃがみ込む。

「クツナさんが、アルトさんを治してあげないって言ったらどうしようかと思ってました」

「そうなるかもしれなかったけどな。鳴島は、繭使いってどうしてこの世にあると思う?」

 唐突に聞かれ、シイカが少しのけぞる。

「どうして、って……繭使いの人たちが、受け継いでいるから……ですか?」

「そうだ。僕はこの能力は、人がより己らしく生きるためにあると考えてる。理不尽なことの方が多い世の中で、少しでも枷を外して暮らしていくために、絶やされずに続いてきた。アルトがしたことを許せるわけじゃないし、裁かれずに済むものでもない。でもそれも、全ては、()くべきように生きてこそ、だろ」

 シイカはアルトを見た。

 うつ伏せになったその体は、ひどく痩せて見える。

 何を思い、何に苦しんで生きてきたのか。

 クツナには、それを聞く必要があるのだろう。

「それって、つまり、クツナさんが助けたいから助ける、ということですよね」

「分かってるじゃないか。せっかく、本音と建前がうまく融合したんだ。あまりつつかないでくれよ。僕にだって、割り切った上での葛藤がないわけじゃない」

 クツナが苦笑した。

 タクシーのエンジン音が、二人の耳に入ってきた。

 第三者が、ここに到着しようとしている。

 クツナ、アルト、そしてシイカ。町から忘れられた団地の隅で、三人の「当事者」たちによって張られていた結界のような空間は、今、壊されようとしていた。

 まるで、仲間だけの巣に、外敵が入り込んでくるかのようだ。

 自分でも不思議なことに、シイカには、そう思えた。

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