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棘を編む繭  作者: クナリ
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第五章 4 月と獣

 体感としては、ほんの数瞬、まぶたを閉じていただけだった。少し長いまばたきと変わらない。

 シイカは目を開けた。

 空には、真昼時の、しかしどこか弱弱しい、白い太陽。

 頭のすぐ下には、深い青のハンカチがある。

 長く寝入った時のような、体中の関節の鈍化は感じない。気を失ってから、ほんの数分しか経ってはいないだろう。

 体を起こして、すぐに、荒い息遣いを聞いた。その方向を見る。

 二人の男が対峙していた。外傷は特に見当たらない。

 しかし、二人とも大きく損耗しているのが分かった。その繭を見れば、一目瞭然に。

 アルトは文字通り、捨て身同然でクツナに挑んでいる。

 クツナの方が、当然ながら、防御をより意識して繭使いの応酬に臨んでいた。

 互いの両腕が激しく動き、交錯する。クツナの繭は少しずつアルトに削られているが、その度にわずかながら応急処置を施している。

 アルトの方もクツナからの侵攻を受けているのだが、捨て身とはいっても、全くの無防備ではたちまち全ての繭を破壊されてしまうので、最小限の防衛と回復はしていた。

 その速度と精度共に、凄まじい高等技術が行き交っているのが、シイカにも分かる。

 そして、戦いの趨勢もまた、理解できてしまった。

 ボロボロの繭をまとったアルトの方が、押していた。

 もとより、後のことなどほぼお構いなしで攻め込んできているのだ。致命傷でなければ、綻びた繭がさらに壊されても問題はない。

 クツナを無力化できれば、逃げ足も振るえずにへたり込んでいるシイカの繭をほどき、キリの残滓を取り出す。それだけができればいいのだから。

 クツナの邪魔が入らなければ、防御機構を破ってシイカの繭に触れることも、不可能ではないだろう。

 クツナは持久戦を狙っているようだった。勝負が長引けば、耐久力に勝るクツナの繭の方が有利になる。

 しかし、アルトの勢いは当たるべからざるものがあった。クツナが、アルトの消耗を待つ余裕があるようには、少なくともシイカには見えない。

 ――いけない。助けなくては。でも、どうやって。このままでは。クツナさんが。

 ぐるぐると回る思考に理性が侵され、シイカの目に再び涙が溢れ出す。しっかりしろ、弱っている場合か、と自分を叱った。

 しかし。

「クツナ!? 何を狙っている!」

 突然、アルトが叫んだ。クツナは答えない。

「やめろ! 許さない!」

「怖いだろ? 僕もだ。だが、必要だ。お前にはな」

「クツナあッ!」

 シイカには、二人の会話の中身が理解できなかった。それでも、アルトの狼狽は明らかだった。

 クツナが逆転する。シイカがそう思った時、アルトの腰で、銀光が閃いた。

 太陽光を反射したのは、刃物だった。果物ナイフよりも大きく、しかし包丁よりも小さい――携帯し、人を傷つけるために都合のいい刃渡り。殺傷用のナイフ。

 それはアルトの右手で(つか)を逆さに握られ、振り下ろされ、クツナの左の太腿に深々と突き刺さった。

 繭使いに集中していたクツナには、避けようもない。

「ぐああッ!?」

「繭使いの矜持! 分からないね! 信じ過ぎなんだよ! 人を守ろうっていうのに、人の善になんて期待して!」

 クツナがもんどりうって倒れた。

 その隙に、上から覆いかぶさったアルトが、クツナに何らかの繭使いを施す。

「アルト! お前ッ!」

「そのケガとこの繭で、立てるものなら!」

 シイカにはようやく、アルトの今の繭使いが、クツナの歩行を制限するものだと分かった。

 クツナの無傷の右足までもがびくびくと痙攣していて、とても立ち上がれそうには見えない。

 まだ座り込んでいたシイカは、立とうとした。しかし、体に力が入らない。そのシイカに、アルトは近づいてくる。

「アルト……さん」

「しゃべらなくていい。君の声は、別に聞きたくない」

 血走ったその目は、さらに赤みを増していた。

 端正な顔からは表情が消えている。シイカはその裏に渦巻く感情の激しさを思い、震えながらも、言葉を絞り出した。

「私、……私も今、探していました。私の中に残っているキリさんを」

 シイカの前にかがみ込んだアルトが、動きを止めた。

「鳴島、何を言ってる!」

「いいんです、クツナさん。アルトさん、アルトさんが会いたかったのは、……ずっと謝りたかったのは、キリさんですよね」

 ぎしり、とアルトが歯ぎしりをするのが、シイカにも聞こえた。

「しゃべるなと言っているよ」

「……キリさんがあんなことになったのは、……私のせいです」

「その認識は正しいね」

 シイカは、自分を包む光の網を見据えた。そして、内側からその隙間に指を入れ、ゆっくりと開いていった。

 外敵にそうされるのと違い、網は、シイカの指にかすかな痛みだけを与えて容易に変形していく。

 ビー玉も通さない細かさだった網目が、ピンポン玉大になり、手のひら大になり、やがて繭使いの術野として充分な大きさになる。

「いいですよ、私から、キリさんの部分を切り離して」

「鳴島! やめろ! キリの繭は君と同化していると言っただろう! 無理なことをすれば、君の心身にダメージがある! 繭使いは生命機構への直接接触だ、障り方によっては内臓か体表面か――場合によっては半身不随や、脳への影響だってあり得るんだぞ!」

 シイカが、息をのんだ。少し怯んだのが、自分でも分かる。

 しかし拳を握って、背筋を伸ばし、覚悟を決めて、言う。

「アルトさんは、クツナさんと同じくらい繭使いができるんですよね? 私、クツナさんの繭使いでそんなことになっているのを見たことがありません」

「こんな路上でできることじゃないし、今のアルトに触らせるなと言うんだ。君のことなんて、一顧だにせずに無茶をしかねない――いや、その可能性の方が高い。やめろ!」

 アルトの手が、網の穴を通り、シイカに向かってきた。

 二人の顔も近づく。

 アルトの顔は、まるで、夢遊病者のようだ。目の前の景色を網膜に移しながら、違うものを見ている。

 クツナが無理矢理に起き上がろうとした。

「クツナさん。今だけ、お願いです。()()()()()()()

 シイカの声に、そのクツナの体がぴたりと止まった。

「鳴島……君は」

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