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棘を編む繭  作者: クナリ
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第四章 17 今とこれから


 夜の公園。

 シイカの繭から記憶が流れ込み、クツナ自身の記憶がよみがえったのは、ほぼ一瞬だった。

 その一瞬で、クツナは背中に汗をかいていた。

「……誰からだ。いや、一人しかいないな」

 シイカは震えていた。既に正気に戻っている。

「僕たちの記憶を少しずつより合わせて繭を作ったんだな。動画編集かよ。妙な方向に腕を上げたもんだな」

「あ、の……クツナさん、私……」

「すまなかった。僕がうかつだった。傍には、いないな? ――アルトは」

「いないと……思います。私、……一体……。さっき、自分で家に連絡したんです。今夜は友達のところに泊まるから、帰らないけど心配しないでって。そんなこと、あるわけないのに」

「おおごとにしないように、アルトがそうさせたんだな。いや、友人宅に外泊くらい、あるわけないってことはないと思うが」

「あるわけないですよ、そんな、恐ろしい」

「恐ろしいのか……。宿の手配くらいしてやりたいが、どうするかな。さすがに男二人の家に泊めるってわけにはいかないからな」

「そ、それに、私、クツゲンさんに、すごく変なことを言ってしまいまして」

「変な?」

「と、取り消しておいてくれませんか。私、なぜかクツナさんを探していて、そのせいでクツナさんの家に行ってしまったんですけど、その時に」

「……何を言ったのかは大体分かった。君の、僕への執着心を極端に高ぶらせたんだな。それで君が僕と接触すれば、今の記憶を――わざわざ――見せてやることができると。同時に、父が僕ら三人のことをどう認識しているのか、探りも入れたんだ。どういうつもりだ、宣戦布告か? ずっと雲隠れしてたくせに、ようやく動き出すと? いいぜ、願ったりだ。いつかは向かい合わなきゃならないんだからな。……鳴島、今君が僕に見せた記憶の繭、内容は今も覚えてるか?」

 シイカは、思いつめた表情で顔を上げた。

「映像的には、ぼんやりとして……細かいところは、あまり。でも、内容というか、出来事は……覚えてます」

「そうだよな。僕も同じ映像を見たことになるが、自分でも自分の顔が判然としないくらい()が粗かった。まあ、記憶なんてそんなもんだ」

 クツナが小さく息をつく。

「クツナさん、昼間の季岬(きさき)さんですけど」

「そう、彼女がキリ本人だ。無事復調はしたが、僕らのことはきれいさっぱり忘れていた……僕がそうしたわけだがな」

「クツナさんのことを、思い出すことは……」

「できなかった、当たり前だけどな。繭使いのことも、全く覚えてはいない。性格もずいぶん変わった。一度繭をめちゃくちゃにされたせいか、ひどく臆病になった。最初は、僕の顔を見ただけで、知らない人が来たからと逃げようとしたくらいだ。性格ってのは後天的に作られる部分も大きいんだろうな。あの、笑って厄介ごとに首を突っ込むトラブルメーカーはもうどこにもいない」

 シイカの脳裏に、クツナとアルトの記憶の中にいた、元気よく笑うキリの顔が浮かぶ。

 あの人が、もういない。

「ただ、そう悲劇的なことばかりでもなかった。記憶を失った不安な生活の中で、キリは勉強に打ち込むようになった。特に理数系は、正しく求めれば必ず答を得られるってところが、かなり当時のあいつは気に入ったらしい。好きなことに熱中した時の集中力は先天的なものだったのかもな。あっという間に成績が上がったが、その頃には母親と一緒に引っ越していった。親にすれば、娘を変質させた土地から離れたかったんだろう。親子仲がうまくいっていたとは言えなくても、まったく愛されてなかったなんてことは、なかったみたいだな。キリは大学には行かなかったが、その学力と貪欲さに目を止めた大学教授と出会い、互いに惹かれ合って、十九の時に結婚した。今は京都に住んでる」

「今でも、お友達なんですね」

「紆余曲折はあったがな。僕のことをほとんど忘れているもんだから、苦労してどうにか昔からの知り合いだということを信じてもらえて、まあ、その辺は大して面白い話でもないよ。その後も連絡は取り合えたし、それなりに信頼関係も築けた。お陰様で年に何回かは顔を合わせるが、たいていは向こうがこの近くに出張してきた時だな。用もないのに、家族を置いてはるばる会いに来るような関係じゃない」

 クツナが困ったように笑うのを見て、シイカは、「紆余曲折」の中身を想像した。しかし、恐らくは実際にあったことの十分の一も悟れていないに違いない、と思った。

 机上の空論だと一笑にふす人も多いという異性間の友情を、クツナに信じさせてくれた、たった一人の存在。それが別人のようになってしまったことの苦悩は、どれほどのものだったのだろうと思うと、シイカは胸を締めつけられるようだった。

「アルトさん……は、その後は」

「あいつはあれから家には帰っていないし、僕も会っていない。どこで何をして生きているのかも知らない。ただ、時折気配を感じることはあったんだ。君のことは、巻き込む形になったな。済まない。この間の車椅子の親父さんのところがアルトの生家――真乃家だ」

「私、巻き込まれたなんて思ってません」

 反駁(はんばく)は、思いのほか強い調子になり、シイカは自分で驚いた。

「でも、私、変な感じなんです。アルトさんには何度も会ってるような、でも、今日会ったのが初めてのような……」

「君の行動まで操れるとなると、恐らく、アルトはもう何度も君に接触して、君の繭を扱い慣れている。君の中からあいつの記憶を消すことまで含めてだ。今、アルトのことを頭に思い浮かべることができるなら、消すというよりは隠しておいた記憶が表出しているんだろう。消去するよりは多少施術が楽に済む」

「顔とか声は何となく……。でも、何をされたとか、何の話をしたとかは、全然思い出せないです」

「君はさっき、『思い出した』と言ったが。何を『思い出した』のか、今、説明できるか」

「いえ、全然……そう言った覚えも、なくて」

「それなら、その辺の記憶は消してしまっていると思われる。君の繭は、プライベートに触れないようにあまりよく見ないようにしていたんだが、裏目に出たな。これも済まなかった。正直、今あまり君を一人にしたくない」

「私、これ以上何かされたりするんでしょうか……」

 今のところ、シイカには実害といえるほどの害はない。しかし、これからもそうであるとは限らない。自分の意志に関係なく行動を操られてしまうというのは、相当に恐ろしい。今になって、シイカは寒気がした。

「あいつの目的が何なのか、それによる。まさか今さら、僕とお友達同士仲良くやりましょう、じゃあるまい。催眠術なんかと同じで、君が心から忌避する行動を取らせることはさすがに困難だと思うが」

「心から忌避……というと」

「たとえば、自傷行為とか、他者への加害とかな。それでも、危ない目に合わせる方法はいくらでもある。君の繭には僕が防衛機構を施しておく。妙な操作は受け付けないし、君の繭に誰かが接触すれば僕にそれが分かるよう、センサーのような機能も付加しておく」

 クツナは自分の繭の一部を丁寧に切り外すと、こよりのようによじった。苗を植えるように、それをシイカのこめかみの辺りの繭に差し込む。

「私が襲われたら、どうなるんですか?」

「僕の繭に反応が来る。そして、僕が全族力で駆けつける。繭の防御はそれくらいの間は持つさ。しばらくは、あまり遠くや人気のないところへ出歩かないでくれ」

「反応があった時、クツナさんが塾や繭使いのお仕事中だったら……」

「たいがい放り出すに決まってるだろ、そんなの」

 クツナは呆れて嘆息した。

「あの、無理しないでくださいね」

 シイカがそう言うと、クツナはぴたりとため息を止めた。ぐりんとシイカの方を向き、鋭くにらむ。

「そんなことは言うな。君の安全がかかってるんだぞ」

「でも私、……怖いことは怖いんですけど。でも、震え上がるような感じじゃないんです」

「現実感がないか?」

 シイカは、自分の足元に目を落とした。公園の街灯の光からは少し外れているため、ほとんど真っ黒な地面がそこにある。

「それもあるんですけど、あまり、自分を大事に思えないからかもしれません。危ない目にあっても、人間社会で暮らしていればそんなこともあるかな、と思ってしまうと言うか。私、以前、電車の中で痴漢に遭ったことがあるんですけど」

 クツナの目が、更に鋭くなった。

「ほお。死刑だなそいつは」

「ど、どうも。すぐに周りの人に助けてもらえはしたんですけど、その時も思っちゃったんです。こういうことも、仕方ないのかなって。他の人がされていると、許せないことですし、怒りもするんです。でも……」

「自分のこととなると、理不尽も受け入れてしまいがちだ、と」

 シイカは弱弱しくうなずいた。自分が、ひどく情けないことを言っているのは分かる。しかし、ずっと心のどこかに抱えてきた本音だった。今ここで、クツナに聞いてほしかった。

「子供の頃からなんです。胸の中にぽっかり穴が空いてるみたいで。その穴のせいで、怒る気持ちも、悔しい気持ちも、全部吸い込まれていくみたい」

「体も心もひとつきりなんだ、これを機に安全な運用を心がけてくれ……と言いたいが、それで治るものでもないんだな。いや、僕が言えた義理じゃないんだが」

「これじゃよくないんだろうなって、昔から思ってました。だから、人との関わり合いが苦手だったんです。色んな感情が生まれるのは確かなのに、それが私には感じきれないままどこかへ行ってしまう。それが、凄く苦痛でした。そのせいできっと、周りも私にはよそよそしかったですし。でも」

「でもが多いな」

「本当ですね」

 二人は少し笑う。

「クツナさんのお陰で、それが、ちょっとなんですけど、治ったんです。尾幌先輩も、きっと昔の私のままだったら、仲良くなれてないと思います。ありがとうございます、クツナさん」

「どうも。でも、君が自分で手に入れたものでもあるんだぜ、全部」

 暗闇の中で、視線が合う。シイカには、二人を包む闇が心地よかった。これが昼間なら、きっとこんな風には語り合えない。

「さて、後は君の泊まる場所だ。ファミレスで夜明かしでもするか……いや、未成年だとそれもなあ。ネットカフェもダメだろうし……」

「あ、あのう」

「ん? どうした、顔赤いぞ」

「実はですね、前々から話は出ていたんですけど」

 もじもじとするシイカに、クツナは怪訝な顔をする。

「いずれ、近いうちに、尾幌先輩のうちに、泊まらないかなどという話が、ですね、あったりなかったり。こういう事情なら、今日がチャンスだと、思ったり、するわけです」

「つまり、何となく気恥ずかしくて思い切れないでいたもんだから、この機会にってことか。そんな、言い訳作ってまで挑むもんでもない気がするが」

「でも、め、迷惑ですよね。こんな夜遅くに、突然」

「何でそんなにあがってるんだ……。聞いてみればいいじゃないか。夏休みなんだし、尾幌って夜型っぽいし――根拠はないが――、案外あっさりいくかもしれないだろう」

「そ、そうですね。では、電話してみます」

 シイカはスマートフォンを取り出した。しかしそのまま、しばし手を止めている。

「どうした」

「……夜って、事前の連絡なしに電話とかしても失礼じゃないでしょうか」

「……ああ。大丈夫じゃねーかな。たぶんな」とクツナが半眼で返す。

 いざ電話がつながると、話はとんとん拍子に進み――クツナの耳にまで、電話の向こう側でエツが喜ぶ声が聞こえてきた――、シイカはエツの家に泊まることになった。

 駅までの夜道を二人で歩く。

 空には雲が出ていて、月が見えない。

「クツナさん。クツゲンさん、お母さんとクツナさんのことを、全然違う風に解釈してました」

「そうだな。僕もその誤解を解こうとは思わなかった。僕自身がそう仕向けたことでもある。キリだって、周りからはただの自殺未遂みたいな扱いを受けた」

「じゃあ、クツナさんは、アルトさんやキリさんや、お母さんのこと……ずっと、一人きりで本当のことを抱えて……」

「そう言うと、何だか大層だけどな。アルトがいるから――というか実行者だけどな――厳密には一人ではないんだが、やっぱりきつかった。誰にも言えない――繭使いの一族である、父を含めた親族にも言えないってのはな。だから、ありがとうよ」

 いきなり礼を言われて、シイカは「あ、いえ」と相槌を打ってから立ち止まった。

「え? 何がですか?」

「今はもう一人、分かってくれている奴がいるからな。久しぶりに、落ち着いた気分になった。真相を知らない人間が、誤解や勝手な思い込みで作っていく『事実』の中で生きていくのがどんなに不愉快か、ずっと思い知らされながら生きていたんだ。理解者が一人いるだけで、思ったより、ずっと楽になるもんだな」

「い、いえいえいえ。私は、たまたまと言いますか、アルトさんにそうされただけで、私なんかは」

「鳴島がいてくれてて、よかったよ。我が家は職員に恵まれたな」

「し、職員てほどのものでは。からかってますか。ちょっと笑って言ってますよね」

「全然」

 そこでクツナは――それまでは笑っていたが――、夜目にもシイカにはっきりと分かるような真顔になった。

「鳴島、怖い思いをさせて悪かった。でももう少し、うちで働いてくれないか」

「そ、それはもう、私でよければ」

「よしよし。今度、特別賞与出してやるからな」

「何だか凄い響きですね……特別賞与」

 クツナはシイカを、エツの家の前まで送った。二階建ての一軒家から出てきたエツは、はしゃいだ様子で、シイカたちを出迎えた。その時玄関先で、念のためにクツナは、適当な口実をつけて、エツにもシイカと同様の防御とセンサーを施した。

「防犯ブザーみたいなものですか? なるほど、シイカちゃんも一人で夜道を歩いたりすることもありますし、気をつけるに越したことないですものね。私のことも気遣ってくださって、ありがとうございます」

 まさか、実父や友人の両親を手にかけた危険人物が襲ってくるかもしれないとは、ぺこりと頭を下げるエツには言えない。

「しかし、この間までからは考えられないんじゃないのか。鳴島が、お友達の家にお泊りっていうのは」

 クツナがそう言うと――これはからかうつもりもあって言ったのだが――、シイカは赤面しながらキリリと真剣な顔になる。

「私は今、……大人の階段を一歩上ったに違いありませんね」

 うんうんとうなずいてやりながら、クツナは門の外から、ひらひらとシイカに手を振った。

 人は変わっていく。特に十代の人間など、思いもよらない速度で、思いがけない変化をすることがある。

 ――今のお前は、何を願っているんだ。あの頃と変わらないままなのか。

 二人の少女をドアの向こうへ見送って、クツナは、雲にふさがれた黒い空を見上げた。

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