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棘を編む繭  作者: クナリ
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第四章 14 消えていく(居)場所

 キリは、アルトの家の前に自転車を停めた。赤いレンガと白い壁が基調になった、瀟洒な家。門についているインターフォンを押そうとして、門扉が半ば開いていることに気づく。

 人差し指で門扉を押し開け、玄関に近づいた。家のドアの横にもインターフォンのボタンはある。しかし、そのドアもまた半開きになっていた。

 アルトの家に入るのは初めてではない。その時はただ遊びに来ただけで、厳しそうな父親と優しそうではあるがどこか掴みづらい母親の前で――キリにしては珍しく――しおらしく過ごしたのを覚えている。いきおい、それ以降は居心地のいいクツナの家が集合場所になった。

 ドアを開ける。奥行きの長い廊下には、誰もいない。

 嫌な予感がした。声もかけずに、キリは靴を脱いで、廊下へ上がった。暴漢に会うわけじゃないんだから、と言い聞かせても、喉がひりひりと乾くのを自覚する。

 居間を覗き込んだ。

 以前見た、あの怖い顔のアルトの父親が、仕立てのいい青いソファの脇に仰向けで倒れている。その横に、ぼんやりと母親が座り込んでいた。

「おばさん!」

 びくんと母親の体が震えた。目の焦点が、今の入り口に立つキリに合う。

「あ、あなた、キリちゃん……あの子、アルトが……」

「おじさんは? それって、アルトの仕業なんですか……?」

 キリが部屋の中央へ踏み出そうとした時、母親が叫んだ。

「やめなさい!」

 自分が言われたのかと思ったキリは立ち止まり、しかし、とっさに背後の気配に気づいた。飛びのくようにその場を離れ、母親のすぐ横まで来てからキリは振り向く。今の今までキリがいた場所に、灰色の髪と目をした、見慣れた友人が立っていた。両手を緩く前方に出した格好で。

「アルト……! あなたがやったの、自分のお父さんを……」

「僕とキリは、そこは分かり合えると思っていたけどな。思考回路に関わる繭を、いくつか結紮(けっさつ)しただけだよ。運が良ければそのうち治るんじゃないかな」

「どうして? クツナのお母さんも、あんな」

「どうして、か。きっと君たちみんな、そう言うんだろうな。クツナも、クツナの父親もそうかな、どうして、どうしてって。でも――どうして、分かるだろうと思ってるんだ?」

「アルト……あなた、本当にアルトなの……?」

「僕はずっと僕だ。ただ、キリ。僕にとっての君が変わっただけだよ。そこの男もそうだ。今まで黙って言うことを聞いていたのは、彼に僕の父親という肩書があったからだ。それがなくなった今――僕が棄てたんだが――彼は僕に命令できる立場にはない。それなのに、そいつはこう言ったんだよ。クツナの家へ行け。謝罪し、償えって。自分も同行するからって。尊敬も感謝もしていない人間に、そんなことを強要される筋合いがあるかい」

 アルトの父親は、口からよだれを垂らして昏倒している。今のキリの体調で、とても治癒できる気がしなかった。他の繭使いを頭に思い浮かべる。しかしクツゲンは倒れていたし、クツナは母親のことでそれどころではないだろう。キリには他に、繭使いの知己はいない。そのことが今、とてつもなく悔しかった。

「おじさんは、命に別状は……ないのね」

「たぶんね。凄い目で僕を見るね、キリ。初めて見る」

「アルト、別のところへ行こう。おばさん、ごめんなさい。アルト、お借りします」

 モノみたいだな、と冷笑するアルトの目前に、キリは踏み込んで、頬を張った。

 しかし、その瞬間に戦慄を覚えたのはキリの方だった。

 キリとアルトは家を出て、それぞれに自転車にまたがった。キリは行き先を告げて走り出し、それをアルトが追う。

 背中にアルトの気配を感じながら、キリは、恐怖に飲まれそうになっていた。頬を叩いた瞬間、わずかにアルトの右肩が動いた。あれは、その気になれば、キリの繭を掴める。そして――思うさまダメージを与えることができる。覚悟をしろ。その警告だった。


 クツナは、クツゲンに救急隊の相手を任せると、家を飛び出して自転車にまたがっていた。行き先のあてとして思いつくのは、アルトの家だけだった。

 キリたちが出発した少し後、凄まじいブレーキ音を立てて、クツナの自転車が赤レンガの塀の前に止まった。家の中に飛び込み、アルトの両親を見つける。

 キリとアルトが、連れ立ってここを出た。アルトの母親からそう聞かされて、クツナは再び自転車に飛び乗った。

 腿がだるくなり、筋肉が張る。それでも全速力で漕ぎ出す。息が切れ、口の中に血の味が広がる。重なる疲労を、自分の繭を少々いじって軽減させながら、クツナはキリの家へ向かった。

 それ以外に、あの二人の寄る辺はないはずだ。他には落ち着ける場所もなく、頼れる人間もいないのだから。そう確信できてしまうことを、クツナは頭の片隅で、少し悲しんだ。

 空の鉛色が、朝よりも濃くなっている。クツナの白い息がその中に浮かんだ。つい今朝、キリと二人で自転車を駆っていた時とは全く違う気分で、クツナはその白を蹴散らして進んだ。 

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