第四章 12 庇う者の戦い
「大丈夫、そんなに、致命的じゃないところを、使うから」
「ふざけるな! それなら僕のを使え!」
「クツナのじゃなじまないよ、きっと。この子とは違いすぎるから。でも私は、――」
キリの繭が少女の胸の上に置かれる。半開きになっていた少女の目が、少し開いた。
「――私は、けっこう、この子と同じ」
キリの繭は、球状からほどけ、少女の繭と溶け合っていく。灰色がかっていた少女の糸が、輝き出した。成功した。クツナは思わず安堵の息をついたが、引き換えにキリの顔色は土気色になっている。アルトのように痛みに対する精神制御の術を身につけていないキリは、その激痛にただでさえ正面から向かい合っていた。限界が近づいている。しかし、息を荒らげながらも、キリは穏やかに口を開いた。
「ねえ、クツナ。繭使いってさ、おっかないよね。その気になって技術を身につければ、きっと、人を半身不随や精神障害にだってできる。心臓も、肺も、脳も、理論上はその活動を止められる。凄く怖いことだと思わない?」
「何を……こんな時に」
「私、繭使いになりたいわけじゃなかった。それなのに、そんな奴が、こんな力を持ってるって、よくないってずっと思ってた。私を仲間だって言ってくれるクツナとアルトに、後ろめたかった。でも今、この子を助けられたら、私は生まれて初めて、繭使いでよかったって思えるの」
そう言うキリの、思いつめた表情に、クツナはいてもたってもいられなくなった。少女の体を挟んでキリの向かい側にしゃがむ。
「そんな時は、二人でやるもんなんじゃないか」
「え、でも、私のやり方めちゃくちゃだよ。わけ分からなくない?」
「ここから先は、おおよそ分かるさ。ただ見てたわけじゃない」
クツナは少女の胸の辺りの繭をほどき、かき分けて、キリの術野を確保した。そして指に走る衝撃に、ここまでキリ一人に施術させていたことを後悔する。生半可な痛みではない。ここまでの反発があるとは思わなかった。
意を決して再び動き出したキリの指は、もう止まらない。クツナは胸中で驚愕していたが、キリの技は、確実に少女を救い得るところまで進行していた。キリから取り出された繭は完全に少女のそれと同化し、生き生きとした銀色の光を帯びている。
そしてキリは、少女の回復を確信すると、少女から父親の虐待の記憶を丸ごと切り離した。
「キリ。お前……凄いよ」
「クツナ。ありがとうね」
何度か、無理な動きがたたって、キリの手から糸の束がこぼれ落ちた。そのまま落としてしまえば繭にとって大きなダメージになるところを、その度に危ういところで、クツナが拾い上げる。イレギュラーな手技に、クツナの指が容赦なく痛めつけられた。
冷や汗をかきながらの術式が続き、ようやくキリが、最後の糸を結び終えた。その結び目が溶け合うようにして一本の糸になると、近くの糸同士が寄り添って紐となり、繭の塊を形成して、少女の体に戻っていく。
これで少なくとも、すぐに世を儚んだり、早まった真似をすることはないだろう。
「凄いな、本当に。でも、無茶しすぎだ。自分の糸をちぎり出して、何の影響もないわけがない」
「うん……とりあえず、手が痛すぎて、自転車のハンドルちゃんと持てなさそう……」
膝立ちになっていたキリの上体がぐらつき、クツナが慌ててそれを後ろから抱き留めた。弛緩したキリの体は、ぐったりと重い。昨日自転車に二人乗りして抱きつかれた時に感じた、揚々とした体の張りが完全に失われていた。
「指、切れたか?」
「痛くて分かんないね……。何本か切れてても、いいけど」
クツナの指は、とりあえず一本も切れてはいない。クツナは胸中で安堵のため息をつき、青ざめたキリの顔を真横に見ながら、ぼそりと言った。
「この子は、警察に連れて行ったら、また家族の元に帰るわけだよな」
「あの父親がいなければ、何とかなると思うんだ。この子の繭から見た感覚だと、もうのこのことうちに帰ってくるタイプじゃないみたいだし」
「そのまま逐電してくれれば、一番いいんだが」
「何のおとがめもなしで逃げられるっていうのも、ちょっといまいましいけど」
「確かにな。……キリ、すまない」
キリが、自分の肩口のすぐ背後にあるクツナの顔へ向けて振り返った。
「何が?」
「大した助けになれなかった、僕は」
「そう思ってるのは、クツナだけだよ」
これから急いで、警察をここへ呼ばなくては。そしてキリを早く休ませてやりたい。そう思うクツナの腕に、キリの体の感触が伝わる。それはあまりにか細く、か弱く、儚く思えた。
キリが薄く微笑んでいるのを見て、クツナはやるせないような、慈しむような、複雑な思いに囚われていた。




