第四章 7 三人でいて一人ずつ
翌日、クツナの家にアルトとキリが来て、三人揃った。こうして集まるのは、どうしてもクツナの家になりがちである。他の二人の家は、親との兼ね合いでどうも気疲れする。
アルトはランドセルの少女の話を聞き、
「なんでわざわざ繭使いのことを教えるんだ……」
と天を仰いだ。
「信頼を得るには、やっぱり私の方から情報を開示しないと」
「ことによるだろう? クツナも、キリのことをもう少し」
「アルトは直に見てないからそう言えるってのもあるぜ。あんな子に、あんなところで所在なげにされてたらな」
「キリは、お節介過ぎるって……」
なおも続けようとするアルトを、クツナが苦笑して制する。
「分かった分かった、あんまり行き過ぎるようなら僕が止めるよ。お、麦茶切れたか。持ってくるな」
「重いだろう。僕も行く」
男二人で台所へ行き、クツナが麦茶のボトルを冷蔵庫から取り出したところで、アルトが耳打ちしてきた。
「クツナ。忠告しているのに」
「キリの言いなりになんてなってないぞ。僕も正しいと思って、そうした」
そう言って部屋へ戻ろうとするクツナを、アルトが腕を壁につき、通せんぼして制した。
「クツナ。もう一度言う。僕らとキリは違う」
「突き詰め過ぎなんだよ。そんなに穿ってると胃に穴空くぞ」
部屋に戻ると、キリはうつらうつらと居眠りしていた。
「お前……すごいな。五分も経ってないだろ」
「最近、あんまり寝てなかったから」
アルトはキリのグラスに麦茶を注ぎ、
「親のことで?」
と聞いた。
「そう。シングルマザーだってことには、何も不満はないんだけど。夜遅く帰ってくるのも仕方ないと思う。でも、お酒とタバコが臭いの。毎日、臭い。あれってどっちも、最初からあんなに臭いの? それとも人間が使うと臭くなるの? あんなに臭いのに飲んだり吸ったりするなんて、信じられない」
「おばさんにはそれ、言ったことあるのかよ」
「あるよ。怒って、しばらく口きいてくれなくなった。大人って、本当のこと言われると怒るって本当だよね。臭いのは本当なのに、臭さと向き合ってくれないんだもん」
クツナは息をつき、アルトが頬杖をついて答える。
「臭いって言いすぎだよ……君だって生きた人間である以上、どこかしらは臭いだろうし」
キリが、傍らにあったクッションをアルトの顔面に投げつけて、ついでに平手で後頭部をはたいた。
「アルトは、私が責任持って、デリカシーというものを教えなくちゃならないような気がしてきた」
「君に教えられるものでも」
「私以外に誰が教えるのよ」
「僕は、君に暴力反対の思想を教えたいけどね……。でも、匂い程度なら、キリなら自分の繭を捜査して嗅覚を一時的に鈍らせるくらい、わけない。別の不満があるよね」
アルトはアルトで、彼なりにキリを心配している。疎外しようとしているわけではない。そのことはクツナにも分かっていた。ただ、執着の仕方が、クツナへとキリへとで異なるだけだ。三人には三人なりの繋がり方があり、アルトも確かに三人の中の一人なのだから。
アルトにいかにも痛いところを突かれたというように、キリが絶句している。しかし固まっていた表情から次第に力が抜けていくと、静かに話し出した。
「お母さん、お店が終わった後にどこかに行ってるの。お母さんの勤めてるお店、閉店が十二時なのに、帰ってくるのはいつも明け方だから。その時、いつも、タバコの匂いが違う。それも何時間も前にお店でついたんじゃなくて、ついさっき隣にいる誰かが吸ってたような、強い匂い。お母さんは自分では吸わないし。……それが、嫌で。どうして、毎日匂いが違うの……。父さんが出て行った時、あんなに泣いてたのは何だったの」
キリの言葉には、クツナもアルトも、反論はもちろん、同意も示さない。助言などもっての他だった。ただ聞く。そして、キリの感情を肯定する。
子供なりの正論は言える。けれど言わない。それが三人の信頼関係でもあった。
「この間、私たち、プチ家出したじゃない」
「ああ、まあ、家出って言っても、週末に一泊二日ですぐ帰ったやつな。ただ単に親に連絡入れずに遊んでただけって気もするが。結局町中にいたし」
「あの時、私、とっても開放感があったよ。限定的でも、子供のわがままでも、楽しかった。でも帰った時、すごく空しくなったの」
「なんでだよ」
「僕は分かる気がするな。どんなに楽しくても、この親のところに結局帰らなくちゃいけないんだなって思い知らされるから」
キリがうんうんとうなずき、クツナは首をかしげる。
「そういうもんか?」
「クツナには、分かんないかもねー……」
「クツナのご両親は、優しいからね。お父さんはうるさくないし、お母さんは優しいし」
自分だけが恵まれていると言われたようで、クツナは反論しかけたが、やめた。この二人の家庭事情は、二人にしか分からない部分が多くて当たり前だった。
「でもアルトの親父さんは、厳しいけど、そんなに悪いイメージないけどな」
「さすがに、クツナだってよその子だからね。実子と同じようには扱わないよ。僕は家にいても、常に一人ぼっちみたいだ。あの家が僕の居場所だなんて、思ったことはない」
さっき、感情まかせに反論しなくてよかった。クツナはアルトの表情を見てそう思いながら、胸中で嘆息した。それからキリの方を向いて、聞く。
「僕は、なんだかんだでこの家が居場所だと思えるからな……キリも、アルトと同じか?」
「うん。だから、クツナの家は居心地がいいよ」
いいことなんだか悪いことなんだか、とクツナが苦笑した。
それを見て、アルトは、穏やかに微笑むクツナの両親の顔を思い浮かべていた。自分がもしこの世からいなくなっても、あの両親がいればクツナの居場所はなくならない。しかしクツナがいなくなったら、アルトの居場所はどこにもなくなる。
――不公平なんじゃないか?
――僕らはこの世に一対だけの、特別な二人なのに。
心の奥に生じた染みのような苦味は、クツナの家を出て帰途についても、いつまでもアルトの中からぬぐわれはしなかった。
クツナの前で、その両親と同じような穏やかさで笑うキリに対しても、これまでにない不快感を覚えて言えた。
――キリと、クツナの両親。あの三人が嫌いだ。三人とも優しくて、大切で、何も悪くなんかない。何もされていないし、むしろ好意を寄せてもらっている。
――でも、嫌いだ。僕もあの人たちが好きだけれど、でも、嫌い。
そう、アルトは思った。




