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棘を編む繭  作者: クナリ
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第三章 9 エツとトワノの同じかたち

 翌日の水曜日、シイカは放課後に再び欧華橋高校の科学準備室を訪れた。

 トワノも茎川も来ておらず、エツが一人で迎えてくれた。

「今日は、先生は明日の授業の準備。トワノは図書委員のミーティングだって。いつもなら水曜はここに来るんだけどね」

「空木先輩、色々やってるんですね」

 エツは屈託のない笑顔を浮かべた。

「シイカちゃん、そういえば昨日トワノに会ったんだってね。可愛い後輩じゃないかって言ってたよ、あいつ。なら今日来ればいいのに」

「あ……もしかしたら、私のせいかもしれません」

 シイカは、エツとトワノが科学準備室で接触していると悪しざまに吹き込まれかけたことを、エツに告げた。

「それで気を遣ったのかな。本当にそういうのじゃないんだけど」

「私も、そう思いました」

「トワノはすごく大事だけど、でも友達だよ」

「はい、あの、でも」

「うん」

「お互いの家に、泊まったりしてるって……そういうのは、誤解されてしまうかも、です」

 それを聞いたエツは、腰を浮かせて目を剥いた。元の顔立ちが整っているだけに、感情的になるとなかなかの迫力が出る。

「わ、私、あいつの家に泊まったことなんてないけど!? あっちだって、うちになんて滅多に入らないし!」

 エツがこんなに余裕のない様子を見せるとは、シイカには意外だった。顔も赤くなっている。

「す、すみませんっ! で、でもそう聞いたので……」

 腰をすとんと椅子に落とし、「ええ……?」と思案顔になったエツが、やがて得心がいったように顔を上げた。

「ああ……あれは、泊まったっていうか。この前の三月、卒業式の送辞で私がピアノ弾くことになったのね。それで、週末にうちでの練習にトワノが付き合ってくれたの。休み休み、結局午前三時くらいまで」

「それは……朝なのか、夜なのかって感じですね……」

「親もトワノのことは知ってるし、安心しきって早く寝ちゃって。ピアノのある部屋は防音で窓もないから、時間の感覚があまりなくなってたのと、何より意地になってたのよね……。元々トワノの方がピアノは上手いから、あれこれ指摘されて私もむきになって。あっちも、私が納得いくまでは全然帰りたいそぶりも見せないんだもの」

「それくらい付き合ってくれるって、凄い……と思います」

 エツは困ったような笑顔になる。

「そうなの、トワノとは時々けんかもするけど、本当言うと頭が上がらなくて。中学の卒業式の日、私、登校してから制服のスカーフをなくしたことがあったの。少し恥ずかしいけど、なくてもまあいいかって思ってたら、トワノが前の年に卒業した先輩の家に行って借りてきてくれて。卒業式の朝に姿を消してそんなことしたものだから、なんで空木はいないんだって先生たちも騒いでた。もちろん、式の始まる直前に学校に戻って来た時、それはもう怒られてたわよ。でも、『ほら』って私にスカーフをくれて、笑ってたの。七三ぼさぼさにして」

 エツが窓の外を見た。その先には、図書室が見える。今頃、トワノはそこでミーティングの只中だろうか。

「修学旅行の班分けで、孤立して誰の班にも入れなかった私と、二人で班になってくれたこともあった。そんなことしたら、自分だって男子の中で孤立してしまうかもしれないのに。そんな話、たくさんあるのよ。でも、例えば今私に好きな人がいるってトワノは気付いてると思うのに、こんな時は応援したり、急かしたりはしないの。私のペースでやればいいと思って、任せてくれているのね、きっと。それが一番私のためだと思って。そういうところも、ある」

 エツの瞳が、慈しみに湿っている。それを見ているシイカにも、確かに、エツとトワノの絆は、恋人のそれといった方が自然な気がしてきた。もっとも、恋人ではない異性同士でそこまで濃密な関係というものを、シイカがこれまでに見たことがないせいかもしれない、とも思う。

 昨日の女子高生の言葉が脳裏によみがえる。

 ――あの二人、付き合ってないって方が不自然なんだって。

 ――お互いに大事で大事でたまらないって顔してて、でもそれ以上には近づかないの。

「いつも私を助けてくれた。数えきれないくらい。トワノが、私の一番大切な友達。私たち、おじいさんとおばあさんになっても仲良くしていると思う」


 シイカは、その後はエツと世間話だけして部室を出た。入部すれば色々科学部としての活動を兼ねて遊ぶこともでき、たとえば夏ならスライムを作って冷やすと気持ちいいのだとエツは言うのだが、シイカが欧華橋高校の科学部に入部できるはずがない。ホウ砂などの材料は科学準備室には揃っているのだが、毒性があるため教師監督の下、部員でなければ扱えない。

 残念そうに見送るエツの視線が、シイカには辛かった。入部を過度に急かしたりしないエツの態度が、なおさらいたたまれない。とぼとぼと昇降口へ歩いていると、トワノに出くわした。

「ああ、鳴島さんだっけ。準備室?」

「い、いえ、今日はもう、帰るところで」

「そうか。入部まではしなくていいから、いつでも来てくれ。といっても、最近の僕は幽霊部員になりつつあるけど」

「……図書委員の仕事は、終わったんですか」

「ああ」

「それなら、これから、科学準備室に?」

 トワノは、きまりが悪そうに頭をかく。

「ここのところ、ちょっと部活には行きづらくてな」

「あの、……尾幌先輩と、先生の、ことですか」

 見まいとしていても、見えてしまう。それくらい、トワノの繭からは二人のことを気にかけているのが明らかだった。正確には、ほとんどエツのことをだが。

「驚いたな。エツが言ったのか」

「は、はい。私の目の前で、先生に向かって」

 本当は、それより前に茎川から聞いていたことだが。トワノがエツの告白を既に知っていたということには軽く驚いたが、これだけ心の距離が近い二人なら気づくこともあるだろう、とシイカは納得した。

「鳴島さん、ちょっとこっちに」

 トワノはシイカを、階段脇の物陰に誘った。人通りはあまりないとはいえ、廊下で堂々と話せることでもない。

「知っているなら話が早い。茎川先生は、どう考えてもエツに対してその気はない。あの人はなかなかきっぱりとは断れない性格だろうが、ある程度の決着がつくまで、あまり今二人に会いたくないんだ。変に気を遣わせるだろうし、落ち着かないだろうしな」

 その口ぶりから、トワノの気遣いが、シイカには感じ取れた。トワノが居心地が悪いのではない。教師への告白とその返事で気が気でない状態のエツが、トワノのために気疲れすることを恐れているのだ。

「あの、……私、空木先輩が、何度も尾幌先輩を助けてあげていたって話を、聞きました」

 トワノは、「そんな大層なことじゃないんだが」とまた頭をかいた。

「卒業式で、スカーフをなくした時のこととか」

「なくした? なくしたって、エツが言った?」

「違うんですか?」

 トワノは、あいまいに首を振って「どうだったかな」とつぶやいた。

「空木先輩は、どうして、そんなに、尾幌先輩のために」

「友人だから、では納得いかないか。確かに、友人全員にそうしているわけじゃないものな」

 トワノが苦笑した。

「詳細は省くが。エツは、あれで昔から苦労してきているんだ。あいつ、結構美人だろう? 実は気もなかなか強い。それでいてクラスメイトと打ち解けやすい方でもないから、教室の中で孤立することがよくあった。そんな時、面白半分にエツにちょっかい出す奴が、男子でも女子でもいた。でも、エツはそういう連中に一度も反撃することはなかった。単に怖いからじゃない、自分のせいで人が傷つくことを極端に恐れるんだ、あいつは」

「それは……分かる気がします」

「最初は、そんな生き方は大変そうだから、できる範囲で守ってやろうかと思っただけだった。一応クラスメイトだからな、はっきりとしたいじめになる前に食い止めてやろうと。でも、ちょっと仲良くなった頃に分かったんだが、エツは自分以外の人間が傷つけられた時は、怒る。直接的に加害者に詰め寄ったりはあまりしないが、憤っているのが確実に分かる。それって、とても信頼できる人間性だと思わないか」

「あ、思います……そういう人は」

「中学で、ちょっと内気な、絵が得意な同級生の女子がいたんだ。その子が美術の時間、横を歩いていた女子のグループに机にぶつかられて、水彩画に筆洗いの水がかかってしまったことがあった。ぶつかった奴は、何がおかしいのかけらけら笑って『味が出たよね』って言ったんだ。ぶつかられた子は、愛想笑いを浮かべてたよ。その時、エツが席を立った。で、女子グループに一喝した」

「ええっ」

「まあ、声量は蚊の鳴くようなものだったんだが。でも僕は、顔を真っ赤にしたエツをすぐ横で見ていた。そのグループはすぐに先生に叱られたが、教師ではなく生徒であるエツが怒ったことが重要だった。当の女子は、救われた顔をしていたように、少なくとも僕には見えた」

 シイカは、自分がその女子の立場だったらどう思ったか、想像してみた。確かに、一歩隔てたところにいる教師よりも、自分と同じ立場に並んでいる生徒から「それはおかしい」と言ってもらえる方が、勇気づけられるような気がする。

「そんなエツのまま、変わらないで欲しかった。だから、できるだけ傍にいようと思った。いつかはエツも、誰かに疎まれても、自己主張すべき時が来るだろう。その時は力になってやりたい。それだけだよ」

 トワノは、エツを好きだと茎川に相談したという。しかし、今のトワノからは、エツを自分のものにしたいという欲望は見て取れなかった。

 シイカに感じ取れないだけだろうか。それとも、愛情と友情は併存でき、一方がもう一方をコントロールできるものなのだろうか。

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