第三章 4 シイカ、クツナを覗く
シイカは、自分の見ているものが、にわかには信じられなかった。
井村橋駅の近くにある白いビルに、クツナのアルバイト先である日本ビクトリースクールはあった。塾の名前にはややセンスを疑ったものの、べたべたと貼り出してあるポスターによるとそれなりに規模の大きい塾で、実績も確からしい。
六階建てのビルの何階までがこの塾なのかは分からなかったが、教室は一階から入っているらしく、窓から小学生が勉強しているところが見られた。その教室のホワイトボードの前で、シイカの見知った人間が、見たことのない仕草と声色で教鞭をとっている。
「ハイッ、じゃあこの室町時代に起きた、農業の革命的な進歩について! それを支えたのは、ひとつにはこのマシーンです。これはもうマシーンですね! 何という名前で、何に使うんだったかな~?」
ホワイトボードの横のスクリーンには、シイカには見覚えがあるようなないような、木製の器具が写し出されている。確かにマシーンという呼び名が当てはまらないでもない。しかし、そんなことよりも。
「HOッHO! そう、唐箕ですね! 用途も当たり、このハンドルをぐるぐる回して中に風を送り込んで使います! そしてこれよりもややマシーン感は落ちますが、こちらが、そう、千歯こき! さらに鍬や鋤の先端にも、この頃には……」
その時、軽快にしゃべっていたクツナの視線が、シイカの窓越しのそれとぶつかった。一瞬クツナが動きを止めたが、すぐにまた話し出す。
「二毛作と二期作の違いは分かったかなー? 似ているものは、全く違うものよりも、区別して覚えるのが難しいものです。テキストで、しっかりと整理しましょうね! そしてテストでチェックです! でも何よりナンバーワンに大事なのは、テストの点数自体よりも、その点数を踏まえた復習で――」
クツナがビルから出てきたのは、それから一時間後だった。
「……こんな真夏に、そんなところにいたら脱水症状起こすぞ」
「ここはビルの陰ですし、もう夕方ですし。水分も持っています」
「君、何だってこんなところ見に来たんだ? ……まあ、ひとつしかないか。父だな?」
「ご、ごめんなさい。見てしまって」
「恥ずかしいものみたいに言うな。これでも試行錯誤の末に確立したスタイルなんだ。……いいから、どこかで少し涼んでから帰れ。この時間だと電車も座れない」
二人は、駅前のジューススタンドに入った。
「あんな風なんですね、授業中のクツナさん」
スイカのジュースをちびちびと飲みながら、シイカが言った。
「面白いことじゃないとなかなか生徒の頭に入らないからな。歴史なんて全部丸暗記できれば点は取れるが、イメージや理屈付けがあった方がずっと効率がいい。うまいこと歴史自体に興味を持ってくれれば、多少勉強のストレスも減る」
クツナの方のジュースは、ケールとモロヘイヤ、アルファルファだった。真夏に飲むのはどうなのかとシイカは思ったが、クツナいわく、真夏だからこそなのだという。
「それと、私、聞いてしまったんです。その……お母さんのこと」
「ああ。別に隠していたわけじゃないんだが」
クツゲンもそう言っていた。確かに、宣伝することでもなければ隠すことでもないのかもしれないが。
クツナが小声で言う。
「じゃあ、僕が母を生き返らせようとしたとも?」
「は、はい。すごく、その……頑張ってたって……」
我ながらばかみたいな言い方だ、とシイカは思った。肩が縮こまってしまう。
「死者復活は、繭使い最大の禁忌とされている。なにしろ不可能に決まっているんだから、ただいたずらに指を失うだけだものな」
「でも、おかしくないです、全然」
「笑ってもいいんだが」
「何もおかしくありませんってば」
二人のカップが空になった。出るか、とクツナが目配せして、シイカがうなずく。会計はクツナが払ってシイカを恐縮させた。
「すみません、ご馳走さまです」
「君、もの食べる時の挨拶は欠かさないな。偉いぞ」
こうした物言いになる辺り、クツナもシイカには砕けてきている。
「さてそれじゃ、明日からタイミングを見て例の高校に潜入といくか」
「忍び込むんですか? 学校に?」
「どこでどう繭をやるにせよ、そのための下調べがいる。校内や帰り道で、忍び寄って施術するわけにもいかないからな。下手すると通報される。それに、本当に恋愛感情なんてものを奪っていいものかどうか、その最終確認もしておきたい。考えていることがあると言ったのは、茎川さんに、制服を一着用立ててもらおうと思ったんだ」
繭をやる、という表現はなんだかおかしくて、シイカはいまだに慣れない。
「クツナさん、高校生になんて化けられるんですか」
「ははは。鳴島は面白いな。そんなわけないだろう、ここに現役女子高生がいるのに」
わざとらしく乾いた笑い声を上げながらクツナがシイカを見下ろす。
「え?」
「君も学校があるし、放課後の部活の時間なら狙いやすくてちょうどいいいだろう。頼むぞ、信頼できるアシスタント」




