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棘を編む繭  作者: クナリ
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第三章 3 シイカ、クツナの父親に少し昔の話を聞く

 洗い物の水音はすぐに止まり、クツナが戻ってきた。

「……何を呆けてるんだ」

「何だか、私、すごく誉められました……。こんなこと初めてです」

「別におだてたわけじゃないぞ。僕の職場の塾にも勘違いしてるおじさんがたくさんいるけどな、誉めて伸ばすっていうのは目下の者の機嫌を取ることじゃない。行動と結果を正当に評価するということだ」

「もう、逆にやるせない感じです」

「何の逆だかさっぱり分からないが」

 クツナは用事があって出掛けるというので、シイカも帰り支度をした。

「僕は先に出るよ。茎川さんの依頼については考えていることがあるから、また連絡する。父も奥にいるから戸締まりだとかはしなくていい、それじゃ」

 そう言って、クツナは出ていった。

 シイカが忘れ物がないか一通り確認していると、クツナの父、クツゲンが居間に入ってきた。古いもののようだが仕立てのいい背広に、ネクタイのないワイシャツ姿だが、これがクツゲンの普段着である。

「あっ、あの、お邪魔……してます。クツゲン、さん」

 以前シイカは、クツゲン本人から、名前で呼べばいいと言われていた。最初の頃に比べれば打ち解けてきたが、それでも少し、気後れしてしまう面もある。

「あれとは、仲良くやってくれているようだな」

「仲良いといいますか、そうですね、普通に」

「あれが、私生活上で友人を作るのは久しぶりだ。仕事でも世話になっているようだし、あなたには感謝している」

「そんな、私こそ……」

 今日はずいぶん持ち上げられる日だ。照れていると、クツゲンが台所に向かった。飲むものを淹れるのだろう。

「クツゲンさん、私やります」

「あなたは、仕事が終わればこの家にとっては客人だ。そんなことさせるものかよ」

「でも」

「俺の指のことを、あれから聞いているんだな。心配無用、指が切れていても日常生活には問題ない。繭に対して無感覚になるだけだ」

 そう言われると、シイカも手の出しようがない。所在なく座り直すと、クツゲンが麦茶のグラスを二人分持って戻ってきた。

「あれはどうせ、コーヒーでも出したんだろう。喉が乾いたろうに」

「そんなことはないですけど。す、すみません」

「言ったろう、客人だと。ああいや、帰るところだったのかな。これは失礼した。どうも家に依頼人以外が入るのが久しぶりで、調子が出ん」

「クツナさん、あまりお友達を家に呼ぶ方ではないんですね」

「うちはちょっと変わってるしな。繭使いの施術台なんか見られて、ありゃなんだと聞かれても困るんだろう。あれの母親は早くに死んだが、友達は多かった割りに、やはり家にはあまり呼ばなんだな」

「クツナさんのお母さんて、どんな方だったんですか」

「なぜ俺のところに嫁に来たんだろうと思うくらい、朗らかだったな。よく笑っていた。だから、自殺した時は皆が驚いた」

 シイカの持っているグラスの水面が、かくりと揺れた。

「え……」

「隠したいことでもない。近所は皆知っていることだしな。首を吊ったんだ。遺体は、クツナが見つけた。なぜそんなことになったのかは、遺書もなく、誰も知らん」

「そんな……私、全然……」

「あなたが気にすることじゃない。いきなりこんな話をして悪かったが、妙に気を遣い合うよりはいいと思ってな。俺が見たのは、母親の遺体を縄から下ろしたらしいクツナが、その蘇生を試みている姿だった。母親の体にはまだかすかに繭が残っていたが、死にゆく体にとっては、それも生命の名残に過ぎない。繭使いには、死者復活の技術はない。それどころか、禁忌だ。それを知っていながら、ぼろぼろに崩れていく繭に触れていたあれはその時、まだ中学二年生だった」

 シイカの喉は、乾いてひりついていた。けれど、もう一度グラスを持つだけの力が指先に入らない。

「あれの指が二本切れているのは知っているか? 俺が知る限り、その日の直前までは十本とも無事だった。母親を生き返らせようとして、無茶したのだろうよ。まあ俺も、人のことは言えないんだが」

「じゃあ、クツゲンさんも……?」

「さてな」

 クツゲンが話し終えると、エアコンが低く唸る音だけが響いた。

 何呼吸か置いてから、クツゲンが嘆息する。

「それ以来だ、それまでもそうそう友達なんぞ家に呼ばなかったあれが、いよいよ人をここに入れなくなったのは。それまでには一緒に遊んでいた女友達なんかもいたようだが、少なくとも家には上げなくなったな。だから、あんたは久しぶりの客人なんだ。仕事ではなく、この家のな。……変な話、しちまったかな」

「変だなんて、そんなことないです」

 自分で思ったよりも強い口調になってしまい、シイカは慌てて、

「私には、どうしていいか分からないことですけど……」

と静かに付け足した。

 するとクツゲンが、傍らにあったメモ用紙に住所のようなものを書きつけ、シイカに渡した。

「よかったら覗いてやってくれ。あいつのアルバイト先の塾だ。今日は特別補講とやらでここに行ったはずだ」

「え、でも、勝手にそんな」

「あんたは、あれや、もちろん俺の、部下でも家来でもない。興味を持ったら何でも見ればいいし、そうでなければ見なければいい。勝手なんてことがあるかよ」

「そう言われると、少し見てみたいような……」

「塾はちょうど、あんたの帰り道にあるよ。駅の近くだ」

 クツゲンは、濃いしわの奥にある唇の端を、軽く歪めた。笑ったのかもしれない、とシイカは思った。

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