第二章 4 クツナ、インコ以外も治す
夕方に、その親子は訪れた。
息子は中学生のようだった。すねたような顔をしているが、素直に母親について来る。元々はやんちゃそうなその顔には、罪悪感がありありと浮かんでいた。
クツナは二人を、まず和室に通して、座らせた。
簡単にクツナが事情を聞いている間、シイカはお茶を入れるために席を外す。
数分後、シイカが和室に戻ると、息子の方が涙ぐんでいた。
「いいね、これからすることは、君の人格を変えたり、やりたくないことをやらせてしまうようなものではない」
「……はい」
「ただ、君を少しだけ素直にする。それほど君の負担にはならないはずだ。なぜなら、……親の愛は、無償でも、無限でも、当然でもない。悲しいことに、それを証明する事例はこの世の中に無数にある。元々、奇跡みたいなものなんだ。でも君はどう考えても、その価値を理解しているからな」
施術室に移り、少年を施術台に寝かせてからの繭使いは、三十分もかからなかった。
クツナに糸を繰られている間に、横で手伝っていたシイカにも、母親にも、つきものが落ちたように少年の表情がやわらいでいくのが分かった。シイカはいつにも増して繭を丁寧に扱う。
繭使いが終わり、夕暮れに差し掛かった空の下で二人を見送りながら、クツナが小さな声でシイカに言う。
「母親の方は最近再婚して、新しい子供が生まれたそうだ。あの子は前夫との子なんだな。自分以外の子供が母親にできたことで、あの子は寂しさから荒れていた。人に相談するというのも、難しかったろうな。特に現夫なんかには」
「特に悪い人がいなくても、家族がもめることってあるんですよね」
「事情はそれぞれの家族で色々だ。君だって、自分の家族に洗いざらい悩みを打ち明けているわけじゃないだろ?」
「うちはそういうのとは、むしろ縁遠いですね……」
玄関から家の中に入ろうとしたシイカの足元が、やや乱れた。
「どうした?」
「すみません。少しは慣れたつもりでいたんですけど、怪我をした人や動物を見ると、私、……」
「あまり気分のいいものじゃないからな」
「そうなんですけど。それだけじゃなくて、何だか……」
ただ単に、生き物の傷口を見て気分が悪くなるだけではない。そのずっと奥の方に、もっと遥かに恐ろしく、怖気を振るうような不快感がある。
ただ、そこへ通じる扉は固く閉じられてはいる。
それでも、感じ取ってしまうのだ。牙をむいた獣が、扉が少しでも緩んだ瞬間に、こちらへとびかかって来そうな恐怖感を。
「何だか、怖いんです。何がなのかは分からないんですけど、でも」
シイカの歩みがとまり、膝が折れた。地面に手こそついていないが、今にも倒れそうだ。体の不調は何もないというのに。
クツナの右手が、シイカの額の辺りでゆらゆらと揺れた。五本の指が、操り人形を動かすようにそれぞれにくるくる動く。やがて、荒れかけていたシイカの呼吸が静まってきた。
「クツナさん……お仕事のすぐ後なのに……」
「いや。今まで気付かなくて悪かった。これからは、僕も気をつける。従業員は大事にしないとな」
照れたように苦笑する二人の影は、夏の夕暮れの中で伸びている。
「ちょっと遅くなったな。ま、今日はみっつも依頼をこなしたし、少しは懐も温かくなるからいいか」
「そういえば、今日の売り上げってどれくらいなんですか?」
今までクツナに繭使いの収支を尋ねたことはなかったが、純粋に疑問ではある。
そうしてクツナの答えた金額は、半眼のシイカが考えていたよりもだいぶ少なかった。
「え、それだけですか」
「最後のはこっちから言い出したしな。だいたい値段を高くして、そのせいで依頼されなければ、仕事がもらえないだろう。金持ちにはなれない仕事なんだよ」
クツナが肩をすくめる。
「じゃあ、手首くじいたくらいの依頼じゃなくて、もっと大きなお仕事を受ければ……」
「そうしたら、大事な試合に出られない善良な市民が困るだろ」
おかしな理屈だ、とシイカは思った。まったく筋が通っていない。
しかし、気分は悪くなかった。むしろ、シイカの顔は自然に微笑んでいた。




