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ルサンチマンの恋人たち  作者: 八雲 辰毘古
第1話:くたばりやがれ、青春。
7/10

7.ヒヤリハットは計画的に

「──え、お前おれのこと好きなのか?」

「バカ言えふざけんな」


 なぜ炎天下のもと、野郎二匹でベンチ会話をしているのか。

 想像するだけでおぞましい。

 だが、現実は残酷だった。

 いま梶谷は、千兵衛の赤いきつねを食い終わり、ペットボトルのコーラを一気飲みしている。見ているだけで腹をこわしそうな食生活だったが、三郎ラーメンを常食しているこの男のことだから、きっとその胃袋は鋼鉄製にちがいなかった。


「ていうか、いつから気づいていた?」

「ん? 最初から。先週の火曜からだったよね」


 ……全部筒抜けだったのか。


「おいおいへこむなって! 普通のひとなら気づかないぐらいだから、よくやったと思うよ」

「それは自慢なのか。少なくとも(なぐさ)める気はかけらも感じないぞ」

「おう、そんなつもりは微塵(みじん)もないからな」


 コーラをぐいっと飲み干すと、梶谷は、そのままぼくのほうを流し目に、問いかける。

 で、どうしてこんなことやってんの? と。


 ぼくは返答に(きゅう)した。

 素直に言うわけにはいかない。

 かと言って何か方便があるわけでもない。

 梶谷はそれを察したように笑った。


「素直だな。ありありと答えてんじゃんかよ」


 大きく下品にげっぷをする。なぜか梶谷がすると漫画っぽくユニークに見えるのは、彼自身、わりと計算高くこの手の演出を自分に課しているからだ。

 お茶目で悪戯好き、明るく快活な人間像なんて、この男が自分で作り上げたフィクションにすぎない。いまはっきりとわかった。疑り深い目で頭からつま先まで見つめる、こっちが本性だ、と。


「なら、口にするまでもないだろ。そういうことだよ」

()()()()()()、ねえ」


 彼は立ち上がって、緑豊かなキャンパスの通りへ歩き出す。アブラゼミのざわめきが急に押し寄せたように聴覚をふさいだ。

 三限目の時刻が近いためか、まだ昼休みでも、ひと気が少なくなっていた。せいぜい噴水のあたりで暇そうな男子大学生が水遊びをしているぐらいだ。あとは暑苦しい夏空の下に出ようとは思わない。


 ぼくは、しかしその中にいて汗を掻かなかった。

 暑くなかったのではない。

 むしろ動悸(どうき)が激しくなりすぎていた。

 けれども肝は冷えていた。ぐらり、ぐらりと揺れる心の中で、ぼくは焦って、あわてて、暑さなんて気にしている場合ではなかったのである。


「で、おまえ、藤枝のなんなの?」


 そして、ついに彼は言った。

 できれば彼であってほしくないと思った。

 違う人間であってほしいと思った。

 藤枝の勘違いであってほしいと思った。


 しかしそれはぼくの(おご)りであり、思い込みであり、藤枝に対して失礼であった。なぜならぼくは自分の人間観察を根拠なく信じていたし、一度信じた人間を疑いたくなかったし、藤枝は大言壮語を吐くがそもそも嘘は吐かない人間だからだった。


 ということは。

 すべて事実なのだ。


 梶谷恵介が藤枝紗季に対して真剣なのも。

 藤枝紗季が梶谷恵介を振ったことも。

 それでいてなお、梶谷恵介が諦めていないことも。


 だが、はっきりしたことによって、ぼくはより悲しくなった。友人同士がこういう関係になることを、知らなかったわけではない。高校時代もよくあったことだ。だから、黙って放っておけばよかった。ただ、ぼくはよりいっそう梶谷に対して同情にも似た気持ちが湧いてきた。それは、かつて自分が藤枝に()()()()だった過去があるからかもしれないが……


「もう少し、わかりやすく言ったほうがいいかな」と、梶谷はうすら寒くなるような視線で、ぼくを見た。「……おまえ、あいつと付き合ってるの?」

「ちがうよ」

「ウソだ!」


 即答したが、むしろダメだったらしい。

 これで梶谷の憎悪がこちらに向く。彼氏がいる風にして、そっちに注意を逸らせようとする藤枝の目論見は見事に当たったわけだ。

 こうなったらやぶれかぶれで夏祭りの話でもしようか。別に大したことじゃない。ただ面白そうな神社に行って、出店をめぐって、花火を見ただけだ。そこで告白してフラれたことを省けば、男の嫉妬をあおるには十分な材料にはなるんじゃないのか。

 それとも、そろそろほんとうのことを言ってやったほうがよいのだろうか。


 そう考えあぐねていると、梶谷は、ぼくのもとに詰め寄って、胸倉をつかんだ。


「おれは絶対に認めないぞ、白猪。お前は悪い奴じゃないが、藤枝の好みじゃないのはわかる。そんなお前がどうしてあいつと付き合えるのか、おれには全くわからん」


 そりゃ、ぼくにもわからんぞ。


 ぼくが思ったことは、そのまま彼にも伝わったらしい。

 彼は手を放して、つづける。


「ただ、お前がどう思おうが知ったことじゃないが、あいつはお前にだけしか心を開いていないのはわかる。なんとなくわかる。だから無性に腹が立つ。なんでそんなに信頼されてんだよ。どんくさいくせに。一生モテなさそうなくせに」

「おいさすがにいまのは傷つく」

「傷つけるつもりで言ってんだ。当たり前だろう」

「つか、そこまで根に持つからきみは藤枝にフラれたんだろ。いい加減にしろよ。いつまで追いかけまわしてるんだよ、迷惑してるの、わかりきってるだろうが」


 これは梶谷の心に深く刺さったらしい。

 すごく嫌そうな顔をして、彼は言った。


「目が勝手に追いかけるんだ。足が勝手にそっちに向くんだ。もう少し話してみたいと思うし、もうちょっと相手にことを知りたいと思うんだよ。その感情のどこが悪い?」

「いや、ダメだろ。本人嫌がってたぞ」

「なら直接言えばいいのに」


 では、ここで簡単なクイズをしよう。

 女の子は、眼前にいるような男を信用できるのか? 嫌なことを嫌だと言えばきちんと伝わる、と思えるのだろうか?


 残念ながら答えはNoだ。


「藤枝は、もう言うことは言ったはずだよ」


 それが、とどめだった。

 梶谷は頭を垂らした。それで終わりかと思った。

 だが、まだ終わりじゃなかったのだ。

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