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ルサンチマンの恋人たち  作者: 八雲 辰毘古
第1話:くたばりやがれ、青春。
5/10

5.やれやれ、と言いたかった

 ──あれはいつのことだったろう。

 二年前、数えれば短く、想い出せば遠い。


「藤枝、夏祭りに行こうよ」


 そう言ったのはぼくのほうだった。

 高校最後の夏。受験勉強に追われ、制服姿の青春が名残惜しくなりはじめるころに、ぼくはひとつ、小さくて大きな決心をした。たった一言、告げるだけ。それだけなのに、ぼくは全身を放り投げるかのような葛藤(かっとう)に身を震わせていた。

 藤枝はそんなぼくの気持ちなどつゆ知らず、いいよ、と言った。まるで明日は晴れだよね、と世間話でもする風に。


 ああ、どうせ彼女はぼくに興味なんてないだろう。返答は聞く前から知っていた。だからこの計画は、成功のための勇敢な行為というよりは、最初から負けと知っている憂鬱(ゆううつ)な試合にも似ていた。

 むしろ好意を寄せられていたなんて知ったら、気持ち悪いと思うだろう。それでも決意に踏み切ったのは、自分の中からあふれかえる気持ちに整理がつかなくなって、苦しくて仕方ないからであって、要するにエゴなのだった。


 誰かを想うということは、ドラマで描かれるほど美しいものではない。それは夏の情景のように一見きれいだが、内実は暑くて苦しくて汗まみれの時間だった。むしろ汚らしくて、鳥肌が立つほど見るに堪えない。

 それでも自分の言葉に相手が反応してくれるだけで嬉しくなったりするし、逆に反応が薄いと傷ついたりする。そのずべては独りごとだ。自分で勝手に思い込んで、喜んで、打ちひしがれる。


 そして、ぼくは案の定、失恋した。

 理性に任せればよかったのに。

 なんで心は頭で考えたように働かないのだろう。


「……話すほどのことでもない。きみが察した通りのことが起きているの」

「そういうので濁さないでほしい。はっきり言わないのか」


 藤枝はうなだれた。明らかに当惑し、そして腹の底から疲れ切っているようでもあった。

 とりあえず座ろう。そう提案して、キャンパス内の日陰のベンチに腰掛けた。

 遅れてセミが鳴きだし、木々が騒がしくなるころだった。あたりは夕焼けに包まれて、講義終わりの学生たちが試験勉強だ、レポートだと愚痴を叫びながら、帰路についている。ぼくと藤枝はそういう人間の流れを観察しながら、ただ座っていた。せいぜい、途中でなんとなく買ったレモンティーとミルクティーを、ぼくたちは手に取ってちまちまと水分補給をしていたのだった。


 そんなぼんやりとした時間を過ごしながら、ぼくはあの夏祭りのことを思い出していた。きっとあのときもこんな感じだった。違うのは、そわそわしているのがぼくではなく藤枝だったということ。それだけだった。


「断ったんだよね。最初は、ふつうにさ」


 全く唐突に、藤枝は語りだす。


「あいつ、わたしが好きって言って。最初は冗談だと思ってたんだけど、だんだんとガチになってきて、しつこくて。挙句の果てにはわたしのSNSの言葉とか引っ張り出してきたりさ。なんか、いつも見られてるって気がしてさ……」


 気持ち悪いんだよね。と彼女は言った。

 ぼくはぞっとする反面、驚きもした。梶谷はそういうこともする人間だったのか、と。


 梶谷恵介という人物は、ぼくの知っている限り、悪戯好きで、不真面目で、飽き性で、でもどこか真剣で、やっぱりどうしようもないやつだった。そういう彼が、恋という盲目の情に囚われたとき、世間一般のそれよりもはるかに不気味で一直線な方向に振り切ってしまうのは、意外ではあった。

 それでも、こうして相手を追い込んでいるのはどうなのだろう、とは思った。


「だから言っちゃったんだよね。彼氏がいるって」

「え、そうだったの?」

「方便に決まってるじゃないバカ」


 藤枝は強烈な肘鉄(ひじてつ)を喰らわせた。

 えうっ、という声が漏れたが、それは自覚するまで自分の声だとは思えなかった。あとから痛みがじんじんとこみあげる。


「……で、それで?」悶絶(もんぜつ)をこらえながら、訊く。

「あとは知っての通り。この大学で頼れるのはきみぐらいしかいないから、勝手にそういうことにさせてもらったの」

「ええ……」


 それはさすがにどうかと思うぞ。


「べつにいいじゃない。元から何もなかったんだから、いまさら減るものでもないでしょ」

「正気度がどんどん減ってくよ……ぼくの立場わかって言ってるのかよ」


 友人同士のこじれたあいだに立つ。

 まるで決闘現場に仲裁に入るかのような。


「そんなの知ったことじゃない。わたしはわたし。自分のことのほうが大事なの」

「このやろう……」


 一瞬切れかけたが、すぐにあきれて終わった。

 こいつには何を言っても無駄だ、と思う反面、ああ、これこそが藤枝らしいな、と受け止めてしまったのである。

 言葉に出し損ねたあまりに多くの思いの丈を、盛大なため息にした。


「それで? ぼくはどうすればいいのさ。昔惚れたよしみだ、うんざりするほど付き合ってやるよ」


 そう言って笑ったぼくは、きっと藤枝もドン引きするぐらいに獰猛(どうもう)な顔をしていたような気がする。

 それも当然だ。ぼくはさっさとすべて片付けて、試験勉強をしたかったのだから。

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