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ルサンチマンの恋人たち  作者: 八雲 辰毘古
第1話:くたばりやがれ、青春。
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1.それはいつも唐突に

 今年の夏は忘れられない暑さになるでしょう。そうテレビニュースのキャスターは言っていたが、ぼくにとっては違う意味で忘れられない夏だった。


「ごめんね。わたしはそういう風にあなたを見れないから」


 そう言って首を横に振った女性は、ぼくが好きになったひとだった。さらっとした(かみ)がまだるっこい夜の空気を切った。そのしぐさが、残酷なまでにあっさりしていて、ぼくの心に傷のない血を流した。

 同級生だった。高校の最後の夏に告白して、思いっきり玉砕した。じつにすげなくあっけなく。恋というものはいつも突然やってきては、去っていった。


 あのときぼくはどういう表情で応答したのかは、もう(おぼ)えていない。けれども、背景に輝く花火の虚しい音と、河川敷の雑草を踏み倒して去ってゆく彼女の足音だけが、いやに心に残っていた。

 これが高校最後の夏休みのことだった。


「ねえ、付き合ってほしいんだけど」


 ところが、いまは大学二年生であるはずだった。

 目の前では、あのときよりも大人びた顔つきの彼女が、ふてくされたような表情だった。


 面と向かってふたりきり。昼下がりのカフェテリアの片隅で、ぼくと彼女は向かい合っていた。ぼくが紅茶で彼女がコーヒー、砂糖は入れず、ミルクをふたつ入れるスタイルは、ちぐはぐな間柄において唯一見つかった共通点だった。

 しかし、これはいったいどういう風の吹きまわしだろう。ぼくは彼女と目を合わせることができなかった。気まずいというより、どう解釈すればいいのか、素直にわからなかったのだ。


「ええと、買い物か何か?」あえて無難なほうで訊いた。

「ちがう。正真正銘、言葉通りの意味」

「じゃあ合コン?」

「あなたバカなの。だからわたしにフラれたんでしょうが」

「そ、そうだったのか……」


 大学に入ってから、彼女は言葉遣いが荒くなっていた。というより、雑になっていた。まさか同じ大学になるとはつゆとも思わなかったが、浪人しているあいだにどういう心境の変化があったのかは、詳しくは知らない。ぼくが唯一知っているのは、彼女は一つ下の学年で、文学部のドイツ文学専攻、そしてたまたま同じ文芸サークルの所属だということだけだった。

 結局何もわからず、ぼくは首をかしげた。彼女はため息を吐くと、あのときよりは長くなった髪を肩からこぼして、前のめりになった。そして、いまから大事なことを喋るのだと全身で表現しながら、丁寧に、区切りながら言った。


「すごくはっきり言う。わたしの、彼氏に、なってほしいの」


 言葉が見つからなかったので、少し黙った。しかし、あらためて言われたことを反芻(はんすう)してみても、いまいち実感が湧かなくて、ひたすら首をかしげることしかできなかった。


「ああもう、このわからずや」

「いや、わかれというほうが無茶だって」

「察しが悪いなあ。ほんとにどうしようもないやつだ」

「ええ……」


 さっきから要らない罵倒を受けているような気がするのはなぜだろうか。

 白猪(しらい)、あのね、と彼女はぼくの名前を呼んでから、一から十をかみ砕いて言い聞かせるように、つづける。


「バカでどうしようもないあなただけど、それでもあなたにしか頼めないことだからこういうことを言っているの。いい? わたしはいまピンチなの。だから、ほんとにお願い」

「いや、べつにそれはいいんだけどさ」と、ぼくは即座に切り返す。あまりに一方的だったので、少しイライラしていたのもあった。「問題なのはそこじゃないんだ、藤枝。肝心な部分が抜け落ちているよ。どうしてこういう話になっているんだ。きみはぼくとは付き合えないと、むかしはっきりそう言ったじゃないか……」

「気が変わったの」

「ええ……」あきれるを通り越して、ため息が出た。


 それでもなお真相を問いただそうとぼくが口を開いたとき、彼女は、ぼくの後ろのほうを見て目を細めた。そして、有無を言わさぬ口調で、「とにかく、そういうことだから。あなたがどう思おうと勝手だけど、わたしはとにかくあなたを彼氏にするから」とひどく身勝手なことを言い残して、その場を立ち去ってしまった。コーヒーは飲み残さなかったが、カップとソーサーは置いてけぼりだった。

 あとに残されたぼくは、彼女の背中を呼び止めることすらできず、ただぼんやりといま自分が置かれている状況の理解に努めた。どうせ呼び止めても無駄だろうから、自分の頭を使って考えなければならないと感じたのだった。


 ふと、背後を見やる。ここは大学から歩いて三分の、公共のカフェテリアだ。どこにでもあるような系列店で、飲み物が安いことを利用してテスト期間になるとじつに多くの学生が勉強に来る。

 今日もそういう日だった。前期の授業が終盤に差し掛かり、テスト勉強やらレポート課題に追われて書き物に励む。日頃勉強していればなにも恐れる必要がないくせに、遊びたいばかりにサボった()()がこのありさまだ。代理出席のローテーションでようやく獲得したレジュメを、ジグソーパズルでもつなぎ合わせるかのようにまとめて、教授の言わんとしている主旨を汲み取る。その行動それ自体が中々に滑稽(こっけい)で、大学生らしい知性と愚かさを同時に垣間見る気分だった。もっとも、かく思う自分も大して変わりがない状況ではあったが。


 べつにそれほど単位の危険は感じていないものの、勉強はそろそろ本腰を入れる必要があるだろう。そういう風になんとなく思った矢先、ぼくはふと、冷たい視線のようなものを感じた。

 思わず鳥肌が立って振り向くと、そこには誰もいなかった。しかし直感はこう告げる。まちがいなく視線の主はいた。そしてその人は、まぎれもなくこのぼくに向けて敵意を発しているのだ、と。


 ぼくはいつしか汗を掻いていた。しかし、店内はむしろ肌寒いほどきんきんに冷えていたのだった。

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