てをのばす。
旅に必要な小剣を見立ててもらった。
干し肉や、乾燥させた果物のような保存が効く食料を買って、弓矢と長剣の調整も今晩中にと頼んでおいた。その他に、なんとか荷の中に収まるように細々としたものを揃える。
朝から割と露骨に嫌な態度を取っているのに、クロノはご親切にも約束を果たそうとしている。
上からものを言うのでもなく、下手に出るのでもない。気遣いと親切が増して、ちょっと気持ち悪い。
あと、ものすごく私を見ている。
自意識過剰とかではなく、ふとした時に目が合えば微笑みかけられるのは勿論のこと、何かをしようとすれば先回りをされたり、手助けされる。
もう何をしていても視線を感じる。
このまま旅に付いて来そうな気しかしない。
ダメだ。
それはよろしくない。
早急になんとかしなくては。
先ずは姫様に釘を刺しておく必要がある。
言い方は悪いが味方に後ろからばっさり斬られる事になりかねない。
ていうか姫様は確実にクロノを慕っている。
あっさり同行を許すだろう。
笑顔で確実に後ろからばっさりだ。
ユウヤは商店の並ぶ大通りから、少し奥まった路地にある職人の所までクロノの案内で巡る。
どの主人も人柄が良さそうで、誠実な仕事ぶりに好感が持てた。
町と人を知っているハイランダーズに案内されればこそ、とても良い買い物が出来る。
そこはとても助かっているし、感謝もしているが、ユウヤは面倒が増したような気がして心が重い。
昨夜の事で完全に関係は変わったはずだった。
それも良くない方向に変えたつもりだった。
本気で嫌がれば、クロノなら手を引くのは分かっていて、あえてしなかった。罪悪感を持ってもらいたかったし、確実に 抱かせた実感がある。
今朝の気まずそうなあの顔。
もう気が済んだでしょう。
これでお互い遠慮なくさようならと言える。
「……これくらい? もうそろそろ姫様の所へ」
姫様をあちこち連れ回すのはどうかと考え、見るからに暇そうだったハルにお願いした。
ハルは快く姫様の世話を引き受けてくれ、ハイランダーズの詰所がある城塞の正面側、大通りの広場で待っている。
「そうだな……戻ろう」
差し出されるクロノの手。
この手がどういう意味で出ているのか、店の出口に導こうと出されたのか、荷物を持とうとしているのか。どんな意味があろうとユウヤには余計な手にしか見えない。
「……ホントやめて、こういうのいいから」
前を素通りしつつ否も添える。
ユウヤはこっそり肺の中の空気を全部吐き出した。
思うように思う事をしたはずだ。
もう用は無いだろうに町を案内する。
真面目というか、律儀というか。
ここまで女に構ってて良いんだろうか。
後腐れなさそうな女の扱いは慣れてると踏んで、別に構わないと思ったのが間違いだったのか。
今さら遅過ぎると分かっていても考えてしまう。
歩き出せばクロノは前を行くので、視線を気にしないでいいぶん少しは楽になる。
これ以上余計な所に色々割きたくない。
あと少しの辛抱だから頑張れと自分に言い聞かせた。
広場に戻れば城塞前の階段で、ハルが手を振っている。
姫様は砂糖がまぶされた揚げ菓子に夢中になっていた。ハルに教えられて、広場を横切るふたりを見付けると、口の端に砂糖をつけたまま、ユウヤに体当たりの勢いでしがみついてきた。
姫様をそのまま抱える。
釘を刺すのは今しかないと少しクロノから距離を取る。
「……姫様、決まりは覚えていますね?」
決まり、と言われて姫様の顔付きが明らかに曇った。眉の間にしわが入り、返事はないが腹が苦しくなるほど巻き付いている両腕に力が入る。
「今夜は宿に泊まって、明日の朝には町を出ましょう……」
視線を感じて顔を上げると、クロノがこちらを見ていた。その後ろにはハルもいる。
ユウヤは広場を見回して、目に入った宿屋の看板を指差す。
「あそこはどう?……良い宿に見えるけど」
「え?……なに、なんで? どうしたの急に」
向かいにある心配そうな顔をなんの感情も込めずに見返す。こうやって何度も他人の親切を踏みつけてきた。
今さらここに至ってまた間違える訳にはいかない。
「いや……あそこより良い宿が、この先の……」
「ちょ……ちょっと待って、何言ってんの?」
「口を挟むな」
「はあああ? ていうか、どうなってんのコレ」
気分悪そうに顔を歪めるハルを無視して、宿までの道を聞いてユウヤは姿勢を正す。
「待ってくれ、ユウヤ。……私は」
「いい加減にして……一度抱いたくらいで自分の女だと勘違いした?」
「ぅわあ……それこんなとこで言っちゃう?」
「親切にしてくれて、色々助かりました。どうもありがとう、さようなら」
腰にしがみついた背中を撫でると、姫様は腰に顔を埋めたままお別れの挨拶をした。声はくぐもって相手に届いたかどうかはわからない。
ユウヤは頷くように頭を下げるとそのまま顔は見ないようにして振り返る。
教えられた方向に向かって歩き出した。
街を行く人々に見え隠れしながら、少しずつ遠くなっていく小さなふたつの背中を見送る。
ハルが先に吐き出した。
「……下手くそ」
「そんなことは分かっている」
「あーあ、もったいな。良いの? このままで……正気?」
「……口を閉じろ」
広場に取り残された男ふたりは、どんな面倒な場所に行く時よりも引き締まった顔をして軽口を叩き合う。
教えられた宿屋は、静かな場所でこじんまりとした雰囲気だった。
出迎えてくれた宿の主人も、部屋まで案内をしたその娘も気の良さそうな人柄で、ちらりとも顔を上げない姫様にも笑いかけて明るくもてなしてくれた。
部屋に入ると腰から姫様を引き剥がし、俯く顔と視線が合うようにユウヤは座り込む。
荷物を背中から下ろして姫様の両腕を掴んだ。
「姫様……」
この後に何が続くか知っているから、姫様はぽとぽと大粒の涙をこぼしている。
これ以上の我慢を強いるのは酷だ。分かっている。
ここで折れるのは簡単だけど、でもそれは誰の為にもならない。
「私だけでは……足りませんか?」
こんなことは言いたくない、胸が苦しくて、顔がまともに見られない。
手を振り払おうともがくのを掴み直す。
「……怒っても構いません……でもお願いです」
とうとう声を上げて泣き出す姫様を抱きしめる。
「決まりは変えられない……」
行くのはふたり。
姫様と、姫様を託された者。
この旅の始まるずっと、ずっと前から決まっていた。
「姫様は……私が嫌いですか?」
言いたくない。
ずっと一緒に居るから聞かなくても知っている、ここまでふたりで来た。
辛くて、しんどくても笑って歩いて来た。
姫様の世界で、一番長く同じ時間を過ごした。
それなのにまだ縛ろうとする自分が腹立たしい。
こんな言い方しかできない自分が情けない。
姫様は大きな声を上げながら、首に抱き付いた。
小さな熱を抱きしめ返して、ユウヤも我慢できずにぽとぽと粒を落とした。
明けていく藍色の空に、紅色の雲が走っている。
空気はひんやりとして、もうすぐ季節が移ると知らせていた。
宿屋の正面を出た瞬間に姫様は走り出し、ユウヤの力を込めて掴み直そうとする手を振り払った。
駆け寄る姫様が受け止められ、抱き上げられるのを見る前に、ユウヤは自分の顔を両手で覆った。
姫様の泣き声が朝の静かな町で響いている。
背負っているものがとてつもなく重い。
ユウヤは立っていられなくなって、扉の前の石段に腰を下ろした。
「……迷惑なんだって」
「……そうか」
「……邪魔しないで」
落ち着いた声を出そうとして震え、敵わずにユウヤは肩で息をしている。
震えながら深呼吸を繰り返し、落ち着くと両手を下ろしてゆっくりと立ち上がる。
抱き上げた姫様の背中を撫でる、もう見慣れた旅姿のクロノを見据える。
「……ユウヤ……私は貴方の力になりたい……私は貴方を」
「やめて」
「……助けになりたいんだ」
どこでどれだけ間違えたのか見当もつかない。
間違いはきっとあの森の中、ウサギを追い掛けたところから始まっていた。
二度と戻らない時を思って、ため息をひとつ漏らすと姿勢を正した。
「……詮索はしないで」
「分かった」
「姫様がここまでだと言ったら引き返して」
「……ああ」
「帰りはひとりで……」
「ああ……」
「約束して」
「……約束しよう」
宥めるように優しく背を撫でられる姫様に、
まだ声を上げて泣いている姫様に、
ユウヤは今までにない冷たい声をかける。
「みんなが悲しい思いをしますよ?」
分かっているのかと念を押す言い方に、クロノにしがみつく腕に力が入る。
泣きながら、それでもはっきりとごめんなさいと繰り返した。
ぎゅっと目を閉じ、歯を食いしばっているユウヤはひとつ息をすると、目元を手でぐいと拭った。
もう何も聞けない、全ては想像と推測頼みになった。
それでもクロノにもこの空気に覚えがある。
死地に赴く旅立ちの朝、何度となくこの空気を感じた。
肌の表面が火傷を負ったようにひりついて、喉にぐっと力が入る。腹の奥底に決意が折り重なるような感覚。
明確な目的のある旅だとは思っていた。
このふたりは、最後へ向かって行こうとしているのだと、今更ながら気が付いた。
それも幸せを見据えて、喜びに向かっている、そんな旅では無い。
人との関わりを必要以上に断とうとしていた理由が、ひとりで帰ると約束させられた意味が、クロノの心でひどく重みを増す。
歩き出したユウヤを追う。
次第に姫様も落ち着いたのか声が小さくなっていく。騒ぎに顔をのぞかせていた宿の主人に目で合図すると、頭を下げて静かに下がっていった。
「行き先を聞いても?」
「……北」
「真っ直ぐに?」
「……ええ」
城塞の背にある山々は夏でも雪を頂いている。
つい先日も山頂では雪が降っていたと聞いた。
真っ直ぐ北に行けばその山に阻まれる。そこを超えたところで隣国に入るが、その先もこちら側より大きな森があるだけだ。
短い返事はこれ以上は答えないという表れ。
どうするか聞けないのがもどかしい。
朝の大通りはもうすでに動き出した人々が商売の準備を始めている。
商隊もいくつか広場にあり、旅の準備に忙しそうだった。
正門の詰め所の前では、早朝に似つかわしくない男、ハルがひらひらと手を振っている。
「町の端まで見送っても? お嬢さんたち」
「……昨日は、ごめんなさい」
「なに? なんのこと? 僕は面白くて仕方がなったけど?」
笑いを噛み殺しながら隣に並んで歩き出す。
城塞を回り込めば裏側はひと気が格段に少ない。
賑やかなのは正面側で、裏手は町の住民の居住区だった。やっと起き出した雰囲気の家の連なりを抜けていく。
程なく町の端までたどり着いた。
ここでとハルが立ち止まる。
「そこの人の面倒をよろしく」
「……ホント、面倒」
「まあまあ、そう言わないで……ごらんよ、君を見つめるこの目! この人がこんな顔してんの初めてなんだよねぇ?」
「……すごい迷惑」
「はは。こりゃ大変そうだな……ご武運を」
クロノににやにやと笑いかけ、その肩にちょこんと溜まっている姫様の頬を指で撫でた。
「ずっとそうしていらっしゃい、見た目通りの力持ちですから、そのまま抱っこしてもらうといい……良い旅を、姫様」
泣き腫らした顔をクロノの肩に擦り付けて、ふわりと笑った。
「……さよなら、ハル……」
ハルも同じように笑って向きを変えるとユウヤに片腕を広げる。
「ユウヤも気を付けて」
「ありがとう、さようなら」
「やだなあ……ふたりとも淋しいこと言わないで……またね?」
ユウヤを慣れた仕草で抱きしめ、頬に軽く口付けをした。姫様の頬にも口付ける。
「旅の無事を祈ってるよ」
先ほどと同じく笑顔でひらひらと手を振るハルに、ひとりその姿を見ている姫様がクロノの肩越しに小さく手を振り返した。
ハルの姿が見えなくなるまで離れると、道を外れて北へ向かった。
朝の太陽は勢いを付けて天辺を目指そうと速度を上げる。