つるつるとふかふかの間。
城都を横に見ながら迂回する道を並んで歩いた。
グレンとクロノの間に挟まれて、アメリはちらりちらりとどちらにも目を向ける。
「……ちょっと城都に寄っても良い? お腹空いたし……食料を調達しないとね」
クロノはふいと頭を上げて、アメリを見る。
「……うーんと。クロノ、ちょっと待っててもらっても良い? この辺りで。すぐ帰って来るから」
クロノは歩みを止めてその場で座ると、足の周りに尻尾を軽く巻きつけるようにしてアメリを見上げた。
その様が可愛い過ぎる。
アメリは眉間に皺を寄せて目を固く閉じた。
こんなことを思ってしまうのは、どうにも失礼だし、不謹慎な気がしていけない。
「すぐに戻るからね。人に見つかりそうになったら、どこかに隠れてね?」
しゃがみこんでクロノの首の辺りの毛をわしわしとかき混ぜると、ぺろりと頬を舐められる。あっけなくさっき思った事が覆された。
「……う。クロノ……!!」
ぎゅうぎゅう抱きしめて、離れ難いと後ろ髪を引かれつつ、グレンに跨って城都を目指す。
街はこれから徐々に動き出そうかという雰囲気だった。詰所に立ち寄ってグレンを預け、早くから開いている店を教えてもらって急いで必要な食料を揃えていく。
約束の場所に戻っても、クロノの姿が見えない。
どこかに行ってしまったのかと名を呼ぶ。
草の中からひょこりと頭を出した黒狼は、立ち上がると道に飛び出てそのまま先に走り出した。
「うわぁ、足……早……」
グレンの向きを変えて、アメリはそのままクロノの後を追いかける。
程なく城都を背にする街道に入る。
途中、何度かひと気の無い場所で休憩を取りつつ、日暮れ前まで先に進んだ。
近くに町も村も無いので、今晩は野営する事にして、街道を外れた森の中に入って行く。
暗くなる前までに良さそうな場所を確保して、火を熾す。
陽の高いうちは暑いほどでも、夜が近付くにしたがって冷えてくる。
荷を下ろし、グレンの馬具も外して地面に伏せさせる。気持ちのいい弾力の腹の辺りに腰を下ろして寄りかかると、その側でクロノもぴたりと張り付いて体を伏せた。
「ふふ。これならぜんぜん寒くないね」
つるつるとふさふさの毛皮に挟まれて、アメリは片方ずつ毛並みに従って手を動かした。
アメリの膝の上にクロノは顎を乗せて、片腕をかける。見上げてくる目はもっと撫でろと催促しているようで、きゅうと胸を締め付けられる感じがした。
「ああもう! クロノがかわいい!! どうしよう!!」
耳の後ろを両手で掴んでぐりぐりする。
気持ちのいい感触を味わっていると、何かを感じたのか、ふとクロノは頭を持ち上げた。
「……期待が外れ過ぎて、逆に面白いな」
聞こえた声は偽者のジエレオン卿のもの。
今までの気分が一気に吹き飛んでアメリは顔を顰める。
声のした方を向いてもその姿は見えない。
「どこにいるの?」
「ここだ」
焚き火の向こうに首を伸ばすと、あの日の夜会で見た六本足の黒猫が座っている。
「お前……肝が太過ぎやしないか」
「お前とか、馴れ馴れしく呼ばないで」
「もうちょっと驚いたらどうだ」
金色の目がすうっと細まって、それ以外に表情は無いのに、黒猫は呆れたと言った風情を漂わせている。
「なに? 何の用?」
「何の用もなにも、黙って付いて行くのも面白くないからな」
「は? 付いて行く?」
「ずっと一緒だったぞ。姿は隠していたが」
「なに?」
「何と言えば分かり易いか……この姿は俺の影とでも言おうか。お前の影と繋げておいた」
「……勝手なことしないでよ」
「……だからもっと驚けよ」
「疲れるから驚かない」
手元にあった枯れ枝を火の向こう側に向けて投げる。きちんと先が尖った方を向けていたのに、黒猫の体をするりと通り抜け、乾いた音を立ると枝は地面に転がった。
「残念だな、例え踏まれようと何ともない。……影だからな」
「……くそ」
「べそべそ泣きはらしたりしないのか」
「それで解決するならいくらでも」
「恨みごとも言わない」
「全部終わったら、殴りに行くから覚悟しとけ」
「そう簡単にいくと思うなよ?」
「……知るか、殴るったら殴るの」
「力を貸して欲しくはないのか」
「猫、クロノを戻して」
「それ以外でな」
「役立たず……どっか行って」
「お前の影の中にいるよ」
「居なくていい」
「ではな」
ぱちんと枯れ枝が爆ぜて、一瞬火が大きくなると同時に黒い猫は姿を消した。
アメリは肺の中の空気を全部吐き出して、知らず入っていた身体中から力を抜いていく。
ふんふんと耳元に掛かる息に、アメリはふへへと笑って、クロノの首に腕を回す。
「大丈夫……明日もたくさん移動しないとね。早く寝よう」
ぐいぐい頭を擦り合わされて、アメリもぎゅうぎゅう抱きしめ返す。
その夜は黒い毛皮の間に挟まれて眠った。
「……暇なの?」
「おいおい、失礼だな。貴族もそれなりに忙しいんだぞ」
「なら休憩の度に出てこないでよ」
「言ったろう、ここに居るのは影。本体とはまた別だ」
肩から頭の上にするりと登った黒猫は、アメリを覗き込んで目を細める。
この数日、いつの間にか現れては、こうして付き纏っている。
影と言っているだけあって重みは全く感じないので、アメリもわざわざ払ったりするのが面倒になってきたところだった。
「何この珍道中……」
「は。軽口とは、随分と余裕だな」
「……余裕?」
眉を顰めた途端に、横からクロノがかふかふと猫に噛み付いていく。
煙のようにふわりとその辺りに散ると、目の前の地面で集まって猫の形に戻り、アメリを見上げている。
余裕なんて無い。
陽のある間はほぼ移動に充てて、必要最低限の休憩ですら、こうして地味に重圧をかけられる。分かりやすく急かされはしないが、まだやれるだろうと薄ら笑いを感じる。
地平の先の光はまだまだ遠い。
数日かけても近付いた感触はひとつもない。
向かえば光の方も同じ分だけ逃げているのではないかとすら思ってしまう。
終わりが見えないから、焦燥ばかりが募っていく。
「分かってる……いちいち出てこなくても、足は緩めないし、止めたりなんかしない」
「……待つだけの身になって考えろよ」
「待つだけ? 本当にだけなら、悪いと思ってあげるけどね」
「……口が減らない女だな」
「お褒め頂いて光栄です……消えて」
クロノの太い前足が猫を踏みつける。それを切りに煙は散ったまま、今度は集まったりはしなかった。
「……ありがと、クロノ」
ゆっくりと歩み寄ったクロノは、アメリと鼻先を合わせて、すと目を細める。
「平気……ふふ。元気出た。……行こうか」
その日、まだ陽の高いうちに少し大きめの町の手前で、クロノは一歩も動かなくなった。
どんなに言い繕っても立ち上がるどころか、地面にぺたりと伏せている。
引っ張って立たせようにも、重くて完全には持ち上がらない。
「どうしたの、クロノ……疲れた? 動けない?」
困ったなと先に薄っすら見えている町並みに目を向けた。
まだ日暮れまでには時間があるから、もっと先まで進んでおきたい。
それでも自分の足で走り通しのクロノは、相当に辛いのかもしれないと考えを変える。
きちんと屋根のある場所で、風や夜露に晒されずに一晩過ごせば楽になるだろうか。
そう思って、地面に伏せている前にアメリはしゃがみ込む。
「あそこの町で今日は休もうか……美味しいものたくさん食べて、ゆっくり寝よう?」
ふわと尻尾が左右に揺れると、さっさと立ち上がってクロノは歩き出す。
「え? ちょっと、クロノ?」
黒い毛並みを早足で追い掛けていると、後ろからもっと大きな黒い毛並みがぱかぽこと追い掛けてくる。
「え、なにこれ……まだまだ行けるんじゃないの、ホントは」
アメリが横に並んで見下ろしても、クロノは一向に視線を合わそうとしない。
「行けるなら、もう少し先に行こうって」
つんと鼻先を逸せてすたすたと歩いている。
「……休みたいの?」
後ろのぱかぽこが鼻でアメリの背を押した。
「……休ませたいなら、私は別に」
横にいるふかふかがどしっと体をぶつけてくる。黒い毛並みたちにあちこち突かれてよろけながらも、町に向かう足は止まらない。
アメリは唸って悪態を垂れながら、はいはいといちいちに返事をした。
町の入り口に近い場所に来ると、クロノは急に走り出し、どこかに姿を隠した。
止める間もなく消えたので、アメリはとにかくさっさと宿を決めて、その後クロノを探すことにする。
一番近い詰所に寄って、厩のある宿を紹介してもらう。なるべく町の外れが良いと付け加えた。
教えてもらった宿でも、階上ではなく一階の角に近い部屋を取った。
腰高の窓を開いて指笛を吹く。
これでしばらく待ってみて、ダメなら探しに出ようかと思っていたら、すぐに窓の下に黒いふかふかが現れる。
アメリが体を避けると、軽々と窓枠を飛び越えて、音も無くクロノが部屋に入ってきた。
「……ねぇ、クロノ。きちんと決まりを作ろう。こんな強引に休まされても、ちっとも楽にならない」
腹に頭をぐりぐりと押し込んでくる。
後ろにあった寝台に足を取られて、アメリはどすりと座らされた。
クロノは膝の上に前足を乗せ、二本足で立ち上がるとアメリに頬ずりをする。
尻尾はぱたぱたと勢いよく振れていた。
「んー! もう! ずるい!! かわいい!!」
ぎゅむぎゅむ首回りの毛皮を掴んで揺すると、そのまま押し倒されて、顔がべとべとになるまで舐められる。
ぎゅうと抱き付いて黒い毛皮に染み込んだ太陽の匂いを堪能すると、やっと気分が持ち直した。
意思の疎通は時間がかかったが、何とかふたりの間で決まりを作っていく。
クロノはアメリが根を詰め過ぎているのではないか、アメリはクロノが呪われたままの状態、狼の体でいることに負担があるのではないか。
お互いがお互いの体を心配して意見を通そうとしているから、さらに時間がかかる。
急がなければならないことと、体を壊さないことの妥協点を探った。
自分で言った言葉の通りに、その日はふたりで美味しいものをたくさん食べて、ゆっくり休む。




