目には見えないもの。
王騎士副長は言いたいことを言い終えて、留める為に持ち上げていた手のひらの方向を変える。
さあどうぞとばかりに出入り口を示した。
立ち上がっていた卿は忌々し気に顔を歪めてまたその場に座り直す。
「……たかが王騎士の分際が。我々を脅すその言、許されると思うな」
「脅すなど……ご忠告差し上げたまでです」
しれっと告げられて、卿たちの苛立ちが一層強くなっていくのが赤黒くなった顔でよく分かった。
何となく矛先が変わった気がして、アメリもこの場から出て行きたいなと姿勢を変えると、目敏く見咎められてしまう。
「夫人には敵方との癒着や結託は無しとの証はおありか」
「……証……ですか?」
話は終わったのだと思っていたのに再び蒸し返されて、余りの粘着加減にアメリは眉を下げた。
いっそのこと、疑うならそれで構わないし、卿たちに疑われたところで、特にどうという事もないと言ってしまいたい。
面白いものでも見る顔で口の端を持ち上げている陛下にもだんだん腹が立ってきた。
「証は……見て分かるようなものは無いですね」
「であれば、我々は何をもって夫人を信じろと」
「私にはマルコットと居ても利点がひとつも無い……というので納得はしてもらえませんかね」
呆れ半分、投げやり半分な態度でアメリは返す。
誰にとっても無駄でしかないこの時間を諦めるしかないのかと思うと、惜し過ぎて態度に出てしまう。
外にいる皆と野菜の皮剥き競争でもしていた方が余程 有意義だ。
「偽領主は隣国の鉱山をその手にせんとしていたのだろう。そこに利があるではないか」
「……鉱山……ですか? そんなもの私は要らないですよ」
「口では何とでも言えよう」
「そうですねぇ……困りましたねぇ……」
うーんと唸って、へらとアメリは笑う。
「じゃあ、私は私の夫がくれるもので満足しているっていうのでどうでしょう?」
簡素な男物の服で跪いているアメリを目の端で見て鼻で笑う。
「その成りで満足がいくとは、納得がいかない」
「……ああ、なるほど分かりました」
ぽんと手を打つとアメリは立ち上がる。
「ねぇ、総長。今からちょっとウルビエッラの鉱山をもらいに行きましょう、ふたりで」
「何を! 気でも触れたか!」
「いいえ、本気ですよ? 私が国を裏切っていないと証明するなら、卿たちには目に見えるものを用意しないと駄目なようなので、ちょっとお待ち下さい。今からその鉱山を手に入れた後に、金輪際 誰にも手出し出来ないように埋めて、人を排除してきましょう」
ぶはと吹き出して、とうとう陛下は腹を抱えて笑い声を上げる。
卿たちが陛下に喧しく口々に喚いて、アメリに罵りの言葉を浴びせる。
ひとしきり笑った後に陛下は片手を上げ、もういいと卿たちを止めた。
くくと喉を鳴らしながら椅子の背もたれに寄り掛かって、アメリに顔を向ける。
「せっかく収めた戦を起こさないでくれないか」
「ご安心を、陛下。戦をする気はありません、鉱山に来る人々を相手するだけにしておきますので」
「は! 面白いが、流石にそこまですれば証には過ぎやしないか」
「別に偽の領主に取り入らなくても、鉱山が欲しければ何とかなると証明すれば納得がいくでしょう? 私ひとりには無理でも、私の夫なら必ず手に入れてくれる。ねぇ? 総長?」
にこりと笑って顔を傾けると、クロノも笑顔で応えて頷いた。
「目で見えるものしか信じられない人には、どんなに言葉を尽くしたって分かってもらえないでしょうけど。……私の夫が私にくれるのは、目に見えるものばかりではありません。その上で、その目に見えないものの方でこそ、私は満たされているんです」
見つめ合っている騎士団長夫妻の顔を交互に見て、陛下はくるりと目を回して天井に向けた。
「あーあーもういい、分かった分かった……愛を語らうのはふたりきりの時だけにしてくれ。下がっていいぞ、騎士団長夫人」
「陛下?!」
「デルパート卿とレデリック卿……いい加減 収めてくれ。ご自身の妻や娘に言えない暴言も幾度となく平然と吐いていたが、とても座視 出来るものでもない……本人が気にも留めてない様だから黙っていたが、これ以上は私が許さん。不愉快だ」
「…………申し訳ありません」
「……謝るべき相手が違うぞ」
ぐと詰まっている卿たちを見かねて、アメリは陛下に苦笑いを向ける。
「あー……いいです、陛下。私も随分と失礼だったけど、謝る気なんて無いですし。心の無い謝罪なんてお互いに要りませんよね?」
卿たちに向かって言葉を投げかけるも、ひと言も返事はない。
陛下は肘掛けに頬杖をついて軽く息を吐いた。
「お前がそんな調子で面白がっているから、いつまでたっても悪声が絶えないんじゃないのか?」
「……構いません、噂や悪評ぐらい。私の魅力を引き立てるものだとでも思っておきます」
「……そうか。……もう下がっていいぞ」
「はーい」
やったと小さくつぶやくと、アメリはくるりと方向を変えて天幕の出入り口に足を向ける。
幕を上げようと手を出す前に、外から大きく開かれる。
笑いを堪えているようなローハンに、アメリはにやりと笑い返す。
「ありがと、兄さん」
「いやいや、かわいい妹の為なら」
中が気になって様子を窺っていたらしい騎士たちは、怒りであったり苦笑いであったり、気遣わしいそれぞれの表情を浮かべている。
アメリはそちらにもにっと笑顔で応えて、陛下の天幕を後にした。
クロノの天幕に戻っている途中、使われていなさそうな手桶を見付けると、周りに断りを入れて、アメリはそれを地面に伏せて置いた。
何の時間だと大声で叫んで、助走をつけて渾身の力で手桶を蹴り上げる。
くるくる回りながら山なりになって飛んでいく手桶を目で追っていた騎士たちは、おおと声を上げて手を叩いて笑った。
ふんと鼻息を鳴らして、すっきりしたと、その後は大人しく、アメリはクロノの天幕で過ごす。
陽が落ちてから夕食を取り、夜空を引っ掻いたような月も中天を過ぎて傾いた頃。
衣装箱の上で座った格好のまま横に倒れてうとうとしていると、ようやくクロノが戻ってきた。
アメリはゆっくりと体を起こして座り直す。
「……どうした、起きていたのか?」
「うん……ごめんね、クロノ」
「何を謝るんだ」
「だって……怒られたでしょ?」
「怒られる筋合いは無い……怒るべきはこちらの方だろう?」
「でもクロノがやり辛くなったかなって、後から考えて。私、もっと上手くできればよかったのに……」
アメリの手を引いて立たせると、代わりにクロノが座り、その膝の上にアメリを乗せて両腕で腰を抱えた。
首筋に顔を押し付けて深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。
「この程度でやり辛くなるものか。気にするな。良くやったよ、アメリ。上手くできていた」
「えぇぇ?……でも、クロノやみんなの立場が悪くなったりとか」
「それこそ、立場が悪くなったのは向こうの方だ」
「そうかなぁ?」
話しながらも耳や首筋に口付けを落とし、どんどん胸元のボタンが外されていく。
クロノの手をアメリはぐっと掴んで止める。
「何してんの?」
「ああ……ついな」
ここがどんな場所なのか、たった今 思い出したようにクロノはふと笑った。
外はがやがやと大勢の気配が行き来している。
陣所の中で騎士たちは交代で休んでいるので、夜が更けようとも静まることはないし、深酒はしなくても酒盛りはしているので賑やかな声は天幕の外側で絶えず聞こえている。
厚い布一枚で囲まれた狭い空間は、それでも周りと隔たれたように静かで時の流れが違うと感じてしまう。
「クロノは?」
「うん?」
「もう怒ってない?」
望んだ事ではないけど、嫌々でもなかった。
むしろ前向きにザンダリル領に入ったし、マルコットの屋敷に行ってからも、気を遣ったのは主に自分の正体が露呈しないようにする為で、それ以外は遠慮もお構いもなしに過ごした。
気に入られようとマルコットに良い顔もした。
確かにクロノにとってみれば、ひとつも面白い話ではなかっただろう。
アメリが腕試しみたいでそれなりに楽しんだだけに、余計に悪かったなと思う。
クロノはふはと笑うとぎゅうぎゅうアメリの体を抱きしめる。
「ああ、もうどうしてやろうかと思っていたが……。思いもよらない言葉をもらったからな……なんの褒美かと嫌な気分はどこかにいった」
「うん? 褒美? 言葉って?」
「目には見えないもので満たされていると」
「あ……え? 私のはなし?」
頬に手をあてると親指をゆっくりとアメリの唇に這わせる。
「あの言葉も、その時のアメリの顔も」
うっとりとした表情のクロノに、また自分の居場所を忘れかけてないかと、アメリは眉を下げて口の端を持ち上げる。
「んんん? どんな顔してたっけ?」
「欲が深くなっていけない……もっともっとと思ってしまう……貴方が欲しい」
うわぁと声を漏らすと、ぎゅむとクロノの顔を両手で挟んで、アメリは手に力を入れて捏ねまわした。
「やめてやめて、その顔。見たくない!……まだ怒った顔の方が良いから!」
「……アメリ?」
ぐいぐいと額の表面を中央に寄せて、強引に眉間にしわを作る。額の真ん中を人差し指で軽くつつく。
「はい、この辺に力入れて」
寄っていく眉間のしわにアメリは満足してうんうんと頷いた。
「じゃあ、私はみんなの所に」
立ち上がるアメリの手をクロノが掴む。
「何を言っているんだ」
「だって、クロノはこれから休むんでしょ?」
「アメリもそうだろう?」
クロノの手を振り解くと、アメリは自分の体を抱きしめるように腕を巻きつける。
「ひとりで寝てよ」
「待て待て、何もしない」
眉間のしわを深くしたクロノは立ち上がり、衣装箱の蓋を開けると中から膝掛けほどの毛布を取り出した。
不審そうな目をしているアメリにぐいと毛布を巻き付けて包むと、来なさいと衣装箱の方に連れていく。
これから寝ようとしている衣装箱の上は、どう見てもクロノひとり寝転ぶにも窮屈そうな大きさだった。
それも構わないとアメリは抱えられたまま、クロノを下に敷いて乗っかる格好で横になる。
案の定クロノの足は収まっておらず、折り曲げないと箱の上には乗らない。
いつ何時でも動けるように服もそのまま、靴も履きっぱなしでとりあえず体を休める為だけに横になっている状態だった。
アメリはクロノの上でもぞもぞと動いて、落ち着けそうな場所を探ると体から力を抜いた。
胸の辺りに耳を置いて、クロノの心臓の音を聞く。
温かさと相まって眠気がすぐにやってくる。
気持ち良くうとうとし始めた頃に、アメリは眉を顰める。下腹に当たっているものが気になって顔を上げた。
「……クロノ?」
「……言うな。放っておいてくれ」
頭を押さえつけられて、元の位置に戻される。
「……陛下は明日の朝にはここを発って城に戻られる」
「ふぅん」
「ふぅんじゃない。アメリも一緒に戻りなさい」
「え?! なんで?」
がばりとクロノの胸に手を突いて体を持ち上げると、またもぎゅうと押さえ込まれて元の位置に戻された。
「私はまだここを離れられない」
「そんなこと分かってるよ」
「陛下と戻ってもらわないと私の気が休まらない」
息の続く限り唸り声を上げるアメリが静かになるまで待ってから、クロノは大きく息を吸い込んで吐き出した。
合わせてアメリの身体が上下する。
「どうせあの人たちも一緒なんでしょ?」
「……そうだな」
もう一度 息の続く限り唸り声を上げていると、胸の奥でくくと笑う声が聞こえてくる。
「……仕様がない、ローハンを付けよう」
「あ……じゃあ陛下とは別々でも」
「駄目だ。また無茶して街道を外れかねないからな」
「くそぅ、誰だ。……おしゃべり野郎め」
「……陛下をお守りしながら一緒に帰りなさい」
「うぅぅ……ん」
「今度は約束を忘れないでくれ?」
「いっこも忘れてはないもん……」
「じゃあ、守ってくれ」
「うううぅぅ……ん」
ぎゅうと抱きしめられて、せめてもの反意にもぞもぞ動いて抵抗する。
「……クロノのバカ」
「アメリは良い子だな」
「……きらい」
「私は大好きだ」
この調子は朝日が昇りきるまで続き、ひとつも折れる事なく、風向きすら変わらなかったことに不貞腐れたアメリは、にやにやと笑ったご機嫌麗しい陛下に伴って王城への帰路を辿った。
事を収めて騎士たちが陣所を完全撤収し、クロノが王城に帰るまで、ふた月以上の時を要した。
ザンダリル領は廃領の運びとなり、隣国との融和の象徴として領地のあった島は中立区とすると陛下は提案し、国は領地の権利を放棄した。
集まっていた兵たちは厳しく取り締まられた後、見込みがあり希望した半数程に中立区の警邏を任ずることで一応の終着を迎えた。
ザンダリル領主とその息子は移送、生涯スミスから出ることを禁じられ、投獄こそされないがハイランダーズの監視下に置かれる。
首謀者であった従者はスミス城塞の監獄に収監された。
計画に加担した者、知らず加担してしまった者、辿っていけば数限りなかったが、今後の憂いを断つ為に全員が罰を科せられる。
それでも陛下の尽力で重罪の者も隣国からのお咎めを受けるまでには至らなかった。
自ら墓穴を掘る真似をしたデルパートとレデリックは、王騎士の追及でマルコットへの協力が白日の元に晒され、親類縁者ともに貴族号を剥奪、戴名を解かれる。
王城から退き、これもまた城都に於いてハイランダーズの監視下に置かれることになった。
今回の功を目に見える金品で与えようとした国王陛下に、クロノとアメリは揃って断りを入れて、目には見えないものを与えてもらう事にした。
火急の要件が無い限りとの条件付きで、しばらくの休暇を下賜される。
さあさ。
というわけでこの章はこれにて終わりとなります。
最後ら辺は急でしたが、もう一話分 伸ばすほどでもないので、結果発表だとでも思っていただければ助かります。
安定のいちゃいちゃ回。
アメちゃん目線なので淡白です。
これがクロへいちゃん目線になると(盛りが過ぎて生々しくなり)18の壁をひょいこらと超えてしまいます(ヲトオさんは15の壁を超えた辺りで踏みとどまりたい)。
ブックマーク、評価を頂きました方々。
毎度お寄り頂いている皆様方。
皆様のおかげさまで更新できております。
これからも精進して参りますので、どうか懲りずにお寄り頂きますよう。ふたりのいちゃいちゃを見て頂きたいと伏してお願い申し上げるものであります。




