ゆめゆめ。
案内された天幕は陣所の最奥の中央に据えられて、周囲に比べると一際立派で美しかった。
大きさはクロノの天幕の三倍ほどで、薄っすら汚れて灰色がかった他の天幕とは違い、ぴしりと張られ、しわはもちろんのこと、泥はねや汚れくすんだ所はひとつもない。生成りの生地にはそれより濃い色の糸で蔦草の刺繍が縁取りされている。
ローハンに連れられて出入り口の前に立つと、大きな声でアメリが来たことを告げる。すぐに中から入れと返事があった。
これから何があるのか分かっているのか、ローハンは眉を八の字に下げて苦笑いで入口の布を引いた。
中に一歩 踏み入って、アメリはローハンと同じように眉を下げて無理に口の端を上げる。
中央には臙脂の絨毯が通り道のように敷かれ、その両脇には厳しい顔が並んでいる。左の手前からエイドリクとアンディカ、奥にクロノ。右手側、陛下の近くには王騎士の副長が控えて、あとのふたりは騎士ではなく、夜会で度々見かけた貴族が座っている。一番奥の正面には、簡素だけど大きな椅子に陛下が肘掛に頬杖を突いて足を組み、気怠そうに寄りかかっていた。
これから何があるのかは分からないが、どうもいい予感はしない。アメリは数歩 立ち入った場所で片膝をついて頭を下げた。自分の格好が壮麗な衣装とは程遠いので、淑女の礼ではなく、騎士の畏まった姿を取る。
「トアイヴス騎士団長夫人、許す、顔を上げよ」
陛下の国王風のもの言いに、すぐそこにいる貴族ふたりの為に体裁を整えないといけないのかと、アメリはすぐに理解した。いつもの調子では不味いと切り替えて、騎士団長夫人の顔で陛下を見上げた。
陛下はひとつ頷いて、頬杖を解くと膝の上で手を合わせ指を組む。
「呼び立てて早速だが、そこのデルパート卿とレデリック卿が、騎士団長夫人に問いたいことがあるそうだ」
どちらがどちらか知らないが、ふたりは横目でアメリを見て、片方が権高に頷いた。
卿の顔はクロノに伴って行った夜会や催事で確かに見かけたことはある。それでもアメリには話をした覚えも、挨拶した記憶すらない、それはクロノが必要無いと判断した相手だからだろう。友好的に接したい、そうするべき人たちとそうで無い人たちとは、日頃からクロノはきれいに線を引いている。
それならと腹を括る。
予想通り楽しい話ではないとアメリは目線を落として、臙脂の絨毯の端にされている緻密な織の模様を見た。
長細いという形容がぴたりと当て嵌まる方の卿が、体に見合った甲高い声で話し始めた。
「まず、騎士団長夫人。貴方がこの場におられる理由から問いたい」
困惑以外の何もない。呼ばれたからここに居るのだ。何を言っているのか、何を問われてどんな答えを期待しているのか、アメリにはさっぱり汲み取れない。
「何をおっしゃりたいのですか?」
アメリは素直に言葉にすると、細長い卿の隣にいた額の広い卿が苛立たしげに早口で喋る。
「なぜ戦場に夫人がいるのかと聞いているんだ」
経緯を知らない筈はない、命を下した本人がすぐ近くにいるのだから。わざわざ呼び出してこんな事を聞くためとは到底思えない。順を追って持って回った言い方で問い質したい何かがあるのだろう、付き合う必要があるのかと、ふたりをひたと見据える。
「……陛下から命を受けて、この場に」
「どのような命であったのか」
アメリは思わず陛下を見上げる。思いが伝わったのか、苦々しい顔で陛下が頷いた。
「ザンダリル領に行き、マルコットの蜂起を遅らせることと、領主のエグバートの居所を確認するようにと」
「他の者にも出来そうなことをなぜ貴方に任せられた」
「それは……私にではなく、陛下にお尋ね頂きたいですね」
「夫人の口から聞きたい、どう理解しているのか」
もう本当に面倒で仕方がなくなってきた。それでもアメリは表情には出さないように自分に言い聞かせ、ひと呼吸置いてからゆっくりと答える。
「女であればそれも容易いと陛下は考えられたのだと理解しております」
「なるほど……実に容易かったようですな」
細長い卿が、嘲笑を見事に織り込んだ高い声を出す。
ああ、そういうこと。女が戦場にいることを是としないという話ではなく、戦に女を持ち込んで利用したことを揶揄したいのか。その件は全くもって陛下に言ってもらいたい。
そこまで考えて、違うかとアメリは考えを切り替える。
持って回った話の流れは、決して陛下に苦言を呈したいからではない。アメリ自身を侮蔑する為のこの場なのだと認識した。
分かれば話は早いし、それほど腹立たしくもならない。感情的になれば相手を喜ばすだけなので、無駄を省こうと静かに息を吐いた。
「私の見目が上手く働いたようで何よりです」
「まさしくその事だ、騎士団長夫人」
「何でしょう?」
「首謀者の偽領主は随分と貴方にご執心だと聞いたが、それは間違いないかね」
「……それは私の判断することではありません、マルコットに聞いて頂きたい」
「どのように取り入ったことやら……いや、たったの数日で大したものですな」
「そう思われるなら、そうなんでしょうね」
「まさか逆に貴方が偽領主に入れ込んでおりはしないかと危惧さえ抱く程だ」
ざわり、と左側から気配を感じてそちらを見ると、アンディカは斬りかからんばかりの顔で少し腰を浮かせているし、エイドリクは射貫かんばかりの目で睨みつけているが、当の本人たちは何食わぬ顔だった。
クロノはきつく目を閉じて、眉間にしわを深く深く刻み込んで、離れたこの場所からでも分かるほど歯を食いしばって、こめかみに血の道を浮き上がらせている。
代わりに怒ってくれる人が居るので、逆にアメリは心を落ち着けた。
なんなら笑えてきたので吹き出さないように、握り拳で口を押さえる。
「……もし万が一にも卿の思われる通りなら、私が恥ずかしげも無くこの場に居る訳が無いとは思われませんか」
「どうでしょうな……羞恥の心をお持ちかどうか、我々には判じられませんからな」
ぷはと、とうとうアメリは堪えきれずに笑い声を吐き出した。
アンディカとエイドリクは目を見開いてアメリを見ているし、貶めたと勝ち誇っていた卿たちは不快げに顔を歪めた。
「何を想像されて、どういう答えを望まれたのか解りましたが……おふたりのご期待に応えられませんよ」
ふくくと笑いながら、それでも大きく笑うのだけは我慢してアメリは返す。
「何がおかしい! こちらは真剣に問うているんだ!」
「……真剣に……て……!」
アメリは地面に両手と両膝をついて、それでも体を支えきれず頭を下げ、丸まった格好で小刻みに震えながら声を上げないように笑った。
気に食わない、腹立たしいと前面に押し出し、アメリを問い質す声が天幕を揺らす勢いで発せられる。
「偽領主と将来を誓い、愛を捧げたこと、どの者も聞いたと報告を受けた!! それが間違いだと?! 」
「間違い……ありません、マルコットは確かにそんなことを言っていましたよ……」
「不貞を働いたことを認めるか!」
「いいえ……そのような事実はありません」
「何を! 大勢の証人がいるのだぞ!」
「マルコットの一方的な言い分は大勢が聞いていましたけど……その大勢は私が不貞を働いたのを見たのでしょうか」
なんだと言うのか、この卿たちは私が泣いて許しを乞えば満足なんだろうか。
そう思うと更におかしくなって、笑いを我慢するにも腹が引き攣れて限界が近い。
「何も無かったでは済まされん! それならば将来だの、愛だのという言葉が何故出てくるんだ!」
「……あの……ひとつ確認しておきたいのですが、私の夫は、そこに居るトアイヴス騎士団長だったと思うんですけど……夫に不貞を疑われて責められるのは分かるのですが……どうして卿に問い質されているのでしょうか」
天幕の外側でぶはと吹き出す声が聞こえ、それがローハンだと分かって、アメリは調子に乗り過ぎたと改める。
恐る恐る顔を上げると、真っ赤になって小刻みに震えているのは、今度は卿たちの方だった。
おかげでアメリの笑いはきれいに引っ込んだ。
困った顔をクロノに向ける。
すぐにクロノと目が合って、同じように困ったような顔をして口の端を持ち上げる。
少し肩をすくめてアメリはにっこりと笑った。
その無言のやり取りが火に油を注いだのか、卿は語気を強める。
「我々は夫人が敵方に寝返ったのではないかと憂慮しているのだ!」
「それならそうとひと言目におっしゃっていただけれは、違うとすぐにお答えいたしましたのに……」
「夫人の言が信用に値するとは思えない!」
「……ええと……では何故、私はこの場に呼ばれたのでしょう。私が信用出来ないのなら、どうぞ好きなように勝手にご判断下さい」
「公平を欠かぬように夫人の言い分を」
「信用に値しないのにですか?」
「減らず口を叩くな!」
「……喋らせたいのか黙らせたいのか、はっきりしてもらえませんか」
「何という生意気な! 我々にもっと敬意を払え! この娼婦風情が!」
面と向かってはっきり娼婦と罵られたのは初めてだったが、この場にいる皆は、アメリが心配していたほど気を悪くした様子がない。
もちろんアメリ自身は、痛くも痒くもない。
夜会に片手で数えられるほど出かけ、昼間には幾度となく貴婦人たちが集うお茶会に呼び出され、そんな時以外にも散々 陰で悪し様に言われているのは知っている。
鬼の首でも取ったように勝ち誇っている卿たちには悪いが、自分が罵られても何とも思えない。
もうこの場を諦めても許される気がして、アメリは感情のこもらない笑顔を貼り付けた。
「気はお済みになられましたか? 他にもありますけど? 怪しげな術で男を手玉に取る魔女だの、騎士団全員と関係のある尻軽だの……陛下のお気に入り、というのもありますね。その話はしなくてよろしいですか? それこそあの広場に居たほとんどが、私が陛下に気に入られていると見聞きした筈ですけど」
ぎりと聞こえてきた歯ぎしりがどちらの音か分からないが、ふたりの卿はどちらも歯を食いしばって怒りの感情を露わにしている。
反比例して落ち着き払ったアメリが、諭すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「これは何の時間でしょう。私を罵りたいのなら、今この場でなくてもいくらでも出来るでしょう、どうぞ別の時間に別の場所でやって下さい。……今この場では私よりも民の話を。ザンダリル領の人も、スミスの人々も、不安と不便を感じている。そういった事を軽減するために時間をかけられるべきではないかと私は思いますけど」
言いたいことを言ってすっきりとしたアメリは静かに息を吐き出した。
これまで我関せずの表情で、気配さえ断っていた王騎士副長が話し始める。
「発言をしても?」
お伺いを立てると、陛下は軽く頷く。
「構わん、話せ」
「はい……では。デルパート卿とレデリック卿は、騎士団長夫人に、何故この場に居るのかと最初に聞いておいでだったが、私はそれをおふたりにこそ問いたい」
アメリが王騎士副長に目を向けると、ちらりと目を合わせ、そのまま横にいる卿に目を向ける。
「何が言いたいのだね」
「陛下がザンダリル領に赴いて場を平らげようとなさっている時に、貴方がたはこの陣所で出された食事に文句を言っていたと聞きましたが、間違いはありませんか?」
「な……! 今はその様な話は関係無い!」
「そうでしょうか……陛下がマルコットに対峙しておられる。その側に控えていた騎士団長夫人は、見事に陛下の期待に応えておられましたが。果たして貴方たちはどうでしょうか」
「私たち……とて……心は陛下のお側に」
勢いを削がれた卿たちの声は、最後の方はごにょごにょと小さく消えていく。
「これは全くの私見ですが、夫人のマルコットとの癒着について声高に言っておられるが、城からこの場にわざわざ出ていらっしゃった貴方たちこそ、疑わしく思えてしまいます」
「失礼だぞ副長! 弁えろ、言いがかりも甚だしい!」
ふと笑い声を漏らして、王騎士はその言葉はそっくりお返しすると小さく答えた。
細長い方の卿が怒りに任せて、ひょろりと立ち上がる。
副長は軽く手を上げて、出て行こうとする卿を制する。
「ああ……出ていかれるのでしたら、その前にもうひとつ。向かい側に居る方々が何故ことを荒立てず我慢をしているのか考えて頂きたい……ハイランダーズは貴方たちが知るよりも結束がはるかに固い。騎士団長も夫人も、皆にとても慕われている。配慮を欠いた貴方たちに怒り、敵意を露わにすれば、周囲がどのように反応するか、それを重々承知しておられる。分かっておられないのは貴方たちだ。……誰が貴方たちに食事を作り、天幕の世話をし、この外にどれだけの騎士たちがいるか、努努お忘れにならない事だ」




