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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
かしこいくろい大きいの、かしこいしろい小さいの。
59/80

赤い花、一輪。






「これは……赤い……ですね」


どれくらいかというと、赤色と言われて十人中八人がぱっと思い付くくらいの赤さで、それは何かと聞かれれば、疑う余地もなく布の塊。


本日のお衣装様である。


持ち上げて前と後ろを確認する。

今日の服も腰を縛り上げずに済みそうで、しかも着てから後ろのリボンで大きさを調節する形なので、今回もひとりで被って着られそうだ。


お衣装様を抱えてきたハンナが、お手伝いしますと言う前に、わぁ、と嬉しそうに聞こえるように声を上げて、ぎゅっと抱きしめてから、着替えてきますと浴室に走って逃げた。


着替えながら、何か忘れているような気がして、はっと思い出す。


昨日は腿に括り付けていた短刀が、今は枕の下に入ったままだ。寝台は整えたけど、きっと今頃ハンナが直しているに違いない。


「……まぁ、別に……大丈夫か……な?」


あってもおかしくは無い。はずだ。

魔除けや護身用に枕の下に短刀を忍ばせることは、なくは無い。大概が美しい鞘に納められた飾りになるほどきれいなものだけど。

革の鞘に入った、実用一辺倒な無骨な感じでも、なくは無い。はず。


急いで服を被って、それなりにしてから浴室を出る。


ちらっと寝台を見ると、自分でしたよりも確実にきれいに整っているのが、遠くからでも一目で分かって、心の中で唸り声を上げる。


「こちらにおいで下さい」


鏡の横に真っ直ぐ立っているハンナの側に行き、促されるまま椅子に座る。


まとめて上げていた髪を解かれて下された。


ハンナは枕の下を見たはずなのに、何を考えているのか、鏡越しに見た表情からは何も窺い知れない。


まあいい、短刀の言い訳なんて、いくらでも思い付く。主人に報告したところで、大した妨げにもならない。


それよりも視界に入って鬱陶しいこの髪と、今日も開き気味の胸元の方が妨げだわと毒吐いた。

もちろん心の中だけで。


「ハンナさん……あの、今日も髪を下ろしたままですか?」

「そのように伺っております」

「ではその……せめて前や横が邪魔にならないようにしてもらえないでしょうか」

「かしこまりました」


ささと手早く編んで後ろに回すと、衣装と同じ布のリボンでまとめた。


素直にすごいと感心してしまう。侍女と付く人は一体どこでこんな技を身に付けてくるんだろう。帰ったら皆んなに聞いてみよう。


お礼を言うと、ハンナは口元をもごもごさせる。


今のは何だったんだろう、何かを言ったわけでもなさそうなので、よく分からなかった。


すぐに表情が無くなって、平坦な口調でお立ち下さいと言われる。


腰の後ろのリボンが不恰好だったのか、結び直された。失礼しますと胸元の布をめくって、内側にある紐を引く。ぱかぱかしていた部分が絞られる。


「わぁ……ありがとうございます」


これで不用意に屈んだ時に中身を見られずに済む。気にしなくてよくなったのはありがたい。


お礼を言うと、ふいと顔を逸らせたハンナは、礼には及びませんと小さな声でつぶやいた。



朝食を部屋で取った後は外に連れ出される。


屋敷の前にはすでに馬車が横付けされており、お見送りの為に使用人たちが両脇にずらりと並んでいた。


馬車の横には従者のホルスと、護衛のアルカルドが立ち話をしている。


なるべくなら近寄りたく無いので、マルコットの姿を探すと、後ろから声が掛かった。


「リリィ、とても綺麗だよ。君の前ではこの花も霞んでしまうな」


そう言って手に持っていた衣装と同じ色の花を、アメリの髪に一輪差し込んだ。


この花をこうしたくての、この衣装かと思うと、気持ち悪い。

よくもここまで堂々とできるなと考えて、こっちが恥ずかしくなってくる。


耳の上に飾られた花に手をやって笑顔を作ると、ご満足いただけたのか、軽く抱きしめられ、手を引かれて馬車まで連れて行かれた。


ホルスとアルカルドの視線が痛い。

なるべくそちらを見ないようにして俯いていると、ふたりは馭者台に上がっていった。


ひときわ高い声が聞こえて屋敷の方を見ると、ランベリオと、昨夜アメリの元に訪れた女性が楽しそうに笑い合っていた。


女性はランベリオをじっと見つめ、すっと手を撫でる。見送りに出ただけなのか、その場で立ち止まって小さく手を振った。


アメリと目が合うとにこりと笑って一瞬だけ片目を閉じる。


うん、なるほど勉強になりますなと馬車に乗り込んだ。


昨日と同じ、横にはマルコット、前にはランベリオが座っている。


「やあ、リリアリィ嬢。良い朝だね、昨夜はよく眠れたかい?」


アメリは曖昧に微笑むに留めていた。


「リリィは子どもではないから、よく眠れたよね?」


マルコットに指で頬を撫でられて、そんなことには慣れているはずなのに、ぶわっと全身の肌が粟立っていく。


「おやおや意味深だねぇ、良い夜を過ごされたようで何よりだ」


にやにや笑っているランベリオに覚えていやがれと心を込めてにっこりと笑い返す。



馬車はいつの間にか走り出し、マルコットとランベリオの何と言うことのない話を聞いているうちに集会に使われている広場に到着した。



ザンダリル領は川の中洲の小さな島で、川上に屋敷、そこから川下に向かって民の暮らす集落と畑がちぐはぐに混ざっている地区、領地の真ん中辺りにスミスからの橋、島の反対側に隣国へ繋がる橋が架かっている。

そこから川下の方は徐々に緑が増えて、森になっている。


集会の場所は川下側の島の端、周りを囲むように森の形だけは残されて、真ん中辺りは伐採され地面は均されて広場が作られていた。


広場には押し合うとまではいかないが、少々窮屈そうに人の波がざわめいている。


人ひとり分より若干高い場所から見下ろしていると、ランベリオが横に並び、一緒に下にいる兵士たちを覗き込む。


「これ……どの位人が居るのでしょう」

「そうだな、ざっと見たところ二百の上は居るかな」

「まあ、そんなにたくさん……」

「リリィ、そんなに端にいては危ないよ、こちらにおいで」


呼ばれてマルコットの方を向くと、横に立っていたホルスがどこを向くでもなく頷いた。


アメリは視界の端で動いたものを目に焼き付けて、目を閉じてその残像の数をかぞえる。

三人、か、四人。小ぶりの弓と矢筒が見えた気がした。


射手が何故と思いながら、風でひらひらとしている衣装が気になるそぶりでスカートを手で押さえながら周りを見てみる。


他に動いているものが見えないので、そのままマルコットの側に行った。


「兄上を探したい気持ちは分かるけど、危ない場所に行ってはいけないよ」

「はい……ごめんなさい」

「さあ、ここで待っておいで」


頷くと背中を撫でられて、また全身に鳥肌を立てた。服から出ている頬や首筋を見られませんようにと願いながら、マルコットを見つめ返す。


満足そうに頷いて、マルコットは機嫌が良さそうに高台の先に立つ。


下の方からどよめきと低い歓声が起こった。



アメリは眉を顰めて、首を傾げる。

何かがおかしい。

不揃いというか、噛み合わない感じ。


「これは……いつも、こんな感じですか?」


いつの間にか横にいるランベリオに聞くと、そうだなと返ってくる。


何がおかしいのか、はっきりとアメリには分からない。


意気揚々と下に向けて話をしているマルコットの背中を見て、その側に控えているホルスを見る。


射手は二手に分かれて、今は森の中に姿を隠して見えないが、マルコットの両脇に居るはずだ。


集まった兵士たちを鼓舞する言葉を並べ、その度に地鳴りのように歓声が響く。


何が引っかかるのか、もっと周りを観察してみようとその場をぐるりと見渡してみる。


と、ちょうど真後ろにある馬車の向こう側で、ちらと動くものを見付けた。


ランベリオは面白いものを見るようにアメリを見下ろしている。


「どうしたかな、リリアリィ嬢?」

「ちょっと……この場を失礼いたします」

「もうすぐあれも終わりそうだが?」


くいとマルコットの方に顔をやる。


「そう……ですか。でもちょっと……用を足してくるので。すぐに戻ります」

「そう。では、ごゆっくり。彼のことは私に任せなさい」

「ありがとうございます、ランベリオ様」


馬車の裏側に回ると、もさもさと足に纏わり付くスカートを持ち上げて、森の木々と藪の中に突っ込んで進んでいった。


しばらく走った所でひらひらしている指先が見えて、そこまで行って身を屈める。


「すごい格好」

「なに笑ってるの? なにも面白くないから!」


周りの色にきれいに溶け込む茶色の外套に身を包んだローハンが、手で口を押さえて笑いを堪えている。


「お疲れ様、我が妹よ。もう準備ができるからね」

「え?! 早っ!!これなら 私あそこに行かなくてもよかったんじゃない? こんなおかしな格好しなくてもよかったよね? お兄様?!」

「いやいや、そこは逆に君のために頑張って急いだ皆を褒めて欲しいんだけど」

「あ……そうか。ごめんなさい。……今から撤収していいの?」

「もうちょっと、明日のこの時間に迎えに来るよ」

「分かった……それならもう一つの仕事も出来るかも」

「本物の領主?」

「うん。うろうろする時間がなくて、まだ探せてないんだよね」

「無理はしなくていいからね」

「わかったわ、兄さん」


ローハンはにやりと口を持ち上げて、真っ赤な服で蹲ってるアメリを見ると、またくくと笑う。


「もういいって、そんなに私の女装が面白い?」

「他のみんなにも見せたいなと思って」


言いながらもローハンは外套をめくり、腰の辺りから紙とペンを取り出して、小さな紙に書いたものをさらに小さく四つに折り畳んで、アメリに手渡した。


「これを渡してもらえるかな、リリアリィ?」

「近くに居るんだから、兄さんが渡したら良いと思うのよ?」

「いじわる言わないで、お願い」

「……もうそろそろ戻らないと」

「うん、じゃあ、明日。気を付けてね」

「分かった、じゃあね」


ざっと立ち上がると、スカートを抱え上げ、またがさがさと藪を突っ切って元の場所に戻って出た。


何もなかったように服をはたいて整える。

ぐるっと馬車を回ってみると、まだ演説は続いていた。


こそこそとランベリオの横に立つ。


「ああ、帰ってきたね。もう戻らないのかと思っていたよ」

「まさか、何故そんなことおっしゃるのかしら」

「……おや、後ろのリボンが解けている。結んで差し上げよう」

「え? あ……お願いします」


見るとどこかで引っ掛けて解けたのか、ひらひらと風で尻尾のように揺れていた。


ランベリオは苦しくない程度にきゅっと縛って、見栄えよく結び直した。


礼を言うと手を取られて指先に口付けられる。


「これくらいお安いご用だよ」

「……手を離して下さい、あなたの護衛が怖い顔でこっちを見ているので」


ランベリオはくくと笑いながら、もう一度指先に口付けをして、するりと手を離した。




演説は無事に終了し、馬車に揺られて屋敷に帰る道を辿る。


行き道よりは幾分か興奮しているのか、マルコットは窓から見える景色をあちこち指差して、領地の説明を嬉々として語っていた。


ここでもまた違和感があるが、アメリはそれがなんなのか解答が得られないでいた。

もやもやとしたものをいつまでも気にしている時間はないので、気持ちを切り替えてもう一つの仕事をどうするか考えることにする。


領主の屋敷はそれほど大きくないように思える。

それでも部屋を一つずつ探る余裕はない。自分の居る客間から、どう行動範囲を広げたものかと、あれこれ考えている内に屋敷に帰り着いた。



玄関の広間で午後のお茶の約束をすると、マルコットは仕事があると去っていった。


迎えに出ていたハンナに、ひとりで客間に戻れるというと、あっさりと引き下がって別の仕事なのか、表に出て行った。



今が絶好の機会とアメリはひとり、屋敷の廊下を歩く。


他の侍女など、人が行き来する気配を感じない。静かな場所を大きな足音を立てないようなるべく静かに歩いた。



通路の分かれ道で、横から急に腕を掴まれて引っ張られ、そのままの勢いで壁に押さえつけられる。


「痛っ!……な……んのご用でしょうか? アルカルドさん」

「目的はなんだ、何をしに来た」


ぐと両腕を押さえ付けられて、痛いともぞもぞ動くと、自分のすぐ目の前まで、鋭い目付きの、ひどく怒った顔が近付いてくる。


アメリは首を引いて眉間にしわを寄せ、口の端を持ち上げる。



「うぅぅん……それは帰ってから、陛下に聞いてもらえます?」

「その服……早く脱いでしまえ、アメリ」

「そっちこそヒゲ剃ってよ、ぜんぜん似合ってないからね、クロノ」




豪商ヨエルの護衛、クロノが鋭く息を吐き出し、田舎娘アメリの耳の上に飾られていた花を抜き取って忌々しげに放り投げる。










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