田舎娘、リリィ。
「自分に正義があって、正しいと信じて疑わないようにみえますね」
「あー。そうなのかな」
ザンダリル領に入る三日前、馬で走っている間は話が出来ないので、休憩で足を止める度にアメリとローハンは所構わず話をしていた。
ローハンの見立てたザンダリルのニセ領主が、アメリには珍しくない人のように思える。
「そういう人は結構 居そうな気がするんだけど」
「まあそうですね、でもここで重要なのは、疑わないってとこです」
「疑わない……」
「誰でも少なからず悩むものですよ、これで正しいのか、間違ってないだろうかって」
「ああ……まぁ、そうかな」
ザンダリル領に向かう途中、大きめの町にわざわざ立ち寄って、そこでふたりは衣服を改めることにした。
簡素でもそれなりに高価なものを身に付けている。アメリも見た目は男のような格好なので、これではマルコットを誑しこむどころではない。
そこでどのようにすれば手っ取り早くマルコットの懐に潜り込めるか、という話になっていた。
「そんな人は大概にして、従順で、大人しい女性に惹かれます」
「……あら、それは残念」
自分がまるっきり正反対の自覚はあるので、アメリは眉を八の字にした。
「あとは、そうですね。気の毒そうであると、私が助けなければ、と考えがちです」
「ほう……それで見た目から変えようと」
「そういう事です」
ローハンは次々に服を選んで、アメリが差し出した腕の上に積み上げていった。
生地は質素で素朴だけど、嫌味のない程度に少しだけ装飾が付いている。派手ではないけど、よそ行きのような、村娘が頑張って町で選んだ風の服を手に取っている。
「すごいね、ローハン……どうしてこんな絶妙な感じが分かるの?」
「周りをよく見てますから」
「見てるだけじゃ、ダメだよね?」
「そうですね、観察して、こういう人だろうなと考えもします」
「ふーん。すごいね」
「奥方様はそうやって、何でもあるがまま受け止めて、あまり考えないですよね」
「あはは。うん」
「私も割とそうなんですけど、他人のことを考えるのは楽しいですよ……よし、これ買って、あとは下着ですね」
「ええ? 下着まで?」
「そういう所こそきちんと変えてないと、すぐにバレますよ」
「そう……分かった」
アメリとローハン、ふたり分の服から持ち物、下着まで全て揃えて、ハイランダーズの道を進み、次に訪れた町で宿を取った。
「私たちふたりは、兄妹ということにしましょう」
「いいよ……なんか楽しいね」
「私は騎士を目指している田舎に住む若者、奥方様は体の弱い、その妹ということで」
「どんどん自分とかけ離れていくんだけど」
「そうなれとは言ってませんよ、フリをするだけです」
「うーん。頑張ってみる。お兄様」
「普通の民は兄の事をお兄様とは言いませんよ」
「あ、んー。兄さん、か」
「そうですね」
「じゃあ、ローハンもその丁寧なしゃべり方止めて、普通にしゃべってよ」
「……そうする」
「ふふ……でも、私と兄さんって見た目が似てないけど、どうするの?」
「ああ、それは心配ない。……僕はマルコットに会う気は無いから」
「ええ?! なんで?」
「似てないから」
「う……くそぅ」
「クソなんて言わない」
アメリが唸るとローハンは人の良さそうな顔でくくと意地悪く笑う。
「マルコットは自領からほぼ出た事がないでしょう、あってもスミスかその近郊ですね」
偽物でも領主として働いているのならば、他所に旅をしたりする暇はないはず。ローハンはそう説明を付け足した。
「私たちは東のルーシャーから来たという事にしましょうか」
「……でも私、そこの人のしゃべり方が分からない」
「……ああ、いい所に気が付きましたね。小声でゆっくりと話せば、きっとしゃべり方を気にしているんだなとか、都合のいいように相手は取りますから、心配しないで大丈夫です」
「小声で、ゆっくりね……あとローハン。話し方が元に戻ってるよ」
「……ごめん、気を付けるよ」
「ちょっと、ここから先は、しゃべり方の練習をしながら行かない? 兄さん」
「そうだな、そうしようか」
ザンダリルまでの道のりは三日間、そのうち丸二日は兄妹として過ごし、時々ローハンからの注意を受けながら、どうにかリリアリィを馴染ませていく。
アメリを知るハイランダーズがそれなりに居るので、スミスには寄らずに、直接ザンダリル領に入る。
打ち合わせ通りにローハンは騎士を目指していた若者として、マルコットが集めている義勇軍に志願し、これもすんなりと中に入り込むことに成功した。
アメリはそのローハンとはぐれてしまった可哀想な妹としてマルコットの屋敷に招かれた。
笑いそうになった時は、顔を俯けて他所を向きなさい。それでも堪えられない時は、手で顔を覆いなさい。恥ずかしそうにしているように見えるから。
兄に教えてもらったことを、食事の最中もその後も、アメリは遺憾なく発揮していた。
「では、兄上の願いを叶える為にこの地に?」
ランベリオが酒のグラスを片手に、少し酔ったような顔で質問している。
今は食事を終えて、隣の部屋に移り食後の時間を過ごしていた。
従者と護衛など人払いがされて、部屋にはマルコット、ランベリオ、アメリの三人しかいない。
ランベリオはゆったりと長椅子で足を組んで、横になる手前の座り方をしている。
その向かい側にアメリ、横にマルコットが貼りついていた。これではどちらがこの屋敷の主人なのかと言いたくなる。
「ええ……ここに来れば、国のために働けると噂で聞いて」
「その通りだよ、リリィ。志の高い兄上のような方がいて、私は嬉しい。兄上のお名前は何と言われたかな」
「ジャックと言います」
「見た目は? リリィのように美しい金の髪だろうか」
「いいえ……兄は秋の木の葉のような赤毛です」
これも前もってした打ち合わせの通りに話す。ローハンの見た目とはかけ離れた説明をした。
赤毛でジャックは、どこにでも、いくらでもいる。
「……なるほど。きっと探し出してみせるから、心配は要らないよ」
「はい……ありがとうございます」
言葉だけで探す気はちっとも感じないが、これも最初から予測はされていたので、ローハン凄いなとしかアメリは思わない。
しばらく話をした後は、もう遅いからとそれぞれが自室に戻ることになった。
アメリが客間に戻ると、寝台の上に夜着が広げて置いてある。
連れて帰ってもらって、扉の前でハンナと別れたので、部屋にはアメリひとりしかいない。
寝台に延べられた夜着を持ち上げて溜息を吐いた。
向こう側が見えるほど薄い布で、ずるずるに引きずりそうなほど丈が長い。
「……ひどい……裸で寝た方がマシだな」
着るべきなのか、どうしようか考えて、ハンナに着ていたと思わせれば済むかと、ぐしゃっと丸めて掛け布の中に入れてその上に座った。
明日はハンナが来るよりも先に起きて、着替えをしておけば問題ないだろう。
そのまま横に倒れて、目を閉じる。
このまま寝てしまってはいけないと思いながら、疲れが波のように押し寄せるのを感じていた。
扉を叩く音で目を開いた。
返事をするとマルコットの声が聞こえる。アメリは心の中で悪態を垂れて、透け透けの夜着姿でなくて残念だったなと思いながら、そっと扉を開いた。
「遅い時間に済まない」
「いいえ……どうされましたか?」
「中に入っても?」
いやいや、仮にも未婚の女性と分かっていて、夜遅くに部屋に入ろうとかどんな紳士だ、とは顔にも言葉にも出さず、アメリは困ったように微笑んだ。
「あの……困ります。兄さんに叱られてしまうわ」
「そうだね、失礼した……いや、君が寂しがっているだろうと心配でね」
「そんなに子どもではありません」
少し怒った風に返して、アメリはマルコットの目をじっと見つめる。
「でも心配して下さって、ありがとうございます」
もう腕の鳥肌が袖に擦れて痛いぐらいだ。
マルコットは顔を赤くして、堪えようと腕に力を入れている。その調子で我慢するようにと考えながら、アメリは明日の朝しようと思っていた話を持ち出した。
「マルコット様……お願いがあるのですが」
「な、なんだい? 言ってみなさい」
「明日、私を是非 集会の場所に連れて行って欲しいのです」
マルコットが毎日決まった時間に、兵士たちを集めて、士気を上げるために演説をし、良い働きをした者に対して褒賞を与えているのは、ヨエルの調べで分かっていた。
それだからこそ、その帰り道を狙って、アメリもマルコットの前に現れた。
先程の食事の時間にもその話題は出ており、明日もランベリオが一緒に行く予定だと聞いていた。
「連れて行ってあげたいが、あそこは気の荒い男ばかりがいるからね、止めておきなさい」
「一刻も早く兄さんに会いたいんです……お願い、マルコット様……」
「しかし、人も多いし……リリィが行ったからといって兄上が必ずしも……」
「お願いします……兄さんに会って、凄く親切にして下さった素敵な方がいるって、紹介したいの」
「……それは、私のことかい?」
アメリは両手で顔を覆う。
恥ずかしがっていると勘違いしたマルコットが機嫌を良くして、明日を楽しみにしていなさいと帰っていった。
ゆっくり扉を閉めて、声を上げてはいけないと我慢していると、また扉を叩く音がする。
笑っているとバレたら大変だと、気持ちを静めてから返事をした。
開けなさいと、今度は女性の声がする。
「はい……どなたですか?」
扉の外にいたのは侍女たちと違い、高級そうな服に身を包んだ若い女性だった。
といっても自分よりは年上に見える。
二十代の後半、マルコットと同じくらいに見えた。
ぐいとアメリを押し退けて、強引に部屋に入ると、アメリに扉を閉めさせた。
「ふーん……その『色持ち』を使って、マルコットに取り入った訳ね、上手くいって良かったわね?」
「あの……なんでしょうか」
客間の中ほどに進み、椅子に腰掛けると優雅に足を組んで、肘掛に頬杖をついて悩まし気に溜息を吐き出した。
「マルコットが田舎娘を拾ってきたって聞いたのよ……まあ、見た目は悪くないようだけど」
なるほどこの女性が仕立屋と宝石商の実質的なお客様かと、ヨエルの報告を思い出す。
「マルコット様の……奥様ですか?」
「あはは! そうね……そういうことになるのかしら」
「あの……ご挨拶もせずに、失礼しました」
「いいのよ、あの人こそこそと私からあなたを遠ざけようとするもんだから、気になって見に来ただけ……あなた、あの人のこと好きなの?」
「まさか! そんな!」
「あら、いいのよ嘘なんてつかなくても。そんな綺麗な服も着たことないでしょう? 美味しいもの食べて、ちやほやされたら、舞い上がっちゃうわよね?」
どう対応すれば正解なのか、アメリにはよく分からない。何かを言って気分を害されても面倒なので、俯いたまま黙っていることにする。
「あらやだ、なんだか私が虐めているみたいだわ……違うのよ、あなたにはそのまま頑張ってもらいたいの」
「……どういう意味ですか?」
「あげるって言ってるの。どうぞ? なんならマルコットの妻になってもらって構わないわ」
ふふと笑い声を上げて、アメリのつま先から頭の天辺までをゆっくりと見た。
「奥様……なんですよね?」
「そうなろうとね、思ってただけ。もう止めるわ」
「え? なぜですか?」
「もっとお金持ちを見付けたのよ。私、その方の元に行こうと思って」
ランベリオかとすぐに察しが付いた。
マルコットよりも更に贅沢をさせてくれそうな人物に鞍替えかと分かりはしても、返事に困ってしまう。
「だからあなた、私の邪魔をしないで頂戴? 私もあなたの邪魔はしないから」
「邪魔なんて、そんなつもりはありません……でも」
「でも、なあに?」
「その……方がどなたか分からないと、知らない間にお邪魔になってはいけないので」
「ああ、そうね。ランベリオ様よ」
「……分かりました」
「お互いに頑張りましょうね?」
「ええ……はい」
思わずうっかり返事をすると、素直な子は好きよと優雅に立ち上がり、部屋を出て行った。
帰る前にもご丁寧にお手付きの侍女の名を何人か挙げて、気を付けなさいとご忠告までくれた。
良い人なんだか、悪い人なんだか、おかしな印象の人だ。
邪魔をする者には容赦ない女性だろう、わざわざ牽制しに来たくらいだ。
最初からそんな気は無いが、なるべくランベリオとは親しくしないでおこう、とアメリは再認識する。
ローハンの人を観察して、性格を考えて行動を推測する、というのはやってみると面白い。
こうして落ち着いたら考えることも出来るが、まだ咄嗟の判断ができないので、やっぱり困った時には恥ずかしがるか黙るに限る。
もうこれ以上 訪問者が来ませんようにと、薄紅色のもさもさとした服を脱いで、他に着るものも無いので、裸で寝台に入って眠ることにした。




