おにいさまー!!
他と比べれば小さい方だ。
民も四千弱で、ほとんどが顔馴染み。
領地をぐるりと一周り、馬を使うと半日もあれば元の場所に戻ってくる。
川に挟まれた土地は肥沃で、作物はよく育つが他に何があるわけでもない。
隣国と城塞都市を行き来する商人や旅人が少しばかり金を落としていく程度の通り道、どこにでもあるような、取り柄もなんの変哲もない小さな領土。
幼い頃は特にどうとも考えたことはなかった。
この地だけが全てで、ここ以外を知らなかったから。
他所の田舎に比べれば、人の出入りが激しいことも、珍しいものが手に入ることも、肌の色が違う人達がいることも、それが普通だと思って過ごしてきた。
成長するにつれ、国を知り、他所とこの地の違いを感じることが増えていった。
この領民よりも貧しい者は沢山いるし、裕福だと思っていた自分よりも富める者は沢山いた。
私の領地に無いものがまだまだ、それこそ星の数ほど存在している。
美味いものはまだいくらでもある。
価値のあるもの、美しいもの、ここに無い物がいくらでも。
「私はまたひとつ知りました。貴女のように美しい人が居るとは」
隣で遠慮したように小さくなって座って、困ったような顔で慎み深く微笑んでいる。
国の東にだけあるという花の名前の、美しいその女性はリリアリィと名乗った。
それほど値の張らないものを身に付けている。粗末なものから見合う服に変えさせて、着飾らせた時に、この『色持ち』のリリアリィはどれほどに美しく輝くのだろうかと期待が高まる。
兄と一緒に我が領地に訪れたのだが、可哀想なことにその兄とはぐれてしまい、途方に暮れていたところを偶然にも私と出会った。
私はこの出会いに運命を感じている。
「しかし、こんな場所で偶然にもこんな美しいお嬢さんに出会えるとは、運命を感じます」
馬車の中で向かい側に座っている男が薄ら笑いを浮かべて、今まさに言おうと思っていたことを、私よりも先に口にした。
リリアリィは両手を頬にやって、恥ずかしそうに俯いている。
「ランベリオ殿、リリアリィが困っているようだ、お止め下さい」
ランベリオは隣国のウルビエッラ近郊の豪商だ。
我が領地が隣国からの急襲に備えているとの噂を聞きつけて、商売を持ち掛けてきた。
油断はならないが、取り引き相手に王族や貴族をいくつも抱えている。商売に於いては信用がある相手だと簡単に調べが付いた。
「リリアリィ、不安だろうが心配は要らないよ。貴女の兄上は、私が必ず探してあげるからね」
はいと消え入るようなか細い声で返事をすると小さく頷いた。
可憐でその名の通り美しい花のような、思わず守りたくなるような、庇護欲が湧き上がってくる女性だ。
ランベリオは向かい側でくつろいで、リリアリィを舐めるように見ていた。
注意を逸らそうと咳払いをすると、くくくと喉で笑い声をあげる。
粗野な見た目とは違い、動作は上品で洗練されている。王族や貴族を相手に商売をして身に付けたのだろう、自然に手で口元を隠して静かに笑っている。
「失礼、見惚れてしまっていたようだ」
「……冗談はやめてください」
馬車の壁にぴたりとはりつくようにして、顔を見られないように背けている。
照れて居心地が悪そうにしている様も愛らしいとしか思えない。
「さあ、そんな端にいては危ないよ。こちらにおいで。もうすぐ着くからね」
屋敷まで戻り、侍従たちがずらりと並んで出迎えるなか、馬車を降りると、案の定リリアリィは恐縮しだした。
自分のような者は相応しくないと口にしている。
「気にしなくても大丈夫だよ、リリアリィ……自分の家だと思って過ごしてくれないか」
「でも、こんなお屋敷は初めてで……失礼があってはいけませんから」
「そんな事は言わず。貴女の兄上を探し出せた時に、側にいてくれなくては知らせようがないからね、ここに居てくれないか? 私の為にも」
「……はい」
客間に案内して、長年この屋敷に勤めている侍女に世話を任せる。リリアリィにとっては母のような歳だから、若い侍女よりも落ち着いて過ごせるだろう。
「ゆっくりと休んだら良い。私は仕事があるからね、夕食の時間にでもゆっくりと話をしよう」
「……ありがとうございます、マルコット様」
微笑んでいる彼女はどこか心細そうで、寂しげに見える。
「どうしたんだい、そんな悲しそうな顔をして。兄上のことが心配なんだね」
「はい……それもそうなのですが」
「なにかあったのかい?」
「私、やっぱりこの場所に居てはいけないような気がして」
「何故そんなことを思うんだい?」
「その……お邪魔になっているのではないかって」
「邪魔だなんて思っていないよ」
「でも……あまりいい顔をされていなかったし」
「ああ、ホルスかい? 彼は私の従者だからね。私が貴女に夢中になりはしないかと心配しているんだよ」
「もうひとりの方も……」
「アルカルドか……ランベリオ殿の護衛だからね、いつも怒ったような顔をしている。それが仕事さ、貴女が気に病むことはない、安心しなさい」
「……はい……分かりました、マルコット様」
「様、なんて。どうかマルコットと呼んでくれないか、かわいいリリアリィ」
「そんな……恥ずかしいわ……」
両手で顔を覆っている恥ずかしがり屋のリリアリィには、きっと可愛らしい色が似合うだろう。
どんな姿が彼女を引き立てるか考えながら客間を後にした。
自分の世話をしてくれるという侍女が、お茶を用意しますと客間を出て、やっと部屋でひとりきりになった。
大声を出して走り回りたい衝動を抑える為に、その場で力いっぱい足踏みをした。
体にはびっしりと鳥肌が立っている。
甘い態度のニセ領主はどうということはないが、それに従順な態度でいる自分に寒気がする。
それでもこんな姿を誰かに見せる訳にもいかないので、落ち着いて呼吸を整えようと、アメリはゆっくりと息を吐き出した。
いつ侍女が戻ってきても良いように、客間の椅子に遠慮がちに見えるよう、端の方に腰掛ける。
ザンダリル領主の屋敷にすんなりと入ることができた。
ちょろ過ぎて笑いそうになるのを堪えるのに必死だ。見事過ぎるくらい見事にローハンの言った通りになった。
一度ここで落ち着いて、これまでに会った人物を整理しようと、アメリは考えを巡らせる。
ニセ領主のマルコット、ローハンの読み通りの男だったので、このまま教えられた通りの演技を続けることに決定。
その従者のホルス、細かくて難しそうな男に見えた。腰に長剣を佩いていたけど、反対側に体が傾いていたので、剣を持ちだしたのは最近だろう。身の捌き方も剣士には見えないけど、念のため後で手を観察してみよう。
隣国の豪商ランベリオ、見たまんまの人だろう、食えない感じが体中から滲み出している。うっかりボロが出てはいけないので、近付かないようにしておこう。
護衛のアルカルド、取り敢えず顔が怖い。大体がランベリオと一緒に行動するだろうから、避けていれば問題ないはず。
侍女がお茶を運んできて、卓の上に用意を始める。
小声になるように調節してお礼を言うと、静かに壁際に下がっていった。
一番厄介な人がこの人だ。
必然的に一緒にいる時間が長くなる。何か行動しようにも、色々と目を光らせ、気を配っている侍女という職にある人を誤魔化すのは相当に難しい。用心深く気を抜かないようにしなくてはいけない。
ていうか何より今はちょっとひとりになりたい。
「あの……ハンナさん……私のことは気にせずに、どうぞ、お仕事に戻って下さい」
「……それでは失礼いたします」
あっさりと了承したハンナは、静かに扉を閉めて部屋を出ていった。
アメリは椅子の背もたれにぐてっと寄り掛かかる。
歓迎されてないのが幸いしたらしい。
ここで言い付けを守るべく居座られでもしたら、長時間の緊張を強いられる。
主人に絶対ではなくて、本当に助かった。
もう少し様子を見て、野放しにしてもらえるか少しずつ試していくことにしよう。
「……これ美味しいな」
少し変わった味のするお茶を飲んだ。
きっと隣国の高級品なんだろうと、アメリは少しだけ気を抜いてお茶を味わった。
日が暮れかけた頃、夕食に招かれたとハンナが荷物を抱えて部屋を訪れた。
まあ荷物というか、服だ。
見るからにかさ張っているそれはもう、見事な薄紅色だった。薄紅色……。
「こんな……私にはもったいないです」
本当に遠慮したいので、この狼狽えぶりは演技なんかではない。
「これをお召しになるようにと指示されておりますので、どうか」
表情も乏しく平坦な口調でそう言われて、これ以上ハンナに嫌を言っても無理だろうと量の多い布の塊を見下ろした。
手に取って、前と後ろを確認する。
腰をぎゅうぎゅうに縛る感じでも、旅芸人の天幕でもなさそうなスカートにとりあえず安心した。
ボタンはあるけど、後ろ側に少しだけ。
これならひとりで着れそうな気がする。
「では……着替えてきますので……」
服を抱えて、浴室の方に行く。
手伝いをと言われても、ちょっと不味い。左側の太ももには護身用の短刀を括り付けてあるので、見られたら大変だ。
大丈夫ですと頑なに断って、小さな部屋に逃げ込んだ。
もそもそとした村娘の質素な服から、更にもそもそとしたお嬢さんの高価な服に着替える。
胸のすぐ下のリボンを結んで大きさを調節できる作りだった。少しゆとりがあるので、ボタンを全部閉めた状態で下からかぶって袖を通す。
胸元が開き気味なのが腹立たしい。
心の中で悪態を垂れながら、ぎゅっとリボンを縛った。
着替えて戻ると、髪を直される。
まとめて上げていたのを下ろされて、前髪をゆるく留められただけ。
これもマルコットの趣味だろう。
『色持ち』効果が抜群に効いている。
これから夕食だというのに、髪を下ろしたままというのは作法的に良くないはずだ。それを知らない侍女でもないだろう。
「あの……髪の毛はこれでいいのでしょうか?」
「こうするようにとの仰せなので」
「……そうですか」
鬱陶しくてしょうがないけど、これだけ普段と違ったら、いつもの調子で周りが引くぐらいご飯を食べなくていいかもしれない。
もうアメリに出来るのは、前向きに考えることだけだった。
てっきり客間で待っていればいいのかと思っていたら、部屋を移動しますとハンナに連れられて屋敷内を歩いた。
広い部屋には大きな食卓があって、そこには食事が用意され、先客までいた。
足を踏み入れた途端、回れ右して帰りたくなる。
近付くまいと決めていた豪商のランベリオと、その護衛のアルカルドがすでに着席していた。
いち早く席を立ってマルコットが出迎える。
「リリィ、とても良く似合っているよ、春の妖精のように愛らしい! さあ、こちらへ」
手を取られ引かれそうになって足を止める。
「どうしたんだい?」
「……こんな、私なんかがこの場所に居てはいけません」
「心配は要らないよ、気の置けない人しか居ない、遠慮なんてしないで」
いやいや、そこの護衛の人が苦手って言ったのに、同席させるとか、人の話聞いてたんだろうか。
ランベリオが片手を広げて、大げさにマルコットに追随する。
「そうですよ、私たちも美しいお嬢さんと一緒に食事を楽しみたい。なあ、アルカルド」
「……はい」
そこはもっとこの得体の知れない女を怪しんではどうだろうか。
こんな時期に急に現れた者とお食事を楽しんでいる場合ではなかろうに。
マルコットがそう思わないのは、こちらとしては助かるけど。
気が付いたらアメリはマルコットの隣に座らされていた。
向かいに居るアルカルドが見るからに機嫌がよろしく無い。目つきは鋭いし、何しろ顔が怖い。
目線を逸らすと、斜め前のランベリオが満面の笑みでこちらを見ている。
困った挙句、なんとか笑い返す。微妙な顔の自覚はある。
「リリィ、食べてごらん美味しいから」
横を向けばご機嫌が良過ぎるマルコットがぐいぐい何かの肉を勧めてくる。
ていうか、さっきからなに気に勝手に愛称を付けて呼んでいる。
誰も居ない反対側に俯いて、恥ずかしがるフリをした。
なにこれ帰りたい。
この状態から飛び出していきたい。
なんでこんなことに。
助けてお兄様ー!!
ここに居ないローハンをアメリは心の中で大声で呼ぶ。




