強み。
なんの感情も湧かないのが不思議で仕様がない。
辺り構わずといった感じに、ただ道ですれ違う男だけではなく、自分以外の誰かからアメリに贈られたものにまで悋気を起こしてしまうのに、何故だがこの若者にはそういった感情は一切 湧く気配すらない。
これが他の男なら、例えば騎士の内の誰かなら、確実に襟首を掴んで吊るし上げ、どんな手を使ってでも排除にかかるだろうに。
ユウヤに取り付こうと薄ら笑いを浮かべている若者と同じ角度で、クロノも少し頭を傾けた。
アメリが嫌っていると聞いたからだろうか。
確かにそれもあるだろう、どう良心的に見ても信用に足る人物には見えないので、出来れば自分も関わり合いを持ちたくない。
アメリがこの若者を好く心配が無いからなんとも思わないのだろうか。
それともユウヤが露骨に嫌がっているからだろうか。
そこまで考えて、すとんと落ちてきたような思い付きに、クロノは思わず片手で口を覆った。
こういった事で勝ちも負けも何もないが、これが『自信』なんだと思い付いて、急に気恥ずかしくなる。
確実に自分とこの若者だったら、アメリは必ず自分を選ぶと、思い付いて考えるより前に『解って』しまった。
背中の、特に腰の辺りをくすぐられるような感覚に、クロノは少し身を捩って若者から視線を外す。
「え、ちょっとなに? なんで赤くなってんの? 怖いわ」
「いえ……気になさらずに」
先程の低音のままのユウヤに声をかけられて、クロノは気を入れ直せと自分に言い聞かせ、姿勢を正した。
ユウヤはこれでもかと大きく長い溜息を吐き出して、若者を見据える。
「お前に呼ばれる筋合いは微塵も無いが、この人には父と呼ばれる筋合いが出来ちゃったから……だからお前はいい加減に……」
「どう言う事だよ?!」
ちらとクロノを横目で見たユウヤの方に食ってかかる。
自分にではなくユウヤに食ってかかる辺りで、この男の程度が知れるとクロノは眉を下げて、どうにか溜息を飲み下した。
襟元を掴もうとする男の手を、ユウヤは虫でも避けるような仕草で払い落とす。
「どうもこうもないわ、言った通りだ」
「聞いてないぞ、そんな事!」
再度詰め寄る若者とユウヤの間に手を差し入れて、クロノは男の胸元を押し返した。苦もなくふらりと下がっていく。
「アメリッサとの婚姻に、貴方の許可が必要か」
「こ、婚姻……だ……って?」
「私の妻に懸想するのは止めてもらおう」
「つ……ま?」
「……まあ、そういう事だから。じゃあな、坊ちゃん」
呆然としている若者の肩を軽く叩くと、ユウヤはそれ以上構わずに歩き出した。
クロノもゆっくりとその後を追う。
しばらく足早に歩き、いくらか遠ざかった所でユウヤは足を緩めて両手を頭の後ろで組んだ。
「いやー……驚くわ」
「申し訳ない、差し出がましい真似を」
慌てて横に並んで詫びを入れると、ユウヤは驚いたふうにクロノを見る。苦笑いを浮かべると顔の前でひらひらと手を振った。
「違う、違う……あいつだよ……なんであんなに愕然とできんのかね? こっちがだよな?」
「なにがでしょう……」
「あれでアメリとどうにかなれると本気で思ってた事にびっくりだわ……びっくりじゃない?」
アメリが旅に出る前に、あの若者とどんな関係を築いていたのかは知らないが、ユウヤの口振りからなんとなくの想像はつく。
だとしたら、とんでもなく前向きな思考か、とんでもない策略を持っていたのかも知れない。
「何にしても、あの自信は見習いたいところではありますね」
「……男前で謙虚とか……腹立つわぁ」
「いや……その……」
「ヤダもう! なに照れてんのこの子! 恥ずかしがるトコが可愛いとか、自慢ですかコノヤロウ!」
なるべく顔を逸らすようにして、半歩下がるクロノが耳まで赤くなっているのを、ユウヤは見逃さなかった。
「すみません……ここまで好意的だとは想像もしていなかったので……」
「は? 好意?! 好意とか言いやがりましたか?!」
「い、いえ……はい……」
好意があるのはこちらの方だ。
アメリにどれ程の想いを惜しみなく注いで育てたのか、両親に見せていた純真な優しいアメリの笑顔を見れば、その程がよく解った。
そんな両親を自分が好きにならないはずはない。
クロノは客観的に考える事で、顔に集まる熱を散らそうと試みる。
「アメリが好きになった男だもの……そりゃ好意も待ちますわなぁ……」
零れ出たような言葉に、地面に手先が届きそうなほどの勢いで肩を落としたユウヤのその後ろ姿に、クロノはぐっと足を踏ん張って、ぐらつきかけた体を立て直す。
アメリから好意を得るよりも短時間で、その父を陥落させた事に眩暈がした。
家の裏手に広がる畑から、食べ頃の野菜を収穫する。
サヤとアメリはそれまでと同じように、何を作ろうか相談し、何が食べたいのか言い合い、まったく関係の無いおしゃべりとを行ったり来たりしながら、手にした籠にあれこれ野菜を詰めていく。
「クロノさんは嫌いなものは無いの?」
「……基本 何でも食べるけど……甘い野菜は苦手っぽい」
「嫌いとは言わないの?」
「言わない……でも食べるのに時間かけてるから、多分 好きじゃないと思う」
「残しはしないのね」
「うん……そういえば見たことない、残すとこ」
そう、とくすくす笑いながらサヤは甘みの強い野菜を土から引き抜いて、籠の中にいくつか入れていく。
「じゃあ、たくさん食べてもらわなきゃ」
「……うーん……なんかごめん、クロノ……」
サヤはしゃがみ込んで、明日か明後日に食べ頃になりそうな実を手に取って、それをじっと見つめている。
「素敵な人じゃない」
サヤとの間に籠を置いて、アメリもしゃがみ込んで下からサヤの顔を見る。
「……ステキ……とは?」
「誠実そうだし」
「ああ、うん……そうかな」
「それにあの余裕……ちょっとでもいいから、ユウヤに分けてもらえないかしら」
「はは……余裕を持って落ち着くのも仕事のうちとか思ってると思う」
「それにとても格好良いわ!」
勢いで持っていた実をむしり取ってしまい、サヤはあらあらと籠にそれを入れた。
「……格好付けてないと、部下の人に慕ってもらえないからね」
「……もう、アメリったら……もう少し可愛くしないと、他所のお嬢さんに攫われて行っちゃっても知らないからね?」
「ああ……そう?」
こてんと首を傾げたアメリが余りにも可愛くて、要らない心配だったかと、サヤは笑いを零した。
「……ちょっと……他に取ってくるものがあるから、アメリは先に帰って、準備をしておいてもらえる?」
「うん、わかった」
同時に立ち上がって、ふたりは別の方向に歩き出す。
野菜を洗って台所に持って入る。
何も変わった様子が無いその場所で、無意識の内に深呼吸していた。
大きな鍋を取り出して水を入れ、火にかけた。
何を作るか結局 決めきれてなくても、取りあえずの準備は始めておく。
あとは腕まくりをしたサヤが、さぁやるわよ、というところまで用意して、アメリは野菜の皮を剥き始めた。
程なくサヤは、たくさんの卵と塩漬けの肉の塊を抱えて帰ってきた。
アメリの前にそれらを置いてひと息つくと、スカートに仕舞っていた封筒を取り出してアメリに差し出す。
「なに、これ」
「……アメリと姫様が出て行ってから……しばらくね、あなた達の部屋には入らなかった……というより、ちょっと辛くて入れなかったんだけど……それでもと思って、掃除に行ったのね」
「……うん?」
顔を歪めたサヤの目には、今にも零れて落ちそうなほど涙が溜まっている。
「見てここ……何かで張り付いてて、いつの間にか下に落ちたんだと思うけど」
ひっくり返した紙の裏側は、一部だけ付着したものが黄色く変色している。
「寝台の下に落ちてたの……心当たりはある?」
「……ない」
「そうだと思った……宛名もなにも無いけど、きっとアメリに宛てたのよ」
「わたしに?」
「ええ、ネルから……」
ぽろり、と落ちた粒を目で追うと、それはサヤの手で弾けて小さな水玉に分かれて散った。
いつの間にか握りしめていた野菜を台の上にそっと置いて、サヤから紙を受け取った。
「部屋で……読んでもいい?」
「ええ……それを見付けてからは、あなた達の部屋は毎日とってもきれいにしているのよ?」
春の木漏れ日のようなサヤの笑顔になんとか笑い返して、アメリは台所を出ていく。
後ろ姿を見送り、サヤはぐいと顔を拭う。
袖を捲り上げて準備されたものを見渡した。
「さあ、やるわよ」
ぱちんと両手を打ち鳴らす。
アーチをくぐって中庭に入ると、人の気配を感じないほど静まり返っていた。
それでも何かを煮炊きする良い匂いが漂っている。
ユウヤは迷わず台所のある棟に足を進めて、その後をクロノも付いて行った。
「ただ今帰りましたよー……っと、ん? アメっ子ちゃんは?」
さっき起こった事の顛末を、面白おかしく話す準備をしていたのに、目当てのアメリの姿が無い。
台所にひとり立って振り返り、おかえりなさいと返したサヤの顔と様子で、ユウヤは力が抜けて思わず出入り口に寄りかかる。
「……もう渡したの?」
「だって……いつまでも勿体ぶっておくものでもないでしょう?」
「どこにいるの?」
「あの子たちの部屋に」
「いつから?」
「……もう、ずいぶん前から」
ユウヤの後ろで静かに話を聞いていたクロノは、ちらとユウヤが顔を向けた先を見た。
今居る棟から一番離れた角にある棟の扉を見る。
振り向いたユウヤは、クロノにそうそう、そこだと笑った。
「あの子は……あんたの前では泣くのかな?」
「ええ……いつの間にかひとりて泣いている時もありますけど」
「……多分、今そうなってる」
「……行っても?」
「……もちろん」
ユウヤは苦笑いで肩をすくめてみせた。
部屋は左右対称に同じものがふたつずつ配置されていた。
寝台と机、同じくらい本が詰まった棚、壁に掛かった模造刀まで対称にあった。
その中で片方の寝台にある色違いの掛け布が、ちょうどアメリひとり分 膨らんでいる。
クロノはその寝台に、膨らみのすぐ側に腰を下ろした。
姫様と別れた後の時のように、手足を折りたたんで小さくなろうと力いっぱい縮こまり、掛け布の上からでも震えているのが分かった。
「……ひとりで泣かないと、約束しなかったか?」
「……けんとう……するって、いった」
「……そうだったな」
丸まった背中を撫でると、泣き声を我慢しきれずに、アメリは唸るような声を出した。
アメリの側に四つに折りたたまれた紙がある。
クロノにもそれが手紙なのだとすぐに分かった。
誰が、誰に宛てたものなのかも。
掛け布に包まっていて顔は見えなくても、覗き込むように姿勢を変えて、クロノは顔を傾けた。
「……読んでもいいか?」
しばらく待っても否が無いから、手を伸ばしてその紙を手に取った。
思いの丈を長々と綴っても良さそうなものを、内容はすぐに読み終えるほどにしか書かれていない。
研がれて磨かれた鋭い刃のような、ふわりと降り注ぐ柔らかな白い光のような言葉。
この短い言葉の中に、どれだけのものが込められているのか。
どれほどアメリとの日々を慈しんでいたのか。
痛いほどクロノに伝わり、それとは比べものにならないほどの苦しさをアメリは今 味わっているはずだと、更に胸が締め付けられる。
勝ち負けではないと思っていても、敵わないとクロノは天井を見上げた。
敵わない、今はまだ。
それでも。
ひとりで泣かせることはしない。
側に寄り添って、涙を拭うことが出来る。
それだけが唯一、今は居ない人に勝る。
この世界に生きている者の強みだ。
「アメリ……来なさい」
肩に手をかけて起こそうとすると、もそもそと掛け布の塊が動いて、すっぽりとクロノの両腕の中に収まった。
ぎゅうと抱きしめて、アメリから苦情が出る前に腕の力を抜いた。
「……これも強みだな」
「……なに?」
塊を撫でてするりと掛け布を外すと、クロノはふと息を吐き出した。
「布を濡らして冷やそうか……」
「……すごいかお……してる?」
「すごくかわいい……」
「……クロノ大丈夫? 目が病気? 頭?」
「……いつもの調子が戻ったな、いいぞ」
熱を持って赤く腫れた目元に口付けをして、今度は苦情が出ても、強く抱きしめた腕を緩めなかった。




