エイドリク、時々、おじちゃん。
一矢ごとにどよめきが起こって、その後には歓声に変わる。
見ている背中は昔よりも大きくなった。それでもそれは子どもの頃に比べればの話で、周りにいる男どもと並べてみればとても小さく頼り無げだ。
急用だからと呼び出されて出掛けてしまい、最初から見ることが出来なかったのが悔やまれる。
用件も大したものじゃなかったから余計にそう思う。
始めからこの勝負を見ていた者に訊ねると、もう30射を超えていると興奮気味に話した。
四番隊名物、一対一、交互に矢を射て『先に的を外した方が負け』というお遊びに近い仕合だが……いつの間にか力の入っていた眉間を指先で揉みほぐす。
相手は直属の部下、小隊長だというのにどういう訳だ、矢跡がアメリの方がまとまって中央に寄っている。
これは一から鍛え直しが必要だ、それも厳しく。
射場から溢れるほどの観衆にも気を取られず、ふたりともまだ集中は持ちそうだが、アメリの方はそろそろ限界が近いらしい。
弓を押す手も弦を引く手も少し前から小刻みに震えている。しかも使っているのは大弓だ。腕力の差が出てくるのは仕様が無い。
40射目を数えたアメリの矢は的を外し、すぐ横の土山に今までと違う音を立てて突き刺さった。
ひときわ賑やかに盛り上がる観衆を振り返って、アメリはにっと笑ってみせる。
あの顔は父親にそっくりだなと懐かしさから笑いが漏れて出た。
差し出された小隊長の手を握り返し、健闘を称え合う様子に、周りから拍手と喝采が自然に起こる。
「ぎりぎりでなんとか勝てました」
ひと心地ついたような情けない顔で笑う小隊長に、アメリも同じような顔で返す。
「圧勝でしょ、小隊長……私もう腕が上がらないもん」
ほうと息を吐き出して、集中を解いたのが一目で分かった。頃合いのようだ。
「最後の最後に背中から気が抜けてたぞ」
「エイちゃんおじちゃん!」
道具を丁寧に元に戻すと、アメリが走り寄ってくる。昔と変わらない仕草と表情に、音が聞こえそうなほど溢れ出したこの想いは、もしかして父性なんだろうかと思い付いて気恥ずかしい。
「待たせ……てはないみたいだな」
「うん! 面白かった!」
話をしようとアメリが訪ねてきたものの、すぐに出掛けなくてはいけなくなり、その間の相手をウチの小隊長に任せた。
どんな成り行きでアメリと勝負をすることになったのか知らないが、この体たらくは見兼ねられん、後で覚えているがいい。
「いいか、次にブライスが来ても、俺は帰ったと言ってくれ」
さっきの勝負について、良いも悪いも何も言葉にしない。長い付き合いで察しが付いただろうし、自覚は充分にあるだろう。
小隊長は、言外の俺の言葉に苦笑いで短く返事をした。
射場の近くの休憩に使っている丸太小屋に入って、中に居た騎士たちを稽古でもしろと追い出した。邪魔をするなと釘を刺すのも忘れない。
置き暖炉の鉄扉を開けて、中に薪を放り込んでから外套を脱いだ。
後から入ってきたアメリも同じように外套に手を掛ける。
良いものでも無いが茶でも振る舞おうと準備をすると、アメリがすぐに横に立って続きを引き受けた。任せて話がしやすいように椅子を暖炉の前に用意する。
「なかなか時間が取れなくて悪かった……お披露目の時も長話ができる雰囲気でもなかったしな」
「ねー……祭とかで忙しかったもんね」
何の因果でこうなったのか。
あの小さかったアメリが、なぜ今 自分の目の前でお茶を注いでいるのか。
夢の中にいる気分がずっと続いている。
「まだアメリが目の前にいるのが信じられない」
差し出されたカップを受け取ると、アメリは向かいの椅子の端に浅く腰掛けてから困ったような顔で笑い返す。
「私だって……またおじちゃんに会えるとは思ってなかったし」
「ユウヤとサヤは元気にしているのか?」
「おじちゃんは……ずっと会ってないの?」
「ああ……あいつとは知り合ってもうそろそろ二十年近くになる……俺の見た目は変わらないからな……もう会わないようにしているんだ」
「そうか……そうだよね」
「アメリ……サザラテラを出たのはいつだ? その口ぶりだとお前もしばらく会ってないみたいだな」
力無くアメリは笑って、両手に持ったカップからお茶をひとくち飲み込んだ。
「……もう二年以上、三年近く前にね」
「何があったのか、聞いても良いか?」
「うーん……詳しくは話せないんだけど……えっと、そもそも私が城都からサザラテラに行ったのが、しなくちゃいけない事があったからなんだけど、だから、その為に家を出たんだよね」
「う……ん。まぁ、なんだ。お前たちの一家が何かしらの大義があって行動しているのは何となく感じていたが……話せない事なのか?」
「へへ……そうなんだ、ごめんね」
「まあいいさ……総長は知っているのか?」
「うん……総長に助けてもらったから、今こんな感じになっているという」
「そうか……あいつどうした? お前はネルの嫁さんになるんじゃなかったか?」
くしゃりと泣き顔のような、笑顔のような表情になって、アメリは勢いよく息を吐き出した。
「……私もね、そう思ってたよ」
「アメリ?」
「亡くなったの、四年前に」
「そ……そう……か、それは……残念だ……」
もう少し何か気の利いたことは言えないのか、通り一遍な言葉しか出ないのが歯がゆい。
冷静で賢そうな、兄妹と見間違うほどよく似た面影をアメリの中に見る。
誰が見ても自然と微笑みが浮かぶほど仲が良かった。四六時中一緒にいて、いつもどちらかが後を付いて回るようなふたりだった。
恥ずかしげもなく僕のもう片方だと言って憚らなかったネルはもういないのか……時と距離を隔てているせいか、実感はまだ濃くない。アメリは片方を欠いてどれほどの想いを抱えているのか。
いつの間にか下を向いていた顔を上げれば、アメリは泣き顔とも笑顔とも程遠い表情になっていた。
「ずっとね……体は丈夫じゃなかった……僕は長生きできないからって……私は……ネルのお嫁さんにしてもらえなかった」
押し込めようと無理をしているからこそ、余計に素っ気なく、何でも無いことのように話す。
ネルの死を乗り越えたのか、いや、きっとまだその途中なんだろう。
それならこっちも敢えて素っ気なく、何でも無いことのように返そう。
「そんなこんなで、総長夫人か?」
「……そんなこんなで総長夫人だねぇ……何でこうなった」
「俺の立場から言わせてもらうと……だけど」
「なぁに?」
こてんと小さな子どものように首を傾げる。昔によく見たアメリのクセに、胸の辺りを押されるような、中からぐっと詰まるような感じがする。
「総長……あの人、どうしてかずっとひとりだったから」
「……へタレだからじゃない?」
「ぶはっ!……まぁ、それもあるかも知れないけど、なんて言うか、ひとりになろうとしがちだったから……だから、やっと『ふたりになる』ことを選んだのかって、嬉しかった……」
「それ……同じようなこと、ハルからも言われた……百年以上もひとりを拗らせてたんだもんね」
「その分、総長が奥方を連れて帰ると聞いた時は、すごく驚いたし、心配にもなったけどな!」
「心配?」
「悪い女に引っ掛かったんじゃないかと」
アメリはむっとした顔で眉を寄せる。
ころころと変わる表情にこっちは口の端が持ち上がる。
「……むしろこっちが引っ掛けられたんですけど」
「みたいだな……見てればすぐに分かった……アメリだと知った時、俺は気が失せそうだったぞ」
「私も! おじちゃんがいるから、びっくりして腰が抜けるかと思った!」
ひとしきり笑いあって、そうだと席を立つ。
外套のポケットに入ったものを取り出して、アメリに手渡した。
受け取ったアメリは手のひらの上に置いて、それを指で転がした。
「……指輪?」
「そうだ」
「誰の?」
「お前に渡そうと作ったのはいいが、渡す機会がなくてな、そのままずっと持っていた」
「私に?……大っきくない?」
手のひらから取り上げて、アメリの左手の親指に指輪を嵌める。
「あ……ぴったりだ」
「みたいだな、良かった……これは、俺の故郷の伝統でな、初めての狩りで獲物を仕留められた者には指輪を贈る習わしがあるんだ」
「え? それって……ずっと前に行った狩りのこと?」
「もちろん」
「ずっと持ってたの?」
「……そうだ……長い間 仕舞ったままだった。まさかこれを渡す日が来るとは思ってなかったよ」
「わぁぁ……嬉しい……これは、鳥?」
「ああ、獲物は確か、水鳥じゃなかったか?」
「……だからか」
アメリは頭より上に手のひらをかざしたり、下に向けたり、色々な角度から、指輪を嬉しそうな顔で眺めている。
指の太さと同じくらいの幅の銀色の指輪には、鳥が飛ぶ姿が浮き彫りにされている。一応 女の子に贈るものだから、武骨な感じではなく繊細な仕上がりにしてもらった。まぁ、もうその指輪の幅がはなから繊細では無いが。
「この指に意味があるの?」
「矢羽が擦れて傷ができないようにな……もう遅そうだな」
「おお……ホントだ、これなら確かに痛くなさそう」
さっきの勝負の名残だろう、熱を持った感じに赤くなっていたのは、さっき指輪を嵌めた時に分かっていた。
同時に幾度も重ねただろう稽古の傷跡も。
あそこまで傷を残すには、どれほど矢を放たなくてはいけないのか、アメリの努力の成果が見えた。
「最初の狩りでの獲物は、遣わされた使者だといわれている。これからの狩りに運が巡る、お前は選ばれた、という知らせだ」
「へぇ……」
「良く励めと、指輪が贈られる」
「分かった! がんばる!!……あれ? でもさっきは誰もしてなかったね」
白金の証を襟元から引っ張り出して、アメリに見せようと証ごと首から外して渡す。
鎖に通された指輪が白金の証とぶつかり合って小さく鳴った。
「稽古ではな……ここ一番の時だな、使うのは。俺が贈った者は何人かいるし、真似して持つ者もいるが……」
「これ……は何の動物?」
「俺の初めての獲物はキツネだ……もうずいぶん擦り減って見えなくなっているな。俺は親父殿から贈られた」
「そうか……ここ一番……ううう……気合が入るね!」
両手を握りしめて、アメリがぶるりと震えるのが分かった。可愛らしさが余って、思わず口から笑いが溢れて出た。
立派な大人の女性に成長しても、総長夫人と肩書きが付いても、俺から見たアメリはあの頃のまま、可愛らしい女の子でいる感じが拭えない。
「……お前に渡せて良かった」
「ありがとう、おじちゃん! 大事にする!!」
自分の指にある銀色を眺めているアメリに問いかける。
「ここに居る事を、ユウヤとサヤは知っているのか?」
「あ……知らない」
「知らせないのか?」
「ううん……そんな暇なかった。っていうか、思い付かなかった」
「まあ、そうだろうな……俺も久しぶりに、手紙でも送るか……」
「あ、おじちゃん、待って……手紙には私のこと書かないでね」
「何だ、知らせたくないのか?」
「じゃなくて……もう少し暖かくなったら、サザラテラに帰ってみることにする」
「それがいいな」
「急に帰って驚かせよう……びっくりするだろうなぁ……」
来たる日の想像をでもしているのだろう、いひひと父親と同じような笑い顔を浮かべる。
「じゃあ手紙を送るのはアメリが帰ってからにしよう……俺も驚かせたいから、帰っても俺の話はするなよ?」
「ふふ……分かった!」
イタズラを仕掛けた悪ガキの顔を同じように作って、アメリと笑い合う。
あのふたりは驚くだろう、急に帰った娘は人妻になっており、相手の夫の方は騎士団の総長だ。
とんでもない相手を掴まえた……捕まえられたと言った方が正しいか。
戴名の話はできないだろうが、年の差もかなりのものだ。
は、と思い付いて今までの顔を引っ込め、眉の間に力を入れて真剣な顔を作る。
「そうだ、アメリ……ひとつ言いたいことがあったんだが」
アメリがびしっと姿勢を正して、同じ真剣な顔で座り直す。
「……なに?」
「ずっと考えていて、今まで、つい言いそびれていたんだが……」
「……うん」
「俺のことを、おじちゃんと言うのを、止めてくれ」
二十代の中盤で時を止めた俺に、おじちゃんはない。
さすがにない。
勘弁してほしい。
□□□ざっくり解説□□□
エイドリクは四番隊の大隊長です。
弓に特化した部隊になります。三番隊と並んで大所帯。この二部隊が戦になった時には最前線に立つことになります。なので大体において体を鍛えるか技を磨くなど、研鑽を重ねたりするストイックな人が多いです。
やる時はやるタイプなのと、いつでも心置き無く戦場に立てるように、騒ぐ時はとことん、楽しい事にも全力になっちゃう大変賑やかな人たちなのでした。
小隊長は六人。
エイドリクの見た目は二十代中盤。(子どものアメリから見ればおじちゃんだったんですね。ユウヤが『エイちゃんおじちゃんだよ』と紹介したんですが)
アメリがサザラテラに引き取られてから、心配で何度も様子見に行っては、その度に弓を教えていたのでした。
さあさあさてさて。
幕間はこれにて終了いたしまして、次回から新章開幕の運びとなります。
ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。
この後も引き続きお楽しみ頂けますように。




