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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
精霊と王の森
4/80

鍋ひとつぶん。







食事を済ませた頃には、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。




見上げれば空はユウヤの瞳の色、まだ完全に陽は落ちきってはいないが、森の夜は一足早い。


火を中央に向かい合わせの位置にクロノとユウヤは座っていた。


少女は自分とユウヤの間に、先程作った枕を挟んでころりと寝転んでいる。お腹も満たされ、気持ち良さそうな表情で目を擦ると瞬きを繰り返した。

焚き火に照らされて赤みがかった蜂蜜色の髪を、ユウヤはくるくると弄び撫でている。

ますます眠気を誘うのか、少女は手足をたたんで小さくなった。


ふたりの姿、ユウヤのこの微笑みを見ながら酒が飲めれば最高だろうにと、クロノは手の中で転がしていた器から茶を口に含んだ。

このまま黙って見ているのも良いが、鍋一つ分は話を聞かないといけない。


鍋一つ分。


質問は選りすぐらないとあっという間に終了しそうだ。苦笑いを噛み殺してクロノは顔を上げた。


「ユウヤ……」


話しかけると向けられた顔は、それはもう打って変わって、いっそ気持ちが良い程の無表情だった。

クロノは器に口を付ける。薬草から作ったこの茶は、独特の清涼感、花のような香りがある。さっきよりも一層強い苦味を感じるのは、器の中身の所為ではないはずだ。


「……随分と軽装だが、どこに行く予定なんだ?」

「軽装? クロノに比べれば確かにそうかな……行き先は……北の方」

「ここより北へ?」


具体的な地名は言う気が無いのか、言えないのか。

ならばしつこく聞いても教えてはもらえないだろう。クロノはあえて深く聞くのをやめる。

ここより北にはもう、自分が警衛している町がひとつ。あとは小さな村がひとつと、村とも呼ばないような集落が点在しているだけだ。

行き先を推測するにも選択肢は多くないからそう難しくもない。


「今までは通り道のちょうど良い所に村や町があったから……野宿するには色々道具がいるね」

「……何故この森に入る前にそう思わなかったんだ」

「ここがこんなに大きな森だとは思わなかった」

「待ってくれ、地図も無しにここまで来たのか?」

「こんな所で地図が役に立つ?」

「……ここ以外では役に立つ」


死にたいのか。

自殺行為だ、森を甘く見るな。


大きく息を吸い込んだが、クロノはその言葉をついに口に出さなかった。というより怒りに似た感情は途端に掴みどころのない煙になって、言葉はきれいに消えてなくなった。


向かい合っているユウヤが笑みをこぼしている。


少女ではなく、自分の方に向けて。



「行き先も行き方も分かってるから、必要ない。荷物も、地図も」

「それでも食料ぐらいはまともに準備するべきだったな」

「それは……そうかな。……でも鳥とウサギが取れたし、クロノもいた」

「会わなかったらどうするつもりだったんだ」

「どうとでも……でも会った」


何と無謀な、と言ったところできっとユウヤに響きはしないだろう。大したことではないのだ、荷物も地図も、その日の糧も。ユウヤの物差しではこれらは些末な事なのだ。


どこか、ここではない別の場所を見てふと笑う彼女の顔はそう言っている様だった。


とは言え、慣れた者でも用心が要るというのに、まだ幼い子どもを連れている。

この無計画ぶりに、クロノの手に無駄に力が入っていく。


「その子は……ユウヤは姫様と呼んでいるが、身分の高い人か?」

「……そう……かな。そうとも言えるような言えないような」

「鍋一つ分だと……もう質問にはまともに答えてもらえないのか?」

「いや、違う。そんなつもりはない、ごめんなさい。……どう答えていいか……姫様は……役割、だから」

「役割?」

「えっと……村には村長、村人。騎士団には団長、団員……そういう、役割」

「よく分からないな」

「ああ……でもこれ以上は鍋に入らない……」

「……そうか。では私は何と呼べばいいんだ」

「『姫様』と」

「その子の名は?」


ユウヤは首を振って先程と同じ言葉を繰り返した。

姫様は頭を撫でられて、もにゃもにゃと返事をする。


「……それは」

「待って」


ユウヤは背筋を真っ直ぐ伸ばすと目を閉じ、息を深く吸って吐き出した。ゆっくり目を開けるとその瞳の中、長く揃った睫毛の合間に鈍く明かりが映り込む。


「クロノは? 階級の高い人なんでしょう? 話の抑揚が城都に住む人と似てる。白金の証を持つような人がどうしてこんな辺境に? 何故こんな森の中で収集なんてしてるの? 私たちに興味を持つのはなんで?」


ね、とユウヤは続ける。


「……なかなかひとつの鍋に入れるには難しい話が多いと思わない?」


意地悪そうに片方の口の端を持ち上げる顔にも見惚れて言葉を失う。


話はここまで、これ以上詮索はするなと分かり易く拒否された。


クロノもつられて同じように口の端を持ち上げる。今の質問に答えられない訳ではないが、その中には煩わしく長い話、面白くない部分も聞かせたくない部分も確かに含まれる。


「……解った」

「……ありがとう」


理解を示しつつも、どうしても気にかかる。

手ぶら同然で旅をしているのも、人目を惹くのは間違いないふたり連れなのも心配で堪らない。

これはもう性分だ。後から職業病だと言い訳させてもらおう。


「……別の話だったら聞いても?」

「なあに?」

「どうしてこんなにも道を外れたところに居るんだ?」


立派ではなくても村と村を繋ぐ道はある。

大きな町のように石が敷き詰められてはいないし、馬車や荷車はすれ違えないような幅だが、それなりに道は作られている。

森の端を掠めるように大きく迂回しているから時間はかかるが、上り下りの激しい岩だらけの森を進むのと、比較的平坦なそれなりの道とでは、後者の方がはるかに楽なはずだ。


道なき森を子どもを連れて行く理由。

名を明かさずに、詮索を嫌がる理由。

人と会う事を避けているのか、それとも追われているのか。何か大変な理由を抱えているのかも知れなーー


「道があるの? この森を抜ける道?」

「は?……あ……る、ある。知らなかったのか?」

「……ああ、まあそうか、無いと困るもんね」

「この南に村があっただろう、そこから一本道で次の村に繋がっている」

「へぇ……」

「……村には行ったんだな」

「真ん中に川が流れてて、石の橋と大きな木が二本ある所?」

「そうだ、そこから道は続いている」

「道は通らなかった」

「……何故」

「道は、東の方に向かってた」

「なに?」

「私たちは北に歩いたから」

「そ……そうか……それで、道を通って来なかったと……」


ユウヤは当然だ、何を分かりきった事を、と言いたげに頷いている。


「……何かから逃げているとか、誰かに追われているとか……」

「ない……なに? 私たちが何か仕出かして逃げてると思ったの?」

「……人目を避けているのかと」

「真っ直ぐ歩いただけなのに?」

「こんな場所で出会えば、そう思うよ」

「ハイランダーズって想像力が豊かじゃないとなれないの?」

「……好きに言え」


クロノは苦笑いを浮かべる。

考え過ぎだったのかと幾分か安心はしたものの、だからと言って気を揉んでいるのに変わりはない。


「このまま森を抜けて一番近くの町に行くのなら、どんなに急いでもあと三日はかかる」


へえ、と軽く返すユウヤは意味を測りかねたのか少し首を傾げる。


笑顔でそれじゃぁまたいつかと手を振れる気がしない。去っていく後ろ姿を安心して見送れる気は尚更にしない。クロノは手の中に握られた器を足元に置いた。


「良ければ案内しよう」

「……そんなに心配?」

「このままどこかで野垂れ死なれたら、寝覚めが悪い」

「……そうはならないけど」


風に舞う羽のように、掴もうとすればするほどふわりと逃げて、手の中には入らない。

駆け引きはない、そんな余裕も無い。

ユウヤからも会話を楽しんでいるような、意図的なものは感じない。


聞きたい言葉を引き出すのをあきらめて、クロノは姿勢を正し率直に言葉を継いだ。


「心配だ」

「……あぁ、それは……どうも」

「頼む」

「そっちが頼んじゃうんだ?」

「必要ないと思っているだろう?」

「うーん、面倒だなと思ってる」

「……役に立つ」

「……でしょうね」

「信用できないか?」

「……いいえ、あなたはとても親切だし……」


ああ、と何かを思い付いたふうにユウヤは手を打った。小さく息を吐き出し、少し眉を下げる。


「私は話が下手くそだってよく言われてたんだけど……ごめん、最初からこう言えば良かったのかな?」

「なんだ」

「『姫様に聞いて、私に決定権はない』って」


伸びていた背筋から力が抜ける。クロノは胡座の足の上に頬杖をついた。


「……たくさん話ができて、嬉しいよ」


なら良かった、ユウヤはくすりと笑う。





火の番を申し出ると、交代で自分が先にとユウヤが言った。


その理由はしばらくして明らかになる。

夜半を過ぎた頃、聞こえる弱々しい声。

力なくふやふやと泣いている姫様を抱き上げ、赤ん坊をあやすようにユウヤは足を踏み変えながら体を揺らしていた。


「大丈夫ですよ、ユウヤも姫様もここにいます」


小さな背を優しく撫で、ここにいると繰り返し、柔らかそうな頬に口付けを落としている。

薄く聞こえるのは子守唄の旋律。夢の中で星と遊んで、太陽と目を覚まそう、そんな内容だったかとクロノは思い出していた。

心地良くて、なかなか持ち上がらない瞼と戦っているうちに、次第に姫様の泣き声は寝息に変わっていった。


そろそろ交代の頃合いだと起き上がるクロノに、済まなそうに詫びを入れると、ユウヤは姫様を抱えたままゆっくりと腰を下ろして大木に寄り掛かかる。


「もし一緒に行くことになったら、毎晩だから……」


覚悟して、声は小さくなり最後の方は聞こえない。

ユウヤは目を閉じて、すぐに姫様と同じような安らかな寝顔に変わった。




音を立てないように火の中に木を継ぎ入れ、その向こう側に見える儚げなふたりに思いを巡らせる。



クロノは少しでも体を休める為に大岩を背に力を抜いた。








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