けんとうします。 ☆おまけつき
寝台に座り込んでぼんやりしていると、ニーナにさあさあと寝台から下ろされた。
浴室に向かう途中で見た自分の部屋は、いつもの通りに戻っていて、昨夜に散らかしたものは跡形もない。
これからクロノの部屋も片付けられるのかと思うとつい唸り声が出てしまう。
寝ぼけていても、どんなにずたぼろに見えていようとも、お風呂まで世話を焼かれたり、洗われたりするのだけは断って、渋るニーナを浴室から追い出した。
みしみしと軋む節々、何かをするたびに小さく声を上げながら、なんとか全身を洗って浴槽に入る。大仕事を終えて落ち着くと、湯の中に力という力が全て溶け出ていく感じがする。
遠くの方で鳴っている鐘の音がうっすらと聞こえてきた。
起き抜けに聞いた時間から考えて、あの鐘は昼を告げるものだろうなと、ぼんやりとその響きを聞いた。
ずるずると頭の先まで湯の中に入っていく。
クロノは昼過ぎには戻ると言っていたんだったか……。
苦しくてもう息が限界のところで、アメリはばさりと勢いよく立ち上がった。
急いで体を拭いて、服を着るのももどかしく、取り敢えず、と付く程度だけ身形を整えると、勢いよく浴室を飛び出した。
「祭に行ってきてもいい?!」
驚いた顔でこっちを見ているニーナに、目が合ってすぐにこの楽しい思い付きについて質問をぶつけると、ぷはと一瞬 笑ってすぐに顔をきりりと引き締めた。
「……その前に、こちらに来ていただけますか?」
鏡の前を手で示されて、走るような勢いでそこまで行くと椅子にすとんと腰掛けた。
「ボタンを……」
中途半端にしか溜まってないボタンを、聞き分けの良い子どもよろしく、順番にきちんと溜めていく。
まだぽたぽたと水の玉が落ちる髪の毛を、ニーナは丁寧に布で押さえて水気を取っていく。
小さくため息をこぼした。
「祭とは、城都の花祭りのことですね?」
「はい!」
「……行くのは構いませんが、ベルを共に連れて行って下さい」
護身術を心得ている侍女の名を挙げているが、余程の事がない限り自分の身は自分で守れるし、その余程の事があった時にはベルを巻き込みたくない。自分に護衛など必要ないのにと思いながらも、ニーナの指示に頷いた。
「……でもベルじゃなくていいです。えっと、誰かその辺で暇そうな人に……」
「アメリ様は奥方様ですよ。この意味が分かりますね?」
騎士団長の妻ならば、共も連れずにひとりで出歩くべきではないし、その共もその辺りを歩いている暇な騎士、夫でもない男を連れているべきではないという意味かと、いつか聞いた奥方様の心得を思い出す。
「うーん……分かりました」
よろしいとニーナは頷いて、アメリの髪を結い上げていく。
ニーナと一緒に厨房を覗いて、ベルを祭に誘った。
ベルが身支度を整える間に、侍女たちに色んな店のおすすめや、祭の話を聞きながら厨房の中で軽く食事を取ってからお茶を飲む。
しっかりと温かい格好をして、最後にニーナに襟巻きをぐるぐるに巻かれる。
ぐるぐるに巻きたい気持ちも、巻かれる方の気持ちも分かり過ぎるくらい分かるので、なんだかそれがくすぐったい。
「ベル……? 今からだったら、城都に入る前に総長と会いそうなんだけど……」
厩舎で馬を借りて準備をし、てきぱきと動いているベルに声をかける。
「ではその場所までご一緒に」
「あ……やっぱりそうなる?」
手間を省いてもらいたいのに、手間を惜しんでもらえない。
さっさと準備を終えたベルは参りましょうと馬に跨った。
苦笑いを漏らして、アメリはベルの後に続く。
クロノとは予測通りの場所で会えた。
ずいぶん驚いた顔をしていたクロノも、アメリが祭に行くと言うと、他の騎士たちとベルに帰るように指示を出す。
ついでにアメリが乗っていた馬も連れ帰るように言いだした。
「……一緒に乗るの?」
「今回は後ろで我慢しよう……別に良い、だろう?」
肩を下げてのたのたとグレンの鐙に足を掛ける。自分の言動に今後は充分に注意しようと心に決めて、クロノに引き上げられて後ろに跨った。
「……ベル、ありがとう。お土産 待っててね」
「お気を付けて、行ってらっしゃいませ」
笑顔で優雅に膝を折るベルに手を振ると、他の騎士たちも口々に声をかけてふたりを見送った。
グレンをぐるりと城都に向けて、並足で走り出す。
後ろに座って良いことは、少しだけ楽なことだなと、クロノのベルトに手を突っ込んでそこを握った。クロノは苦笑いしながら少しだけ後ろを振り返る。
「土産?」
「うん!……みんなに色んな店の話を聞いたし、ニーナにお小遣いもらった!」
「……そうか」
一番近くのハイランダーズの詰所にグレンを預けて、クロノに連れられて街の中央大通りに向かう。
大通りとそれに続く広場が、陛下と通った時よりも狭く感じる。
あちこちに人が溢れているからかと、アメリはあの時と違う印象の街を見回した。
町の人々、観光客、商売人。
それぞれが一目でそれと分かる姿であちこち行き来している。
アメリは外套のフードをかぶったままで、顔はぐるぐるに巻かれた襟巻きで半分以上隠れている。
クロノは騎士服ではないが帯剣して、いつも通りびしりと威圧感満載。
はぐれないように手を繋いでいるが、ぱっと見、男ふたりが手を繋いでいるように見える。
しかし気にしているのは当人たちではなく、すれ違う人々の方だった。
「その……体は大丈夫か?」
「……そっちこそ」
「辛くなったらすぐ言いなさい」
「そっちこそ!」
「……どこに行きたいんだ?」
「えっとね……」
まずはニコラから聞いたお菓子のお店が出している露店の情報を言うと、クロノは来なさいとアメリの手を引く。
聞いた話のほとんどが食べ物の話だったと、三軒目の店で気が付いた。
ふたりで分け合って食べながら、今度はクロノに行きたい場所を聞いてみる。
「もう少ししたら花車が通るな」
「はなぐるま? なにそれ」
「誰からも聞かなかったのか?」
「……うん」
「ああ……きっとアメリを驚かせたかったんだな。ではそれまで楽しみに取って置こう」
あちこち気になった方に歩いてみたり、旅芸人の歌舞や曲芸を見て過ごしていると、ざわざわと人の波が割れて通りの真ん中に石畳が見え始める。
クロノはアメリの手を引いて端の方、人垣の後ろまで下がる。
「もうすぐ始まる」
見上げるとクロノはするりとアメリの頬を撫でて、下がっていた襟巻きを半分 顔が隠れる位置まで戻した。
人にぎゅうぎゅう押されるのを庇われながら建物の壁際まで近寄る。
「大丈夫か?」
「うん、全然平気」
遠くから楽の音が聞こえてきて、人々の歓声が上がる。
クロノはアメリの膝を抱えて持ち上げた。
ちらほらと同じようにされているのを見かけるが、それは全員小さな子どもだ。
「……恥ずかしいんですけど?」
見下ろした顔はにやりと口の端を持ち上げて、アメリの足の裏を手で押し上げると、よいしょと肩にアメリを座らせる。
どうしたら良いのか、慌ててクロノの襟の後ろを掴み、もう片方は腿の間に挟むようにして肩に手を突くことで何とか落ち着いた。
「なんでいちいち担ぐの?」
「いつもより……この方が楽だな」
下ろす気は全く無い様子に、アメリはそうですかとため息まじりに吐き出した。
花車と呼ばれていたものは山車だった。
小さな山車二台の間に大きな山車が挟まれて大通りをゆっくりと通っていく。
花で飾られた山車には、楽器を演奏する若い男性と、きれいに着飾った若い女性が乗っていて、手にした籠から花を撒きながら進んでいる。
大きな山車の一番高い所にいる女性は、花の冠を着けて下にいる女性たちよりも豪華な衣装を身にまとっていた。
一番上にいる女性が撒いた花を受け取ろうと、その周囲の人々が高く手を伸ばしているのが見える。
見下ろせば、クロノはアメリを見上げていた。
「今年の花乙女たちだ。毎年、町の人々の中から選ばれる。一番高い所にいる乙女から花を受け取ることが出来ると、次の祭まで安泰に過ごせる」
聞こうと思ったことをその前に答えてくれたので、アメリはクロノの頭をいい子いい子と撫でた。
クロノが声を殺して笑う。
石造りの街を、明るくて淡い色を身にまとった乙女たちが、色とりどりの花を撒く。
訪れを知らせに春の女神が遣わした使者だとクロノは続けて説明した。
まだまだ空気は肌を刺すような冷たさだし、城都以外は雪に覆われているけれど、確かにこの場所には次の季節がやって来たような温かさを感じる。
山車が通り過ぎていくと、更に人々は盛り上がってざわざわと動きが大きくなった。周りに隙間が空いてきて、クロノの肩から下ろされる。
「きれいだったね。よく見えたよ、ありがとう」
「良かったな」
ぎゅうと抱きしめられて、アメリはお返しにクロノの腰をばしばしと叩く。
「アメリは何か欲しいものが無いのか?」
「うん? んんん……無いなぁ」
頼まれていたお土産を買い揃えて抱えていると、クロノが手を出して袋を引き取った。
アメリにしっかりフードかぶせ、少し下がりかけている襟巻きを摘んで、鼻の上まで引っ張り上げる。
「……なに、さっきから」
「祭の日には酒に任せた求婚者が多いからな」
「はは……そうか」
ここから最終日の夜を更に楽しもうと、通りのあちこちで店から溢れるほど卓が持ち出され、食べ物の露店には人だかりができて、いっそう辺りの声が高くなる。
街の様子と人々の楽しそうな顔を見て、アメリはクロノの腕を掴んで自分の腕を絡ませた。
「楽しかった!」
「……もういいのか?」
「うん……また連れて来てね」
「……ああ」
帰りは腰に腕を回すように引っ張られて、ぴたりとクロノに引っ付いて、ゆっくりと屋敷に戻った。
後ろに座って良いことは、ちょっと楽なことと、そんなに寒くないことだとクロノの背中に額を当てて考えた。
眠る前の時間には、アメリは暖炉の前に椅子を持っていき、横向きに座って本を読む。
肘掛に頭と足を上げて、お腹の上に本を乗せるような格好だ。
クロノの私室の本棚にあった、勇者が仲間と共に冒険する物語。小さい頃に読んで大切に持っていたものを、今はアメリが少しずつ読み進めている。
クロノは同じ部屋のアメリの机で祭の後処理の書類に目を通してはペンを走らせる。
紙をめくる音とペンが紙を引っかく音に紛れて、時々、風に乗ってくるのか広場の騒ぎが聞こえた。
いつまで続くのかと聞けば、明日の朝までだと答えが返ってきて、アメリは呆れを通り越して笑い声を上げる。
クロノが席を立ってアメリがいる椅子の背もたれに寄りかかる。
「……もう休もうか」
「……うん?……終わったの?」
なかなか本から目を離さないアメリの頭の上に、クロノはとんと小さなものを置いた。
「なに?」
乗っていたものは小瓶で、透明の瓶の中にはきれいな丸いものがいくつも入っている。
「色は違うが、味は全部同じだと言っていたな」
「……飴?」
「ああ」
「……かわいい!……クロノが買ってくれたの? いつの間に?」
「巡回中に見付けた」
仕事中に威圧感を振りまきながらクロノがこんなかわいいものを選んだのかと、想像だけで楽しくなる。
本を閉じて体を起こし、膝立ちになってアメリの方から口付けをする。
「嬉しい……ありがとう、クロノ」
「うん……」
「……今日はちゃんと寝ようね」
「……さすがにな」
布団の中でアメリは目を閉じる。
いつものように背中からクロノの温もりが伝わってくる。腰にある腕の重み、さっき少しだけ酒を飲んでいたので、ほのかに花のような香りがしてくる。
静かな寝息に合わせて、自分もしばらくは同じように呼吸をしてみる。
そっとクロノの腕を外して寝台から抜け出ようとすると、腰をぎゅうと締められた。
どうしたと掠れたクロノの声に、ぺちぺち叩いておしっこと答え、やっとその腕から解放される。
寝台を下り自分の部屋に入って、静かにその扉を閉めた。
さっきまでいた暖炉の前の椅子まで走ると、我慢するのをやめる。
どうして今まで気が付かなかったのかと、驚きで心臓は大きな音を立てていた。詰まったような喉から塊を吐き出すと、それは小さな呻き声と熱い息だった。
理由は分かっている。
びっくりもしている。
今までは姫様のため、使命のためにと立ち位置ははっきり決まっていて、ずっと変わらなかった。
今まで何度も祭には行ったけど、いつも側には姫様がいた。
その前にはネルが、ユウヤもサヤも。
役割や使命感が自分を真っ直ぐに立たせていて、それが当然で、当たり前で、それ以外の生き方は無かった。
クロノと祭に行って、楽しんで帰って、眠る前になってやっと、今やっと、自分は変わったのかと思い付く。
急に祭に行きたいと、子どものようなわがままを言ったことが初めてだった。
祭はとても楽しくて。今までの祭も楽しかったけれど。
誰かに聞かれる前に自分から素直にそうと口にしたり、クロノの好意を『別に』と思うこと無く受け取ったり。
嬉しかったり楽しかったことに、誰にも、何にも、言い訳がいらなかった。
「……お願いだから、ひとりで泣かないでくれ」
クロノが側まで来ていたことに気が付いていたので、アメリは手で涙を拭って大丈夫と笑う。思ったより頼りない声が出たことに、また笑った。
「……ごめん……ちょっと……びっくりして」
「……びっくり?」
同じ椅子に無理矢理クロノが座ってきて、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
「……わたし……が、どれだけ鈍いのか……に気が付いて、びっくり」
「……話が下手だな」
「……うん……ふふ」
クロノは両手でアメリの顔を挟んで、目元と額に口付けて頭を抱える。
「悲しいのか?」
「違う……嬉しい……の、かな?」
「……それでもひとりで泣かないでくれ」
「俺の胸で泣け……的な?」
「……それ的なやつだ」
「前向きに検討する……」
「頼む……」
おまけの六翼ちゃん。
アメちゃんは祭に出掛ける前に、ある人の元まで行ってました。
『第一大隊長様』
ベルと連れ立って厩舎に向かう前に屋敷横の広場を覗くと、驚いたことに宴は昨日と同じ状態がまだ続いていた。
顔ぶれと散らかり具合が全然違うが、賑やかさはなにも変わっていない。
ざっと見回すと雪の壁にもたれ掛かって、ひとりアルウィンがグラスを傾けている。
アメリは酔っ払いを避けながら第一大隊長様の元へ近付いた。
「アルウィン?……もしかしてずっと飲んでるの?」
「……ずっと、ではないですね。時々休んでいますよ」
「そう……時々ね……ねぇ、総長はどこの道を通って帰る予定か知ってるよね」
少年ぽさが残る顔を上げて、少し目を細めると、アメリの言葉を理解するのに時間が掛かったのか、質問の答えを引き出すのに時間が掛かったのか、いつもなら間を置かずな返答が酒のせいで随分と覚束ない。
しばし遠くを見てからクロノの復路の詳細をすらすらと淀みなく答えた。
「さすが右腕、ありがとう……あ、あと飲み過ぎ注意!」
「……余計なお世話です、奥方様?」
アルウィンは持っていたグラスを持ち上げて、またちびりちびりと口を付け始めた。
アメリはにやりと笑うと雪の壁を手で少し崩して、握った雪をアルウィンのグラスの中にぽそりと入れた。
アルウィンが顔を歪めてこのしょうもないイタズラをした相手を睨み上げる頃には、アメリはもうずいぶん遠くで笑いながら走って逃げていた。
お出掛け前の(本編からカットされた)ひと場面。
とまぁ、ここで一区切り。
今回でこの章は終わりになります。
読んで頂いた方、ブックマーク、評価を頂きました方々。
いつもありがとうございます。
これからも精進して参りますので、どうぞごひいきに、よろしくお願いいたします。
Twitter宣伝用に上げている絵です。
宣伝のため派手な椅子の色にしましたが、クロノさん家にあるのは、ダークブラウンだと心の目で着色してご覧ください。




