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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
城都の上の紺碧の
38/80

べつにいい。






「……疲れたか?」

「ちょっとね……眠くなってきた」


離れた場所で話をしていたクロノが戻って来て、アメリの隣に腰掛ける。


クロノからふわりと香ってきた酒の匂いにくすくすと笑って、アメリは肩掛けを体に巻き直し、椅子の背もたれに体を預ける。


「……戻ろう」

「うん? いいよ……まだ楽しんで?」

「いや、充分だ……もう休もう」


クロノは立ち上がって、会場にいる人の中から第一大隊長を見付けて声を掛ける。

名を呼んだだけで意を得た様子で、離れた場所でアルウィンはこくりと頷いて、また話の輪の中に戻った。


差し出された手に手を乗せて立ち上がると、ふたりは目立たないように雪の壁を抜けて会場を後にする。



「今度は私が抱っこして歩こうか?」

「……なんだ?」

「酔っ払ってる」

「そうか?」

「クロノ、良い匂いがする」


首元に顔を近付けて匂いを嗅ぐと、花のような甘い香りがした。

アメリは耳に口付けをされて、そこを押さえて一歩引いた。


「……腫れるから」

「そこまで飲んでない」


繋いだ手の甲に口付けすると、クロノはそのままアメリの手を引いて歩き出した。




アメリの部屋は暖炉に火が入っていて暖かかった。明かりも用意されている。


暖かい場所に来て、そこで自分の体がずいぶん冷えていたと気が付いた。アメリは暖炉の前で腕を擦るとほうと息を吐く。


いったい誰がこの部屋の世話をしてくれたのか、会場に侍従長や侍女たちの姿を見ていたのに、周到なことだとアメリの眉が八の字になる。


二日続けて夜も明けぬ内から動き出していたから、暖かい場所に来ると気が抜け、眠気の波が一層高さを増して襲ってくる。

もう少し温もったらその勢いで寝てしまおう。


「……ん? ……そうか……」


こてこてと身に纏っていたものを脱いで近くの椅子に掛けると、クロノが背後からアメリの腰に腕を巻き付ける。


「どうした?」


侍女たちは全員、宴の会場に居たのを思い出して、下がっていた眉がさらに下がる。

あの場を出る前に、楽しんでいるかなと、ひとりひとり確認したので間違いはない。


アメリは肩に乗っているクロノの頭をちらりと見た。


自分はさてどうしようかと一瞬だけ悩んで、なるようにしかならないかと早々に考えるのを放棄する。


「……クロノ……後ろのボタン外してくれない?」


なるべくいつもの調子で、なんなら素っ気なく言ったつもりなのに、ふと笑う気配がしてうなじに口付けをされる。


「もう……赤くなるってば!」

「……なってない」


逃げようとするアメリを離すまいとクロノは腕に力を入れ、屋敷に戻る前に口付けをした左手の手の甲を下からすくって、アメリの目の前に持っていく。


「そこまで飲んでないと言っただろう?」


アメリの素っ気なさに反比例してクロノは甘ったるく囁くような声を出している。

落とされる口付けや、体をゆっくりと撫で上げる手に、これはもう腹を括るしかないのかなと思いながら、それでもいつかのネルの言葉を思い出していた。



別に構わないと思うことは、自分にも、相手にも失礼だよ。




必要以上にボタンが多くて助かった。

その上ゆっくりとひとつずつ外されているから、これで少しだけ考える時間がある。


どう言えばこの空気が消えてなくなるのか。

酷く傷付けそうな言葉はいくらでも思い付くのに、気持ちよく諦めてもらう言葉はひとつも思い付かない。


考えている内に腰の下まであるボタンが全て外されて、衣装と下着の間にクロノの手が差し込まれる。

背中を上ってきて、そのまま肩を撫でて脱がされそうになるのを、アメリは胸の前で腕を交差させて止める。


「……ありがと、あとは自分でするから」


露わになった肩を這う唇の感触に、両腕にあるクロノの手の温かさに、背中をぶるりと震わせる。


聞こえないふりしやがってとアメリは心の中で舌打ちをした。


「……クロノ?」


呼びかけても返事はない。


片方の手は腰まで下りてきて、もう片方は結ってある髪を解こうと、大きな手は器用に髪飾りを外し、ぽいとその飾りを頓着なく投げる。


繊細な糸で編まれた花はふわりとそのまま床に落ちた。


ニコラが頑張って作ってくれたのに、とアメリの眉間にしわが寄る。


痕が残りそうなほど首筋を強く吸われて、アメリの中で何かがぷつんと切れた音がした。


それでも努めて柔らかく優しい声を心掛けて言葉に乗せる。


「……クロノ? 子どもが欲しいの?」


ぴたりと動きが止まって、クロノが顔を上げたのが分かる。

首筋がひんやりとした。


「子どもが欲しいなら、私は無理だから、他の人にお願いしてね?」

「……何?」


言葉のどの部分に引っ掛かったのかは分からないけど、クロノの声は低くゆっくりとしていて、明らかに怒りが含まれている。


もうひと押しかとアメリは続けた。


「言ってなかったけど……ユウヤの役目を負う人は、子どもが出来ない体になる。だから、子どもが欲しいなら……」

「私も言ってなかったんだが」


遮ってクロノは話を始めた。


「戴名するとどちらも子どもが出来ない体になる……時が止まっているからな」


攻めるところを間違えた、アメリは心の中で悪態を垂れながら、しまったと心の中で叫んで両手で顔を覆った。


クロノは片手を器用に動かして、アメリの髪に埋まっている髪留めを一本ずつ引き抜いて放り投げる。

床にぽとりぽとりと音が聞こえるくらい静かな時間が流れる。


まとまっていた髪を指でゆっくりと梳かし、その後も残った髪留めがないかと念入りに髪や頭を撫でて確かめている。


「子どもが欲しいんじゃない、私が欲しいのはアメリだ」


ぎゅうと抱き込められて、耳を齧られる。

甘やかな声と感触に、腰の辺りにぞわりと寒気のようなものが走って、アメリは大きく息を吸って、静かに吐き出した。


「……嫌か?」

「……嫌じゃない」


腕の力が強くなって、さっきよりもぎゅうと体が締められる。


「『別に良い』と思ってる私で、クロノが良いならね」

「……別に良い……?」

「そ。別に良いの、何でも。クロノの好きにしたらいいって……思っちゃうの。でもそれは、クロノに失礼でしょ?」


腕が緩んで体をくるりと回される。


アメリが見上げるとクロノが困ったように笑って見下ろしていた。


「……そんな風に考えていたのか?」

「んー……まぁね……別にいいとか、どうでもいいとか、そんなのクロノは嫌でしょ?」

「……嬉しいよ」

「は?」

「私のことを考えていてくれたんだろう?」

「……前向きだね、ものすごく」


そうかと笑いながらクロノはアメリの頬をするりと撫でて、首元に手を置いた。


「何だその顔は……呆れたか?」


指先でアメリの頬をくすぐる。

アメリは横に頭を振って、くすりと笑いをこぼした。


「私の都合の良いように考えてもいいか?」

「……お好きなように、どうぞ」


腰を引き寄せられて、口付けを受ける。



嫌ではない、クロノなら。




「貴方が欲しい、貴方を抱きたい」

「……いいよ」

「『別に良い』?」

「ふふ……『別に良い』よ」


するすると衣装を床に落とされて、落ちた衣装の輪っかの中からアメリは抱え上げられる。


寝台にそのまま寝かされそうになって、クロノに腕を回して抱き付いた。


「クロノの部屋がいい……」

「寒いぞ?」

「いいから」


ぎゅうとしがみつくと、クロノはアメリを抱えたまま、私室に続く扉を開いた。



クロノが言った通り、部屋の空気はひんやりとしていた。カーテンも開いていて、窓の方から冷気が流れてくるのを感じる。


寝台に降ろされて、掛け布の冷たさにアメリは体を起こした。

それでも隣の部屋のように明かりが無いのは思った通りだと、クロノには分からないようにこっそり息を吐いた。


これでいい。

クロノの顔が見え難い方が。


甘く蕩けるような、熱に浮かされた男の顔は、見たくない。



寝台に膝を突いて近寄ってくるクロノに、片足を出して動きを止める。


「待って、靴 履いてるから」


脱がせてくれと言ったつもりはないが、クロノは丁寧に両方の手でアメリから靴を脱がせる。

放り投げたのか、ぽこんと床で音が鳴った。


もう片方を脱がせながら、少し怒ったような声で、冷えているなとこぼしている。


今度はこんと高い音が鳴って、ぽこんと床に落ちた音がする。


投げる必要があるのかと可笑しくなって、アメリはそのまま寝台にぼすっと倒れた。

足の先を包んでいるクロノの手の温もりや、足を辿って上ってくる口付けの感触と音を感じながら目を閉じる。


いつもよりずるずると長い下着を着ているのに、特に協力しなくても脱がされていく。

やけに紐で結ぶ部分が多いと思っていたけど、脱がしやすさの為かと思うと呆れてしまう。


布が取り払われて露わになった肌に冷たい空気が降りかかって、背中を寒気が走っていく。

さすがに雰囲気が台無しになると分かるので、さっさと始めてくれとは言えないから、アメリはクロノの名を呼んで手を伸ばした。


覆い被さって合わさる温かい肌の感触に、いつの間にクロノは自分の服を脱いだんだと笑いそうになって、アメリは何とか頑張って堪える努力をした。


「……何がおかしいんだ?」

「なにも? 笑ってないよ?」

「……笑っているだろう」

「ふっ、くっ……笑ってない」


むにむにと頬を引っ張られて、思わず目を開いた。


怒っているような、笑っているような、変な表情で自分を覗き込んでいる。

いつもの、よく見るクロノの顔に心が落ち着いていくのが分かった。

大丈夫だと、胸の内側に、とくりと返事のような音がする。


クロノの頬を摘み返した。


「……クロノの好きなようにして? 私は良くならなくても」

「断る」

「え、なに?」


意地が悪そうにクロノの口の端が持ち上がる。


「今の言葉を後悔させよう。もう二度と言いたくなくなるように、アメリを必ず、確実に良くしてやる……私の好きにさせてくれるんだろう?」


受けて立つとクロノから発される気に、場違いにも剣術の仕合が思い起こされる。


そんなに意気込まなくてもとクロノに苦笑いを返してみせる。



もうすでにアメリはさっきの言葉を後悔し始めていた。








全身にこもっていた力が一気に抜けて、アメリは息を整えようとゆっくり呼吸を繰り返すことに専念する。


白んでいる窓の外を見て、立ち込めている霧に今日も天気が良さそうだと思い付いて、その事に眉を顰める。


覆い被さって口付けをしようとしているクロノの顔を、両手で挟んで窓の方に向けた。


「……朝ですけど」

「……ああ……いい天気になりそうだな」


何も構うことはないと体を撫でているクロノの手をびしりと叩いた。


どうしたと分からないふりをして、クロノはアメリの額に貼り付いた髪の毛を丁寧な手付きで除けていく。

顔の至るところに口付けを落とされて、そのまま唇は首筋を下に向かい、手は脇腹を撫で上げた。





朝一番の鐘の音が王城の方から聞こえる。


その音でクロノのうごきはぴたりと止まって、大きな舌打ちがアメリの胸元から聞こえてくる。


やっと終わりが見えたのかと、アメリは大きく息を吐き出した。


「続きはまた後で……だな」

「うん? なんのこと?」


クロノは体を起こして寝台を下りると、掛け布をアメリの下から引き抜いて布団の中にアメリを仕舞った。

ぎゅうと包んで、にやりと口を持ち上げる。


「城都に下りて、町を回ってくる……昼過ぎには戻るから、アメリは休んでいなさい」

「は? 仕事があったの?」


祭りの期間中はハイランダーズ全員に仕事が割り振ってあると話は聞いていたが、祭の巡回にまで出張るとは思っていなかった。

神事と式典に出たので、それでクロノに割り振られた仕事は終わりだと思い込んでいた。

下の事などお構い無しに働く上だというのを思い出す。


「ああ……だから、この続きはまた後だ」

「いや、もう結構!」

「そうか?」

「……体力おばけ」


ぎゅうと伸し掛かられて、潰れそうなアメリの上に、何か言ったかとクロノの声が降ってくる。

唸りながらもがくと、ふと重みが消えて、アメリは体中の力を抜いた。


「……無理をさせた」

「……相当ね」


もぞりと布団に包まって、分かり易く怒っていますと顔に貼り付けて見上げる。


柔らかく微笑んで見下ろしているクロノに、触れるだけの口付けを落とされる。


「ゆっくりおやすみ、いい夢をアメリッサ」



大きな手で額を撫でられて、目を閉じるとあっという間に眠りの世界に引き込まれた。




クロノがいつの間に出掛けて行ったのか、そんな事すらひとつも気が付かない。アメリは夢も見ないほど深く眠る。











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