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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
城都の上の紺碧の
37/80

誓いと約束。






「アメリッサ バーウィック トアイヴス」


朗々とした威厳のある声が広間に響く。

陛下は口の端をこれ以上ないほど持ち上げて、アメリに手を差し出し、立ち上がるように目で訴えている。


これから何が始まるのから判らないが、アメリには陛下の手の上に自分の手を乗せるの一択しかない。

そろりと指の先を乗せると、待ってましたとばかりに握られ、引き上げられた。

目線で促されて低い位置にいる列席者の方を向かされる。


大広間は色とりどり、人の波で埋め尽くされているが、アメリはそちらの方を見ているふりだけを続ける。


「皆も知っての通り。知らぬ者も名を聞いて予測は付いているだろう。このアメリッサはそこに居るトアイヴス騎士団長の妻という立場だが」


何の話をしているのか、これから更に何を言うつもりなのか、アメリは陛下の方に顔を向ける。


ちらりとアメリを見ると陛下は再び列席者に目を向けた。


「クローディオス、これへ」


短く返答するとクロノは人の間を抜け出て、低い場所で騎士の礼をする。


離れた場所からでも眉間にしわが刻まれているのが見えるが、その渋い顔は壇上にいる国王陛下と宰相閣下、アメリにしか分からない。


笑いを堪えて陛下の喉が鳴っているのが横にいるアメリだけに聞こえる。


「婚姻の式を行っていないと聞いたが、相違ないか」

「…………は」

「許す。私の前へ」


クロノはたっぷり時間をかけて壇上に登ると、アメリの手を陛下から渡され、受け取った。


「神の前でもなく、神官不在では不満もあろうが……誓え。今この時、皆の前で」



陛下の張りのある声でアメリの背中にぞくりと寒気が走る。


陛下は多くの人がいる前でクロノに婚姻を結ぶように、そう言っているのか。


恐る恐る見上げればクロノはこちらを真っ直ぐに見つめ返している。ゆっくり静かに息を吐き出し、吸い込んだ時には、今この時、皆の前で誓うと覚悟を決めたのか、その青みがかった緑色の瞳に光が浮かぶ。


広間に響く低い声は、張りつめた空気を揺らして、はっきりとアメリの元まで届いてきた。


「貴方に寄り添い、添い遂げると誓おう」


思わず息を止めて目を閉じる。

両方の手にクロノの温もりを感じながら、暗闇の中で考えた。


これは昨日から続いている『見世物』だ。


冬の間 雪に閉ざされて暇を持て余した陛下は、同じく暇を持て余した貴族たちの為に、楽しい余興を披露したいだけ。

それだけのことだ。

昨日と同じに笑ってやり過ごせばいい。


目を開けるとアメリはもう一度クロノを見上げる。真っ直ぐ自分を見ている顔に笑い返した。


「私も、誓います」




宰相閣下が式の終わりの口上を述べると、広間には葉擦れのようなざわめきが起こる。


その間に陛下が小声でふたりに下がれと告げた。


陛下の口の端はまだ上がったまま。


揃って礼の形を取り、後ろに下がりかけたところで陛下は高らかに国王風の声を出す。


「ふたりの婚姻に異議のある者は今この場で申し出よ。これ以降、ここより外では永遠に口を閉じよ」



アメリの手を握っているクロノの手にくっと力が入る。


引き寄せられ、この広間を出るまで、誰ともひと言も口をきくな、そう耳元で囁かれた声にアメリは無言で頷き返した。



ゆっくりと階段を下りてゆく。

上るときはひとつも気にならなかった服の裾を、今度は踏んでしまうんじゃないかと、つい足元を見てしまう。


「アメリッサ!」


聞き覚えのある声に、そちらの方に顔を向けると、満面の笑みでハルがこっちを見ていた。


「アメリッサ!僕の妻になってくれ!」


ぎゅうと手を握られる。

ついさっきクロノに声を出すなと言われたのを思い出して、反射的に返事をしそうになるのを堪える。


「いいえ、私の妻に」


アンディカの声でそこを中心に会場がざわつくのが分かる。

それを皮切りに見知った顔からも、見も知らない人からもアメリは求婚される。

何が起こっているのか分からないが、中央の通路を歩いて扉に向かっている間、誰もが笑顔で楽しそうにしている。

どこからも妻に求める声が飛び交い賑やかで、アメリにもこれが祝いの習慣か何かなんだとやっと読めてきた。


(わたくし)を妻にと言ったことをお忘れかしら?」


どこかから女性の声が上がり、男性の声に混ざってクロノにも求婚の声が掛かると、その度にどよめいたり拍手が鳴る。


頭痛を我慢しているようなクロノの顔、眉間に深く深くしわが刻まれて、アメリまで楽しくなってきた。吹き出して笑ってしまわないように口の中を噛んで我慢する。


賑やかな求婚の声は、いつの間にか祝福の声に変わっていた。


今まで大人しく城の中にこもっていた人たちに、いい見世物になれたのかと後ろを振り返る。


玉座に腰掛けて頬杖を突いた国王陛下は満足そうに頷いた。


アメリが少しだけ肩をすくめてみせると、陛下はいい子だと口だけを動かした。


同じように振り返っていたクロノと、同じように困ったような顔を見合わせて笑う。




本来ならもっと早くから開き始める扉は、まだ少しも動いていない。


扉の手前まで来ると、クロノは苛立たし気に騎士たちを睨んで、早く開けろと顔を横に振る。


にやにやともったいぶって扉を開ける王城の騎士は、アメリが通り過ぎる時に胸に手を当ててわざとらしく求婚を始めた。

アメリが澄ました顔でその前を通り過ぎると、長槍を持った騎士は求婚の台詞を喉に詰まらせ、口を開いたままそれ以上に言葉を継がなかった。



「早く閉じろ」


開口一番クロノが言って、またゆっくりと扉は動き出した。


完全に閉じ、中の騒ぎが遠退くのを待ってから、アメリはしゃがみ込んで笑い声を上げる。

我慢のし過ぎでお腹が引き攣れて痛い。


「なにこれ……なに、いまの」


笑いながら息を吸う合い間に、なんとか質問をする。


心底疲れた表情のクロノは、低い声で習慣だとこぼした。


「へんなの……はーあ……引っ張って」


アメリは立たせてくれと手を出し、よろけながらも立ち上がった。



大勢の人の気配は大きくて分厚い扉の向こう側、中庭の見える景色にようやく外に居る実感が湧いて、ふにゃりと体から力が抜ける。


「終わった?」

「ああ、これで終わりだ」

「ちゃんと出来てた?」

「見事だった……よくやった」


ふふんと得意そうに胸を張ると、クロノはアメリの頬に口付けをする。


「……帰るか」

「え? みんなは?」


聞いていた予定では来た時と同じように帰るはずなのに、通路にはふたりしかいない。


「そのうち出てくる……先に戻ろう」


構わず歩き出したクロノ、アメリはそのまま手を引かれて屋敷の方へと向かった。




城内の長い廊下をゆっくりと歩いていると、賑やかな一団が 後ろから追いかけてくる。

紺色の騎士服の一団は慌ただしく早足でクロノとアメリを追い越しながら、それぞれに良い式だったと声を掛けて通り過ぎていく。

最後尾のハルが、もっとゆっくり歩いてと去り際にアメリの頬を撫でて行った。




式が終わった後は屋敷横の広場で酒宴をする予定になっている。


式に参列できなかった者や、戴名式を理由にただただ酒を酌み交わしたい者たちの為に催される。


こちらの準備も朝早くから進められていると聞いていた。


言いつけの通りにゆっくり屋敷に戻り、今は出払ってしまってひと気のない屋敷の表玄関の内側でクロノは足を止める。


どうしたのかと見上げると、アメリはぎゅうと抱きしめられた。


「貴方が大好きだ、大事にする、約束する」

「……なに、どうしたの急に」

「……アメリとは約束していなかったからな」


何のことかと体を離すと、クロノは柔らかな眼差しを向けている。


「……姫様と約束した」



瞬間、手の中にすっぽりと収まる小さな手や指、良い匂いのする頬、はちみつ色のふわふわの髪、くるくると表情が変わる小さな女の子の姿が浮かぶ。

自分を呼ぶ可愛らしい笑い声が聞こえてくる。


体の中身を締め付けられ、内側から熱いものが破れて出てしまいそうな苦しさに、アメリは顔を歪める。

喉にせり上がってきた大きな塊のせいで、上手く息ができない。


溢れ出そうになるものを押さえる為に顔を手で覆って、下を向いた。


ふらふらしそうな腰を支えている大きな手、背中にあるもう片方の温もりに抱き寄せられて、やっと息を絞り出した。


「……ずるい」

「ずるいか?」

「クロノだけ……姫様と」


約束なんてと言葉を継いでいる途中で、顔を覆う手をそっと外されて、唇を合わせるだけの口付けをされた。


今この時に言うのもずるいと思っていると、さっきよりも長く、唇で噛むように口付けが続く。


音を立てて離れていくクロノに移った口紅を、ずるいずるいと心で吐き出しながらアメリは指で拭った。



両方の膝を抱え上げられる。

アメリも慣れてしまって、倒れそうになることもなくクロノの肩に腕を突いて体勢を保つ。


習慣だと楽し気な声でクロノは扉を開いて、外に足を踏み出した。


真っ白で踏み固められた地面を見て、アメリの腕に力が入る。


「うわ、つるつる……転ばないで」

「その時はアメリの方が痛そうだな」

「……大事にするってさっき言った!」

「言ったな……」

「下ろしてよ」

「断る」


そのまま下ろす、下ろさないと言い合いをしながら、宴の会場まで危な気なくクロノは歩き通した。




「わぁ……すごいね……いつの間にこんなの作ったの?」

「これくらいなら大して時間も要らない」

「そう?……でも、すごい……きれい」


雪で作った壁は人の背丈の倍ほどの高さにまで積み上げられて、広場をぐるりと囲っている。

頭の高さに等間隔で小さくくり抜かれた部分には、ひとつずつランプが仕込まれていた。

夜になったらきれいだろうなと思いながららも、陽の高い今から一体いつまで飲むつもりなのかとアメリの口から苦笑いが漏れる。



大きく歓声と拍手が響いて、それはそのまま真っ青な空に吸い込まれていくほど高らかで、アメリは驚いて瞬きを繰り返した。



奥の方には少し高い位置にずらりと大隊長たちが並び、拍手で出迎えられる。

真ん中に空いたふたつの空席にこれから行くのかと思うと、急に恥ずかしくなって、慌てて意識を別の方に向けてごまかした。


もぞもぞと動いたアメリをクロノが見上げている。


「どうした?」

「……お腹が空いたなと、思って」

「そうだな」

「ていうか、そろそろ下ろして」

「まだもう少し」


祝いの言葉が飛び交う会場の真ん中を通って、最奥の高い位置にある席へ、そこでようやくクロノの抱っこから解放される。

特に堅苦しい挨拶みたいなものは無いまま宴は始まった。



飲んで食べて歌い、踊って、皆それぞれに楽しい時間を過ごしている。


城都では祭りの中日(なかび)という事もあって、人の出入りは頻繁で顔ぶれが変わる度に何かと声を掛けられる。

これから出掛ける者は加減をしながら、帰ってきた者は遠慮なしに飲んで騒いでいると、隣に座ったハルが説明してくれた。


「アメリは飲まないんだね?」


赤黒い血のような酒が入ったグラスを、ハルはゆるりと振って首を傾ける。


「お酒だけはね、体に合わないから」


それでも戴名して死に難くなったおかげか、身体が変わってからは酒の匂いで咳き込んだりしないし、少量ならお菓子のように加工されているものは口に入っても大丈夫になった。

とは言えひとくちでも普通に飲めば悶え苦しめる自信がある。


クロノの前にある赤い酒のグラスをハルの前に置いて、背の低い小さな空のグラスをクロノに渡した。


「総長はこっちにして」


琥珀色の少しとろりとした酒をクロノのグラスに注いだ。


匂いからしてきつくて濃そうな感じはするのだが、これを飲んだクロノからしてくる香りが結構いい匂いなので、その事を発見してからはずっと同じものをアメリは勧めている。


「でもあんまり飲まないでね?」

「……解っている」


同時に飲み過ぎたクロノに口付けされるとそこが赤く腫れるのも発見したので、注意も怠らない。


「えぇぇ? 僕の体も心配してよぅ」

「ん、なに? ハルは飲めばいいでしょ、ホラ飲んで飲んで」


ちえとわざとらしく不貞腐れたハルにぐいぐいグラスを押し付けると、笑いながらグラスを空ける。




抜けるような青色の空には、雪のように白い雲がいくつか浮かんでいる。


壁のおかげで風は遮られているけれど、足元から寒さが上がってくるので、アメリは椅子に足を上げて膝を抱えた。

気を利かせたニーナが肩掛けを持ってきてくれていたので、それにぬくぬくと包まった。


何かと世話を焼いてくれる侍女たちに、大丈夫だから自由に楽しんでとひとりひとりに伝える。




隊長たちと話し込んだり、踊りの輪の中に入ったり、そうしている内にいつの間にか陽は暮れて、壁の穴に明かりが灯された。




始まりから変わらず続いている賑やかさが夢の中の出来事のようで、アメリはぼんやりとその光景を遠巻きに見ていた。
















「異議のある者は今この場で〜」


結婚式の風習、というか縁起担ぎですかね。

まさに映画「卒業」的な、新郎の前から新婦を連れ去っちゃった出来事から転じて始まった一連のお約束と思って頂ければ。


カリ城です(違います)。




「私を妻にとおっしゃった〜」


女性が声を張り上げるのはタブーですが、そこを覆すほど我慢ならなかったようです。

クロノさん実はモテモテでいらっしゃいます。





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