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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
城都の上の紺碧の
36/80

ゆきのはな。







手で持ち上げればずしりと重く感じる。


素直に口にすればこれでも軽い方だとニーナは笑う。だとしたら城で見かけた女性たちは日々どれだけの苦労をしているというのか、そう思いながら着てみれば重さはそこまで気にならなかった。


白に近い、ごく薄い灰色のレースはアメリにぴたりと貼り付くように沿って、足元にいくにしたがって広がる。

後ろは美しい楕円を描いて引きずるほどに長い。

裾の方には花を模った模様が編み込まれていた。


三月(みつき)かそこらでこの大きさの編み物をやってのけた職人の腕と根気にため息が漏れる。


レースの内側にある布は光沢のある濃い灰色、燻した銀色と言った方が近いかもしれない。

腰の部分の布はしわも入らず曲線に沿って、余った部分は無かった。ニーナたちの体型管理が上手くいったのか、腹に布を巻いてぎゅうぎゅう締めずに済んだとアメリは胸を撫で下ろす。


必要以上にたくさんある背中のボタンを全てニーナに留めてもらった。そのまま鏡の前に座らされて、髪を編み込まれるのを大人しく待つ。

ニコラ渾身の髪飾りは、服と同じ糸で編まれたアメリッサの花の形をしていた。

結い上げてまとめた髪と一緒に耳の後ろに飾られる。


アメリはその間教え込まれた段取りと、誓約の言葉を諳んじていた。


そうでもしないとふと忘れそうで、そうなった時に自分以外に頼るものはない。もにゃもにゃと呪文でも唱えるように一連の流れを繰り返す。


言われるがままに行動して、その内にいつの間にか薄く化粧まで完了し、その頃には侍女たちが笑顔を浮かべ満足気に頷き合っている。


侍女たちは戴名式には列席できないが、ニーナは家格が高いので式に参列する。後ろの方で見守っていると言ってくれたのがとても心強い。

今日はいつもの格好とは違い、もうすでに貴婦人の衣装を身に着けていた。



扉を叩く音に返事をすると、私室からクロノが入ってくる。


昨日の飾りの少ない騎士服とは違って、煌びやかな勲章や飾りがまぶしい。

背中には床に届きそうなマントがひらひらとしている。

普段よりも数段 引き締まって見えるのに、とても華やかな印象もある。

すごく素敵だと口を開きかけたアメリの手を取ると、クロノはアメリを椅子から立ち上がらせた。


「綺麗だ……とても。なんて美しいんだ」


溜め息混じりでクロノに言われて、うわぁ、と思わず声が漏れ出る。

真っ直ぐ目を見てここまで分かり易く称賛されたことはない。


「ええ……と。クロノも格好良いね……こことか、これ、どうなってるの?」


複雑な感じで絡み合っている飾りを覗き込もうとすると、ニーナに名前を呼ばれる。

そうだと思い出して姿勢を正した。


「クロノ……素敵な衣装を、どうもありがとう」


戴名式に必要なアメリの衣装、装飾品の一切の費用はクロノから出ている。

それだけに関わらず、今までの全てにおいてそうなのだが、衣装の礼を言うのは淑女として当然だと教えられた。

アメリはクロノの両手を取って、もう一度ありがとうと重ねて言った。


クロノの口付けが頬に落とされる。


「いや、幸運なことだ」


クロノも紳士としてお決まりの台詞を返す。


「ああ……本当に……なんて」

「いや、もう、いいってば」

「上手い言葉が出ないのが腹立たしいな」

「はいはい。充分、充分」


気に入ってもらえたようで何よりだと、クロノの腰をばしばし叩く。




「皆様お揃いのようです」


ニコラが部屋の外を確認して声を掛ける。


本来なら王騎士の先導で式に出るのだが、アメリの立場を考慮してハイランダーズにその役目が任された。

つまりクロノの先導で、その部下たちに囲まれて式に出る。


よし、と気合いを入れて扉に向かおうとするアメリを、慌ててアリアナが呼び止めた。


「アメリ様、靴、靴!」


裾を上げると、足元はニコラの室内履き。


「あは……ていうか、これでも誰も気付かないと思うけど?」

「ダメですって!……履き替えて下さい!」


アリアナに手伝ってもらい、唇を突きだしてぶすくれた顔で渋々と靴を履き替える。


さっきまで余っていた前側の裾が、床に付くか付かないかの長さになる。グレゴールの腕前にううんと唸るしかない。

踵が持ち上がった分アメリの背も高くなって、頭の先はクロノの鼻の高さになった。


「裾は私が……」


後ろに回り込んだベルに手を出して止める。自分で後ろの裾を手繰り上げて、片手で抱えた。

引き摺って歩くのは重たいし、せっかくの衣装が汚れてしまう。

それでもわざわざ人に持ってもらうほどでもない。

申し出てくれたベルにこれで大丈夫とアメリは笑った。




部屋の外には正装に身を包んだハイランダーズが十人以上。


いつもの軽装とは違って揃いの衣装を着ているというだけで、男振りが上がって見える。

昨日は外套で厚着をしていたが、今日はこれぞと頭に付くような騎士服姿だ。

見知った顔もそうでない顔も、すっと伸びた背筋に、上品な笑顔を携えていた。


中のひとりが進み出る。


「ああ、なんて綺麗なんだ、アメリッサ……雪の女神様がいたら、きっと君の姿をしているに違いない」


ハルが両腕を広げて、大げさに声を出す。

隣にいたクロノから、小さく舌打ちが聞こえた。


「そりゃ……きれいな服着れば良く見えるよね」

「……抱きしめても?」


さあおいでと言わんばかりに腕を広げた。


「え、やだ」


クロノに寄り添ってわざとぴたりと引っ付くと、腰に手を添えられた。


昨日の今日でまた無駄なやきもちは要らない。


クロノを見上げると、こっちを見て満足そうに目を細めていた。


ちょろ過ぎて笑ってしまいそうなところを何とか堪える。


「そう? それは……残念」


ハルもにやりと笑って、大げさに肩をすくめてみせた。




足音を立てながら人をかき分けて男が近付いてくる。


「やっぱり……アメリだったのか! 名前と特徴を聞いて、まさかとは思っていたんだ」


がしりと両肩を掴まれて、アメリはゆさゆさと揺さぶられていた。


嬉しそうに笑う顔と声を頼りにアメリは記憶を辿る。


「……おじちゃん?」

「そうだ!」

「エイちゃんおじちゃん?!」

「ああ、アメリ!」


ぎゅうと抱きしめられて、アメリも思わず抱きしめ返す。


「えぇぇー? なんでエイドリクは良いのー?」


不服そうなハルの声が聞こえる。


「アメリ? エイドリクを知っているのか?」


振り返ったアメリが子どものような顔で笑っているのを見て、クロノはふたりの間に入るのを止めた。


「うん! えっと……お父さん、の、友達!」


エイドリクはクロノに腐れ縁だと笑う。


「大きくなったな……嘘みたいだ」

「そう?」


感慨深げに顔を歪ませるエイドリクに、アメリも同じような顔で笑い返した。



お時間ですと告げるモーリスの声で、クロノは全員を見渡して目配せする。


エイドリクはアメリの顎をするりと撫でて、鼻を摘んだ。


「後で話を」

「うん!」


エイドリクが決められた位置に戻った時には全員が整列を終えていた。


「……行こうか?」


クロノが手を差し出す。

思わず離してしまった衣装の裾を改めて持ち上げて、アメリは手を重ねる。




神妙な雰囲気で、静かに列は進む。


渡り廊下から王城内をしばらく進んだ所で、堪り兼ねてアメリが口を開ける。


「これ……おしゃべりしたらいけないの?」

「いいや……構わないよ」

「よかった……このままなんて緊張する」

「……そうだな」


アメリの耳の下で揺れている飾りを、クロノは指で弄んでさらに揺らす。

昨日とはまた違う耳飾りはアメリの瞳の色の小さな宝石。連なって雨粒のように光っている。


くすぐったいと身をよじって笑うアメリを見ながら、すぐ後ろにいるハルが声を上げる。


「いいなぁー。僕もアメリといちゃいちゃしたいなぁー」


ハルの横にいた一番隊の大隊長がどすっと音がするほどハルの横腹を殴り付けた。


「いい加減にしろ。恥を知れ、馬鹿者が」


アメリよりも年下に見える見た目や声と裏腹に、口調は誰よりも堅苦しい。

ちらりとアメリを見ると、失礼、と目を伏せる。


体を折り曲げて声を上げ、痛みを堪えようともしないハルの姿に、笑いながらアメリは前に向き直った。


下からすくうように手を取ると、持ち上げてその甲に口付けをする。クロノはアメリの左手、親指に残る傷跡を見ている。

数え切れないほど矢羽が擦れる事で付いた傷。


「まさか……エイドリクに弓を習ったのか?」

「うん? そうだよ、なんで分かったの?」

「エイドリクは四番隊の大隊長だ……」


元々 素養は充分過ぎるほど持っていた。その上でアメリは弓術に特化した部隊の大隊長から直接指導を受けていた。


アメリの腕前も推して知るべしかとクロノは苦笑いする。


「え?! あ……ていうか、そうか。おじちゃん偉い人だったのか……」


今更ながらここにエイドリクが居る事にアメリは驚く。


ハイランダーズだとは知っていたけど、今ここには大隊長と小隊長級が揃っている。

エイドリクは大隊長。

道理で大きなお屋敷に住んでいるはずだと唸り声を上げる。





城内の大広間の扉の前で列は止まる。


大きな扉の前では、王城の騎士が長槍を持って両脇に立っていた。


上から下まで彫刻の入った扉の大きさに圧倒される。

中の広間の大きさも、想像を上回るのだろうとアメリは目を閉じて眉間にしわを寄せた。

背中にある大きな手に勇気付けられる。


アメリは思い切り息を吸い込んで、持っていた裾を抱えてしゃがみ込むと、その裾の塊に大声を吐き出した。

声のほとんどが布の中に吸い込まれていく。


何事かと驚く視線を無視して、すっと立ち上がると今度はべちべちと自分の太ももを叩いた。

ふうと息を吐き出して背筋を伸ばす。


「なんだ……急に」

「痛い時と緊張した時は、大声を出せっていうのを思い出して……やってみた」


アメリがにっと笑い返すと、クロノもふと声を漏らす。


「……どうだ?」

「……いつでも来いって感じ」

「そうか……」

「見てて、すごく澄ました顔してあげる」


不敵に笑うアメリの頬を撫でて、クロノは扉の前に居る騎士に無言で頷いた。



アメリは段取りを頭の中で思い出す。

しなくてはいけない事、してはいけない事を口の中でつぶやいた。

背筋を伸ばして、顔を上げる。

集中して深く呼吸する。


クロノが先頭に、アメリを囲むように両脇に隊長たちが立つ。

目の前にあるクロノの背中だけを見て、アメリはクロノと呼吸を合わせる。



大きな扉は音も無く開いた。

そこから見える壮麗な天井は驚くほど高い位置にある。

ざわめく人の気配の多さに全身の肌が粟立った。


騎士がアメリの名前を呼び上げると、広間は衣擦れも聞こえないほど静まり返る。


歩き出したクロノだけに集中して、通路の両脇にいる大勢の人々を意識の外に追い出した。


玉座の前まで進んで最敬礼をすると、それに合わせて列席者も礼の形を取る。

王騎士の声で国王陛下がお出ましになり玉座に着いた。

隣に控えた宰相閣下が声をかけると、アメリ以外が直立する。


ここでハイランダーズは役目を終えて、列席者の位置に移動を始めた。



さあここからは本当にひとりだと、アメリは床を見つめながら細く息を吐き出した。





陛下に名前を呼ばれ、顔を上げ立ち上がったアメリは、本人が宣言した通り、見事に澄ました顔をしていた。


そこら中で息を飲むような気配を感じて、クロノはほんの一瞬この先を思いやって眉間にしわを寄せる。


初めてアメリと出会ったあの瞬間を思い出す。

人を寄せ付けない、孤高の表情。

森の精霊ではないかと本気で疑った。

あの時と同じ顔に、目も眩むような美しい姿に、自分と同様に魅了された男はさてどれくらい居るのか、そう考えると辺り構わず悋気を起こしそうだ。


膝をついて陛下を見ている姿が、森の中で姫様を見上げていた時と重なる。


淀みなく宣誓をする落ち着いた声。


立ち上がり、凛として前を見据える瞳。


雪の女神と言っていたのを笑えない。

終に口には出せなかったが、自分も同じようなことを考えた。



急な坂道を駆け下りるような慌ただしさだった。

でもこれでひとつ、姫様との約束を果たせた気がする。






あともう少し。

この後 陛下が下がれと命じて、入って来た時と同じようにこの広間を出て行けば終わる。


次の動きを考えていると、陛下が小声でわんちゃん、と言った。


いやいやいやいやいやとアメリは陛下の言葉を無視する。聞いてない、こんな声が掛かるなんて教えてもらってない。


「どうした、俺のラフィ(白い仔犬)。顔を上げろ」


見上げると今までの陛下の『国王の顔』はきれいさっぱり消え去って、いたずら小僧そのものの顔をしている。



アメリは目を閉じると今までの表情を崩さないようにと意識を集中する。















おまけの六翼ちゃん。






『バックヤードその2』



大広間の壁と、外側との間には細い通路が通っている。


その通路を使っているのは侍従たちで、中の様子を覗けるように小さなのぞき窓が点々と開いている。

窓を覗いていたグレゴールは満足気に口元を緩めると、場所をタニアに譲った。

グレゴールが口の前に人差し指を立てると、神妙な顔でタニアはこくりと頷く。


自分の手掛けた衣装を身に纏い、赤い絨毯の上を堂々と歩く騎士団長夫人の姿に心の中だけで悲鳴をあげる。


(タニア、やっぱりここに居たのね)

「ニコラ」

(静かに!)


慌ててタニアの口を押さえたニコラものぞき窓から内側の様子を見てぷるぷると震えている。

他の奥方様付きの侍女たちも、それぞれ別の場所から覗き込んでは音を立てないように静かに悶えている様子だった。


式が終わり、通路を戻って外に出た途端、侍女たちは息継ぎの間も惜しんでおしゃべりを始める。

その様に堪り兼ねてグレゴールはこめかみを指で揉んだ。

最後の二日ほどはまともに寝る時間もなかった。

大仕事を終えて気の抜けたタニアにも、侍女たちの声は必要以上に響いて聞こえた。

タニアは胸に手を当ててほうと息を吐き出す。

一歩引いて足を揃えると丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございました……帰ったら、頑張ってくれたおばあちゃんとお母さんに、すごく素敵だったって報告しなきゃ。とっても良い思い出になりました。我が家の自慢になりそうです」


晴れ晴れとしたタニアを、グレゴールもニコラも、他の侍女たちもぽかんとした表情で見返している。


「思い出にされては困るな」

「はい?」

「帰って伝えろ。お前の里の女は一人前以上の働き手になる。もう冬の間の手慰みでは済まなくなるとな」

「え?」

「そうよ、あんな素敵なものを作っておいて……これから忙しくなるんだからね?」


タニアの肩にグレゴールは腕を置き、逃がしはすまいとがっしり掴んでいる。


「まあ、俺からの発注以外は受けさせないさ……お前の腕は俺が買おう」

「うえ?」

「ばりばり働いてもらうからな?」


グレゴールの悪そうな顔にタニアの口からは乾いた笑い声が漏れ出ていた。







新ブランド立ち上げのお知らせ。











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