こいくちば。
少しずつ高くなる太陽の光、アメリは目を細めて朝陽を見ていた。
橙色の陽の温かさを頬で感じるけど、この外套をクロノに返すのかと思うだけで身震いした。
名残惜し過ぎるけど、やあと気合いを入れて外套を脱ぐ。
周りの騎士たちが怪訝な顔をしてこちらを見ている。
誰にともなくにこりと笑いながら、心の中で、お前らもその温かそうな外套を脱いでみればと毒吐いた。
朝陽を真横から浴びて威圧感を振り撒きながら早足で戻ってきたクロノに外套を着せ掛けて、剣を渡す。グレンと同じようにばしばし叩いて先頭に向けて送り出した。
クロノが戻らないと隊列は動かないので、もたついている時間はない。
すっと伸びた広い背中を見送りながら、自分も定位置に戻って陛下が馬車に乗るのを待つ。
「……ラフィ? 俺の隣に乗らなくていいのか?」
アメリを白い、しかも仔犬呼ばわりしながら、陛下はぽんぽんと自分の横を叩いた。わざわざひとり座れるだけの余裕を空けて座っている。
「陛下……見栄えが悪いので、真ん中に座って下さいね?」
アメリはにっこりと笑って、馬車の外側の足場に立った。
「んー……かわいいが可愛げが無いな。お前の夫はお前のどこが良いと言っているんだ?」
「……見た目?」
首を傾げるアメリにそうかと笑って陛下は真ん中に座り直した。
ぞろぞろ動き出した列は、すぐに一定の速度になって城都に戻る道を進みだす。
城都に戻ると大通りの両脇には大勢の人がいた。
お互いに押し合っているのか、引っ張り合っているのか、今にも通りの真ん中に溢れ出してしまいそうな人出だった。
人々の声が建物に跳ね返るようなざわめきと、様々な色と形の花びらが上から降っている。
中には小さな花も混ざって降り、だから花祭りと言うのかとアメリは見上げる。
高い窓や屋根の上から、花びらを投げる人が手を振っている。
アメリも小さく振り返すと、また大量に花びらが降ってくる。
ひたっと手に貼り付いた花びらをよく見てみると、きれいな色と形を保ったまま乾燥していた。
きっと花の時期に収穫して、上手く乾燥させてこの日の為に取って置いたのに違いない。
アメリは匂いを確かめようと自分の顔に近付ける。
ほんのり甘い香りがしたような気がして、今この通りの風全部が甘い香りなのかもと顔を上げる。
風に攫われて手の中から逃げる花びらを見送った。
こんなにきれいで、すごい事があるなんて。
アメリは嬉しくなってくすくすと笑いだす。
クロノはこんな事があるとはひとつも言わなかった。きっと前の方でやってやったと思っているに違いない。
周りの騎士たちは何事もないような顔で進んでいるが、馬車に乗る三人だけは周囲に手を振り返し、声には笑顔で応えた。
祭りはこれから三日間続く。
人々の嬉しそうな顔と期待のこもった熱気に、アメリも同じ気持ちになりながらも、騒ぎに煩わされるだろうハイランダーズの忙しさを思って複雑になる。
城都を通り抜けて人々の視線がなくなると、陛下は座る姿勢を崩して、襟元を広げる。
宰相閣下は執務室に戻るまで我慢できないのかと眉をわずかに顰めるが、陛下は何ひとつとして気にした様子もなくアメリを振り返った。
「もう下がっていいぞ、俺のラフィ。また明日にな……次はそんな味気ないもの着てくるなよ」
馬車を止めようとする陛下に、大丈夫だと声を掛けてアメリは前方の何もない所に跳び下りると、馬車と同じ速さで並走する。
「では陛下、御前、失礼いたします」
スカートの裾を持ち上げて、にやりと笑うと、周囲を確認しながら走る馬を避けつつ隊列から抜ける。
いいぞと声を上げて笑う陛下に、手を振って応えた。
そのまま足を緩めて王騎士たちをやり過ごす。
後方の紺色の集団が見えてくると、手袋を取ってアメリは指笛を吹いた。
一頭の馬が列を離れてアメリの横に回り込む。
応じてくれた礼に首を叩いた。
「いい子、スエル! ハル、乗せて!」
走ったまま足の止まる様子の無いアメリに、くくと声を上げながらハルは前か、それとも後ろかと笑う。もちろん後ろでしょと答えると、ハルは鞍の前に詰めて左の腕を差し出した。
「どうぞ、奥方様」
アメリも左手を出して握り、腕を引く力と前に進む勢いに任せてハルの後ろに跨った。
久しぶりにしては上手く乗れたけど、あちこち服が引っかかっている。
スカートはこれだからと整えて、落ち着いて座り直した。
ハルはスエルを隊列に戻しながら、参ったなと声を上げる。
「いつの間に僕のスエルが君のものに?」
「何言ってんの、スエルはハルの馬だってば。私はその両方の友達」
でしょ、とハルの肩を叩き、ね、とスエルの腰を叩いた。
「色々、素直に納得できないんだけど……」
「なんで?」
「……僕に寄り添って腰に腕を回してくれたら、納得しても良いけど?」
やだねと笑ってアメリは体を離し、ハルの肩と鞍の後ろを掴んだ。
正面の城門前で、紺と白の流れが別れる。
城壁に沿うようにしてハイランダーズの隊列は王城の端に戻っていく。
ハルはアメリを後ろに乗せたまま、屋敷の前まで送り届けた。
王城を経由して戻ると思っていたクロノは、アメリの姿をハルの後ろに見付けて顔を歪める。
ただいまと晴れやかなアメリの腰を支えて馬から降りるのを手伝った。
「じゃあね、アメリ、また明日……失礼します、総長」
にやりと笑うハルを無言で睨み返して、スエルの尻を叩いて押した。
「ありがと、ハル」
手を振るアメリを抱えて肩に担ぎ上げると、クロノはそのまま屋敷に向かう。
「え? なに? なに、クロノ?」
担いだ状態で三階まで上がり、アメリの部屋の扉を開ける。
いつにもなく荒い口調でクロノは侍女たちを部屋から下がらせた。
そのままアメリを寝台まで運んで降ろすと、クロノは覆い被さるように寝台に乗り、アメリの頭の横に手を突いた。
担がれて運ばれる間、何かクロノを怒らせるような事をしたのかと考えてみても、アメリには何も思い浮かばない。
でも見上げている顔は、確実に何かに怒っているように見える。
「……なんで怒ってるの?」
「怒っては……いない」
「は? じゃあ、なんでこんな……」
気まずそうに目を逸らして、クロノは長細い息を吐き出した。
「……やきもち、だ」
「え? 誰に? だって陛下の横には……」
「陛下にではない」
「じゃあ誰……にって、まさかハルじゃないよね?」
眉間にしわをきつく寄せて、苦々し気にそうだと言うクロノ。
アメリは溜め息を飲み込んで、この体勢をなんとかしようと上にずれるように動いた。
腰の下敷きになっている剣が痛い。
せめて起き上がりたいが、動いた分だけクロノが追いかけてくる。
アメリの両脇にはクロノの膝があって横にも抜けて出られない。
「城都を出たから、陛下が戻ってもいいって……だから馬車を降りたんだけど?」
肩をばしばし叩いても、クロノは体を起こさない。
上手く伝わらなかったのか、話を聞いてないのか、アメリの耳飾りを指の先で転がしている。
翼を広げた銀色の小さな鳥の耳飾り。
続けて首の鎖にぶら下がった、鳥籠を模した透かし彫りの銀細工をころころと弄ぶ。
鳥籠の中にはクロノの瞳と同じ色の小さな宝石が入っている。
「クロノは先頭だから追い付けないし……後ろにハルが居るの知ってたから」
もう話は要らないとばかりに唇で口を塞がれ、頬にも口付けをされて、唇はそのまま耳を噛んで首筋を下にむかう。
片方の手は脇腹を撫で上げた。
ぞわりとする感覚に体を震わせて、アメリはぐいとクロノの肩を押した。
「やだ! やめて! なに?! じゃあ誰の馬にも乗らなきゃ良かった?! ひとりで走って帰れば良かったの?!」
こちらの話は一向に聞こえてないらしい、もどかしそうに手袋を噛んで脱ぐと、アメリの服の合わせ目に手を差し入れる。
肌を撫でる大きな手は温かくて、そこからじわりと温もりが伝わってくる。
力一杯クロノの体を押し上げていた腕から力を抜いた。
気持ち悪い。
嫌だ。
嫌だけど、いい。
別にいい。好きなようにすればいい。
別にこんな事、何てことない。
アメリは顔を横に倒して寝台を覆っている掛け布の方に目を逸らす。
可愛らしい刺繍が目に入った。
体の上を唇と手が撫でていく感触に静かに息を吐き出す。
本当に今日は、寒くて大変だったけど、
でも、ずっと。
楽しかった。
「……嬉しかったのに」
ぴたりとクロノの動きが止まって、体に掛かる圧迫感が薄れる。
「クロノに褒められて、嬉しかった……この服で驚かせたんだって、楽しかった。……城都のあの花も。わざと内緒にしてたんでしょ? 私をびっくりさせたいんだって、分かって……すごく、きれいで……嬉しくて」
とん、とお腹の上に頭が乗って、クロノはそこで大きく息を吐き出した。
お腹が温かい。
熱が引いてその気が削げたんだと分かって、アメリはクロノの方を見た。
目の前のクロノの頭をびしびしと叩く。
「……よしわかった。外行こう。グレンに乗ろう。ん? どっちがいい、前でも後ろでもいいよ、一緒に乗ったら満足?……ほら、起きてって」
声は服に吸い込まれて何を言ったかはよく聞こえなかったけど、済まないと謝っているように聞こえた。
「ねぇクロノ……私はふらふらして見える? クロノ以外の人の所に行きそうに見えた?」
クロノはゆっくりと体を起こして、両手で顔を覆って擦る。
「いや……そんな事は無い。……私がアメリを……」
「私が信用できない?」
「違う、そうじゃない……自信がないんだ」
足の上に跨って座っているクロノに向き合えるように、アメリは体を起こす。
「私がアメリをどんなに……必要としても……繋ぎ止めているものが、とても脆い気がして。……だから、何にでもすぐに嫉妬をしてしまう」
クロノは自分に自信がないと言っているのか。
何でも出来て、ものを良く知っていて、何度も戦場から帰ってくるほど強くて、威圧感が溢れ出ているような、クロノが。
「脆い……? 私とクロノを繋ぐものが?」
アメリはクロノから足を引き抜いて、座り直す。
「何言ってんの。クロノはこれ以上無い約束を私にくれたのに」
いつかその手でこの命を絶つ、約束。
それまでは一緒にいる約束。
「忘れてないよね?」
もうダメだと思うぎりぎりまで、一緒に生きると決めた。
頭を傾けてクロノの顔を覗き込む。
「誓ってくれたよね?」
「……そうだな」
「……自信が要るの? まだ足りない?」
情けなさそうな顔をして、クロノは口の端を持ち上げ、どうたろうなとつぶやいた。
呆れる。
なんて、バカな人だろう。
アメリは寝台に手を突いてクロノに近寄ると、合わせるだけの口付けをする。
元の位置に戻って、脱力した。
「はぁーあ……なにこれ」
「……悪かった」
「ホントだよ……台無し」
「……ごめんなさい」
アメリの頬に口付けして、お互いの額を合わせる。
これをされると、許さない訳にはいかない。
なんてずるい人だとアメリは心の中で盛大に舌打ちして悪態をたれる。
「……いいよ」
緩んで解けた緊張の糸は戻りそうもない。
お腹も空いたし、なんなら眠くて仕様がない。
明日も早朝から準備しないといけないと言われていたのを思い出す。
明日の方が一大事なんだった。
どこから何を片付けたらいいんだろう。
「……アメリ」
「なに?」
「……ここ」
アメリのシャツの下の方にクロノは指を入れると、お腹をくすぐるようにして、何かを摘み出した。
クロノの指に挟まれているのは、橙色の花びらだった。
今朝 見た朝陽のような花びらを受け取って、顔に近付ける。
城都の通りに溢れていた甘い香りがした。
ラフィ → 幼児の使うことば。犬のこと。この国で、特に白い仔犬を指す言葉。小型犬ではなく仔犬というところがポイント。
陛下はアメリのあだ名を「白いわんわん」に決めたようです。
対して「黒くてデカい犬」を意味する言葉もあります。
サブタイトルの「こいくちば。」は色の名前です。濃朽葉と書きます。赤みのあるオレンジ色です。朝やけに近くてきれいな色と名前を探した結果。




