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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
城都の上の紺碧の
34/80

賢い犬。







また時は流れ、春の祭「春節祭の日」です。













まだ暗い渡り廊下を歩く。


吹き抜けていく風は、服から出ている肌の部分を斬りつけていくような冷たさで、アメリは思わず風上の方を睨んで顔を向けた。

今日から春だと言われても、いきなりこの寒さが緩むとは流石に思っていない。

それは解っているが、それでも針の刺すようなこの寒さはなんだと、文句のひとつも言いたくなる。

雪の降る日も時間も減ってきた。

が、上から見る限りでは景色は白く塗り潰されて、背の高い木や建物の影がちらちらと見えるだけ。

ぜひとも陛下にはさっさと神事を終わらせてもらって、早急に春の女神を迎えて頂きたい。

雪は好きだけどこの寒さは神様に縋りたくなるような厳しさで、長く続いた厳しい冬に、もういい加減 次の季節と入れ替わって欲しいとアメリは自分の体を小さくした。

自分の体を抱きしめながら廊下を渡って王城に足を踏み入れる。


日の出前に神殿に到着する為に、それぞれに準備は進められている様だった。

夜明けよりもまだ真夜中に近い時間帯だというのに、あちらこちらで行き来する人影が見える。


夕食を共にした後はクロノはすぐに出掛けて行き、それから顔は見ていない。

アメリも少し仮眠して準備を始めた。


今は迎えに現れた陛下の侍従に連れられて、陛下の執務室に向かっている。


襟の詰まった黒に近い濃紺の上着は、ほど良く体に沿うくせにきついところは無く、動きをひとつとして邪魔しない。

ハイランダーズの服と同じ意匠ですっと背筋が伸びる心持ちになる。本物の騎士ではないのでそれらしい装飾はついていないが、シャツの白い飾りがひらひらと喉元から腹の部分までをささやかに彩っている。

前は一切留まっておらず、不用意に屈むと胸が見えそうなのに、どんなふうに屈んでも、体を捻って確認しても、肌は見えるが大事な部分はぽろりと出なかった。

見えないなら下着を着てもとグレゴールに訴えるも、それは美しくないと即却下された。

美しさよりも温かさを取りたかったアメリの思う事はただひとつ。お腹が壊れませんように、ただそれだけ。

スカートはお願い通りに馬に乗れるように作ってあった。裾は下に少しずつ広がって波打ち、歩くたびに尻のすぐ下まで入った切れ込みの間から白いひらひらが見え隠れしている。

下が素足は寒過ぎるからと泣きついて、下衣を穿いて、膝下までの長靴にした。



本来なら王城に入る所で腰のものを預けなくてはいけないが、アメリは腰の後ろに真横に剣を佩いている。

正装の騎士は、すぐに抜けないように金具を装着すれば帯剣できる。

アメリもハイランダーズの紋章の入った白金の鎖を付けてもらった。歩くのに合わせて鈴のような音が鳴っている。



前日に行った打合せでは、屋根のない馬車に乗り、陛下の隣に座ると聞かされた。

宰相閣下は馬車の後ろの足場に立つと教えられ、アメリもそこに同じように立たせてもらうことに決める。

実際に馬車を見れば、充分に立てる足場も手で掴まれる部分もあった。

宰相閣下と馬車の両脇に立てばそれなりに見栄えもするだろう。

『色持ち』を好感触で売り込めるように、下調べをして長髪の宰相殿と同じ髪型にニーナに結ってもらった。



抜かりなくこちらの準備は万端、整った。

にんまりと口が持ち上がるのを我慢しながら、陛下の執務室の前に立つ。


さあ、陛下は自分の格好を見て、ひと言目になんとおっしゃるだろうか。



部屋に通されると、すぐに宰相閣下と、国王陛下の姿が目に入る。

宰相閣下はきちっとした格好で、びしりと直立しているのに対して、陛下は襟元をくつろげて、だらりと椅子に座っていた。


「……なるほど、そうきたか……よく来たな、アメリッサ」


怒るどころか、陛下はやはり面白いものを見たというように目を細めて、アメリをちょいちょいと手招いた。

座っている陛下の前に進み出て、跪く。


「お前、これじゃ横に侍らせられないじゃないか……やってくれたな」


陛下はアメリの頬を摘んでふにふにと引っ張った。


「身分の低い者を横に置くより、宰相閣下が陛下のお隣にいるべきなのでは?」

「バカ言え、なんで男を隣に置かないといけないんだ」

「それに関しては同意見です」


不動のままで宰相閣下が冷徹に言い放つ。

ふと笑って陛下は摘んでいたアメリの頬をつるりと撫でた。


面白いものを見たような、珍しい生き物を見付けた少年のような顔で、陛下は芝居掛かった口調で笑いながら言う。


「騎士団長の奥方が『馬鹿な女』でなくて嬉しいぞ。お前はなんと『賢い犬』なんだ、アメリッサ」


アメリもいたずらが成功した子どもの顔を返すと、こいつ、と陛下に顔を鷲掴みにされる。

妙なうめき声をあげるアメリを面白がって、陛下は指を動かしている。


「……臣下に取る態度でも、女性に対する扱いでも無いですよ、陛下。おやめなさい、今おっしゃった通りその方は騎士団長の奥方です。妹殿下ではありません」

「ううん……ついな……分かってるんだが、かわいいだろ、これ」


もぎもぎ顔を握られながら、アメリはこれまでの仕打ちの原因が分かって少しだけ腑に落ちた。

と同時に会ったこともない妹殿下に同情する。

気に入ったものに出会うとちょっとおかしくなる人なのかもしれないが、国の頂点に居る人の、力任せのこの可愛がり方は迷惑だ。




宰相閣下に冷ややかに促されて、陛下は立ち上がる。

そろそろ女に会いに行くかと伸びをしたところで、罰でももらって来なさいとぴしゃりと怒られる。


信心深い地域で育ったアメリは、神様を自分の女呼ばわりした陛下の言葉に笑うに笑えない。神がいるがどうかは知らないが、居たとしてもこの陛下のように、冗談や気安さが通じるとは思えない。そしてまた不敬だと怒れるほど神も陛下も身近な存在ではない。故の微妙な反応になってしまった。



陛下が衣服を整えるのを、宰相閣下の側に控えて静かに待つ。


「私の横に立つと聞いたが、辛くなったらいつでも言いなさい」


宰相閣下はアメリを見下ろす。

馬車に立ったまま揺られるのはきついと担当の文官から聞いていた。


「ご心配ありがとうございます。……まあまあ丈夫なので、平気かなと思います。し、陛下の隣に座ることを思えば。……正直、宰相閣下の隣に立つ事さえ遠慮したいくらいです……」


もう笑うしかない。

閣下も口の端をわずかに持ち上げている。


「心中お察しする」

「はは……ありがとうございます」





王城の正面には、すでに騎士たちが静かに隊列を作って待っていた。

神事に相応しく派手さのない、品位をまとわりつかせたような王城の騎士たち。馬までも美しく飾ってある。


堂々とした立ち居振る舞いで馬車に向かう国王陛下と宰相閣下の後ろを付いて行きながら、アメリは寒さと騎士たちの視線に身を震わせた。


かじかんだ手に革の手袋を嵌めながら歩く。

揺れる耳飾りが頬に冷たい。白金の首飾りも外気に触れた途端に熱を奪われて冷たく肌に沿っている。

立ったまま馬車に揺られるよりも、この寒さに耐えられるのかとアメリは白い息の塊を吐き出した。


目の前の騎士は白い服ばかり、当然ながら見知った顔はひとつもない。


陛下の近くに侍る事と、騎士団長の妻である事に相応しく在れるように、胸を張って顔を上げる。


せめて見知った顔に会うまでは、せいぜい虚勢を張らせてもらおう。




そのハイランダーズは城門の外で待機しており、これから合流する段取りになっている。


国王陛下を中心に王城の騎士たちが並び、その前後をハイランダーズが挟むようにして神殿に向かう。アメリからは白い騎士が見えるだけで、前にも後ろにもハイランダーズの紺色は少しも見えない。



空は明るくなりかけている。

雲はひとつもなく、春の祭の為に晴れ渡っているようだった。


二百を超える騎士の列は、静まり返った城都中央の大通りを並足の速さで抜けていく。

通りに雪は無く、石畳に馬の息使いと足音、車輪が石畳を踏む音だけが響いている。

神事に向かう列を人々は見てはいけない決まりらしいが、通り沿いのそこここの窓辺には人の気配を感じる。

小さな子どもが窓辺に貼り付いて手を振っている。見てはいけないと言われても、自分もきっと同じことをしそうだと、アメリはにこりと笑い返した。




空が白み始める頃に城都を抜ける。草原であるはずのそこは白一色。

神殿に続く道だけはきれいに雪が除けられていた。


日の出はもう少し先、神殿を包む森が闇の塊のように静かに横たわる。



森のずいぶん手前で隊列はゆっくりと止まった。

そこから先は神域に入る。

普段は誰でも神殿に入る事が可能だが、年に数度、神事が行われる際は人の出入りが制限される。

春の女神を迎え入れる神事では、女性は神域に入ってはならない。

アメリはもちろんだが、一緒に移動してきたほとんどの騎士たちもこの場で待機する。


馬車を降り、陛下も宰相殿も徒歩でこの先を歩く。


この隊列の一番先頭にいるクロノは神殿に入るうちのひとりだ。陛下と神殿に向かう為に馬を置いて徒歩でこちらに向かってくる姿が見えた。


今日のクロノは普段にも増して威圧感がてんこ盛り。いつもより大きく見えるのは気のせいではないはずた。

クロノの前にいる王城の騎士団長が霞んで見えるのも、気のせいではないとアメリは唸った。



自分の姿を見付けて驚いた顔で駆け出したクロノに、アメリはしてやったと心の中で両腕を上げた。

口の端が自然に持ち上がっていく。

陛下に挨拶するより何より前に、アメリの腰を掴むと、子どものように抱き上げた。背中をぎゅうと抱きしめて、誰にも聞こえない声でよくやったと褒める。

騎士のような格好をしたアメリを見ただけで、陛下の隣には座らなかったと伝わった。

アメリはもう一度どうだ見たかと心の中で両腕を振り上げた。


「体が冷えているな」


アメリを地面に下ろすと、自分が着ている外套を急いで脱いでアメリにぐいと巻き付ける。おまけに頬に口付けを落とされた。

これでもかと人目があって、一部始終を見られていたけど、そんな事より『クロノの外套』だ。


「……ぬくい……」


有り難過ぎて涙が出そうなほど嬉しい。

いつまでもこの嬉しさに浸っていたいが、そうもしていられない。

気を取り直して、もぞもぞと外套の下で動くと、真横に佩ていた自分の剣を腰から外して抱えてから、クロノに手を差し出した。


「はい……準備して」


神域には帯剣のまま入れない。

正装で入るので、クロノの剣も、外套も手袋も、アメリが預かる予定だった。


クロノから剣を受け取って二振りを一緒に抱える。


自分を見下ろす目に、これ以上の過度な接触はしないで下さいと目で訴えた。

クロノはふと笑って頬を撫で、アメリの髪をひと房すくってそこに口付けると、ようやく陛下の方に向かって歩き出す。


ほうと息を吐いたアメリの後ろから声がかかる。


「おはよう、アメリ」

「おはよう、ハル」

「今日もとっても綺麗だよ」


つるりと指の背で頬を撫でると、クロノの後に付いて歩き去った。


「おはようございます、奥方様」

「おはようございます、アンディカさん……」


姿勢良く通り過ぎて行く背中を見送る。

直属の部下が神事に参列する為にクロノの後を追っている。


「おはようございます、奥方様」


上司と同じ台詞でもずいぶんと柔らかな言い方をする人を振り返る。


「おはようございます、ローハン」


居残り組のローハンもアンディカの剣と上着を抱えていた。

晴れて良かったと何気ない話をしながらほんの少し列から離れるように誘導される。

周りは白い騎士服だらけ。気疲れしないようにわざわざ来てくれたのかと思うと、アメリの眉が下がる。


「気を使わせた?」

「気にしないで下さい……奥方様が王騎士に絡まれでもしたら、あとが恐いですからね」


にこにこ笑いながらさらりと本音を言うローハンに、笑い声をあげながらありがとうと言う。




日の出に合わせて神事が始まる。


何がどんなふうに行われるかは、参列者以外には知らされない。

皆がいる場所から向こう側、神域の内側は静寂そのものに感じる。


時を同じくするように帰りの準備で隊列の向きを変える準備が始まった。

動き出した陛下の馬車に付いて歩いていると、折り返してきた先頭を行くハイランダーズの騎馬とすれ違う。

クロノの馬、グレンがアメリを見付けて落ち着きが無くなったので、真っ黒の体をばしばし叩いて声を掛けて前に送り出す。

見知った顔がその様子に笑いながら挨拶をして通り過ぎて行った。


ゆっくり時間をかけて大人数の移動が済んで向きが変わる。


列が整ったところで、神事が終わったと先触れが前に走って行った。

ではまた、笑顔でそう言ってローハンは後方の列に戻って行く。




さあ、後は帰るだけだとアメリは顔を上げる。











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