妹殿下の仕立屋。
丼一杯いけるご飯の友的な、お馴染みベタ中のベタタイトル(でちょっと恥ずかしい)。
アリアナと一緒に入ってきたのは男。
すらりとした体型で、几帳面に黒髪を後ろで束ねていた。
「ふーん……なるほど、見た目は良いな」
共も連れずひとりで現れ、むすっとした表情の気難しそうな男は開口一番そう言い放った。
挨拶も無しにいきなり失礼だとニーナは声を固くする。アメリはそれがおかしかった。見た目を乞われて来ているのだがら、この人の言葉で怒る部分はひとつもない。笑いを堪えて肩が揺れる。
グレゴールはニーナに向かって書き控えろと紙の束を差し出す。目盛りの付いた紐を首から外すと、アメリに服を脱げとぶっきらぼうに言った。
「測るくらい、私が」
「やめてくれ、適当に測られて名折れになるのはこちらの方だ」
見るからに苛々としているニーナに、アメリはまあまあと笑いかける。
机から離れてグレゴールの前に立った。
「なに? 全部脱げばいい?」
「……見せたいならな……下着までだ」
ぱぱっと脱ぐと近くに控えて手を差し出しているアリアナに服を渡した。
気難しそうな雰囲気も、ぶっきらぼうな感じも、嫌味ではなくてそれは職人に近い感じがする。
アメリはこの男がひとつも失礼だとは思えなかったし、むしろ好感を持った。
目に入る道具は使い込まれているけど、痛んではいない。丁寧にものを扱い、自分に触れるのも最小限に気を遣っているのが分かる。
あっちを向けの、腕を上げろのと言われてそれに応える。
「……ずいぶん鍛えてあるな」
「まあね」
アメリは腕を曲げて力こぶを作る。腕をぺしりと叩かれた。
「余計なことをするな……体が真っ直ぐで歪みが無いから良い服になりそうだ……左腕の方が少し長いな」
「あー……そうかも」
右手に持つ剣よりも、左手の鞘の方が重い。そうであってもおかしくない、自分では分からないが。
「どういうものが好みだ」
「……好み?」
そんな事を言われても、今まで服を仕立てた事など無い。
「城の女性を見たか」
「あー……何人か」
「今はああいったものが流行りだ。どう思う」
「うーん……ぎゅうぎゅうに縛ってあってお腹が苦しそうだと思う……スカートがあんなに膨らんで旅芸人の人たちが持っている天幕みたい……ねぇ、あれ中身はどうなってるの?」
話の後半はニーナの方を向いて質問していた。アメリの子どものような疑問にニーナは笑いを堪えている。
「あと、胸が半分以上出てるみたいで、なんかイヤ」
グレゴールもふはっと息を漏らすと、口の端を持ち上げる。
「いいだろう……決めた。奥方の衣装は私が作ろう、任せておけ。……グレゴールだ」
差し出された手を握り返す。
「アメリッサ……よろしくお願いします、グレゴール」
グレゴールは大仰に頷いて、続けて好きな色はと質問する。アメリは首を傾げる。
「……紺と銀はまぁ、外せないだろうな……他にないか」
紺と白金の色はハイランダーズの色、アメリの髪と瞳の色とも近い。アリアナはそろりと手を上げた。
「青みのある緑色がお好きではないですか?」
外套と髪紐の話をしているのだろうか。アメリは苦笑いを漏らす。
「好きなのは総長の方……あの人が選んだんだから」
そうなんですねと嬉しそうに目を輝かせて大きな声を出した。ニーナに睨まれて失礼しましたとアリアナは一歩下がる。
「……それならその色は旦那殿に宝石でも贈ってもらえ」
「宝石……」
まるで興味がないので、アメリはその話は聞かなかったことに決めた。
「……他に……そうだな、この部屋の中で、これはと思うものはあるか?」
「この部屋で?」
「何でもいい、好みに合うものはなんだ」
アメリは部屋を見回す。色の話をしてなかったかと思いながら、長椅子の上に並べられている柔らかいクッションに目を止めた。
「ああ、あれが好き」
数種ある中のひとつを取りに行って、グレゴールに手渡した。
外側は白く繊細なレース編み、その中に光沢のある生成りの生地が見えている。見た目もそうだが、触り心地と柔らかさが気に入っている。
グレゴールも感触を確かめたり、色んな角度から見て見事だとこぼした。
「うん……悪くないな……これはどこで手に入れた」
「それは、当家の侍女の里から取り寄せたものです。編み物の職人が多くいるとか」
「そうか……その職人を俺の元に呼べるか?」
「アリアナ、ニコラを連れてきて」
持っていたアメリの服をニーナに渡すと、いそいそと部屋を出て行った。
ニーナはシャツを広げてアメリの肩にかける。
クッションを睨んでいるグレゴールが何を考えているのか、アメリも黙って見つめる。
「締め付けず、かつ、体に沿った服が好みなんだな?」
今まで意識したことも、好みもこだわりも無いと思っていたけど、そうでもないらしい。聞かれて初めて、そう言われればそんな気がして、アメリは頷いた。
「……アメリッサは花の名前だな」
「あぁ……はい」
「花……といえば蝶だが……」
「それはどなたかがもう……」
ニーナの言葉にグレゴールは眉をしかめる。
「そうだな……」
ふたりがあれでもない、これでもないと話しているのを聴きながら、アメリはてきぱきと服を着ていった。話は聞いていても何のことだかさっぱりだ。
「他に好みのものは?」
「ああ……と……これ?」
履いている室内履きの片方を脱いでグレゴールに渡す。
「小鳥か……いいじゃないか、洒落が効いている」
うんうんとひとり納得しているグレゴールに説明は期待できない気がする。ニーナに聞こうとそっちを見ると、ニーナも解答を得た表情でうんうん頷いている。
アメリはどうしたらいいんだろうと、窓の外を見た。
外は良い天気だ。
「小鳥には鳥籠……だな。決まりだ……異存はあるか?」
異存も何も、何のことだか。ニーナを見ると、微笑んでいる。アメリは笑顔で無いと答えた。
「よし、これで戴名式は決まった。次は春節祭だ」
「え? 何の話?」
「おい……俺が何の為に来てるか分かってるのか?」
「私の服を仕立てる」
「脅かすな、馬鹿なんじゃないのかと心配したぞ」
「思ったほど馬鹿じゃないでしょ……じゃなくて」
「なんだ」
「どうして春節祭の服が要るの?」
戴名式は、式典に出なくてはいけないので、それなりの衣装が要るのは分かる。でも春節祭はアメリの出番は無いはずだ。そんな話は聞いていない。
「陛下は奥方を連れ回す気でいるぞ?」
「は?」
「待って下さい、女性は神事には参加できないのでは?」
ニーナが早口で返答する。
「神域に入れないだけだ……と、おっしゃった。俺も同じ質問をしたよ」
「でも、陛下は今まで、女性はどなたも……」
「宰相閣下と並んでみろ、見栄えがするだろう。ともおっしゃった」
宰相閣下、と言われてネルに似たあの人かと思い出した。
陛下は宰相閣下と自分を側に侍らせて、周りからお褒めに預かるこの『色持ち』を見世物にしたいのか。
ニーナは難色を示しているが、アメリは別に構わないと思っていた。
それくらいの事で陛下が気分良く神事とやらを終えられるのなら、宰相閣下の隣に並んでにこにこでもしていよう。
「それは……そうでしょうけど、騎士団長の奥方ですよ? そもそも神事に女性が参加すること自体、他の方々に何と言われるか」
納得がいかないとニーナは眉をしかめる。
アメリは腰に手を当てて天井を見上げた。
確かに陛下と直接関わりがある訳でもないのに、側に侍るのは違うような気がする。神事に付いて行くだけでも何かしらの言いがかりを付けられる事があるのかもしれない。
「お城の方に『色持ち』の女の人は居ないの?」
「居ない事はない……が、宰相閣下と並んでは見劣りしてしまうだろうな」
「うーん……じゃあ、私はハイランダーズとして控えていたら良いんじゃない?」
「というと?」
グレゴールは片方の眉を跳ね上げる。
「ハイランダーズも一緒に行動するって聞いてる。ハイランダーズとして陛下のお側に居ればいいでしょ?警護と言えば何とか言い訳が立つ……あれ?立たない?」
「はは! いや、そうだな、それも面白い。それで良いんじゃないか? 何かとうるさい連中が心配なのも分かる……その手が最善の気がしてきたな」
「ね? ニーナさん」
「……もとより、陛下のお望みですから……」
否も応も無い。
それでも他の貴族たちに対して、無駄に風当たりが強くなるのも避けたい。もう諦めて逆風を進むしか道は無いのなら、アメリの案は一応の体裁は保っている。
ニーナはこの先を慮って深いため息を吐いた。
「ハイランダーズとしてか……」
「紺色の服?」
「もちろんだ……帯剣は?」
「当然!」
「このベルトだな」
アメリはそうそうと腰にあるベルトをその場で一回りしてグレゴールに見せた。
「……うん、さすがに下まで男物という訳にもいかないが、帯剣するなら天幕のようなスカートも無理だな」
「馬にも乗れるようにして欲しい」
「なんとかしよう」
「陛下はお城の女の人みたいな服だと思ってるよね?」
くくくといたずら小僧のように笑うアメリに、同じような笑顔をグレゴールは返す。
「そうだな、美しく着飾らせろとのご命令だ」
「内緒で作るんでしょ?」
「途中で知れたら台無しだからな……それに面白く無い」
「総長にも言わないでね、ニーナさん」
春節祭に参加する事はそのうち通達がクロノの元にも届くだろう。でも服装は当日まで黙っておいて、驚かせたい。
「びっくりするかな?」
「ええ……それはもちろん、今までそのような事をされた方はおりませんから」
「ふふ……じゃあ決まり」
「良いな……腕か鳴る」
「楽しみにしとく」
「任せろ、シワひとつとして寄らない衣装を用意してやる」
アメリは自分の出番は無くなったのかとニーナの方を見た。
「覚悟して下さい、この後も決めなくてはいけない事が次々にありますからね」
乾いた笑いを吐き出しながら、アメリはもう一度窓の外を見る。やっぱり良い天気だ。
折良くやって来たニコラとグレゴールは話し始めて、場所を移す事にしたのか連れ立っていく。グレゴールは扉の前で立ち止まる。
「そうだ……奥方、ひとつ」
「はい。なに?」
「その背中は、人に見せる為のものか?」
背中と言われて、ああ、と息を吐いた。
言われないと思い出せないほど意識の外だけど、背中の翼は人に見せる為のものじゃない。
覚悟の残りカスだ。
「……違う。見せるものじゃない」
「そうか、分かった……もったいないな」
にやりと口の端を持ち上げてグレゴールは部屋を出ていった。
さっきの続きでも再開しようかとアメリは机に向かう。
「グレゴール様が『工房』じゃなく、自らお作りになるなんて」
「……気難しそうだもんね」
「それ以前に妹殿下 以外の衣装を制作する自体まれな事です」
「……陛下の命令なんだからしょうがないんじゃない?」
その陛下が命を与える気になったのも、工房に丸投げせず自身で作ると言わせたのも、アメリだという事を本人は分かっていない。
そこが良いところなんだけど、とニーナは心中で苦笑いする。
「あ、そうそう……さっきの、小鳥とか鳥籠って何のこと?」
「ええ、何というか、符丁のようなものですね」
城内に居る女性たちの間では、暗黙の決まり事が数多く存在する。
高位の順に好きな色や象徴するものが決まっているとニーナは話した。
式典やお茶会、舞踏会など。お嬢様、奥方様たちが一堂に会する時に、それぞれの衣服や装飾の意匠が同じにならないようにする為、あらかじめ決めておくというものだ。
「面倒……」
「ですけど、決まりがあった方が無駄に争ったり、張り合ったりが減りますからね」
「そういうもんかな……?」
アメリはどさりと椅子に座って、側に控えるニーナを見上げた。
「元々、白金と紺の色はハイランダーズの色なので、女性で衣服に使う方は少ないですね」
「ああ……じゃあ、金と白も少ない?」
机からペンを取り上げて、また戻す。
とても練習に励もうという気分ではなくなってきた。
「ええ……王城の騎士様の色ですから……同じように象徴するものもそれぞれにあります」
「それで鳥とかって話?」
「そうです。アメリッサの花と、鳥、鳥籠……それがアメリ様の象徴ですね」
ふーんと脚を持ち上げて椅子の上で膝を抱える。
「旦那様の……ハイランダーズの紋章はご存知ですね」
「鷹でしょ、六枚翼がある」
「同じ空を駆けるもの同士で、とても素敵だと思います」
「それで洒落が効いてるか……で、鳥籠に入るのはどっち?」
「あら、アメリ様……何も入っていない鳥籠も、それはそれで風情があります。それにおふたりとも籠に収まるような方ではないでしょう?」
アメリは眉を下げて、力なく笑う。
部屋は狭い方が好きだし、鋭い鉤爪にがっちり掴まれている小さな獲物の気分だったりするのは、ニーナには言わないでおこう。
何だか良い方に解釈してくれているのに、わざわざ訂正することもない。
「うーん……この小鳥はかわいいけどね」
細い枝葉にとまっている赤色の小さな鳥を指先でつついた。
室内履きの厚みのある毛織物の感触にぽこぽこと当たる糸の手触りが気持ち良い。
次の日にはレース編みの職人やグレゴール旧知の銀細工職人、靴職人や織物商もやって来て、玄関の広間には市が立った賑やかさだった。
きゃっきゃはしゃいで、アレコレひゃっふー!!な侍女ちゃんズを、階段に座って眺めるアメリ奥様、so cool !!
もちろんグレゴールは若い時はそれはもう絵に描いたような俺様キャラで、気に入らない女のドレスなど! スタンスでした。
妹殿下に見出されて、かれこれ長きに渡る(ご想像通りの)深いお付き合い。




