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六翼の鷹と姫の翼  作者: ヲトオ シゲル
城都の上の紺碧の
31/80

見た目と見る目。






アメリの奥方生活2日目。















すぐ側にあった温もりが離れていく。


布団の中にほんの少し冷たい空気が入ってきて、どこか別の場所に漂っていた意識がふわふわと自分の元に戻ってきた気がする。


「……どこいくの?」


起き上がって腰まで下がった毛布を持ち上げて肩に巻き付ける。

部屋の中は暗い。

一度離れかけた大きな影が戻ってきて額にとんと当たった。


「ちょっと剣を振ってくる……まだ寝ていなさい」

「……けいこ?」

「そうだ」

「わたしも!」


このところただ持って移動していただけの剣。

握って振ることすらしていなかった。

今までの習慣が無くなって気持ち悪くてすっきりしなかったから、思い切り体を動かせる機会を待っていた。

完璧に目が覚めたので急いで寝台から下り、クロノの後を追った。


急に立ち止まったクロノの背中に顔をぶつける。

勢いよく当った鼻の辺りを押さえて痛みを堪えていると、両肩を掴まれてくるりと反対を向かされた。


「アメリはあっち」

「あ……そうか」


自分の居場所を思い出して、そっと押し出された方向に歩き出す。


「そっちで待っていなさい」

「わかった……すぐ用意する」


アメリは扉を開けて、自分の為に用意された部屋に入っていく。



昨日、夕食を取った後は、いつものようにふたりで話をしながら過ごしていた。

部屋が広くて落ち着かない、何をしてどう過ごすものかと、アメリは力無くそうこぼした。

言ったところで何が変わるとも思っていなかったが、分かったとクロノはアメリの手を取る。


向かったのは部屋の奥にある扉だった。

その先はクロノの私室と繋がっており、与えられたアメリの部屋の半分以下。ほっと落ち着くような広さに、今日からここで寝ますと宣言すると、殊の外クロノはご機嫌になった。




ひと気が無い部屋の空気はひんやり冷たい。


窓を横切るついでにカーテンを少し開けて外を見てみる。

夜明け前の明るくなりかけた薄紫の朝靄が世界を覆っていた。外の景色はひとつも見えない。

すぐに手を離してそのまま真っ直ぐ扉のない小さな部屋に入っていく。

その中は衣装部屋。ほとんど何も無い状態なので、多少暗くてもどこに何があるかは覚えている。

手探りで必要な服だけ探り当てて抱えると、少しは明るい窓辺まで戻って身支度を始めた。



屋敷の外をクロノの後に付いて歩く。

ベルトに固定した長剣が足を踏み出すたびにぴょんぴょん跳びはねてお尻に当たってくる感覚と、ちゃりんちゃりんと金属のぶつかる音で気持ちが高揚してくる。


あっちは馬場、その向こうは詰め所と指で示されたけど、朝靄で周囲の様子はアメリにはひとつも分からない。

しばらく進んで大きな屋根を持つ建物に到着した。


「ここ?」

「ああ、鍛錬場と呼ばれている」

「……屋根があるんだね」

「天候が悪くても出来るようにな」


昨日、渡り廊下から見えた、幅の広い船をひっくり返したような屋根を持つ建物を思い出していた。

あれがこの鍛錬場だったのかと、位置を頭に入れていく。


「屋根が丸い?」

「よく見えるな」

「あ、や……昨日 上から見たから。どうして屋根が丸いの?」

「雪が多いからな。それでも何度か落ちた事もある」

「え?! 屋根が落ちるの?!」

「重みでな……だから雪が下に落ちやすいようにしてある」


雪が積もって屋根が落ちると言われても、今ひとつしっくりこない。サザラテラでは雪は降ってもせいぜい薄く色が変わる程度に降って、それも太陽が高くなればきれいに消えてなくなっていた。



鍛錬場は胸の高さ程の木製の壁でぐるりと囲まれた広い場所で、その全体を屋根が覆っている。

地面は土が固められていた。

クロノは入り口近くの小屋に入り、中から一振りの長剣を持ち出してきた。

機嫌が良さそうな顔で軽く剣を振りながらアメリに歩み寄る。


「手合わせしてみるか?」

「やだ! ムリ! 絶対しない!!」

「刃は潰してあるぞ?」

「そういう問題じゃないから」


アメリはクロノから対角の位置に走り出し、端っこまで離れる。

こっちで適当にやるからどうぞお構いなくと叫んだ。

クロノが笑いながら剣を振りだしたのを確認して、アメリも気を静めて集中を始める。

いつもの通りに、素振りから。握りや腕の調子を確かめていく。すぐに感覚を取り戻して、剣先まで神経を行き渡らせる。

周囲の景色も音も消えて、すぐに気にならなくなった。




「珍しい……しかも良い腕です」

「ああ、あの鞘を見ろ」


演舞に見える動きで剣を振るアメリから目を離せなくなって、クロノはいつの間にか自分の稽古はそっちのけになっている。

柵に寄りかかって邪魔にならないように静かに見惚れていた。

後ろからかかる声に、相手を振り向きもせずに返事をする。


「あそこまで彫刻が入ったものは初めて見ます……手合わせをお願いしたいが……あの剣は」

「なんだ?」

「いえ……相手はしてもらえないでしょうね」


寄りかかった柵から斜め上を見上げると、姿勢良く立った男が、何を考えているのか分からない表情でクロノを見下ろしていた。


ひと通り終わった時機を見計らって、クロノはアメリに声をかけた。

アメリが剣を収めてクロノの元に駆け寄ってくる。


「紹介しよう、アメリッサだ……アメリ、第三隊・大隊長のアンディカだ」

「初めまして……」

「お目にかかれて光栄です、奥方様」


柵越しにびしっと礼をされて、つられてアメリも姿勢を正した。


「お早うございます、奥方様」


アンディカの後ろにいた男は、にこにこと人当たりの良さそうな笑顔を向けている。


「あ、昨日の……」


屋敷と城の境目で挨拶をしたハイランダーズだった。


「覚えていて下さったんですね……副長のローハンです」



クロノより頭一つ分背が高くて、短髪、目付きが鋭いのが、第三隊・隊長のアンディカ、その後ろの優しそうな人がローハン……第三隊は、剣術に特化しているとクロノから聞いていた。覚えたての情報に、アメリは新たな項目を書き加えていく。


がやがやと大勢の人間がこちらに来る気配がする。


とうに夜が明けて、朝靄も足元に薄っすらと残るだけになっていた。

近付いて来る人の気配は、両手の指でも足りない人数な感じがする。

途端にその人数と顔を合わせるのは面倒な気がした。


「私……もう、戻る」

「そうしなさい」


口の端を持ち上げてクロノはあっさりとアメリを解放する。




屋敷に戻ると、待ち構えていたニーナに部屋に連れ帰られた。

出かける前に、風呂を用意して待っていると送り出されていたので、否も無く素直に従う。

本当なら朝からは勉強することになっていた。

何もする事が無いよりは、やるべき事がたくさんあるのはありがたい。

何かを教えてもらうのも嫌いではない。

ただ自分の身になるのかどうかが問題なだけで。


「奥方様は、今お召しになっているようなご衣装がよろしいですか?」


いつも通りの男物の上下に、長靴の姿を見下ろした。


「……はい、そうですね……動きやすいので」


かしこまりましたとニーナは頷いた。

素直に答えた後で、ちゃんとした女性の服を着た方が良かったのかと気になった。


「女の人の服を着た方が良いでしょうか?」

「いいえ。奥方様のお好きなようになさって下さい」


では、と服を脱がされそうになったので、自分ひとりで大丈夫だからと浴室に駆け込んで扉を閉めた。

ここから出たら、話をしてみようと決める。





鏡の前で髪を梳られながら、鏡越しにニーナに話しかける。


「あの、ニーナさん……私を、奥方様って呼ぶのを止めてもらえませんか……毎回、誰のこと? って思ってしまうので」


やらなければならない事はやり遂げてみせよう。

騎士団長の妻として、相応しく在れるよう振舞ってみせる。

それでも自分の周りの人とは地位だの上下だの、気にしたくない。

元々身分など無いのに、いきなり上に置かれても困惑以外に何もない。


アメリは包み隠さずニーナに話す。

時間をかけて誤解を生まないように丁寧に話している間、静かにアメリの髪を整え、ニーナは話を聞いている。最後に深く頷いて、にこりと笑った。


「お名前で呼ばせて頂いてもよろしいですか?」

「はい! アメリと呼んで下さい」

「それでは……アメリ様。アメリ様も旦那様とお話しする時のように、私共とお話しして下さいませんか?」

「……クロノと同じように、ですか?」

「……ですか?」

「あ、そういうのか……気を付けます」




午前中は文字を書く練習から始まった。

読み書きは出来てもそれ以上も以下も無い、難しい言葉は分からないし、流麗な文字が書けるでもない。

ニーナにお手本を書いてもらい練習をする。

途中で食事を取りにきたクロノに、仔犬にするような構い方をされて、さっさと仕事に行けと部屋から追い出した。

本を読んだり、文字を書いたりして過ごしていると、慌てた様子で侍女が部屋にやって来る。


名前はアリアナ、初日にここが見た目重視村だと教えてくれた侍女だった。


「あの!……仕立て屋の方が……いらっしゃいました!」

「あら……まだこれから呼ぼうと思っていたのに、どうしてかしら」


ニーナがのん気に答えているからか、アリアナはその場で忙しなく足踏みしている。


「違う! 違うんですって!! 王宮からです!」

「王宮?」

「はい! 陛下のご命令でいらしたと!……グレゴール様です! あぁ、大変です、どうしましょう、妹殿下の仕立て屋なんて!!」

「落ち着きなさい、すぐにお通しして!」


アリアナは回れ右すると走るような速さで部屋を出て行った。


「妹殿下って、誰?」

「陛下の、国王陛下の実の妹姫様の事です」

「へぇ……陛下には妹がいるのか……」




侍女たちの慌てた様子に、なんだか大変そうだなとアメリは他人事のように考えていた。




















おまけの六翼ちゃん。




朝の鍛錬場、その後。


『奥方様の朝練は終了しました』





出入り口までちんたら回っていると人が大勢来てしまう。

アメリは大した助走もなく目の前の柵に手をついて飛び越えると、真っ直ぐ屋敷に向かって走り出した。あっという間に背中は小さくなってこの場を離れて行く。


「マジか」

「飛び越えたのか、あれ」

「え?! なになに?」

「あれ、誰よ」

「え? 今の奥方様?」

「ヤバい、めっちゃかわいいんですけど?!」

「可愛いてか、美人じゃね?」


こちらに向かって来ていた団員たちが、好き放題しゃべっている声が聞こえてくる。

クロノの姿を見て一瞬にして静まりかえった面々は、皆 気まずそうな作り笑顔を浮かべ、口々に朝の挨拶をした。


「すごいですねぇ……森の中に行くとあんな奥さんが収集出来るんですね?」


にこにこと笑顔のローハンが、嫌味をひとつも含まない朗らかな声でクロノに話しかける。


「ハルか……どういう説明をしたんだ、あれは」

「あちこちで違う話を聞きますから、みんな興味津々ですよ」


ひとつ顔を撫でるとため息を吐くクロノ。

この苛立たしさは稽古で発散しようと剣を握った。

アンディカに相手をと、顔をくいと鍛錬場の方へ向けた。返事も聞かず奥へ進んで行く。


「久しぶりにふたりの仕合が見られますね、楽しみです」


裏表のないローハンの声はどこまでも嬉しそうだった。










アメちゃんのおサルぶりが発揮され(本編からカットされ)た、早朝のお話。








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