なに、なんで、どうして。
与えられた部屋は質素な感じで特別 広くもないし、狭くも感じない。
そう思った後で、いやいやと口の中でつぶやいた。
王城を歩いて、その中の王の執務室を見た後だからそう感じるだけだ。
冷静によく考えてみたら、今までに寝泊まりした宿の部屋が二、三個入りそうな大きさだった。
右手の隅の壁際に沿って長椅子と椅子がいくつか、卓を囲んで置いてある。
陛下が仕事に使っていたような机もある。大きさは半分以下で、上には紙切れ一枚乗っていない。
そのすぐ近くには大きな寝台。さらに奥にはどこかに通じる扉。
正面には大きな窓があり、窓辺にある小ぶりの卓でお茶の用意がされていた。
左手奥には扉の無い出入り口がふたつ。その手前にサザラテラでは必要がない大きな暖炉が設えてある。初めて見た訳では無いが、火が入っている状態は知らない。これから寒くなったら使うのかと思うと、少しだけ楽しみな気がした。一番手前にも扉がある。
窓辺の一本足の卓や、美しい布張りの長椅子、大きな机や、動かすのに苦労しそうな立派な椅子。
天蓋のある寝台も。
一見だけだと簡素にも見える。でもどの家具も大人しい光沢を放つ曲線があり、控えめだけど隅まで彫刻が施されている。
洗練されていて、どれも高価なものなのは判った。
アメリは自分が間違った場所にいる気がして、どうしようもない。
身の置き所が無くて立ったままでいると、ニーナに窓辺の椅子を勧められる。言われるままに座って、出されるままにお茶を飲んだ。
どうしていいか分からず、お互いが空気の読み合いをしている沈黙が続く。
「お湯を用意してあります。この後お使い下さい」
「はい……ありがとうございます」
「私どもに礼など必要ありません」
「……はい……」
やっぱり同じ部屋に知らない人と居続けるのはちょっとしんどい。
さっさと器を空にして、お風呂に案内してもらう。暖炉の横の扉が浴室と手洗いに繋がっていた。
やっとひとりになれると思っていたら、手伝いを申し出られて、そこは断固として拒否をする。
今までされたことが無い新しい種類の気遣いに、なんだか要らない緊張をしているような気がする。
指先がふやけてもまだ、必要以上にゆっくりとお風呂に長居した。
浴槽の湯も温くなって、扉の向こう側で人の気配が行き来しだしたので、ここまでかと覚悟を決めて立ち上がる。
用意されていた着替えを持ち上げて、前と後ろを何度も確かめる。
アメリはそうかとため息を吐き出した。
背中にボタンのある服は経済力のある証。
自分で留める必要がない立場だということ。
もちろん今まで着ていたような簡素な男物ではなくて、手触りが滑らかで柔らかい生地の、女性用の衣装だった。
飾り気がなく、丈も短い。街にいる女の子が着ていそうな形だけど、布の量は倍以上ありそうだし、値段は五倍はしそうだ。
下着だけが自分のものだったので、少しだけ安心する。
「失礼してもよろしいでしょうか」
扉のすぐ外から声が掛かる。
自分では途中までしか手が届かないから甘えるしかない。急いで自力で着られるところまで服を着てから返事をした。
足元に置かれていた布製の室内履きに気が付いてしゃがみ込んで見ていると、ニーナが慌てて、どうかされましたかと駆け寄ってきた。
「これ……かわいい、です」
白い毛織の室内履きには、端の方に草花と小鳥の刺繍がされていた。アメリは室内履きを持ち上げてもっと近くで見ようと顔を近付ける。
「どうぞ、お使い下さい。先程……お茶を淹れていたニコラが、奥方様の為にお作りしたんです」
「え? 私に作ってくれたんですか?」
ニーナは笑顔で頷いて、さあ履いて下さいと促した。
足を入れるとその柔らかさと温かさに、勝手に口角が持ち上がっていく。
後ろのボタンを何を言う間も無く留められ、服を整えられる。
浴室を出ると鏡の前に座らされた。
濡れた髪の毛の水気を丁寧に取られる。自分でするとアメリが申し出ても、私の仕事をさせて下さいとやんわりと断られた。
髪を乾かされた後、ゆるく編み込まれてそこで初めてアメリは気が付いた。
服も柔らかくて、締める部分はゆったりと結ばれている。履き物も髪の毛も、全部で自分を休ませようとしてくれている。
あとはひとりで大丈夫だとニーナに言うと、快く頷いて部屋を出てくれた。
壁際の長椅子にどさりと腰掛けて、そのまま横に倒れて寝転ぶ。
足を上げて自分の為に作られた履き物を見る。
自分の世話をしてくれる人と、その状況に慣れるのは時間がかかりそうだけど、我慢せずに言えば聞いてくれた。止めるか止めないかはまあ、別として。
どこまでが自分でどこまでをお願いするか、これから少しずつ探っていく事にしよう。
そう考えているうちに、いつの間にかアメリは眠っていた。
「起こしてしまったか?」
自分の下にあったクロノの腕が、背中を支えて起き上がらせて、体の向きを変える。
「んー……寝てた……」
背中の柔らかい感触で、自分が椅子に居たのを思い出した。椅子に体重をかけて力一杯腕と脚を伸ばす。ふうと息と力を抜くと、隣にクロノが腰掛けた。
体の上でくしゃくしゃになっていた掛け布を広げてきれいに掛け直す。ぬくぬくとそれに包まって、いつの間に、誰が掛けてくれたんだろうと考える。
足元にきちんと揃えて置かれた履き物が見えて、多分ニーナさんだろうなと何となく思った。
膝を抱えて足先まで掛け布の中に入れる。
ぼんやりしていると頬に口付けを落とされて、それは押し返すまで続いた。
「仕事は?……終わったの?」
「やれる所まではな」
「そう……えっと……」
話を聞かないといけないのに、すぐには何も思い浮かばない。目をごしごしと擦る。
「眠いならまだ寝ていても構わない、寝台に……」
クロノはさっき寝台に運ぼうとして、その途中で起きたのかと思考はゆるゆると回転を始める。
「んん……起きる……話しよう……」
「何か飲み物を」
自分以外に向けられた言葉に、急に意識がはっきりした気がする。
ご用意いたしますと返事をして部屋を出る後ろ姿を見て、刺繍の人だと思った。
お風呂の中でクロノに聞こうと考えていた話をひとつずつ思い出していく。
「ええと……まず最初に。私はクロノの奥さんになってて、それはもうクロノの周りの人は知ってるって事でいい?」
「……そうだな」
「陛下と会って、認められてから決まるんだと思ってたけど、あの感じだと、もうすでに陛下の本に載ってるよね?」
「そうみたいだな」
いつの間にそんな事になっていたのか、時が止まり、長生きすると聞かされて、何か特別な変化があると思っていたのに、何も思い当たらない。
「……体が変わった気がしないんだけど……こんなもんなの?」
「そんなもんだ、私もそうだった」
「顔も名前も知らないのに、どうやって本に載せたの?」
「それは……陛下に聞いてくれ、私にはわからない」
確かに陛下の印象は思っていた感じとは全く違ったし、ものすごく気安く接してもらった。それでもほいほいと会えるような人ではないだろうに、ずいぶん簡単そうにクロノは言う。
「じゃあ……会う必要がないのに、何で陛下の所に呼ばれたの?」
「うん?……へタレた旦那の奥さんがどんなものか見たかったんじゃないのか?」
奥さん旦那さんと、ふたりとも他人事のように話しているのが面白くて、アメリは笑いを漏らす。
「それなら……面白がってたから……良かったのかな?」
「お喜びだったな、何よりだ」
「顔が真っ赤になってたね、あの時」
眉間にしわが寄り、クロノは苦いものを噛み締めた顔をしている。
「……あんな……話になるとは……」
「ダメだった? 一応いろいろ考えて答えたつもりなんだけど……」
「ずいぶんと、その……私に好意的に聞こえた」
「……あのねぇ、好意がないのにここにこうして居ますかよ」
「……そうだな」
「好意がないのに妻なんかになりますかよ」
ぐっと肩を抱き寄せられて、体が斜めに傾いた。
近付いてくるクロノの顔をそのままにしていると、扉を叩く音が聞こえる。
クロノを押し返して返事をすると、横から盛大な舌打ちが聞こえた。
堪えてもくくくと笑い声が漏れる。肩に乗っているクロノの腕を払って体を起こした。
アメリが足を床に下ろして掛け布を畳んでいると、茶器を乗せた盆を持って、侍女が音も立てず静かに部屋に入ってくる。
目の前にお茶が用意されていくのを大人しく待った。
準備を終えて下がろうとする侍女に、お礼を言う。必要ないと言われても、お礼は言いたい。
「ニコラ……さん?」
「……はい!」
「靴も、ありがとうございます……すごくかわいいし。嬉しかった、です」
ニコラは自分の手をぎゅうと胸に押し当てて、力一杯目を瞑ってばっと開いた。
「はい!……いいえ……喜んでいただけて、光栄です」
ニコラの声は少し震えている感じがした。
力強く膝を折って礼を取ると、勢いよく壁際まで下がっていく。
「……用ができたら呼ぶ、下がっていなさい」
クロノがアメリの足元を見ながら言うと、ニコラは素早く部屋を後にした。見送っているうちに、いつの間にかクロノが足の上に肘を突いて額に手をやっている。
「……私はどこまで嫉妬する気だ」
「は? しっと?」
憔悴したように零すクロノに、様子と話の中身がいまいち噛み合わない気がして、アメリは思わず聞き返す。
「やきもち? なんで?」
「いや……どこで話が変わったかな」
クロノは用意されたお茶を上品に飲み始めた。
この質問には答えてもらえないのかと見切りを付けて、アメリは何を聞く予定だったか、思い出す。
「あ、そうそう……えーと祭り? 春の……それから、戴名の式がどうとかいう」
「……春節祭だな」
暦の上で冬が終わり、春を迎える祭りだと簡単に説明を始める。
「城都ではその日から三日間、花祭りだが……」
「あー……私、知らない……お祭りがあるんだ」
「ああ、祭は午後から始まるんだが、日の出に合わせて陛下が神殿にお出ましになって、神事が行われる」
「神殿……」
「城都に入る前に見なかったか?」
城都に入る前。
今日の移動中かと考えて、すぐに思い当たる。
城都の手前、広い草原の奥の方に小さな森があった。木々の間に見えた白い建物。遠くに小さく見えていたけど、距離からずいぶん大きな建物だなと思った覚えがある。
「あー……え?! あそこまで陛下が行くの?」
「そうだ」
「今日 通った道から?」
城都を迂回する道は、何もなくて馬だと走りやすかったけど、かなり遠い気がする。
「いや……城都の中を通って」
「……それ……は、それで大変そうだね」
国王陛下が城外へ出るとなると、それと一緒に大勢の人が動くのは、アメリにも簡単に想像が出来た。
しかも動くのは城内に居る騎士だけでは事足らないだろう、城より外はハイランダーズの管轄だ。
そこで何か起こるなんて、あってはならない。
「行き道は、民は見てはいけない事になっているが、帰りは人が出ているからな……祭りの客分で平常の倍近くに人が増える」
「ああ……そりゃ、ハイランダーズは大忙しだね」
「分かってくれるか……」
「だって祭りの日の町は……ねぇ?……陛下が城都を通る間、クロノはどうしてるの?」
「王城の騎士が陛下をお守りしているが、私たちは陛下とその騎士たちと一緒に行動する」
一番外側の壁になると言外に伝わって、王城の騎士たちの横柄さや見下した態度の理由の端っこを見た感じがする。
アメリは唸り声を上げていた。
無駄に思えたクロノの威圧感は、とても重要で、必要なんだと考えを改める。
「アメリが唸らなくていいぞ?」
クロノは笑いを堪えるようにして、肩に回した手でアメリの腕を宥めて擦っている。
「次の日が戴名式だ……これは城内で、城内に居る者に向けて、アメリが戴名したと知らせる為の式典だな」
「は? 私?! え、どうしてそんな事」
「陛下がお決めになったからな……」
「……ていうか、もう戴名してるし、式なんて要らないよね、みんなする決まりなの?」
「いや……」
「あ! じゃあいいです! しなくていいです!」
「私にもどうしようもない」
よく分からないけど嫌な予感しかしない。
自分の為に大袈裟にされるなんて寒気がする。
「ちょっと待って……クロノだからでしょ?!」
「……気付くのが早いな」
「もう! どうしてクロノは総長なの?!」
子どものようにぷりぷりと怒り出したアメリの頬に口付けをして、クロノはどうしてだろうなと笑う。
おまけの六翼ちゃん。
『バックヤード』
「うーん、そうね……結構 好んで男っぽい格好をしてるみたいだね、派手なものは好きじゃない感じかな。でも、小物の端っこにちっさく花なんか付いてるモノ持ってたね。慎ましくて女の子らしいって言うか、可愛らしいものは好きなんじゃないかな」
「わかります!!」
旦那様が、奥方様を迎えると聞いて、その方の事をあれこれ第二隊の隊長様から聞き出していた。
ニコラは両手に握りこぶしを作って、力一杯 叫ぶように言って、すぐさま侍女頭に叱られた。
ばったーんと扉を開けて、ニコラは厨房中に響くような声を出した。
「奥方様の『かわいい』頂きましたー!!」
厨房の隅を居心地良く作った憩いの場で、侍女頭を始め、侍従長以外がそこに揃っている。
ニーナが小さくため息をこぼした。
「だから言ったでしょう? 褒めてらしたって……それより、その大声はガマンできないの?」
「だって! でもですよー! あんな可愛らしいお顔で、微笑んで『かわいい』とか『ありがとう』なんて言われて、叫ばずにはいられませんてー!」
わかる、とかニコラ頑張ったもんね、とか口々に好きにおしゃべりする侍女たち。料理長はお茶の入ったカップをニコラに差し出した。
「はあぁぁ……そりゃお目にかかるのが楽しみだなぁ」
「私たちがお目にかかる日なんて、あるもんかい」
我が夫を肘で小突きながら、もうひとりの料理人は笑い、違いないと今度はふたりして笑い合う。
「……今はそりゃ、そんな機会は無いでしょうけど」
受け取ったカップで手を温めながら、ニコラは唇を突き出している。
きっと仲良くなれる自信がある。
こんな事、口に出したらニーナさんに叱られるから、言わないけど。
ハルエイクロイド様のおっしゃった通りの方だった。流石 女の方を数多く知られているだけあって、見る目は確かだ。褒められた話では無いけど、感心はする。
私の可愛いと思うものを可愛いと言って下さった。絶対 気が合うはずだし、だとしたら私は得意な刺繍をもっともっと頑張れる。
いつか、この賑やかで楽しい時間をこの場所で過ごせたら良いのに。
そんな事あるわけないけど。
頭を振り、それでもほのかに期待しながら、少し温くなったお茶をニコラは口に入れた。
本人の来る前から、本人の知らないところですでに発足していたファンクラブの話。




